テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
「悩める子羊の皆~、聖女通信の時間だよー。今日で……1842回目の配信だね……」
いつもと同じ、けれど少しだけ掠れたような沙耶の声が、古いスマホのスピーカー越しじゃなくて、すぐ横から聞こえた。
端末の画面には、画質の悪い配信画面と、それを埋め尽くすコメントの流れ。
どうやら視聴者のことは“悩める子羊”と呼んでいるらしい。最初からそうだったわけじゃなくて、千回目ぐらいの配信からそう決めたんだって――と、七海が小声で教えてくれた。
「髪切った? そうそう、切ったんだよ~。もう……伸ばす必要が無くなったからさ」
軽く笑って言ったのに、画面の向こうの空気が一気に重くなったのが伝わってくる。
コメント欄には「あっ……」「ごめん……」「元気出して……」と、申し訳なさそうな言葉が次々流れていった。
横を見ると、七海と小森ちゃんが俯いて、肩を震わせている。泣いてるわけじゃない。笑いを必死に堪えている震えだ。
それを見て、私も少しだけ頬が緩む。
「そんな皆に重大発表があるよ……」
さっきまでとは違うトーンで、ぽつりと沙耶が落とす。
コメント欄は一瞬で阿鼻叫喚。「やめてくれ」「心臓に悪い」「フラグやめろ」みたいな文字が画面を覆い尽くしていた。
「じゃあ、カメラを外カメに切り替えるね~……よし、映ってるかな?」
“なんと~”と、わざとらしい効果音みたいな声を出しながら、沙耶がスマホをくるりと回す。
下から舐めるような角度で、レンズが私を捉えた。
コメント欄が「!?」で一気に加速する。
画面の右側が、意味のない記号と感嘆符で真っ白になっていくのが分かった。
「お姉ちゃんが! 帰ってきました!!! いえーい!!」
私の想定していた“しんみりとした再会ムード”なんてものは一瞬で吹き飛んだ。
沙耶のテンションは、完全にイベント当日のテンションだ。こっちはまだ心の準備ができてない。
横で七海と小森ちゃんが、口元を押さえてうつむいている。肩がぴくぴく震えていて、明らかにおかしい。
コメント欄には「は???」「偽物では?」「ついに人体錬成にまで手を出してしまったのか……?」と好き放題書かれていた。
「酷くない!? 本物だってば! 信じてよ~~~」
端末の画面を覗き込んでいた私は、そこで一度スマホを七海に渡して、一歩前に出る。
このまま画面の隅で棒立ちしていても、どうせ“置物”扱いされるだけだ。
カメラの正面に立ち、深呼吸をひとつ。
どこに行っていたのか。何をしていたのか。
魔界でのこと、カレンの父さんのこと、この五年間に起きた世界の変化――全部を、要点だけかいつまんで話した。
沈黙するコメント欄。
流れているのは「情報量」「えぐい」「映画かよ」みたいな文字ばかりだ。
「別に全てを今すぐに信じてほしいと言う訳ではないけれど……。それで、本題はここから」
そう区切ってから、私は沙耶に視線で合図を送る。
顎で「次、あっち」と示すと、沙耶は理解したように頷き、スマホを相田さんの方へ向けてくれた。
何度か出演したことがあるらしく、相田さんは慣れた様子で軽く自己紹介をしてから、表情を引き締めた。
「正式な発表は後ほど行うが国家同士で親善試合とも言い…対抗戦をすることになった。前に日本国内で行ったものに近い。ただ前回とは違うのは本物の武器を使用する……殺しは無しだが、起きない、とも言い切れん……」
低く落ち着いた声。
その声に反して、顔は暗い。眉間の皺の深さが、どれだけ渋い役回りなのかを物語っていた。
日本は、今や各国から狙われている。
その現実を知っている視聴者が多いのだろう。コメント欄は一気に静まり返った。さっきまでの騒がしさが嘘のようだ。
「この聖女配信を見ているのは日本人だからぶっちゃけるが、今の日本に他国のトップハンターと戦える人材は殆ど居ないってことだ。今日ここに来るまでは……な」
いつの間にか、カメラ係は七海にバトンタッチされていたらしい。
その隙に沙耶は、後ろにいる私の髪を勝手に三つ編みにして遊んでいる。
結ぶか、下ろすかの二択しかしてこなかった髪型が、指先の感触だけで器用に編まれていくのが分かる。なんだかくすぐったい。
「知りたいと思わないか? 今まで行方不明だった『聖女』がどんな実力なのか」
「……私?」
完全に聞き流していたところに、名前を出されて変な声が出た。
画面の向こうに向かって、相田さんが顎で“行け”と示している。
何を言えばいいか、一瞬頭が真っ白になる。
「私が居なくなった顛末は話すと長くなるから割愛するね。実力か……何見せればいい?」
「後で子羊限定でアーカイブ公開するからチャンネル登録よろしくねっ!」
私の言葉に被せるように、沙耶が素早く宣伝をねじ込んだ。
その抜け目のなさに、思わず「商売上手だなぁ……」と心の中で感心してしまう。
どうしようかと悩んでいると、相田さんが助け船を出してくれた。
「いや…今すぐに見せたら勿体ない。せっかく国際交流戦があるんだからよ」
「確かに。じゃあ私からは交流戦を記念して、行方知れずになっていた期間に身に着けた技術を公開しようと思うよ〜。じゃあまずは一番簡単なやつから……魔力に関する技なんだけど――」
魔法系のスキルがないと魔法は使えない――そう思っている人は多い。
けれど実際は、魔力をひも状にして、スキルで発動される魔法陣を正確に“なぞる”ことができれば、スキル無しでも魔法を発動させることができる。
必要なのは、精密な魔力コントロールと、魔法陣を覚える記憶力。
条件だけ聞けばハードルは高いけれど、原理としては単純で、やろうと思えば誰でも習得できる技術だ。
私はゆっくりと指先に魔力を集め、空気中に細い糸を描くようなイメージで魔法陣をなぞった。
見えない線が完成した瞬間、指先にぽっと小さな火が灯る。
「ね? 簡単でしょ?」
指先の炎をひらひらと揺らしながら言ってみせる。
隣で沙耶が、視聴者のコメントをスクロールして見せてくれた。
そこには「は?」「できないが?」「これで一番簡単……?」と、総ツッコミのような文字が並んでいる。
さっきよりも“!?”の密度が高い。あれ、おかしいな。
「え、ちょっと待って……今のを前提とした技術が5つぐらいあるんだけど……」
「んー……。お姉ちゃん。これ結構難しいかも」
沙耶が眉を寄せて言った。
魔法系スキル持ちの沙耶がそう言うなら、世間的には“簡単”の範疇には入らないのかもしれない。
そう言いつつも、沙耶はスキルを唱えずに、ギリギリだけ魔法の形を保つところまで真似してみせていた。
火はまだ点かないが、魔力の流れはほぼ正解だ。やっぱり、私の自慢の妹だ。
私が心の中で全力で褒めちぎっていると、七海が手を挙げて問いかけてきた。
「うちはまだできそうにないっすけど、これスキル唱えるのと何が違うんですか?」
「相手に余計な警戒をさせられるってことぐらいかな。魔力で描くから、魔法陣が目視で見えてるスキルと違って、見てからの対処が難しいし」
「発動が見えないんすね……対処法とかってないんすか?」
「あるよ。目に魔力を多めに流せば、魔力の流れが目で見えるようになるから、相手が魔法陣を描いていたら対処できるよ。ただ、流す量を間違えると眼球が爆散するから、近くにヒーラーか性能のいいポーションがある状態で練習するのがベスト」
「ん、最初のころはあーちゃんも2日に1回は爆散させてた」
余計な暴露をサラッとしたカレンの額に、私はノールックでデコピンを飛ばした。
「いった」と小さく呻き声が聞こえる。
カメラに向き直って、少し真面目な顔を作る。
「今言った“見る側の技術”も含めて、命がけで覚えたことだから……できれば、どうしても必要な人だけ、慎重に試してほしいかな」
その技術を使わないと生き延びられないような極限状況じゃない限り、眼球爆散上等の訓練なんてしない方がいい。
一気に色々な技術をばら撒いて、余計な怪我人を増やすのは本末転倒だ。
段階的に、様子を見ながら少しずつ。
そう考えていたところで、ふと、もう一つの“誰にでも出来るはずの技術”の存在を思い出した。
――けれど、さっきの反応を見てしまった後だと、口にするのが少し怖い。
私の中で、“教えたい”気持ちと“混乱させたくない”気持ちが静かに綱引きを始めていた。