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「そういえば!」
ワンピースの女性が、思い出したように高い声を上げたので、私は直樹から視線を外し彼女を見た。
「何か思い出した?」
直樹の問いかけに、彼女は頷きながら答えた。
「卒業間際に、雪香にしつこく付きまとっている男がいたんです」
「ああ、いたね……完全にストーカーだったよね」
ノースリーブの女性も思い出したのか、顔をしかめた。
「ストーカー?」
不穏な言葉に、直樹が固い声を出す。
「そうなんです。一時期、雪香を待ち伏せしたり、無視してもそのままつけて来たりで本当にしつこかった」
卒業間際の事なら、まだ一年経っていない。でも私は雪香にそんな話を聞いた覚えが無かった。多分、直樹も。
「そのストーカーはどうなったのか知ってますか?」
二人は考えこむように首を傾げた。
「どうだったかな……気付けばいなくなってたって感じで」
「でも、ストーカーになるくらいの人がそんなに簡単に諦めるとは思えないけど」
雪香は、一体どうやって追い払ったのだろうか。
「その男の名前は分かる?」
黙って聞いていた直樹が口を開いた。
「知らないです、関わりたく無かったから……あっ、でも雪香はミドリって呼んでました」
「ミドリ?」
私が聞き返すと、二人同時に頷いた。
「うん、そう言ってた」
結局、ストーカーミドリについて、それ以上の情報は得られそうに無かった。
雪香がよく出入りしていた店の名前を教えてもらい、そろそろ解散しようかという頃、直樹が席を外した。電話をしに行ったようだ。
雪香の失踪に、ミドリは関係しているのだろうか。私にあの手紙を送って来たのも、彼なのだろうか。
「あの……さっきは彼が居たから言わなかったんだけど」
躊躇いがちに声をかけられて視線を上げた。ワンピースの女性が直樹の歩いて行った方を気にしながら話を続けた。
「雪香は沢山の人と付き合ってたけど、本命はずっと変わらず一人だったの」
「え?」
「雪香はその人をかなり好きだったみたいなんだけど、正式な彼女にはしてもらえなくて、それで自棄になったのか言い寄って来る男と付き合ってたの。まあそんなだからどれも長続きしなかったんだけど」
雪香が片思いをしていたなんて、信じられなかった。皆に慕われ、直樹に一目で愛されたあの雪香が。
「その片思いの相手って誰なの?」
私の問いに、二人は一瞬躊躇いながらも答えてくれた。
「同じ大学の先輩で、名前は蓮って言うんだけど……」
「蓮? もしかして鷺森蓮の事?!」
「そう! 知ってたんだ?」
話を遮った私に、ワンピースの女性は戸惑ったように答えた
「……その人の事は雪香に聞いていたから」
動揺を、なんとか抑え言ったけれど、心の中は蓮に対する怒りで溢れかえっていた。
完全に騙されていた。幼なじみで兄妹のようなものだなんて、よく平気な顔で言えたものだ。
あんな男の言葉を真に受けてしまったなんて、自分が許せなかった。
「じゃあ蓮が、さっき話した雪香の通っていた店で働いてるのも知ってた?」
裕福だから働いてないんじゃなかったの?
「それは知りませんでした」
怒りを抑えた低い声で、答える。
直樹が戻って来てすぐに、私達は店を出た。
二人にお礼を言い別れると、それまでにこやかだった直樹が重い溜め息を吐いた。
「そんなにショックだったの?」
素っ気ない私の言葉が不満なのか、直樹は恨みの籠もったような目を向けて来た。
「当たり前だろ? 雪香の男関係の話を聞いたんだぞ、それも良い話じゃ無かったんだ」
「でも乱れてたのは過去で、今は真面目だって言ってたじゃない」
「そうだとしても簡単に割り切れる訳ないだろ?」
直樹は苛立ち声を荒げる。私はその姿に少しだけ傷付いていた。彼がこんなに嫉妬深いなんて知らなかった。
私の事で、嫉妬に狂うなんて無かったから。
気持ちが沈んで、これ以上話をするのが億劫になった。駅までの道を私達は無言で歩く。
直樹はまだ雪香を探す気があるのだろうか。探す事によって、知りたく無い事実まで耳に入ってしまう。精神的にキツいんじゃないの?
駅に着いてもまだ浮かない表情の直樹に、私は少し躊躇いながら声をかけた。
「私はまだ雪香を探すけど直樹はどうするの?」
私としては、雪香の友達のおかげで手掛かりは掴んだし、もう直樹と協力する必要は感じていなかった。
直樹は手を引いた方がいい。
雪香が消えた日から、私が考えていたこと。
―雪香は直樹を愛していなかったのかもしれない―
その疑いが、今日私の中で確信に近くなった。
雪香が本当に好きなのは、きっと昔から変わらず蓮なんだ。
このまま雪香を探しても、直樹は傷付くだけだと思う。ただでさえ結婚式当日に、花嫁に消えられたという屈辱を受けているのに、蓮の存在まで知ったら立ち直れなくなるかもしれない。
別に直樹に同情してる訳じゃない。雪香の本心を見抜けないまま結婚しようとしたのは、彼のミスだ。
けれど、雪香の事で悩んだり苦しんだりしている直樹を見るのは嫌だった。
「直樹はしばらく休んだら? 何かあったら連絡するから」
私がそう言うと、直樹は少し考えてから頷いた。
「来週からは仕事にも行かなくちゃいけないから、なかなか動けないと思う。沙雪に任せるけど何か分かったら必ず連絡しろよ」
「分かった」
直樹の言い分が図々しく思え、少しの苛立ちを感じたけれど了解して直樹と別れた。
アパートに向かいながら、次の行動について思案した。
しばらく考えてからスマホを取り出し、今までかけたことの無かった番号に発信した。
土曜日、私は雪香の家を訪ねた。
雪香が居なくなって心細いのか、母は私を歓迎してくれた。
「沙雪……良かった来てくれて」
母は顔色が悪くやつれている。雪香の失踪が相当堪えているのが見てとれた。
「お母さん、大丈夫?」
長い間離れ離れで馴染みの薄い母親だけど、それなりに心配では有る。
「警察からは何の連絡も無いの。本当に探してくれてるのかしら。今頃あの子がどんな目に遭っているかと思うと夜も眠れないわ」
「どんな目って……雪香は自分の意志で姿を消したのかもしれないでしょ」
そう言っても、母は血の気の無い顔を横に振るだけだった。
「雪香が出て行く訳が無いわ、あんなに幸せそうにしてたのに。何か事件に巻き込まれたに決まってるわ」
母の様子を見る限り、雪香は実家にも連絡を入れてないようだ。
どうして私にだけ電話をして来たのだろうかと、ますます疑問は大きくなる。私なんかより、雪香を心配している人は沢山いるのに。
「何か手掛かりが有るかもしれないから、雪香の部屋を見たいんだけど」
「ええ、いいわ」
母はあっさりと雪香の部屋に案内してくれた。
私が雪香を探しているという事実に、喜び期待しているのか。
罪悪感で気持ちが重くなった。
直樹も母も本当に雪香の身を心配している。それなのに、私は雪香からの電話について黙っている。私なりに理由があるからだけど、本当にこれで良いのだろうか。
自分の行動に自信を失いはじめながら、雪香の部屋の扉を開いた。
十畳程の広さの雪香の部屋は、モノトーンのインテリアで纏められていた。
意外に思いながら、部屋を見回す。
勝手な思い込みだけれど、雪香はもっと柔らかで女性らしい雰囲気を好むと思っていた。
まずは部屋の隅に置いてある机に近付き、手掛かりになりそうなものを探す。
既に義父と母が確認しているだろうけど、自分の目でも確かめたい。
今のところ雪香に関する手掛かりは三つだ。
ストーカーミドリ、常連の店、そして鷺森蓮。
一通り調べてみたけれど、有効な手掛かりは見つからなかった。
次は本棚。小説が多く並んでいたが、端に数冊のアルバムを見つけ手にとった。
部屋の中央の黒い革張りソファーに浅く腰掛け、静かにページを捲っていく。
アルバムの中の雪香は、今より少しだけ幼い。二年位前だろうか。
明るく輝くような笑顔の雪香は幸せそのもので、そんな彼女の隣には必ず蓮の姿があった。
雪香が蓮を好きなのは間違いないだろう。
それなのにどうして、直樹と結婚する気になったの?
出会って間もなく……私から奪ってまで。
一通り写真を見終えると、アルバムを本棚に戻す。そのとき奥の方に白い封筒が折れ曲がった状態で押し込められているのに気が付いた。
何これ? そっと引っ張り出してみる。
封はされていないので中を覗くと、紙が何枚か入っていた。
見覚えの有るそれらを、嫌な予感でいっぱいになりながら取り出し開く。
【お前を許さない】
白い紙の中央に印刷された文字は、私に宛てられたあの手紙と同じものだった。
背筋がぞくりと冷たくなる。
しばらくの間呆然としていた私は、気を取り直し残りの紙を取り出した。
「……どうして」
ふと気づいて封筒の宛先を確認すると、住所などはなく倉橋沙雪とだけ記載されていた。
私のポストに入っていたものと全く同じ。どうして、これが雪香の部屋に?
いくら考えても理由は分からなかったけれど、一つだけははっきりと分かった。
やっぱり私は、雪香の抱えていた問題に巻き込まれている。
不安よりも苛立ちがこみ上げた。
無関係の私を巻き込んだ雪香に対する怒り、状況が把握出来ないことへの苛立ち。
もう……うんざりだ。
私は自分宛の手紙をバッグに乱暴に押し込み、忌々しい雪香の部屋を後にした。
階下に降りると、母が不安と期待の入り混じったような顔をして、待ちかまえていた。
「沙雪」
「あ……」
気まずい思いで足を止めた。
「何か分かった?」
「ごめん、何も手掛かりは無かった」。
「そう」
母は落胆して肩を落とす。
「ごめんなさい、役にたてなくて。私はこれで帰るから」
玄関に向かおうとする私を、母は慌てて引き止めた。
「沙雪待って、もう少し居て欲しいの」
「え、でも」
「沙雪、お願い」
早く帰りたいけれど、弱っている母を突き放せなかった。
「じゃあ、少しだけなら」
私は母に促され、リビングルームに向かった。
母は私にコーヒーを出すと、雪香の話を始めた。
「このままじゃ婚約破棄されるわ。雪香が戻って来たとき、どんなに傷付くか」
母は苦しそうに嘆くけれど、私は共感できない。
だって雪香が好きなのは鷺森蓮が好きなんだから。
そういえば、彼の家は隣だと言っていたっけ。
それも嘘かもしれないけど、念の為母に確認してみようか。