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一ノ巻〚四人〛
黒い瓦屋根の上を飛ぶ雀。
松の木が庭園の中から顔を出し、その木の下で猫が丸まる。
壁に掛けられた木の看板には、黒い炭で何か書かれている。
『当り所の診療所』
さても、大きな診療所である。
大名屋敷の一回り小さいくらいであろうか。
周りに立ち並ぶ、江戸特有の長屋。それから町人が商いをする店。
周りはどうも小さい建物ばかりだ。
だから、大きく見えるのだろうか。
診療所は静かであった。
雀の鳴き声、猫の喉を鳴らす音、鹿威しの落ちる音。
そして、廊下を勢い良く走る音。
すパァンッ
裸足の少女が襖を開けた。
赤い袴を着、そこから少し覗く元気の良さそうなやや日焼け気味の肌。
赤みの混じった髪をハーフアップに結い、その髪を靡かせて彼女は大声で叫ぶ。
「伊崎の馬鹿ァっ!!!」
伊崎と呼ばれた部屋の主は、後ろを振り返りながら刀を抜く。
その顔は、まさに鬼。
「どっちが馬鹿だ。急に大声出すから墨が報告書に垂れただろ。どうしてくれんだ」
右手に筆を持つが、左手で紙をクシャクシャに握り潰している。
彼女は弥生伊崎。
毛先は深緑の入っている黒い髪で、それを頭の天辺で結んでいる。
効果音をつけるのなら、『ぴよん』。
どうにもその吊った目とぴよんが不釣り合いで不格好だ。
しかし彼女は意外にも美形だ。
長いまつげと色素の薄い灰色の瞳。
これで笑顔であれば完璧なのだが、その表情は鬼。
「だって伊崎が悪いじゃん!台所のトコの棚に置いてたお煎餅食べたでしょっ!!折角組長からもらってたのにぃ!」
ぷくぅと頬を膨らませるのは、文月唯。
袴も髪も瞳も、全体的に赤い。
パチリとした丸い目は、可愛らしい。
全体的にふっくらした肉付きだが太い訳では無い。健康的な体付き、というのだろうか。
唯はずかずかと伊崎の部屋に立ち入る。
伊崎は筆とくしゃくしゃの紙を机に置き、もう一度新しい紙を机に広げた。
「馬鹿か。いつの煎餅だよあれ。腐ってたから捨てたんだよ。食ってたら完全に腹壊すし。私それ食えるほど怪物なのかよ」
真顔に戻って言う伊崎。
報告書とやらにつらつらと書き並べる漢字。
唯はその様子をじっと眺めた。
「流石内科医。そういうのはやっぱり分かるんだ」
「保健班が機能してない。ちゃんと腐食物の処理はしないと」
「へぇ。私もちょっと保健班のことは思ってたかな」
「医療具か」
「そうそう。一応私、外傷医だから。包帯とか綿とか管理してくれないと困るんだよね」
「成る程な」
書類を書く伊崎は少し真剣だ。
その様子を見て、唯は不思議そうに首を傾げた。
「私、蘭学全くわかんないや。よくこんなの独学で勉強したねぇ」
書類の内容は、先日ここを受診した町人の病名と対処法だった。
肺の病で、完治薬はない。
しかし死を遅らせる薬はある。
そういったことを、症状を聞くだけで当てるのだ。
「独学……。まぁ、これ以外勉強したくなかっただけ」
伊崎が珍しく言葉を濁す。
「じゃあ勉強しなきゃよかったじゃん。あ、まさか伊崎の親って、寺子屋とか絶対行かせる系?あー、そりゃ大変だったねぇ」
勝手に呑気に話す唯。
そんな唯を見て、伊崎は眉を八の字に曲げた。
「出ていってくれ。仕事の邪魔だ」
「あらら。そりゃごめん。あ、そーだ。さっき管太郎が呼んでたよ」
「はいはい。行くつっといて」
「はぁーい」
そう言って襖を閉める唯。
唯が居なくなると、長く深いため息をつき、項垂れる伊崎。
「あー、もう。いっそ気付いてくれ……」
*
日は暮れ、烏がこかあこかあ鳴きながら巣へ帰ってゆく。
診療所は丸一日開いているため、門番の入れ替わり。
そして今は夕食の時刻。
伊崎はのろりのろりと応接間へ向かっていた。
管太郎とやらに呼ばれていたことを忘れ、今まで昼寝をしていた伊崎。
(まぁ、あいつなら許してくれるだろ)
信頼の厚い管太郎である。
(どうせどうでもいい話だろうし)
否、信頼の厚いわけでなく、面倒臭がられているだけであった。
さて、本来は食堂で食事をとるのだが、伊崎“たち”は特別なのである。
襖を開けた先には、三人の少年少女と、中年のおじさん、その隣に若き男性が正座をしている。
三人の少年少女のうちの一人は、先程の唯である。
「伊崎っ、ギリギリ夕餉に遅れなぁーい」
けらけら笑いながら唯は伊崎をからかう。
伊崎は定位置の唯の隣に座った。
左隣には伊崎と同い年くらいの少年が座っている。
青い髪をしており、それを低い位置で一つに結っている。
青い袴を着ていて、それが似合う青髪と青目。
にこりと優しく伊崎に微笑む彼の心情は、淡い色。頬ばかりは青でなく薄紅色である。
彼の名は睦月管太郎。
組内の精神科医である。
精神科医はこの組では数少ない人材で、その中でも実力が飛び抜けて良い管太郎。
この笑顔も、彼にとっては取って置きの薬だ。
「今日の夕餉は伊﨑の好きな秋刀魚だよ」
「もうそんな時期か。じゃあ病も流行る時期に突入だな」
「やめてよ伊崎、そんな気持ちで秋刀魚食べてたの?」
クスクス笑いながら管太郎が伊崎に問うと、伊崎は「違うよ、あのね」と続く。
「秋刀魚食べるときって、秋刀魚の体内解体できるだろ?それが好きで秋刀魚食べてるんだよ」
真顔でそれを言われると誰でも引く。
管太郎は真顔で硬直。
横から唯が「流石、内科医天才伊崎様」とニヤける。
唯の隣りに座っている小柄な女子は、口元に手を当ててクスクス笑う。
鮮やかな茶髪で、短い三つ編みを後ろに結んでいる。
黄色い袴がよく似合う人で、肌も白く、全体的に色素が薄い。
そして何より、立ち振舞が上品である。
正座の仕方、笑い方などの作法が成っている。
そんな彼女の名は長月葉色。
診療所で薬師を担う者だ。
漢方薬は勿論、西洋の薬までも多少勉強しており、薬の知識はこの大江戸一と言っても過言ではない。
ただ彼女の弱点が一つある。
「みんな、凄いね」
これである。
彼女は、相槌担当。
ボケもツッコみも、会話の提案もしない。
相槌担当。
そういう性格でもあるのだが、常にニコニコポケ〜っとしているため、よく街人に拐われそうになる。
その度に診療所の仲間たちがそれを阻止し、「ちゃんとシャキンとするように」とお灸をすえる。
「葉色、相変わらずの相槌担当」
唯はつまらなそうに言う。
それに対し伊崎は興味のなさそうに「別に、いいんじゃないか?」と管太郎に振る。
「でも、ボーッとし過ぎで拐わらるのはどうかと思うかな。葉色いなくなったら薬師の質が大幅に下がるし。何より、仲間だし」
「お前、よくそんな恥ずかしいこと自然に言えるな」
「え?なんか言ったっけ?」
伊崎は「恐ろしい……」と管太郎を睨むが、隣で唯と葉色はニコニコ笑っている。
と、襖が開いて御膳が運ばれてきた。
赤い腰布を下げた女中五人が、それぞれ一人ずつ御膳を配膳する。
そのうち一人が、笑顔でこちらを向いた。
「夕餉は、これから旬を迎える秋刀魚の塩焼きです………」
毎食、こうやって食事の説明がある。
配膳される前には毒見役による毒見も行われる。
こうも高級旅館のような……否、それ以上のもてなしは何故されるのか。
理由は簡単だった。
「四天王」
食事中、四人の前に座る男が言った。
唯、伊崎、管太郎、葉色は横一列に並んでいるが、この部屋では二人だけ四人と向き合って座っている。
「何ですか、くみちょー」
管太郎は唯をムッとした顔で見る。
「立場を意識しろ」とでも言いたげな顔だ。
四人の前に座る大柄な男は、この診療所の組長。
名を師走武次郎という。
濃い茶髪を布切れで結っており、顔には無数の髭。
いつ見ても清潔感のないおっさんである。
先代の師走健之介からこの診療所は開設され、そのあとを継いだのがこの武次郎というわけだ。
しかし今のところまだ跡取りはおらず、早く結婚をしろ、と四人に言われている。
「四天王、お前らに任務を与える」
武次郎は低く重い声でそう告げた。
四人は首を傾げる。
「任務なら毎日与えられているじゃないですかぁ。嫌だと言うほどに。もういいですよ、無理に任務与えなくても」
伊崎は武次郎への嫌味も共にそう言った。
外傷医、内科医、精神科医、薬師としての四天王。
この僅か十の齢で、この診療所の四天王だ。
まさに才能の塊である。
このうちの一人でも欠ければ、診療所のバランスが取れず、崩壊を起こしかねない。
今そこそこ有名な診療所としてやって行けているのは、四人がいるからである。
そんな四人に、任務を与えるという。
「詳しくは僕から話しますね」
組長の隣に座っている、小柄な男が声を上げた。
黒髪を結い、まるで女のような顔つきをした男。彼は霜月佑誠(しもつき ゆうせい)。この診療所では、組長補佐、言うに副長を担っている。
美顔なこともあり、組内の女子から人気がある。
「はい。説明お願いしますっ」
管太郎が軽く頭を下げた。
「君たちは、〝大江戸四天王〟と呼ばれるほどに医学の才があるわけだけれど、今まで一度も依頼には応えたことがなかったね」
「……そうですね……」
葉色はぼそりと反応する。
依頼というのは、金を出して診療所に頼みに来ることだ。
どこかの消毒、病人の面倒、薬の調合、病気発見などなど、医療のことであればなんでも依頼できるのだ。
普段は無料で診察、処方ができる。
幕府に認められた診療所のため、月周期で米俵や小判、大判が送られてくる。つまりは税金である。
しかし、依頼では金を出さなくてはならない。
診療とは、診療所へ足を運ばなければならない。しかし依頼では文を寄越すだけでいいのだ。
利用者も多い。
しかし、その大半は小さな病気や怪我、体調不良などで、依頼は下っ端の者たちが行くことが多い。
経験のためにも、新入りにほぼさせている。
そんな依頼を四天王四人は受けたことがなかった。理由は簡単。忙しいから。
診療所に来て重症患者が見つかった場合、その対処をする。それだけでも大忙しだ。
「今回は、四人で一つの依頼を受けてもらうんだ。その依頼とは、江戸城の衛生管理、だよ」
伊崎はムッと顔をしかめた。
「何で私達なんだよ。江戸城には江戸城の衛生管理をする医者がいるだろうに」
霜月は「そうなんだけどねぇ」と説明しだす。その目線は襖の外。
襖に立っている女中は、そっと襖を閉めた。
何か、聞かれてはいけない話らしい。
「……実はその医者が何者かによって暗殺されたらしいんだよね」
「えっ」
唯が驚いて箸を取り落とした。
葉色が拾ってやり、唯に持たせる。その葉色も少し驚いている。
伊崎は面倒くさそうな表情になり、頭を抱えてため息を吐く。
管太郎は、真剣な眼差しになり、「詳しく教えてください」と霜月に詰め寄る。
「その医者はね、元から恨みつらみを買いやすい人だったらしい。だけど、ここ最近、先月くらいだったかな?丁度城内で風邪が流行っていたらしいんだけれど、その時期に医者が殺されていしまって。風邪の処置も、城の消毒も、そこらの医者じゃ手に負えなくて。それで城内の衛生環境が悪くなり、先日将軍様までもが体調を悪くなさったらしい」
伊崎が目を半分閉じて「その原因は?」と問う。
「食中毒だ。料理人や女中、毒見役も体調を崩していたらしいからね。だから多分、台所に何か原因があると思うけれど……正確には、わからない」
霜月が箸を持ち直し、白米を口に運ぶ。
葉色は一口茶を啜った後に言った。
「いつからの任務ですか……?」
「明日」
武次郎は直ぐに答えた。
黙々と白飯を食べ勧めながら、誰にでも聞こえる声で。
管太郎はたくあんをかじり、苦笑い。
「組長、相変わらずの肝の座り用」
「違ぇよ。私達の肝を座らせるための技何だよ、この」
伊崎は“この”まで言って口を閉ざした。
その代わり、キンとした目付きで睨む。
明日からなど、普通無理である。
消毒剤の準備、情報の確認、医療具の準備等々……。
言い出せば、何でも持っていかなければならない。
しかし、そういう組長の〝急な押し付け〟は、四天王は慣れっ子だった。
そういうことばかりされて育ってきたため、このような天才的四天王になったのだ。
そして彼らは金のことも頭の片隅には考えてある。
江戸城への出張任務など、高値で引き受けるに違いない。
これが成功すれば、四人は今まで以上に給料が上がる。
引き受ける他ないのだ。
伊崎は案外嫌そうに顔をしかめているが、ほか三人は多少喜んでいる。
江戸城へ入るなど、相当な罪を犯すくらいしか、底辺の人々はしないといけない。
しかし、今回は罪を犯さずとも城に入れる。
それだけでも、三人はやる気みなぎるのだ。
〝大江戸四天王〟四人。
文月唯、弥生伊崎、睦月管太郎、長月葉色。
『当り所の診療所』にて、大波乱を駆け抜ける四人。
江戸城任務、何もなくして終わるのか____?!
(何もなくして終わらせるほど私は優しくない)
*一ノ巻〚四人〛完
(漢字表記)
弥生伊崎(やよい いさき)
文月唯(ふづき ゆい)
睦月管太郎(むつき かんたろう)
長月葉色(ながつき はいろ)
師走武次郎(しわす たけじろう)
霜月佑誠(しもつき ゆうせい)