(……まただ。また、心臓が、騒がしい……)
カナのその笑顔に、俺の心臓はまたしても騒がしく音を立て始めていく。
(何なんだよ、これ。何でカナが笑うと、こんなにも心臓が騒がしくなるんだよ……?)
自分の事なのに原因が分からず困惑する中、当の本人はそんな事など知る由もなく、俺に対して信頼の眼差しを向けていた。
だからだろうか、カナには『芹』という偽りの名前じゃない本当の名前を知って欲しくて、
「……葉瀬 万里」
「え?」
「俺の本名。今後、店の外で会った時は、万里って呼べよ」
気付けば俺は、普段自分からは絶対に教える事のない本名を口にしていた。
「……万里……さん?」
教えられた名前を確認の為に呟くと、カナが俺の名前を口にした、たったそれだけの事に反応して嬉しさが込み上げる。
(何だろ、コイツに呼ばれただけで、名前がすげー特別なモンに思える……)
この何とも言えない感覚が何なのか分からないのに、不思議と嫌なものでは無かった。
「えっと、それじゃあ、私は笹垣 環奈なので、環奈って呼んでください」
そして、俺が本名を教えたからか、カナは迷うこと無く自身の本名を名乗り、俺に自分の事も本名で呼んで欲しいと言う。
「おいおい、そんな簡単に本名教えるなよ……」
「誰にでも教える訳じゃないですよ? 万里さんなら信用出来るから教えたんです。それに私だけ教えて貰うのは不公平じゃないですか。だから、いいんです」
まさかカナの本名を知れるとは思いもしなかったから嬉しい反面、環奈はやっぱり危機感が足りないと改めて再確認する。
そんなさなか、着信でもあったのか何なら慌ててバッグからスマホを取り出した環奈がそれを確認すると、その表情は一気に曇っていった。
「どうかしたのか?」
「い、いえ! 大した事じゃ無いので!」
「そうか? ならいいけど。つーかお前の顔色もだいぶ良くなったし、そろそろ帰るか」
「あ、そうですよね。付き合わせてしまってすみませんでした。私はこっちなので……」
環奈の表情が曇った事は気になるものの本人が何でもないというなら深く聞けない俺は理由を聞く事を諦め、顔色が戻ってきたのと時間も遅い事から、そろそろ帰ろうと告げる。
時刻は午前三時を過ぎた頃。
当たり前だが、周りに人は歩いていないし車すら通らない。
そんな中を環奈は一人で帰ろうと自宅のある方角を指差して歩いて行こうとする。
「待てよ。送る」
「え? 万里さんもこっち方面なんですか?」
「いや、俺は逆方向」
「それじゃあ、送ってもらうなんて出来ません」
「阿呆か。こんな時間で人も居ねぇ中、女を一人で帰せる訳ねぇだろーが」
「で、でも……私の家、ここからだと徒歩で二十分くらい掛かりますし……。それなら私、タクシー呼びますから」
「いいから行くぞ。二十分くらい、話してればすぐだろ? その程度の距離でいちいち金使うのは勿体ねぇって。どうせ俺の家もここから少し距離あってタクシー拾おうと思ってたから、お前を送ったらタクシー呼ぶよ」
「でも……」
「良いから、行くぞ」
「万里さん……すみません、ありがとうございます」
いくら異性に興味は無くとも深夜に女一人で帰すなんて出来ない俺は環奈が気にしないで済むよう言い聞かせると、これ以上何か言われないうちにさっさと歩き始めた。
そんな俺に感謝しつつ、環奈は後を追って歩いてくる。
こうして俺が環奈を家まで送る事になり、着くまでの間、二人で他愛の無い話を楽しんだ。
出逢ってここまで距離が縮まったのも、環奈が初めてだった。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!