テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
「おじいちゃんに傘を届けてくるね」
「まさかとは思うけど、そんな格好で出かけないでね」
母が私に視線を送りながら釘を刺す。いくらなんでもさすがにこの見た目で外に出るのは無理だと私もわかっているのに。
「ちゃんと着替えるよ」
自室に戻って半そでTシャツの上からパステルイエローのカーディガンを羽織り、下はスリムなジーンズに履き替えた。
クリップで止めていた髪は下ろしてブラシを通し、真っすぐに整える。
メイクをしようかとコスメボックスに手をかけたものの、開くのをやめた。
祖父を迎えに行くだけだし、私がノーメイクかどうかなんて誰も気にしていないだろう。
「行ってきます」
母に声をかけ、紳士用の祖父の傘を片手に家を出た。
雨は先ほどよりも勢いを増してアスファルトに強く打ちつけている。足元をよく見て歩かないと靴の中まで濡れそうだ。
どこに寄り道するでもなく、駅の近くにある目的地へと足を速めた。
「こんにちは」
ビルの二階にある碁会所を訪ね、笑顔で方々にあいさつをした。
「おお、冴実ちゃんか。いつ見ても美人さんだな」
「え、ありがとうございます」
何度か訪れているうちに、どうやら私の顔と名前は多くの人に知られるようになったみたいだ。
祖父と同性代の人たちがまるで自分の孫に接するように気さくに話しかけてくれてうれしい。
「倫治さん、冴実ちゃんが来とるよ」
テーブルと椅子がびっしりと並べられている部屋の一番奥で、祖父が腕組みをしながら碁を打っていた。
相手をしてくれているのは、祖父とは旧知の仲だという辰巳さん。
辰巳さんはいつ会ってもにこにことした柔和な笑みをたたえていて、恰幅のいい体型をしているのもあって、とてもやさしい印象だ。
ふたりのそばまで行き、「こんにちは」と頭を下げてあいさつをした。
「おじいちゃん、傘を持ってきたよ」
「おお、すまんな。でも……こりゃもう少しかかるぞ」
祖父が碁盤を見つめたまま、むずかしい顔で返事をした。
私にはわからないけれど勝負が拮抗しているのか、祖父はプロ棋士さながらに次の手を考えている。
「倫さん、まだまだ俺には勝てんな」
「いやいや、たっちゃん、実力の差は縮まっとる!」
祖父が囲碁に没頭し始めたのは、ここに通い始めて辰巳さんと打つようになってからだ。
腕前は辰巳さんのほうが上みたいで、祖父はなんとかそのレベルに追いつきたいらしい。
ふたりは馬が合うのか、いつも一緒にいて楽しそうに会話を交わしている。祖父にこんなにも仲の良い友人がいてよかった。
「冴実、終わるまで待ってるだろ?」
「うん。おじいちゃんとなにか甘い物を食べてから帰ろうと思ってるから」
この近くに祖父が気に入っている花野庵という名の甘味処があり、そこに寄るのが実は密かな楽しみなのだ。
休みの日をこんなふうにゆったりと過ごすのも、ある意味贅沢だと言える。
「いいなぁ。こんなにかわいい孫娘と一緒に暮らして、デートまでしてくれるんだから、倫さんは幸せだな」
「そうか? 彼氏がおらんのも問題だ。このままじゃ結婚できん」
祖父は照れ隠しで言っただけなのかもしれないが、私はその言葉を聞いてわかりやすく口をへの字に曲げた。
そんなやり取りを見て、周囲にいた中高年のおじさんたちがアハハと笑う。
「結婚だけが幸せじゃないよ。いろんな生き方があるからね」
#溺愛
星キラリ

7,208
月詠 涼
867
鷹槻れん

15,260
927
これに関しては、世代が違うのもあって祖父とはまったく意見が合わない。
私が二十代のうちに、結婚をして早く子供を産んでほしいと祖父が望んでいるのは知っている。
だけど人それぞれ違う幸せの形があっていいはずだし、私は自分の幸せは自分で決めたい。
「倫さんは冴実ちゃんを心配してるだけだよ」
辰巳さんの穏やかな声を聞いていると、次第に口角が上がっていくから不思議だ。
私の祖父はぶっきらぼうで頑固なところがあるけれど、辰巳さんはとても温厚だから話すたびに癒される。
「でも……今は仕事が楽しいからなぁ」
「出世がしたいのかい?」
「そういう欲はないけど、責任もあるし、がんばりたいの」
コメント
1件
わあ〜第3話もすごく良かったです!😭💕 冴実ちゃんが祖父に傘を届けるシーン、もう優しさが溢れててほっこりしました。特に碁会所での辰巳さんとのやり取り、「話すたびに癒される」って気持ちすごく分かる〜!祖父の「結婚しろ」発言には思わず「あー分かるそのモヤモヤ」ってなりました😂 世代間ギャップの描き方もリアルで、でも最後は穏やかな空気に包まれて読後感がすごく良かったです🌸 次話も楽しみにしてます!