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「翔太、あんた行く高校ないわよ」
俺、渡辺翔太は今日母親から死刑宣告にも似た事を告げられた。
俺は食べていたポテサラトーストのポテサラの部分だけを無残という形で皿に落としてしまった。
――――――――
「あはははは!!翔太、傑作じゃん」
目の前にいるのは俺と同じく顔のホクロがチャームポイントの佐久間大介。
しかも手を叩いて俺のこの現状を笑っている。
ジャニーズジュニアに所属の俺はダンススクールやボイトレに明け暮れてすっかり勉強がおろそかになり今に至っている。
「笑うなよ佐久間ぁ」
「いや~ごめんごめん、けどだから言ったじゃん。ちゃんと勉強しとかないと後で痛い目見るって」
「おま、成績俺と変わらないくせにどの口が言う」
佐久間にだけは言われたくない。
学年で俺と最下位争いをするのはいつも佐久間だ。
ただこの間のテストだけ佐久間は思った以上にいい点を取っていたのが記憶に新しい。
くそぅ、絶対今まで通り勉強なんかしてないと思って勉強してない事の共犯にするのを忘れてしまっていた、
そこで差がついてしまった。
「佐久間…お前も俺とジャニーズジュニアとして一緒だったはずなのに何で今回成績よかったんだよぅ」
ふてくされた俺は先ほどまで食べていた昼食のお弁当を片付け机に突っ伏した。
俺のライフはゼロです。
「いや~その前のテストがやばかったからさ、ちょっとだけ塾に通ったんだよ」
「え、まじか、ぬけがけしやがって」
「人聞きの悪い事を!でも結構効果あったみたい」
「実は俺も今朝母さんから勧められたんだよ、塾。ていうか予備校?見てこれ」
俺は体を起こし母さんから鬼の形相で渡されたチラシを佐久間に見せる。
チラシをちらっと見るだけで今朝の母さんの顔が思い浮かんで少し身震い。
チラシには『たった一カ月で君の力は飛躍的に伸びる!今すぐ体験へ』と書かれている。
俺はこういううたい文句はそもそもあんまり信用しないタイプだけど藁にもすがりたい俺は今その文字が輝いてみえる。
「お~いいじゃん、行ってこいよ」
軽いノリの佐久間。
他人事だと思いやがって…
「でもこれダンスレッスンの時間と被る」
俺はチラシに小さく記載された時間を指さした。
俺と佐久間はジャニーズジュニアに所属している。
自慢じゃないが顔もそこそこいいから彼女だって途切れた事ないし。
「とりあえず一カ月だけ行ってみれば?レッスンは他の曜日もやってる訳だし週一回くらい勉強にあててもいいんじゃね」
「え~…」
俺は歌とダンスが今一番楽しいことなのにそれ削って塾へ行かなきゃいけない理由がほんとに意味が分からない。
「留年ジャニーズ?」
「中学に留年とかないから」
「中卒ジャニーズ?」
「それはちょっと…」
ドンドンと追い詰められてしまう。
くしくも佐久間の言ってる事が現実になってしまうかもしれない。
それだけはなんとしてでも阻止せねば。
「佐久間、志望校は?」
「某高校」
「は!?まじ!?偏差値結構高めじゃん!何!?この間のテストで調子乗っちゃってんの?」
おそるべき佐久間のうぬぼれ。
佐久間の口から出た高校はその先の大学までを視野にいれた県内ではまぁまぁの高校だ。
「違うわ!!俺はジャニーズ一本でやっていくつもりではあるけど、それなりに社会とかうんぬんかんぬんとか学んでないと色々大変って聞いたから!それにもしも俺達が売れて有名になった時に学歴ないとかSNSで叩かれまくるんだからな!」
確かに…
グウの音も出ない。
佐久間のくせに。
俺は口を尖らせてふて腐るように机に突っ伏した。
「とりあえず予備校行けば?駅前だしすぐ行けるっしょ。今日のレッスンは俺から休む事伝えといてやるよ。翔太の留年がかかってるって説明しとくから」
「そんな説明しないで。お腹壊したって言っといて」
「何で嘘つくんだよw」
「行きたくない~」
茶化すようなその視線に俺は小声で反論した後に更に拗ねて両腕の中に顔を沈めた。
佐久間は俺の頭をあやすようにポンポンと叩いた後クルリと前を向いたようだった。
人混みの中をチラシの地図を頼りに進んでいく。
東京は広い。
広いはずなのにこんなに人がいればこんなにも狭く感じてしまう。
心無しかこの足取りも重い。
いや…今俺の心が沈んでいるからこの足取りの重さを東京という地域のせいにしてしまいたのかもしれない。
世知辛い世の中じゃ。
謎に憂いてみても俺の頭が急によくなるわけでもなくただただその歩幅を進めた。
…こんなに人がいたら…
昔の友人とか知り合いに会ってしまうんじゃないだろうか?
ふとそんな事が頭によぎった。
最近は学校、稽古場、家の往復ばかり。
久しぶりの駅前。
もしかしたら懐かしいアイツが居たりして…なんて。
昔。想いを馳せた人物が頭をよぎった。
『翔太』
そう呼んでくれる幼い顔。
アイツとは確か幼稚園で離れ離れになってしまったんだっけ。
子供の頃の遠い記憶。
でもソイツだけは覚えてる。
なぜか分からないけど覚えてる。
だってあんなに正反対で気の合うやつはいなかったから。
いつの間にか惹かれていってたけどまだその感情に名前をつけれずそのままにされている。
人混みをかけわけながら予備校が見えてきた。
ふと現実に引き戻される。
予備校の玄関前には見覚えのある中学の学ラン姿の男と女。
男女カップル?くっ…カップルで予備校とかどんだけリア充だよ。
別に自分にだって彼女はいるが別に告白されて付き合ってるだけで特に思い入れがない。むしろ自分は今の予備校への憂鬱感から幸せそうにしているカップルが疎ましい。
『もういっそバックレてレッスン行くか』
玄関を開けたがクルリと180度足をターンさせ帰ろうとしたその時、一瞬見えたその男の方はどことなく見覚えのある顔である事に気づく。
キリっとした切れ長の瞳。
髪はロイヤルさを醸し出した毛先の巻き髪。
独特の口元は上品に笑っている。
「え」
「ん?」
つい声を出してしまった。
俺の声が聞こえたのであろう向こうも俺に気が付いた。
その瞳に俺が映っている。
「翔太?」
「りょ…うた?」
呆気にとられたその顔に俺は引き込まれそうになる。
まるで二人きりの空間にでも転移してしまったような気がした。
世界は限りなく狭い。
でも、その狭さに少しの感謝を持つことになろうとは。
「誰?」
だけどその空間もたった一瞬で終わりを告げる。
女の声で俺は現実に引き戻された。
サラサラと黒い髪がなびくその女の子も俺の方に視線を向けた。
どこか品定めするような感じに俺は居心地がかなり悪くなってしまった。
早々に退散したい。
俺は会釈をしてその場を去ろうとした。
しかしソイツは俺を制止させた。
「あっ、待って翔太。夏帆、じゃまた」
「え?」
驚く彼女に涼太は手を振った。
「一人で帰れるだろ?」
「約束が違うじゃん」
「ここまでで十分約束は果たしたよ」
「ぶ~分かった。じゃあね涼太」
夏帆…さん…。
どう見ても彼女。
しかし彼女とあっさりと踵を返し行ってしまった。
「宮舘涼太?」
「そうだよ、翔太。久しぶりだね」
「なんか…変わったな。王子様感的な…?」
「はは、ちょっと言われる。昔は泥んこ遊びばっかしてたのにね」
そう。昔の涼太は無邪気で、泥にまみれて一緒におままごとして、秘密基地作って、時には俺が泣かされて、でも最後は「翔太、これでナミダふいて」って笑ってくれるやつだった。
「ところで翔太はなんでここに?」
涼太の問いかけに、俺は一瞬返事に詰まった。
(やっべ、成績悪くて親にむりやり勧められて予備校来たけどイヤすぎてバックれようとしてたなんて正直に言えない!再会してさすがにそれは悪印象すぎる!)
「あ~…」
口ごもった俺に、涼太は首をかしげながら優しく待ってくれてる。
(くぅ…この無言の圧が逆にしんどい…)
「ま、まぁ…ほら、ちょっと勉強もしといた方がいいかなって思って…?」
「ふーん」
「……いやほんとだって!ジャニーズの活動も大事だけど、将来のために、ちゃんと学んどかなきゃっていうか!」
目線を逸らしながらちょっと早口で言い訳っぽくなってるのは、自分でも分かってる。でも涼太はそれを咎めるわけでもなく、にこっと笑ってこう言った。
「うん、それ大事だよね。俺もそう思ってる」
「そ、そうっしょ!? ……はは、だよな~」
あっぶねぇ…なんとかごまかせた。
いや、ていうかごまかす必要あった? てか、バレてない? なんか涼太、全部分かったうえで受け入れてくれてるような気がするんだけど…気のせい?
「あ、ちなみに今日が初日?」
「……うん、そう。今日から」
小さくうなずいた俺に、涼太は少しだけ目を細めて嬉しそうに笑った。
「じゃあさ、最初は一緒に行こう。教室まで案内するよ」
「え、まじで!? いや助かるけど、なんか…俺、完全に“涼太に連れてこられた感”出ちゃうんだけど…」
「だって実際そうじゃん?」
「ぎゃー! 言ったーー!」
涼太のツッコミに思わず頭を抱えた俺だったけど、どこか心の中がふっと軽くなってる気がした。
予備校、正直来る気なんかなかったけど——
もしかして、ここから何かが変わるのかもしれない。
いや、もう変わり始めてるのか。
俺、渡辺翔太。中2。ジャニーズジュニア。勉強苦手。今懐かしい恋がスタートしそう。
――――――――
「なあ佐久間、ちょっと聞いてくれ」
昼休み、俺は自分の弁当もほぼ手をつけずに、目の前で唐揚げを頬張る佐久間に声をかけた。
「ん?なに?失恋でもした?」
「してねぇよ!てか、なんでそうなるんだよ!」
「だってその顔、絶対なんかモヤってる顔じゃん。あれだろ、例の予備校のこと?」
図星すぎて何も言えない。
だけど違う。いや、違わなくもない。
「……そこでさ、あいつに会ったんだよ」
「誰に?」
「宮舘涼太」
「は?」
佐久間の手が止まり、唐揚げが箸から落ちた。
「え、あの“前に言ってた”幼稚園のときの幼馴染ってやつ?」
「そう、それ」
「うわ、マジで!?再会とかドラマじゃん!え、それでそれで?どんな感じだったの?」
「……あいつ、イケメンになってた。なんか“王子”って感じでさ。品のある笑顔とか、落ち着いた喋り方とか……あと、彼女っぽい子もいた」
「おおっと?」
佐久間が急に弁当のフタを閉じた。珍しく真剣な顔してる。
「それ、彼女だったの?」
「いや、わかんない。でも距離近かったし、手とか普通に触れてたし……たぶん、彼女じゃないかなって思った」
「じゃあ、失恋じゃん」
「ちがっ……!」
(いや……違わない?……)
俺は思わず天井を仰ぐ。
胸の奥がキュッとなって、なんか苦しい。今までに感じたことない感じ。
「てかさ翔太、何?好きなの?」
「は!?な、なに言って……そんなんじゃないって」
「嘘つけ~。さっき“王子”とか言ってたし、語り口が完全に惚れた男のソレだったぞ」
「うるさい!ってか、そんなんじゃねぇし!」
(……たぶん)
佐久間はニヤニヤしながら再び唐揚げをつまむ。
「じゃあさ、逆に言えば、まだチャンスあるんじゃね?彼女“っぽい”だけで確定じゃないんでしょ?」
「……うーん」
「てか翔太、その幼馴染ってさ、今何中?」
「うちと違うとこ。駅の反対側の中学らしい」
「なーるほどねぇ。じゃあさ、会える時間って予備校だけじゃん?」
「そうなんだよ!そこなんだよ!しかも、今日から週1でしか通えねぇし!
「おぉ週1でもいいじゃん!チャンス逃す気か!?運命の再会で終わらせていいのか?」
「いや、運命とか、そういうのじゃ……」
「じゃあ逆に言うけどさ、運命じゃなかったら、なんで再会できたんだよ?」
「……」
言い返せなかった。
確かに、あの広い人混みの中で再会して。しかも話しかけてくれて。予備校の教室まで案内されて。
あれを“ただの偶然”って言い切れるほど、俺は強くない。
「ふぅーん。じゃあ翔太がその運命を信じて、どう動くか……だね~」
「お前、誰目線だよ……」
「神。天の声」
「黙れ、バカ」
そう言いながら、俺は自分の弁当にようやく手を伸ばした。
唐揚げは冷めてたけど、なんとなく、さっきより味がする気がした。
なんて佐久間に毒を吐いてたその瞬間――
「はいはい、昼休みから騒がしいなぁ、相変わらず」
背後から聞きなれた声がした。
「あ、阿部ちゃん!」
教室の後ろから、阿部ちゃんが教科書抱えて近づいてきた。
いつも通り、きっちり制服のボタンも留めて、前髪すら乱れなし。
秀才感、安定。ちなみにコイツもジャニーズジュニア。
「また佐久間が変なこと言ってたの?」
「いやいや、今日は翔太の恋バナ!」
「はぁ?」
阿部よ…今までで一番冷たい目した気がする。
「ちょ、ちょっと待て!恋バナっていうか、そんなんじゃないって!勝手に話盛るなよ!」
「ほう……恋バナじゃないけど“再会した王子様”にはドキッとしたんだ?」
「ぎゃああああ!阿部までいじるな!」
阿部は肩をすくめて小さく笑う。
「まあいいけどさ。ところで翔太、予備校って……まさかほんとに通う気になったの?」
「……まぁ、うん。一応……週一で」
「まじで!?」
阿部は持っていた教科書を落とす。
「お前が!?勉強の“べ”の字も嫌ってたお前が!?」
「どんだけ信じられてねぇんだよ……」
「いや、だってさぁ。普段から“ポテサラトーストうまい”とかしか言ってないし、数学の宿題で“xって何?”って聞いてきたやつだぞ?」
「それ関係ある!?」
阿部ちゃんが苦笑しつつ、少し真面目な顔になる。
「でも正直、翔太はこのままだとちょっと心配だったから……本当に行くならちょっと安心かも」
「えっ、阿部もそんなに俺のこと心配してたの?」
「そりゃするでしょ。だって翔太、成績“リアルに”赤信号だったじゃん」
「佐久間とそんなに変わらないだろ!」
「うん。でも佐久間は変なとこで運がいいからギリギリ逃げ切るタイプ。翔太は“見事に”突っ込んでくタイプ」
「なんかムカつく表現だな!」
佐久間が笑いながらうなずく。
「阿部ちゃん、いい例えするわ~。てか、翔太が予備校でイケメンと再会して、学力も友情も恋もゲットできたら、ドラマ化待ったなしだよね」
「そんな展開あるかよ!」
阿部がやれやれとため息ついた。
「それはともかく。予備校、ちゃんと行き続けろよ?翔太の今の成績で“一回行っただけ”で何かが変わると思ったら、幻想だからね?」
「ぐっ……」
図星すぎて何も言えねぇ。
「ま、でもなんだかんだで翔太が本気出すとこ、ちょっと楽しみかも」
「……阿部」
「俺が勉強教えてやるから。逃げるなよ?」
阿部の眼光がギラりと光った。
「お、おぉ……よろしくお願いします……」
阿部の頼もしさに、俺はちょっと感動すら覚えながら――
「恋バナ再開しま~す!」とか言い出す佐久間に、今度は全力でペンケースを投げつけた。
―――――――
予備校の教室の窓際。
授業終わりでぞろぞろと帰っていく生徒たちの中、俺はまだノートを閉じずに残っていた。
たぶん……帰るタイミングを見失ってるだけだ。いや、ちがう。ちょっとだけ――待ってたんだ。
「翔太」
その声に、思わず背筋がピンと伸びた。
「涼太……!」
なんかこう……姿勢良すぎない?
こっちは椅子でぐでぇ~ってなってたのに、隣に立っただけでオーラ強すぎんだよこの人。
「今日はちゃんと来たんだね」
「え…何でそれ……」
やっぱりあの時サボろうとしてたのバレてたんだ。
くそぅ。負けた気分だ。
「ふふっ、翔太、変わらないなぁ」
笑ってる顔が、すっげーずるい。昔と同じなんだけど、大人っぽさも混ざってて――なんだこれ。
「白状します。親に行く高校ないと言われ、学校の友達にも見張られてて仕方なく通う事になった」
「ふふっそれは災難だったね。学校にも見張り番がいるんだ。どんな見張り番かな?」
「一人は佐久間大介。同じジャニーズジュニアで、一緒にレッスン通ってるやつ。テンション高くて騒がしいけど、なんだかんだで仲良い。まぁ俺と成績は似たようなもん…なのにちゃんと大学とかも考えてて意外と抜け目ないやつ」
「ふふ、楽しそう。翔太、そういうタイプに好かれるんだね」
「……ん?そうかな?」
「うん。翔太、なんか放っておけない空気あるから」
…ドキッ。
いや、ちょっと待って。さらっとそういうこと言わないで?
心臓止まるんだけど。
「も、もう一人は阿部亮平って言って、マジで頭いいやつ。優しいけどめちゃ厳しい。予備校のことも“通ったなら本気出せ”って釘刺されまくったし」
「いい友達持ってるんだね」
「……うん。ホントに、そう思う」
俺が笑って言うと、涼太は嬉しそうにうなずいた。
「いつか、その子たちにも会ってみたいな」
「えっそれ、まじで言ってる?」
佐久間、絶対変なこと言うぞ?てか阿部も分析し始めそうでこえぇ……
「ま、まぁ機会があれば……?」
「ふふ、楽しみにしてるね」
うわぁあ、やっぱこの人ずるい。
俺なんかよりずっと落ち着いてて、どこか余裕あって、でも笑うとちゃんと優しくて――
なんだろ、この感じ。ほんとに。
その後、ちょっとだけ一緒に駅まで歩いて。
途中でコンビニ寄った時に「おにぎり買う?」って聞かれて、「ポテサラパンないかな」とか言っちゃって。
涼太、普通にツッコんできた。
……なんか、また昔みたいに戻れたようで。
でも、あの頃とは少し違ってて。
なんだろう、この“変化”。
素直に受け止めていいのだろうか?
――――――――――
予備校に通い始めてはや数日。最初の実力テストが開催された。
「やったぁーーー!」
中学校の昼休み、俺は廊下の掲示板前で、ついガッツポーズをキメてしまった。
周りのクラスメイトが「何アイツ?」みたいな目で見てくるけど、今だけはそんなの気にならない。
だって今回の実力テスト――
数学と英語、両方だけはギリギリクラス平均!!
いや、マジで!?俺、やればできる子だった!?
この前の自分の答案と比べたら別人級に成長してるんだけど!!
「おおっ、翔太。どうだった?」
「ほら見ろ、俺言ったろ!?予備校、効果あんだって!」
満面の笑みで駆け寄ってきたのは佐久間。
その後ろからは阿部が冷静な顔でゆっくりとついてきた。
「おっ、佐久間もしかして……悔しい?」
「ちょっ、お前、何点だったんだよ!」
俺がニヤリと答案を見せると、佐久間の顔が引きつる。
「は!?マジで!?2点差じゃん……ギリで負けた……!くっそぉ、調子乗んなよぉおおお!」
「ふはははは!ついに俺、佐久間超え!」
「はぁ~くやしい……次、絶対勝つし!」
拗ねたように顔を背けた佐久間に、俺は久々にスカッとした笑みを向ける。
あー、努力って裏切らないんだな……って、ちょっとだけ思った。
でも、そのテンションを一気に冷やしてきたのが、阿部の一言。
「まあ、勉強はちゃんと結果が出てていいんだけどさ。……翔太さ、その予備校に通ってから、なんか浮かれてない?」
「へっ!?いや……そんなことないし」
「最近、なんかよくスマホ見てニヤけてるし、授業中もぼーっとしてること多いじゃん」
「なっ……そ、それは……」
図星すぎる。
たしかに、涼太と話したLINEとか、たまに読み返してニヤけてるし……。
文面までなんか上品で優しいんだよな…ずるい。
「それってさ、もしかして宮舘って人?」
阿部の問いに、佐久間が即食いつく。
「えっ、えっ、え!?もう付き合っちゃった!?」
「うるせぇよ佐久間。ちがうわボケ!」
「うぉーい、まじかよ!青春やってんなぁ!」
「で、どんな人?連絡とってんの?それってもう告白コース?」
「……」
ごちゃごちゃとはしゃぐ佐久間にどう返せばいいのかわからなくて、俺は少しだけ目をそらした。
でもその時、阿部がふっと真顔になって、こう言った。
「その人さ……彼女、いないの?」
「……え?」
「いや、浮かれたくなる気持ちはわかるよ。だけど、ちゃんと冷静にもなっておかないと。
もし相手に彼女とか好きな人がいたら……翔太、きっとすっごい傷つくからさ。その影響で成績下がるとかしないかなって」
その一言で、胸の中が急にざわついた。
夏帆さんの顔が頭に浮かんだ。
俺は――たしかに、聞いてなかった。
涼太に、彼女がいるのかどうか。好きな人がいるのかどうか。
夏帆さんは…どういう関係なのか。
そこは正直怖くて聞けない。
「……だよな」
少しだけ俯いて答えた。
佐久間が「あれ?なんか急にテンション下がった?」と不思議そうに言ってたけど、無視。
ちょっとだけ、苦しい。
予備校のテストはうまくいったのに、心の中は、思ったより複雑で。
俺、これ以上浮かれてて……大丈夫なんかな。
―――――――――――――――
俺は予備校のエントランスで涼太を見つけてつい声をかけてしまった。
彼女の事は気になるけどやっぱりいい点を取った事は報告したい。
単純な俺。
「涼太!聞いて聞いて!今日のテスト、俺、平均点だった!」
「……お、すごいね」
いや、でも平均点って…平均点だよな?
にこっと、ほんの少し笑ってくれた涼太の表情に、心が跳ねる。
……いや、ほんのちょっと微笑まれただけで俺なに嬉しくなってんの?
心臓の音、うるさい。
「なんか……前よりずっと集中できてる感じするね」
「う、うん、なんか最近は勉強ちょっと楽しいかも……」
――って、いや、これ完全に“褒められたい”心理じゃん俺。
「じゃあさ、ご褒美に――今度の土曜、水族館でも行く?」
「……えっ!?」
唐突すぎて、一瞬時が止まった。
水族館って……え、水族館ってあの、水族館!?あの、デートスポットって言われてるアレ!?
「お、おれと……?」
「うん。行きたいって前に言ってたよね?」
「い、言って……たっけ……?」
記憶が曖昧すぎるけど、たぶんなんかの話の流れでそんな事言ったような気もする。
それを覚えてくれてたのかと思うと、なんか……嬉しい。
でも、でも――
(あの女の子、夏帆さん……どう見ても彼女っぽかったじゃん……)
一瞬、その黒髪の子の顔が脳裏によぎる。
二人の並んだ姿。まるでカップルみたいな距離感。
それを見た時の胸のモヤモヤが、今、また広がりかけて――
「……ダメだった?」
涼太の声が、俺の思考を止めた。
その瞳が、真っ直ぐこっちを見てくる。
「いや、行く!行きたい!俺、魚!寿司、超好きだし!!」
――ああ、もう。
聞けばいいのに。
―――“夏帆さんって、彼女なの?”って。
でも、そんなこと怖くて聞けるわけない。
……今はまだ、この距離感のままでいたい。俺ってずるいよなぁ
「寿司ではないけど…ふふっじゃあ、土曜、昼に駅前集合ね」
「う、うん!」
俺はぎこちない笑みで頷いたけど――
(……やばい。これ、俺……完全に浮かれてるわ)
でも、水族館デート(仮)とか、こんなにニヤける未来が来るなんて、思ってなかった。
―――――――――
土曜。
まさか自分が水族館に“男と”行く日が来るなんて、数週間前の俺には想像すらできなかっただろう。
駅前の待ち合わせ場所。
時間ぴったりに改札前に現れた涼太は、やっぱり今日も“完成されてる”。
俺の服大丈夫かな?
「お待たせ、翔太」
「……ううん、俺も今来たとこ」
――今来たとこ、なんて嘘もいいとこ。
実際は30分前からうろうろしてた。汗。
「じゃあ行こっか」
並んで歩くのも久しぶりな感じがして、変に意識してしまう。
ていうか、なんかいい匂いするし。ずるいよ、ほんと。
ホームで電車を待っている間も、胸の鼓動は落ち着かないまま。
……そして。
「わっ、けっこう混んでるな」
到着した電車のドアが開くと、想像以上の混雑具合。
朝の通勤ラッシュか?ってくらい人がパンパンに詰まってる。
「乗る?」
「の、乗るしかないっしょ……っ」
逃げる選択肢もなく、俺たちは流されるように車内へ。
そして――案の定、俺はドアのすぐ横に押し込まれる形になった。
「……近っ……!」
思わず声が漏れそうになった。
涼太が、すぐそこ。
顔、めちゃくちゃ近い。
あの整った横顔が、あと数センチでぶつかりそうな距離にある。
「ごめん、押しちゃってる?」
「い、いや、全然……!むしろ全然ッ!」
(嘘だろこれ……心臓やばい……!)
涼太の片手が、俺の肩のすぐ上に伸びて、ドアの手すりに添えられる。
それがなんか“守られてる感”すごくて、逆に落ち着かない。
しかも耳元でしゃべるなっての、心臓止まる。
「……意外と平気そうだね、満員電車」
「……ぜ、全然……平気じゃない……ッ!」
いや違う、物理的には耐えられるけど精神的に無理。
――ていうか、涼太の息、かかってない!?
顔近すぎだってマジで!
(これ絶対……女子だったら告白されててもおかしくない距離感だよ……!)
涼太はいつも通りの穏やかな顔してるけど、
俺だけ頭の中フル回転。
水族館に着く頃には、もう体力使い果たしてる気がする……。
水族館の最寄り駅で電車を降りた瞬間、俺は思わず深呼吸をした。
空気が……うまい。いや、さっきまでが酸素薄すぎただけか。
「ふふ、緊張してた?」
「べ、別にしてないし……っ。ちょっと混んでただけだし……っ!」
声が裏返ってんぞ俺。
それにしても、なんで涼太ってあんな自然体でいられんの?
電車の中、俺は一人で心臓バクバクだったのに、アイツは普通に呼吸してた。すごいよ、ほんと。
駅から少し歩くと、水族館の大きなガラス張りのエントランスが見えてきた。
「ここ、前から一度来てみたかったんだよね。翔太、海の生き物好き?」
「え? まぁ、イルカとかクラゲとか……嫌いじゃないよ?」
「そっか、じゃあ楽しめると思うよ。水族館ってさ、なんか落ち着くんだよね。特に暗くて静かなところとか、ちょっと非日常って感じで」
「非日常……ね」
(うん、たしかに。なんか今日、最初からずっと非日常って感じしてる)
チケットを買って館内に入ると、そこは一気に静かな青い世界に包まれた。
暗くて、静かで、ひんやりしてて。どこか別の世界みたい。
「うわ……すげ……!」
「でしょ?」
最初の大きな水槽の前で立ち止まって、色とりどりの魚を見ながら涼太が隣で笑う。
その横顔に、一瞬目を奪われてしまう。
「……なんかさ、こういう場所で涼太と並んで歩いてるの、変な感じ」
「変? どうして?」
「うーん……なんていうか、俺の人生で“水族館に男と来る未来”なんて想定してなかったから」
「あはは、それ俺もだよ。でも、翔太となら全然アリだと思ってるけど」
「……!」
また来た、この自然な殺し文句。
涼太は冗談っぽく言ってるけど、俺はもうダメだ……佐久間っぽく言うなら心臓のライフがゼロ。
クラゲの水槽の前では、ぼんやりと揺れる光と水の中で、涼太の顔がますます綺麗に見えて――
俺は目を逸らした。直視できなかった。
「……ねぇ翔太、今日テストの話してたじゃん」
「うん」
「頑張ったご褒美、これだけじゃ足りないよね。どっかで何か食べる?」
「えっ……」
(ま、まだ続くのこのデート……!?)
「俺、翔太が頑張ってるのちゃんと知ってるから。偉いなって思うよ」
「……っ!」
俺は口を開きかけて、でも何も言えなくて、そのまま水槽の中で漂うクラゲを見つめた。
水の中みたいに、心の中もふわふわしてた。
たぶん俺、もう――この人のこと、ただの“懐かしい幼馴染”って思えないかもしれない。
―――――――――――
「……で、ここが例の“魚を見ながら寿司が食べられる”ゾーン?」
「そうそう。ちょっとシュールだけど面白いでしょ?」
「いや、いやいやいやいや!倫理観どこいった!?確かに寿司って言ったけど!目の前で泳いでる魚の仲間を食うってどういう神経してんの!?涼太、こういうの平気なタイプ!?」
「ん~俺は別に?生きるってそういうことじゃん?」
「いや哲学的ぃぃ~~~!」
目の前の巨大水槽にはカラフルな魚たちが優雅に泳いでる。
そのすぐ横、ガラス張りの寿司カウンターに案内され、二人で腰を下ろす。
なんか……シュールすぎて落ち着かないんだけど。
「でもまぁ、魚は魚でも種類違うしね」
「そんな理屈あるか!」
「じゃ、俺マグロとサーモン」
「おい即決かよ!?あんなに目の前で仲間が泳いでるのに!?」
「翔太は?」
「う……えーと……たまご」
「ふふっ」
「なんだよ」
「いや、言うと翔太怒るから」
「どうせお子様とか思ってんだろ」
「えっ何で分かったの?」
「おい!!」
思わず口元が緩む。なんだよこのテンポ。
……でも、ちょっと楽しい。
注文したお寿司がレーンから流れてくる。ちゃんと回ってるスタイル。
回転寿司、久しぶりかも。いやここ、水族館だけど。
「そういえば、今日頑張ったご褒美だったんだっけ?」
「うん。まぁテスト、ちょっとだけいい点だったし……」
「“ちょっとだけ”って言うほどじゃなかったと思うけど?」
「そ、そうかな……?」
俺が照れくさく俯いてる間に、涼太はトロを一口。
「ん、美味しい。やっぱ本物は違うね~」
「目の前の本物には謝れ」
「でも翔太、頑張ってるよ。俺、ちょっと感心してるもん」
涼太は楽しそうに笑って、もう一皿サーモンを取った。
その横顔を、思わずじっと見てしまう。
(なんで、こんなに自然体でいられるんだろ。俺はもう、こんなに気になってるのに)
水槽の中を泳ぐ魚たちが、今日だけはちょっと羨ましく見えた。
「次、デザートも食べよっか。ここ、アイスもあるらしいよ」
「え、まだ食うの?寿司屋でアイスって……変な施設だなここ」
「だから面白いんじゃん」
本当に、今日の一日ぜんぶが“面白い”で詰まってる気がする。
俺の中の“普通”が、涼太といるとガラッと変わっていく。
――でも、そんな“普通じゃない”感じが、今はすごく嬉しかった。
――――――――
昼休みの教室。
俺はいつもの席で、ニヤニヤが止まらない自分の顔を抑えることなく、向かいの佐久間と阿部に報告を始めていた。
「……でさ、昨日、水族館行ったんだけどさ……」
「は?」
「水族館?」
佐久間と阿部が、同時に手を止めて俺の顔をまじまじと見てきた。
「なに急に、デート報告?」
「ま、まさか……その、涼太ってやつと?」
俺は思わず頷いた。口元は、ゆるゆる。
「うん。だって、ご褒美って言われたんだよ?テスト頑張ったからってさ。で、“水族館行こうか”って言われたら、断れないじゃん?」
「うわ~、完全にのぼせてるぅ~」
佐久間が机に突っ伏して、俺のニヤけ顔を見上げる。
「でさでさ、あの中に寿司食べられるとこがあって!」
「うん?」
「魚見ながら寿司食うんだよ?すごくね?なんか……罪悪感と美味しさが混在してて!」
「それは複雑な感情だな!?」
「しかも、満員電車でさ、ドア側に押し付けられちゃって!もう……涼太の顔、めっちゃ近かった……」
「はい、アウト~~!!!」
佐久間が机をバンバン叩きながら笑う。
「お前、完全に恋じゃん!むしろ恋しかしてないじゃん!勉強どこいった!?」
「してるって!ちゃんと勉強もしたから、テストもいい点だったんだし!」
「それはそうだけど……」
今度は阿部が、ちょっと真面目な顔で口を開いた。
「……でも、相手、彼女いるんでしょ?」
その言葉に、俺のニヤけ顔が一瞬で引きつる。
現実に戻さないで阿部さん。
「ま、まぁ……うん……“夏帆さん”」
「いや、そこ曖昧なままデートしてちゃダメじゃん」
佐久間がすかさず突っ込む。
阿部は苦笑しながら、それでも真剣な目で俺を見てくる。
「翔太さ、ちょっと浮かれてるだけじゃない?なんかさ、頑張ってきたのはわかるけど……勉強のモチベが“恋”だけだと、辛くなる時がくるよ?」
その言葉に、心のどこかがちょっとだけズキンとした。
「……うん、わかってる」
佐久間がふっと笑って、俺の肩を叩いた。
「ま、いいんじゃね?恋も勉強も、どっちも成績伸びてんなら問題ないっしょ」
「佐久間はそろそろ成績抜かれてる自分を心配しろ」
教室の窓から差し込む陽射しが、なんだかいつもよりあったかく感じた。
もしかしたら、こんな風にちょっとずつ、俺は“変わって”いってるのかもしれない。
そしてそれは、全部――あいつのおかげだ。
それでも今の自分の中途半端な感情がグルグルと頭の中で反芻していた。
昼休みの教室。
俺はいつもの席で、ニヤニヤが止まらない自分の顔を抑えることなく、向かいの佐久間と阿部に報告を始めていた。
――――――
今日も予備校へ向かういつもの道。
空はどこまでも青くて、昨日の教室でのにやけた自分を思い出すと、自然と口角が上がりそうになった。
「……よし、今日も頑張るか」
角を曲がった瞬間、不意に現れた“現実”にぶつかって、俺のやる気は粉々になった。
「あ、ほんとに来てくれたんだ!」
夏帆さんの声だった。
そのトーンは、どこか甘えていて、近すぎて、俺の胸のどこかをぎゅっと締めつけた。
「お前が“迎えに来て”って言ったんだろ」
「ふふ、言ってみただけ。来ると思ってなかったし」
涼太が照れたように笑って、夏帆さんの頭をぽん、と撫でた。
それだけで、俺の足はその場にピタリと止まった。
……え、なにそれ。
今の、なに……?
でもその距離感、目の合わせ方、声のトーン――
―――――――――――――ズキズキズキズキズキ
―――――――――――――心が痛む音がする
俺が涼太にされたら嬉しくて浮かれるような仕草を、あっさり夏帆さんにしてる。
(……彼女、じゃん、どう考えても)
喉の奥がカラカラに乾く。
ポケットの中で、ぐっと拳を握りしめた。
声をかけるタイミングも、理由も、勇気も、全部なくなっていた。
俺はただうつむいて、そのまま通り過ぎた。気づかれないように。音を立てないように。
背中で、笑い声が聞こえた。
涼太の、あの優しい笑い声。
昨日、俺だけに向けられた気がしてたその声が、別の誰かに向けられてる。
「……なに浮かれてたんだよ、俺」
心の中で、ポツリとつぶやく。
結局、俺の位置なんてまだ“ただの幼なじみ”で、“ただの予備校仲間”なのかもしれない。
ポケットに入れたままの手を、ぐっと握りしめた。
風が少し冷たくなってきて、足取りはさっきよりずっと重くなっていた。
だけど――
予備校のドアは、ちゃんと俺の目の前にある。
【涼太に会うために来ていた予備校】
その響きが虚しく響く
俺は重たくなった教室のドアを開けた。
―――――――――
「じゃ、また次回なー」
講師の声が教室に響いて、ざわつき始めた席の間をノートや参考書を閉じる音が行き交う。
俺も鉛筆を机に置いて、伸びをした。
でも、身体の重さは抜けない。
問題が解けた嬉しさも、今日はなんか、響いてこない。
(……集中、できてなかったな)
予備校の外は、夕焼けがにじんで、街をオレンジ色に染めている。
窓の外をぼんやりと眺めながら、気づけばまた――
【夏帆さん】の顔が浮かんでいた。
そうだ。
涼太には、夏帆さんという立派な“彼女”がいる。
一緒に笑って、一緒に通学して、きっとお互いに支え合ってる。
俺みたいに、「なんとなく」で付き合って、なんとなく気まずくなって、「別れよっか」なんて軽く終わらせたりはしない。
きっと、ちゃんと好きで、ちゃんと向き合ってて、ちゃんと約束もしてる。
(……そうだ、初めて会ったときも“約束”がどうとか言ってた)
きっとあれって、高校も一緒に行こうっていう約束だったんだ。
そういうの、すごく真面目な涼太らしい。
夏帆さんとなら、きっと一緒にいても自然だし、絵になるし、文句のつけどころがない。
(俺…なに考えてんだろ…)
机に突っ伏すわけにもいかず、鞄を持って立ち上がる。
(やばいな、完全に浮かれてたんだな、俺)
テストで点が取れて浮かれて、好きな人とちょっと距離が縮まった気がしてまた浮かれて。
ほんの少し近づいた気がして、心が踊ってた。
でもそれって全部俺の一人芝居で、肝心の涼太は――
たぶん、なにも変わってない。
(俺の気持ち、知られたらどうなるんだろ)
もし知ったら、引かれるのか、避けられるのか。
いや、そもそも“そういう目”で見られてない可能性だってあるし。
(でも、もう止まらない)
胸の奥でくすぶってる気持ちだけは、ずっと消えなくて。
自分でも持て余してるのに、それでもまた、涼太の笑顔を思い出してしまう。
「翔太!」
予備校を出て、交差点の信号を渡ろうとしたときだった。
聞き慣れた声に呼び止められて、思わず足を止める。
振り返ると、制服の上から薄手のジャケットを羽織った涼太が、息を少し切らせながら近づいてきた。
「今日、ずっと変だったよな。俺なんかした?」
(うっ…)
そんな風にストレートに聞かれると、余計に胸が痛む。
優しい声も、心配してくれる瞳も――全部、俺の気持ちをぐちゃぐちゃにしてくる。
「別に…疲れてただけ」
「嘘。俺、翔太のそういうの分かるもん」
「……」
図星すぎて、何も言い返せない。
だから、少しだけ視線を逸らす。
「なあ、また今週末どっか行こうよ」
「えっ」
「この前水族館楽しかったしさ。今度はさ、映画でも……あ、そっちの方が混んでないか?」
めげずに笑って、次のデートの提案をしてくる涼太に、俺は一歩だけ後ずさる。
もう、これ以上は無理だ。
だって。
「……もう、そういうのやめたい」
ぽつりと、俺の口から言葉がこぼれた。
「え?」
「だって、だってさ…お前、彼女いるじゃん。夏帆さん、だろ?」
一瞬だけ、涼太の目が驚いたように大きく見開かれた。
でも、俺はもう耐えられなかった。
「なんでそんなに優しくすんの? なんで俺ばっか勘違いして、バカみたいじゃん…!」
そう言って、俺は涼太の問いかけも、驚いた顔も、その全部から逃げるように走り出した。
信号が青に変わる前に、交差点を駆け抜ける。
鞄が肩からずれかけて、息が苦しいのに、それでも止まれなかった。
自分でもよく分からない感情に振り回されて、胸がいっぱいで、苦しくて、悔しくて――
(好きにならなきゃよかった…)
頭の中でそんな声がした。
でも、心の奥底では、それが嘘だってことも、分かってた。
――――
「……」
教室の一番後ろ、窓際の席に座る俺、渡辺翔太。
頬にはくっきりと、赤い手形。
「……」
黙って机に突っ伏していたい。
ていうか、もういっそ机と同化したい。
そこに、椅子を引く音と共に現れたのは、秀才・阿部。
くるな…こっちに興味もつな。
そしてそのすぐ後ろに、満面の笑みの佐久間。
阿部は俺の頬を見て、一瞬だけ「ん?」と眉を寄せると、
すぐに静かな口調で呟いた。
「あらま、水族館には可愛いヒトデでもいたのかな?」
「やめろ、やめてくれ……」
俺は呻くように答えながら、頬を隠すように両腕を組んで顔を埋めた。
ああ、痛い。物理的にも精神的にも。
「てか阿部、聞いてよ~」
隣に座った佐久間がニヤニヤしながら口を開く。
こういう時、こいつはだいたいロクなことを言わない。
「翔太さぁ、あの“どうでもいい彼女”とついに別れたんだって。そんな適当な扱いならなんで告白OKなんてするのよ!!って」
「言うなよ!佐久間ぁああああああ!!!!!」
俺の叫びが教室に響き渡った。
阿部は苦笑しながら、教科書を机に置いて言う。
「…まあ、そりゃ手形も残るわな」
「やめろ、みんなして俺の繊細な心を踏みにじるな……!」
「まあ、いい経験だったんじゃない? 手形が証明してるよ」
阿部はそう言いながら、そっとポケットティッシュを俺に差し出した。
「……これで何を拭けと?」
「心の傷でも拭きなよ」
その言葉に、俺はまた机に突っ伏すしかなかった。
もう、予備校も終わりだ。
あの「たった一ヶ月で成績アップ!」とかいうチラシの言葉通り、奇跡みたいに成績は上がった。
阿部も驚いてたし、佐久間にはドヤ顔で勝ち誇ったし。
一応、通った意味はあったんだと思う。うん、たぶん。
でも。
それだけじゃなかった。
俺がこの予備校に通って、一番変わったのは……心だった。
――涼太に、出会ったから。
最初はただ、懐かしくて、不思議な気持ちだった。
幼稚園ぶりに会った「昔の友達」。
あの時、駅前で目が合った瞬間、なんだか時間が止まったような気がした。
最初はそうだった。最初は。
でも、気づいたら目で追ってて、話したくて、会いたくて。
予備校に行く理由が「勉強」じゃなくなっていった。
涼太と話すたび、ドキドキした。
近くにいると落ち着かなくて、でも離れるのはもっと嫌で。
一緒に水族館に行った日なんて、夢みたいだった。
……だから、余計につらい。
俺、あんなこと言って、涼太の前から逃げた。
「彼女いるじゃん」なんて言って。
わかってる、自分でも意味わかんないくらい拗ねてるだけ。
だって、本当は彼女とか関係ない。
ただ、怖かっただけだ。
俺なんかじゃ、きっと特別にはなれない。
涼太の隣にいるのが、俺じゃなくてもいいんじゃないかって思ったら、
胸の奥がぐちゃぐちゃになった。
――だから、もう会わない。
予備校の期限、ちょうど今週まで。
今日で最後だった。涼太とも、きっともう。
こんな広い東京で、また偶然会えるなんて思わない。
会ったとしても、俺があの日言ったこと、きっとまだ怒ってる。
あーあ。
もっと、ちゃんと話せばよかったな。
もっと、ちゃんと
【好き】
って、伝えていれば。
……遅かった、か。
バカだな、俺。
こんなに
―――好きなのに―――
――数日後――
ある日の駅前。
ジュニアのダンスレッスンが終わって、重いリュックを肩にかけながら、俺はふと足を止めた。
この道、予備校の帰りに涼太とよく歩いたなって。
コンビニでアイス買ったり、他愛ない話をしたり。
涼太の歩幅に必死で合わせてた日々が、やけに懐かしくて胸がぎゅっと締め付けられる。
「……バカだな、俺」
ぼそっとつぶやいたその時だった。
「翔太?」
心臓が跳ねた。
振り返ると、そこにはまさに――宮舘涼太がいた。
「えっ、涼太……?」
「やっぱそうだ。最近、予備校来てないから気になってた」
「えっ、あ、うん……期限切れたし、もう行かないつもりで……」
なんか、まともに目が合わせられなかった。
…でも、このままじゃまた逃げてしまいそうで、つい思い切って言葉を口にした。
「だってその……夏帆さん、がいるじゃん」
「夏帆?何で夏帆がこの話に出てくるの?」
涼太の目がまん丸になった。
まるで「なんで?」が頭の中で5回くらいエコーしてそうな顔。
「だって夏帆…さんと、涼太って付き合ってるんじゃないの?」
聞いた、ついに聞いてしまった…。
口から出た言葉はもう戻せない。
つい聞いてしまった事が悔やまれる。
でも。
その瞬間だった。
涼太が、ピタッと動きを止めた。
冗談抜きで、時間が止まったかと思った。
あの宮舘涼太が、口をポカンと開けて俺を見てる。
……おかしい、いつも余裕ぶってんのに。
「……コホン」
拳を口にあて、咳払い。
めっちゃ整えてきた。なんかもうその仕草がズルい。
「覚えてない?宮舘夏帆。俺の妹だよ」
「……え?」
頭の中で何かがパキンと音を立てて崩れた。
――宮舘夏帆。妹?
まるでGoogle検索でもかけたように俺の頭はグルグルと回転し始めた。
――――――――思い出した。
昔、涼太の家に遊びに行ったとき。
小さい女の子がよちよち歩きで俺の膝に乗ってきて、涼太が焦ってたあの光景。
『あ〜こら!なつ、しょうたのおひざにのっちゃだめよ』
涼太の少し舌っ足らずな怒り声まで脳内再生された。
あれが……あの子が、夏帆……!?
「夏帆、成績がかなり悪くてさ。母さんに予備校行けって言われたけど、まったく聞く耳もたなくて。だから俺も一緒に通うってことで、ようやくOKしてくれたんだよね。まぁ俺も妹のこと言えない成績だったし、母さん的には万々歳だったみたいだけど」
ポカーン。
どうしよう。
完全に、全力で、盛大に勘違いしてた。
しかも、そのせいであんな逃げ方して。
「俺に彼女なんていないんだけど」
「…………」
気まずすぎて、顔を上げられない。
あああああ、俺ほんとバカだ。
何グルグル悩んでたんだよ、俺。
好きだとか、会いたいとか、会えないのが寂しいとか。
ずっとそんなことでいっぱいだったのに、肝心なところ、見えてなかった。
なんか言わなきゃ。
でも、口が動かない。
頬がじんわり熱くなっていく。
「翔太?」
涼太の優しい声に、ますます胸が詰まった。
どうしよう。
いま、めちゃくちゃ顔見れないけど――
でも、もう逃げたくない気がする。
「…コホン。あのさ翔太、俺、この高校に行こうと思って」
そう言って、涼太が差し出してきた一枚のパンフレット。
表紙にはキラキラした校舎の写真と、「芸能活動サポート」「表現力を育てる」といった文字が踊っていた。
「……芸能コース?」
「うん。ジャニーズの先輩たちも結構行ってるところらしくて、活動とも両立しやすいってさ」
翔太は少しだけ驚いた。
偏差値は、今の自分のちょっと上。
でも、予備校で頑張って、ちょっとだけ手が届きそうになった今なら――夢じゃない。
「……翔太もさ、最近すごい頑張ってるじゃん?だからさ」
涼太は少し照れたように、でも真っ直ぐに言った。
「よかったら、翔太。一緒に行かない?」
「え……?」
思わず声が漏れる。
一緒に、って、そんな。
「だって、もう一緒に予備校も終わっちゃったし。このまま、またバラバラになるの……俺はちょっと、ヤだなって思って」
そう言った涼太の表情は、やっぱりずるいくらい優しくて、真っ直ぐで。
ああ…まただ。
こっちの気持ちばっかり溢れそうになるのに、涼太は自然体で、するっと心に入ってくる。
「……そんなの、反則じゃん」
そうつぶやいた翔太の声は、自分でも驚くくらい、震えていた。
行きたい。
一緒にいたい。
でも、今の俺に釣り合うのかって不安も、
涼太にどう思われてるかっていう怖さも、
全部ごちゃ混ぜになって――それでも、頷きたくなる。
「その、学力的にまだ返事待ってほしい……けど、マジでちょっとだけ、期待してもらってもいいから」
「うん。期待して待ってる」
涼太の笑顔に、翔太の胸がバクバク音を立てた。
「あ、そうだ翔太」
ふと、涼太が何か思い出したように言った。
「あと俺、ジャニーズ入るから」
「…………は?」
一瞬、意味がわからなくて、翔太は目をぱちくりさせた。
「え、ちょ、なにそれ、今さら爆弾投下しすぎじゃない?」
「あはは、ごめんごめん。でも本当。オーディション通ったんだよね、ちょっと前に」
「いや、マジで!? ……え、すご。おめでとう、っていうか……すごいな」
呆気にとられながらも、なんとか言葉をひねり出す。
涼太は不意に真剣な顔になって、翔太の目をじっと見つめた。
「もう離れたりは絶対しない。ずっと一緒にいよう」
心臓が、ズドンと落ちたような気がした。
冗談じゃない。
そんな顔でそんなこと言わないでくれ。
今、どれだけ必死に自分の気持ちを押し込めてると思ってるんだ。
けど――それでも。
「……ずるいな、涼太って」
そう言った翔太の声は、ほんの少し、嬉しそうだった。
ーーーーーーーーーーー
最後まで読んでくださってありがとうございます。
もし、翔太と涼太の物語をもう少しだけ覗いてみたいと思ってくださった方へ――
このお話の“ちょっとだけの続き”と、
翔太視点で描くエピローグ、
さらに、涼太視点から語られる物語とそのエピローグを、noteにて公開中です。
彼らの想いがすれ違い、重なり合う“あの瞬間”を、
もう一度、違う角度からお楽しみください。
https://note.com/clean_ferret829/n/n0100723ff026
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