テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
128
海の紅月くらげさん
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
第139話 白い亀裂、再来
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/体育館・午後】
雨音が、窓ガラスを細かく叩いていた。
体育館の中では、先生たちが必死に生徒をまとめている。
ダミエが引いた結界線の内側と外側で、人の流れを分け、
明るい場所へ寄せ、暗い通路を空ける。
それでも、人が多すぎた。
“男子生徒”の姿をした影が、結界の向こうで首を傾けている。
“教師”の顔を借りた影が、落ち着いた声で
「大丈夫です」「下がってください」と繰り返している。
正しい言葉を使うからこそ、余計に気味が悪い。
ハレルはサキの肩を引き寄せ、生徒たちの前へ出た。
「そっち行くな! 窓際から離れて!」
声を張る。
ただの避難誘導じゃない。
“顔で見分けるな”という状況を、中学生にも分かる形で通さなければいけない。
その時だった。
ロッカー列の向こう、体育館と廊下を繋ぐ薄暗い境目に、白い線が走った。
一瞬。
だが、今までの影とは違う。
空間そのものが細く裂ける。
白い亀裂。
ガラスのひびのようで、でも壁でも床でもない、“空間そのもの”に入った傷だった。
「……下がって」
ダミエの声が落ちる。
低く、短い。
その一言だけで、近くの先生たちの背筋が凍る。
白い亀裂は、一本で終わらなかった。
二本。三本。
縦に、斜めに、空気の中へ走る。
その間から、青白い文字列が雨みたいにこぼれ始めた。
数字。
記号。
プログラムの断片。
生き物みたいに蠢きながら、体育館の床へ落ちて消える。
そして、その中心から、女が現れた。
葛原レア。
だが、以前のレアとは違う。
髪も制服も、形だけは保っている。
けれど身体の表面、頬、首筋、腕、制服の裾の下まで、絶えず青白い数列が走っていた。
傷ではない。
消えない表示のように、プログラムの文字列が皮膚の上と下を這っている。
さらに――右目。
片方の瞳だけが、サロゲートのように真っ黒だった。
白目がない。
その黒い瞳孔の端から、薄い煤みたいな影がじわじわと溢れている。
レアは体育館の天井を見上げた。
肩を震わせ、次の瞬間、笑った。
「……戻れた」
声が掠れている。
でも、嬉しそうだった。
ようやくこの世界に戻れた、その喜びだけは本物みたいに聞こえる。
だが、次の瞬間には、その笑みが崩れた。
「戻れた……けど」
「……ああ、うるさい」
「うるさいうるさいうるさい」
片手で頭を押さえる。
その隙間からも、数字の列が走る。
皮膚の下で、何か別のものが脈打っているみたいだ。
片方の黒い目が、ゆっくりと体育館の中を見た。
ハレル。
サキ。
先生。
生徒。
全部を一度に見て、全部に苛立ったような顔になる。
「……じゃあ、壊そうか」
次の瞬間、右手が上がる。
空気が白く裂ける。
「〈光刃・第三級〉――展開」
以前より速かった。
以前より薄く、以前より鋭い。
白い刃が、体育館の床を斜めに走る。
板が裂け、悲鳴が上がる。
先生が生徒を庇って転び、サキが思わず息を呑む。
「下がれ!」
ハレルが叫ぶ。
その声と同時に、ダミエが前へ出た。
「〈封界・第三級〉――『ここから先へ来るな』」
体育館の中央に、見えない壁が立つ。
レアの光刃がそこへぶつかり、火花ではなく青白い数列を散らした。
ダミエの目だけが細くなる。
「……硬い」
レアは嬉しそうに笑った。
片方の黒い目から、また細い影がこぼれる。
「結界。いいね、それ」
「でも、前より私の方が、ちょっと変でしょ?」
言い終わる前に、二本目の光刃。
今度は横から。
さらに三本目が上から落ちる。
ダミエは無駄なく両手を動かし、結界線を重ねる。
「〈重界・第二級〉――『折り重なれ』」
薄い防壁が何枚も立ち、光刃を逸らす。
一本は床へ。
一本は体育館の天井へ。
一本はロッカーを真っ二つに裂いた。
そのたびに、生徒たちの悲鳴が膨らむ。
「こっち! こっちへ!」
保健の先生が叫ぶ。
教頭も、体育教師も、生徒を遠ざけるため必死に手を振る。
ハレルはサキの手首を掴み、反対側の列へ走った。
逃げる。
でも、自分たちだけではない。
「一年、二年、そっちのドア!」
「窓際に寄るな!」
「顔、見て止まるな! 先生の声だけ聞け!」
自分でも何を言っているのか半分分からない。
だが、“顔で判断するな”という一点だけは通したかった。
サキも、泣きそうな顔の生徒の背を押す。
「早く! 明るい方へ!」
スマホは握ったままだ。
だが今ここで円を起動すれば、体育館の中にまた穴が開く。
それがどれだけまずいか、もう分かっている。
レアがその様子を見て、喉の奥で笑った。
「偉いね」
「逃がすんだ」
「でも、どこまで逃げても、私はここにいるよ?」
片方の黒い目が、ゆっくりサキを見る。
以前と同じ、鍵を見る目だ。
その瞬間、ダミエが一歩だけ前へ出る。
大きすぎる制服の裾が揺れる。
「……見ないで」
低い声。
次の瞬間、床と空間に結界の線が一気に走る。
縦と横。斜め。
まるで透明な箱を何重にも作るみたいに。
「〈層界・第三級〉――『囲う』」
レアの周囲に、立方の結界が三重に重なる。
光刃が壁へぶつかり、数列が火花みたいに散る。
「うわ、これ嫌い」
レアが楽しそうに言った。
だが、その声の奥で不安定な揺れがある。
以前の余裕だけではない。
プログラム層の中で削られ、どこか壊れたまま戻ってきた感じがある。
片方の黒い目から溢れた影が、結界の内側を這った。
その影が、壁の継ぎ目を探る。
ダミエの顔色がわずかに変わる。
「……影も使う」
レアは笑う。
「前より色々できるんだよ、私」
結界の一角が、じり、と軋んだ。
ダミエはすぐ次の線を重ねる。
「〈縫界・第二級〉――『裂け目を縫え』」
光の糸が、結界の弱った箇所を縫い止める。
だが一人だ。
影の人型を抑え、穴を保ち、さらにレアまで相手にするには、数が足りない。
ダミエが小さく息を吐く。
「……厳しい」
ハレルはそれを聞いて、胸が冷えた。
ダミエが“厳しい”と言う時は、本当に厳しい。
【異世界・転移した駅周辺から学園へ向かう森の中】
その時、リオのイヤーカフにノノの声が飛び込んだ。
『リオ、聞こえる!?』
雨音と足音の向こうで、リオが息を切らしながら応じる。
『聞こえてる! もう学園に向かってる!』
『現状をくれ!』
ノノの声も少し速い。
『体育館内に人型影が複数、ダミエが単独で封じてる!』
『それと……レア反応、確定! 空間裂断から復帰! 前より状態が悪い!』
リオの息が一瞬止まる。
雨の中を走る足が、さらに速くなる。
『ハレルとサキは!?』
『避難誘導中! まだ無事!』
『でも長くは持たない!』
リオは濡れた地面を蹴る。
学園の校舎が見えてくる。
胸の中で、怒りと焦りが一気に熱を持つ。
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/体育館・午後】
レアは結界の中で、まだ笑っていた。
「ねえ、君、結界師?」
「そういう囲い方、嫌いじゃない」
「でもさ――」
片方の黒い目が、ゆっくり細くなる。
「壊れる時の音、好きなんだよね」
次の瞬間、白い光刃が四方へ散った。
結界の一枚がきしみ、二枚目が削れ、三枚目に深いひびが入る。
ダミエの足元に、冷たい汗が落ちる。
それでも退かない。
ハレルはサキをかばいながら、生徒たちを出口側へ押し出していた。
「走れ! 振り返るな!」
サキのスマホの画面には、レアの位置に赤い点が濃く灯っている。
その周囲に、乱れた数列。
円を起動すれば飲み込めるかもしれない。
だが、その代償は大きい。
レアが、まるでその場の空気を味わうように笑った。
「迷ってる」
「逃がすか、止めるか、壊すか」
片方の黒い目が、サキではなくハレルの方へゆっくり向く。
以前と同じ、相手の揺れを見抜いて楽しむ目だ。
その視線だけで、サキの手が強く震えた。
そして、体育館の外――
雨の向こうで、足音が近づいてくる。
リオだ。
まだ間に合うか。
それとも、もう遅いか。
レアの片方の黒い目が、入口の方へ向いた。
嬉しそうに。
獲物が増えたみたいに。