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夏が終わりを迎える前のイースター。
母国ならば寒いだけの冬から色彩も豊かな春へと移行するのを五感から感じられるものだが、南半球でのイースターは暑い夏が終わりそう、ただそれだけと言えば語弊はあるが、それに近い感覚だった。
だが、イースターの休暇はキリスト教徒の多いオーストラリアでもしっかりと受け継がれていて、今年の休みをどのように過ごそうかと今年に入って初めての纏まった休みを取ることになったリアムは考えていた。
長期休暇は別だが、連休程度であれば一人で近くのキャンプ場に出かけてデイキャンプを満喫したり学生時代の友人と遊んでいたが、今回は何故かその気になれず、どうしたと己の心に問いかけつつリビングのソファに寝転がった時、テーブルの上から着信音が響き、寝転がったばかりのソファで体を起こす。
スマホが教えてくれているのは、壁を隔てた隣のフラットに暮らす同僚であり友人でもある杠慶一朗を示すケイという短い文字で、手に取って再度ソファに寝転がる。
「ハロ、ケイ、どうした?」
『今話をしても大丈夫か?』
隣のフラットの何処かで何かをしつつの電話の声に大丈夫と返しながらテレビのリモコンを片手に天井を見上げると、イースター休暇はどうするんだと問われてヘイゼルの双眸を一瞬見開く。
「今それを考えていた所だ」
もしかしてお前にはそれを見抜く力でもあるのかと笑うリアムに愛想笑いではない楽しそうな声が、そうだと良いなと返事をした為、自然と口元を綻ばせてしまう。
今こうして穏やかな声で話す同僚の慶一朗とは、初めての出会いから振り返れば赤面してしまうような言動を取っていたが、少し前に彼の双子の兄が日本から訪れている時にちょっとした誤解から危うく仲違い-と呼べるほど親しくなっていない気がしている-しかけたが、誤解が解けてからは前以上に互いの事を知る時間が増えていた。
杠慶一朗という名前が示す通り日本の出身であり、学生時代にシドニーの大学へと留学後、母国に帰らずに医者として働いている事、家族は先日やってきた兄だけである事を知り、それであの仲の良さかと納得したリアムだったが、その時僅かに覚えた違和感がいつか芽吹く準備を始めたことには気付かなかった。
趣味は鉄道模型を集め、自作のジオラマ内を走らせたり珍しい模型を飾って眺めたりすることで、その延長線上にSFドラマに出てくるキャラクターのフィギュアやぬいぐるみの収集もあるようで、休日になれば鉄道模型を扱っているシドニー市内の店に出かけたり、ジオラマ作りに時間を使っているようだった。
職場である病院ではどちらかといえば穏やかな言動が多く、患者だけではなく他の医師や看護師からの評判も良く、経営者である理事長達からの評判も上々だった。
ただし、その評判が言動だけに由来しているはずもなく、手術の的確さや正確さに対しては、彼を快く思っていない医者であってもそれを認めない訳にはいかない腕前を持っていた。
仕事上では絶大な信頼を得ている、ドクター・ユズこと慶一朗だったが、仕事を離れた彼の横顔を先日垣間見てしまったリアムにとって、その穏やかさで本心を覆い隠さなければならない何かが過去にあったのかとの疑問が芽生えてしまっていた。
外では絶対に見せない気性の激しさだが、そのギャップがリアムの心の中で彼に惹かれ始める契機になるのだが、今はまだその理由など分からず、友人として傍にいて他愛もない話題で盛り上がれる時間がただ楽しかった。
だからつい深く考えることなく、バーベキューかデイキャンプをするつもりだが一緒に行かないかと誘い掛け、JaでもNeinでもない沈黙が返ってきた事で我に返り、苦手なら無理に行かなくていいからと、互いの気持ちを取り繕うように言葉を繋げると、申し訳なさそうな声がそうじゃないと返してくる。
「ケイ?」
『…キャンプに、行ったことが無いんだ』
だからデイキャンプに誘われても何をしていいかも何をするものなのかも分からないと、自嘲するように続けられて思わずソファ上で再度身体を起こす。
「行ったことが無い?」
『無いな』
「じゃあバーベキューは?」
『…それも、無いかな』
もう分かっているだろうが俺は食べることに対してあまり興味がない、だから友人たちとバーベキューに行ったこともないと苦笑が深まったように感じ、どうして今声を聴くことしかできないんだという疑問が不意に沸き上がり、無意識の行動でソファから立ち上がると檻の中でうろつく熊のようにリビングの中をうろうろしてしまう。
今、その言葉をどんな顔で口にしているのか。
決して楽しそうな表情ではないことが手に取るように理解できた瞬間、胸がきしりと奇妙な軋み方をした事に気付き、己の鍛えている胸板を見下ろしてしまう。
『…リアム? もしかして気を悪くさせたか?』
どうも俺自身気付いていないが、話をしている時に相手に返答を困らせてしまう事を言っているようだと苦笑された瞬間、己でも驚くほどの声でその言葉を否定する。
「Nein! 違う、気を悪くした訳じゃない」
どちらかといえば気を悪くさせたのは俺だと、己の言葉で友人を暗い気持ちにさせてしまった申し訳なさとそれを遥かに上回る、慶一朗にそんな表情-見えていないのにはっきり理解できた-をさせてしまった後悔からそうじゃないと否定すると、再度沈黙が流れた後、心底安堵していることが伝わる様な溜息と短いうんという声が耳に届く。
「なあ、ケイ、バーベキューやデイキャンプに興味はあるか?」
『そうだな…今まではあまりなかったけど、お前となら楽しそうだな』
だから、もしお前さえよければデイキャンプがどういうものかを教えてほしいとお願いされて見えないのに何度も頭を上下に振ってしまう。
「もちろん。…いきなりはハードルが高そうだから、家かどこかの公園でバーベキューをするか?」
初心者にデイキャンプは都合がいいかもしれないが、バーベキューすら経験したことのない慶一朗にはまずはとっつきやすいものからと提案すると、何か買うものなどがあれば教えてほしいと気分が乗っているような声が返ってきて、自然と口の端が持ち上がってしまう。
どのように過ごそうか悩んでいた連休に、前よりももっと仲良くなりたいと思っている相手と好きなことをして過ごせるという突然の幸運に顔がにやけそうになるのを堪え、買い物と言っても食べたいものを買ってくるだけだと返し、バーベキューをする為の道具は一式揃っているからとも伝えた時、ソファの背後にある壁がゴンという音を立てたため、何事だと顔を振り向ける。
『…そちらに行って話をしても良いか?』
「ああ、大丈夫だ」
たった今聞こえた音は、どうやら慶一朗がいつかのように壁を殴りつけた音のようで、控え目な声で家に行っても良いかと問われて少し慌てながら頷いたリアムは、もちろん大丈夫と繰り返し、リビングを見回して目に余るような散らかり方をしていないことを確かめる。
『ダンケ、リアム』
聞こえてくる母国語での感謝の言葉にどういたしましてとこちらもドイツ語で返すと、通話がぷつりと途切れ、何とも言えない寂しさがスマホを離した耳元から全身へと広がっていく。
今まで通話が終わった瞬間に寂寥感を覚える経験がなく、どうしたんだと再度胸板を見下ろしたリアムの耳にドアベルの音が流れ込み、スマホを片手に玄関へと向かい、ドアを開けて鉄の網戸越しに何やらはにかんだ様な笑みを浮かべる友人を出迎える。
「電話で話すのも良いけれど、よく考えたら隣にいたな、と…」
だから来てしまったと笑う慶一朗に確かにそうだと頷いたリアムは、網戸を開けてどうぞとこの時初めて慶一朗を自宅に招き入れる。
隣同士のフラットのため部屋の間取りなどは同じだったが、先ほど慶一朗がやはり殴りつけた壁を挟んで間取りは対照的になっているようだった。
「何か飲むか?」
といってもお前のように手間暇をかけたコーヒーの用意など出来ないがと、キッチンに向かいながらリアムが振り返ると、興味深そうにリビングを見回していた慶一朗が小首を傾げ、ビールか水と注文をする。
「ビールか水ね」
どちらもストックがあるから問題ないと笑って冷蔵庫を開け、二人分のビールとピーナツをストックしているキャニスターを手に戻ってくる。
「ダンケ」
「どういたしまして」
ソファに座ってくれと顎で示し、その通りに座る慶一朗の横に座ったリアムは、バーベキューでいつも何を食べるんだと問われ、肉か魚かと答えつつボトルを差し出せば、うれしそうな顔でそれを受け取り、更に口の端を持ち上げながらボトルに口をつける。
「酒、好きなんだな」
「ん? ああ、食べることより興味はあるかな」
でも、水でもビールでも喉の渇きを潤すためだから何を飲んでも同じだと、リアムにとっては信じられないようなことをさらりと慶一朗が呟いたため、思わず何だってと端正な横顔を見つめれば、酒は気を付けないと酔いが回るが、飲めれば同じだと返されて絶句してしまう。
「本当に、興味がないんだな」
「そうだな…コーヒーだけは、好きだけど」
それも、飲んで美味いと思ったというよりは、何か一つ興味を持てとソウに言われたからだと続けられ、ソウと呟くと、驚いた顔で慶一朗が己の両膝を抱きかかえるように腕を回し、イチローだと笑う。
「あいつが言ったから、だな」
「そう、なのか」
兄弟の仲が良い事は先日の訪問で知己になり、まるで十年来の友人のような関係になった事からも理解出来たが、その根底にあるのが総一朗に対する依存ではないのかと一瞬想像してしまったリアムは、膝頭に頬を宛てながら笑う顔に知らずのうちに鼓動を速めてしまう。
同性の年上の男にこんな風に鼓動が早くなったり暗い顔をさせてしまったことを申し訳なく思うなど初めての経験に戸惑ってしまうが、あの時飲んだコーヒーは美味かったかと問われて素直に頭を上下させる。
「美味かった」
ドリップコーヒーはあまり好きではないが、ミルクも砂糖も入れないコーヒーなのに何故か甘く感じた事を思い出しながらまた飲みたいと言えば、慶一朗の薄い色素の双眸が一瞬見開かれた後、嬉しそうに細められる。
その、素直な感情表現を目の当たりにしたリアムが思い出したのは、初めて慶一朗を見かけた時の笑顔だった。
あの時、決して忘れることの出来ない笑顔が脳裏に鮮明に焼き付いたのだが、それを今まさに思い出したリアムは、豆が美味しいのもあるだろうが、きっとケイが手をかけて淹れてくれるからだろうなと笑うと、夢を見ているような顔で更に微笑まれてしまい、その笑顔から目が離せなくなる。
男の笑顔に目も心も惹きつけられるなんてと、己の心の動きに嘲笑と疑問符を投げかけるものの、それを遥かに上回った声が、いつも見ていたいと叫び、その叫びに胸が締め付けられてしまう。
今まで付き合ってきたのは年齢の上下はあっても皆女性で、もしかして己は初めて男に惚れてしまったのかと驚きの声を脳内に響き渡らせた時、ビールを飲んだあと満足そうに溜息を零す慶一朗の横顔が目に入り、ただ素直にきれいな顔立ちだなと呟いてしまう。
「リアム?」
「な、んでもない…っ」
まさかその言葉が口から出ていたとは思わず、慌てて口を大きな手で覆い隠して顔を背けるが、俺の顔がきれいかと問われて恐る恐る顔を向ければ、つるりと顎を撫でながら首を傾げられ、自覚はないし今までその言葉は好きではなかったが、お前に言われるのは何か気持ちいいなと笑ったため、掌で覆い隠した口の中で歯を噛みしめる。
「お前といると新しい事を沢山知ることができるな」
「そう、か?」
「そう。キャンプもバーベキューもそうだな」
それはまだ経験していないが、イースターの連休で経験できる、それが今から楽しみだと笑う慶一朗にリアムが無言で頷くが、バーベキューなら連休まで待たなくても今からでも明日でも出来ると苦笑すると、リアムへ向けて身を乗り出しつつ、たった今本人が言ったように新しく得られた知識に目を輝かせる。
「そんなに簡単に出来るのか?」
「うん、まあ道具が揃っているから出来るな」
「良いな、それ」
バーベキューで何を焼くのか何を食べるのかまで分からないがやってみたいと、純粋に期待に顔を輝かせる慶一朗の顔から目が離せなくなったリアムだったが、好きになったのかという小さな問いに、きっと間違いなく好きになったんだろうと同じく小さいながらも力のこもった声で返事をし、それが身体を動かしたようで、目の前にある好奇心にきらりと光る双眸に吸い寄せられるように顔を寄せてしまい、不思議そうな声で名を呼ばれて我に返る。
「リアム?」
どうしたと、顔の近さについては何とも思っていない顔を不思議そうに傾げて再度名を呼ばれたリアムは、慶一朗に見えないように拳を握って沸き起こる感情を押しとどめようとする。
己の知らない世界を教えてくれる、見せてくれると好奇心に目を輝かせる慶一朗に対し、何を考えているんだと自己批判の声が脳裏で響き、確かにそうだと一瞬冷静になったリアムだったが、脳裏に焼き付いて決して消すことの出来ない嬉しそうな笑顔と、それ以上に職場のカフェで見た、この世の罪を全て背負った様な、ここに己が存在していても良いのかという罪悪感が滲んだ笑顔が脳裏に浮かび、目の裏が赤く染まり、気が付いた時には慶一朗の頬に手を宛がっていた。
「……」
同じ男のはずなのに滑らかな肌触りに掌が吸い付くようで手離すことが出来なくなりそうだった。
至近で見開かれる双眸には好奇心の欠片と少しの疑問が揺らめく波のように揺れていて、そこに己でも初めて見る表情をした己の顔が映り込んでいた。
「リアム? どうした?」
何度目になるかも分からない呼びかけに唾を飲み込み、何でもないと言いかけたリアムだったが、不思議そうに見つめ返されて息が止まってしまう。
同性を好きになった事は今までなく、初めてのことだとしっかりと自覚をしたリアムは、親指の腹で手触りの良い頬を撫でた後、疑問に薄く開く唇に吸い寄せられてしまう。
「…!!」
柔らかな唇に触れた直後、間近過ぎてぼやける視界で綺麗な双眸が驚きに見開かれた事に気付き、一瞬で目が覚めたリアムは、とんでもない事をしてしまったと顔から血の気を引きながら慶一朗から一人分の距離を取ってしまう。
「…悪、い」
「さっきから本当にどうした?」
いきなりキスをしてきたから驚いたが本当にどうしたと、それ以上でも以下でもない疑問を苦笑交じりにぶつけてくる慶一朗に驚きながら嫌じゃないのかと呟くと、小首を傾げた後、別に嫌な気持ちはしなかったと教えられるが、何かに気付いたように苦笑を深められ、俺は男女のどちらとも付き合えるからと教えられて限界まで目を瞠ってしまう。
「そう、なのか…!?」
「ああ」
ゲイだのバイだの色々な言葉で己のセクシュアリティを表現出来るが、男女どちらも付き合うことが出来ると笑った慶一朗にただ驚きを隠せなかったリアムだったが、続けて小さく呟かれた言葉の真意が今は理解出来なかった。
「…俺から好きになった人はいない」
その小さな呟きに今のリアムは反応できず、ただ右から左へと聞き流してしまったのだが、じっとまっすぐに見つめられて頭を仰け反らせると、お前はどうなんだと問われて首を傾げる。
「俺?」
「そう。ゲイなのか?」
「いや、そうじゃない」
今まで付き合ってきたのは皆女性ばかりで、男に対してキスをしたいと思ったのはお前が初めてだと素直に告白すると、暫く沈黙が続いた後、安堵にも似た溜息が二人の間に零れ落ちる。
「…そうか」
キスをしたいと思ってくれたことは嬉しいと笑われてしまい、良いのかと問えば不思議そうに見つめ返され、お前とのキスは嫌じゃないと笑われる。
じゃあと、再確認するようにもう一度慶一朗の頬を今度は両手で挟んだリアムの様子に何かを察したらしい慶一朗が、ふ、と小さな子供が零すような吐息を二人の間に零して自ら顔を寄せてきた為、さっきよりは明確な意思を持って柔らかな唇に再度キスをする。
「…ん」
一瞬のような永遠のような時間を亡失してしまうキスが終わった瞬間、少し前に通話が終わった瞬間に感じた寂寥感と同じ思いが芽生え、指の腹で頬を何度も撫でてしまう。
あの時、今までこんな感覚を覚えたことはないと疑問に感じたが、何のことはない、好きになった人といつまでも話をしたい、その声を聴きたいという欲求が感じさせた思いで、今離れていく唇に感じたものもそうだった。
好きな人の顔を見たい、声を聴きたい、そしてそれ以上にキスをしたいと思うことは当然の事で、ああ、本当に好きになったんだなと内心自嘲したリアムの耳に、で、今からバーベキューをするのかという穏やかな好奇心に満ちた声が流れ込む。
「え…?」
「いや、今からでも出来ると言っていただろう?」
リアムが自覚をした慶一朗への好意は彼の中ではまた違う温度を持っているようで、今のキスが親愛のキスであり情愛のものではないと言いたげな顔で見つめられて呆然としてしまう。
「あ、ああ、今からでも出来るが、材料を買い出しに行かないといけないから、明日にしないか?」
明日は平日だから仕事終わりに公園でバーベキューは少し難しいからベランダにバーベキューコンロを置いて肉を焼かないかと、気持ちが置いてけぼりを食らった様な顔でリアムが提案すると、お前のほうが詳しいから任せると頷かれてしまう。
リアムにとっては初めての経験だからいつも以上にそこに意味を込めてしまったのかもしれないが、自覚した好きという感情を抑えることは出来ず、どうすれば伝わるだろうかと思案するが、目の前で初体験のバーベキューに心を弾ませている慶一朗の顔を見てしまえば、今すぐ告白して付き合ってほしいと言い出すことが出来なかった。
己の気持ちを優先する以上に、好奇心に目を輝かせて楽しみだと繰り返す慶一朗の嬉しそうな笑顔を見ているだけでリアムも満足し、またそれ以上を今は望むこともなかった。
その思いから肺の中を空にするような息を吐いた後、楽しそうだなと口元に笑みを浮かべると、慶一朗の頬が一瞬で赤く染まり、どうしたと今度はリアムが首を傾げてしまう。
「…何でも、ない」
「そうか?」
「…明日、本当にバーベキューをするのか?」
「ん? 嫌なら連休でも構わないけど?」
頬の熱を手の甲で吸い取ろうとするように手を宛がいながら問われたリアムは、急な変心でもあったのかと思い、やはり不安かと問うと、明るい茶色の髪が左右に揺れる。
「そうじゃない」
「そうか。じゃあ明日のバーベキューで焼きたいものがあれば教えてくれ」
肉とある程度の野菜は用意をしておくが、好きなものがあれば教えてくれと笑うと、エビとサーモンという小さな声が返ってくる。
「分かった」
流石にフィッシャーズマーケットにまで買いに行けないから新鮮さについては許してくれと笑いつつ慶一朗を見れば、はにかんだ様な笑みを浮かべて頷かれ、俺は本当に何もわからない、だからお前に任せるけれど何かできることがあれば教えてくれと頷かれ、ああ、自分の知らないことに対してただ受け身になるのではなく、自らも行動しようとしてくれる、またその姿勢を見せてくれる事にまた鼓動を速めたリアムは、一挙手一投足が好きを強く深くしてしまうと気付き、自制しなければと己を戒めるが、嬉しそうな笑顔を見たいという誘惑には負けてしまう妙な自信もあり、己のことながら大丈夫かと不安になるのだった。
翌日、約束通りリアムが仕事終わりに近所のスーパーに駆け込み、慶一朗からリクエストのあった食材を買い揃えて自宅に戻ると、パンを焼いても良いかもと、二人が初めて出会ったパン屋の紙袋を自慢げに掲げる慶一朗がやってきて、二人分の準備で忙しいはずなのにその忙しさを一切感じない、ただただ楽しい時を二人で過ごすのだった。