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「ヒーロー。 君の話じゃ、前の夏の俺はラヴェンダーのことを無敵無敵と紹介していたみたいだが、弱点がないわけじゃねえ」
「……奴の権能の代償か?」
「そう、代償。 俺の才能を応用すれば、他人の持つ仮面の力と、その代償の大体を知ることが出来るんだ。 この力で知った情報だが……、奴の仮面の代償は患者との同化だ。 これまで奴の創った病に感染させられた被害者のケースをいくつか知ってるが、彼らが感染から死亡するに至るまでの間、ラヴェンダーは表立った行動を一切行っていない。 これは奴の代償が理由だ」
廃ビルから出ていこうとしていたオレに、ジョン・ドゥが語る。
ここまで無償で情報を流してくれるのは信頼の証……、なのだろうか。
「奴は自身が感染させた患者と、ある程度の意識をリンクさせている。 患者がもがき苦しんだり、発狂したりすれば、あいつもそれを微小に感じ取り、苦しんだり、狂いかける。 患者の健康状態を肉眼で捕捉しなくとも、同調という通知で把握することが出来る。 非常呼鈴みたいにな。 これは奴が同化の代償で君の心に、病巣みてえに住み着いてるから起きることだ。 奴はそうやって、患者の死亡を察知してから難病を解除する。 自分自身も同化で死んじまわないように」
「……じゃあ奴を倒すためには、同化を解かせないまま患者が死ぬ、共倒れしかないってことか?」
「はっはっは。 まぁそうだけど、無理だろそんなのさあ? でも同化の代償は、奴の恐ろしい力に残されたウルトラレアな弱点だ。 叩くなら、ここしかねえと思うぜ」
同化の代償……。
患者と意識や状態が微小ながら同調してしまう代償。
うまく逆手に取ることが出来れば……、とは思ったが、同調ってことは、奴を追い詰めるには患者であるオレ自身も追い詰めなくてはならないということだ。
どうやっても、扱いが難しすぎる。
「ま、上手くやれやヒーロー。 ラヴェンダーを倒してくれりゃあ俺達としても嬉しい限りだ。 期待してるぜ、勇者殿」
―――――――――――――――――――――
見える限り、空いっぱいの夕焼け。
無限に波紋の広がる水平線。
8月32日の世界。
夢と現実の狭間と奴が呼んでいた、謎の空間に接続した。
「……『特例』君。 何をした?」
「…………」
「何をしたと聞いている! 31日が終わるまで、まだ数時間もあったはずだろう。 夕日も出ていた! だが……、途端に落日し、深夜に突入し……、一日が終わった。 あのような異常は権能の影響としか思えん。 お前の、『特例』の力か?」
「お得意の診察ってヤツで見てみりゃいいじゃねえか。 オレが経験してきた、これまでの夏の記憶を」
「……言われずとも。 『黄昏症候群』は自動的に私に見せるようデザインされている。 その茜色の記憶を!」
夕日の中で、ペストマスク越しのラヴェンダーの目が赤色に煌めく。
野崎や御山の件で知っている。それは、権能を使用した時の証拠のひとつだ。
「……くくく、成程。 三周目四周目に診察室へ来なかったのは、『廃棄物』の愚か者に殺されていたからだったのだな。 ……ほう、飛来物を打ち壊したのか? それが『特例』の力か。 ……廃墟区画のビル、見つけたぞジョン・ドゥ。 そこが貴様ら離反者の根城だな! ……待て、何を……! そんな、馬鹿なことを……!」
「……どうだったよ、オレの五ヶ月分の記憶は」
あんなに自信満々だったラヴェンダーが、後退る。
「急速な落日の真相は……、空や天候に異常が起きたのではなく……、『特例』の時間感覚が狂っていただけだというのか……!?」
「……『廃棄物』のキャンディー。 あいつに協力してもらったんだ」
”僕の才能『そして誰もいなくなった』は、
射出する仮面能力が真髄じゃない。
本質は、挑み背追う才能。
僕が触れたものを物理法則を超越して
加速させる能力だよ”
「キャンディーの権能……、あいつらは才能って呼んでんだったか? まあいい、『そして誰もいなくなった』は、触れたものを加速させる能力。 だからオレの頭に直接触れて、加速してもらったんだ。 オレの時間感覚そのものをな。 あいつの能力の対象はスーパーボールのような実体があるものだけじゃなかった。 オレの頭みてえに、概念的であれ触れられるものなら効果適応できたんだ」
「……夕日が急速に落ちたのは、周りの時間が早まったのではなく、神無月煌が認識している時間感覚だけが加速した結果……。 私まで同化の代償で影響を受けている……」
「お前はオレと感覚同調してんだろ? 時間感覚は加速し続ける。 これから先、どれだけ夏を繰り返すことになろうと、一ヶ月が数十秒程度の感覚で過ぎ去っていく。 加速が続けば、数秒、数瞬の単位で夏が過ぎ去るようになっていく。 同調するお前を巻き込んでな! だから言ったんだ、次にオレが『黄昏症候群』に感染した時がお前の終わりだってな」
「確かに意表を突かれた。 キャンディーという仮面持ちは『廃棄物』の新参者。 私も知らぬ力を持った者だったのでな。 だがそれで……、そんなことで私に勝ったと思っているのか? 確かに『黄昏症候群』は、記憶や意識感覚はそのままに環境だけをリセットして無限の夏を繰り返す病だ。 加速し続ける時間感覚は、リセットを越えても止まりはしない。 だが、それだけだ。 お前が狂うまで時を待ち続ければ良いだけのこと!」
直後、ラヴェンダーの後ろの夕日が発光し、十秒ほどのインサート映像が世界に挟み込まれた。
自室の天井、白い部屋、点滴とベッド。
そして、窓から射し込む夕日。
そして視界は夕焼けの世界へと帰還した。
「馬鹿な……、今のは……! ぐッ……!?」
ラヴェンダーは目を赤に煌めかせながら、頭を抱える。
そう、奴はオレの記憶を見ているのだ。
これまで経験してきた夏の記憶、その全てを。
「発作の記憶……! 私は今……、これまでの五ヶ月に追加で、更に一ヶ月分の植物人間経験の記憶を見せられた……。 まさか、これがお前の狙いか……!?」
「ああ、そうだ。 超加速する時間意識のおかげで、オレは夏を一瞬で過ごす。 でもお前は違うだろラヴェンダー。 オレが繰り返してきた夏の記憶を、余すことなく見直さなくちゃいけない。 テレビで録画した他人のドキュメンタリー番組を、スキップ無しで脳内再生し続けるんだ。 例え早送りが出来たって、それが繰り返されりゃ苦痛に他ならねえだろ?」
「……『椅子取り遊戯』と『黄昏症候群』の特性を利用しやがっ――――、」
直後、再び夕焼けが白く広がり、数秒のインサート。
天井、白い部屋、赤い窓。
そして8月32日へと帰還する。
赤い目をしたラヴェンダーが、また頭を抱える。
「その程度の精神攻撃で私が倒せるとでも……!」
「思っていない。 だが、この状況をひっくり返す方法は今や、ひとつしかない。 お前が、自分自身の手で仮面をひっ剥がすことだ。 権能を解除する他ない」
「…………」
ラヴェンダーへ、歩を進める。
夕日の眩しさに耐えながら。
「権能を解除したあとのことを考えてるだろ? 流石は無敵の仮面持ち様、一手一手が慎重だ。 お前の権能の発動条件は睨むことなんだろ? すげえよな、簡単で、単純で。 無敵無敵と謳われるワケだ。 でもこの距離なら……、権能をもう一度使われる前にテメェをぶっ飛ばせるぜ」
「脳筋野郎め。 自分の拳を一撃必殺とでも思ってるのか? どこにでもいる普通の学生の腕力なんぞで? こちらは数秒睨むだけで勝利を収められるのだ、恐れるとでも?」
「気になってることがあるんだ。 オレの破壊の力……、こいつを人に使ったら、どうなっちまうのか。 命は取らねえ、だが……、足の一本二本、動けないくらいにはなってもらうぜ」
「くく、動けないように、か……。 安い牽制をッ! 見せてみろ、その覚悟を!」
満点の夕焼け。
天井と赤い陽射し。
夕焼けを映す水平線。
「君は何も知らない。 何も分かることはない。 無知で無謀で、無意味だ! 私のことなんぞこれっぽっちも知らぬくせに、愚直に勝ち誇ろうとしてきやがる。 私よりお前の方が特別だとでも思っているのか! ……君くらいの年の頃、私はずっと家に籠っていたよ。 学校なんて、家の外なんて行きたいとも思わなかった! どうしてか分かるか? 外に、私を特別扱いしてくれる者なんていなかったからだよ」
「特別扱いだと……?」
「そうだよ、特別扱い。 普通未満の私たちは、事態が好転して普通にステージアップ出来るだけじゃあもう足らんのだ!! 特別にならねばならんのだよ! 外の人間たちは皆、誰も彼も幸せそうにしている。 自分が世界の中心で、いつか何もかも上手くいくって、諦めなければ叶うってな顔で! そんな訳がなかろうに! 誰もが転がる石なのに、誰もが自分を特別と思って疑わない。 故に、アイドルや大スターにでもならなければ他人に特別扱いなんぞされんのさ! それが耐えられん! 私は、私だけが特別にならねばならんのだ!」
満点の夕焼け。
天井と赤い陽射し。
夕焼けを映す水平線。
「私を特別扱いしてくれるのは両親だけだった。 身体障害で脚が動かなくってねえ、私のケアに尽力してくれていた。 インターネットにどっぷり浸かって引きこもっていると、たまに医者が訪問診療しに来た。 そいつの目といったら、社会的地位の高さから出る自信、そこから溢れる憐れみの視線。 許せなかった。 あの男は、特別どころか普通にもなれない私のような者を相手どって商売し、心の中で蔑む悪魔だ! その時に私は、悪魔を超えた特別になると決めたのだ!」
満点の夕焼け。
天井と赤い陽射し。
夕焼けを映す水平線。
「蔑まれ、傷つき、生まれを呪った私に差し伸べられた蜘蛛の糸は、あの方の小説だった」
「……EXEとかいう指導者のことか?」
「『特例』如きがEXE様の名を口にするとは、恥を知れ! EXE様が投稿していたネット小説は、私を救った。 その全編が一人の主人公視点で描かれていて、悪と対峙する中で特別な力の資質に覚醒していくライトノベルだった! それが堪らなく興奮した! なんてったって主人公の名前が、私の名前と同じだったからだ……! 私は初めて、特別になったのだ!」
満点の夕焼け。
天井と赤い陽射し。
夕焼けを映す水平線。
「私はファンレターを送った。 小説のページに毎日張り付いて更新を待った。 そしてその度に、感想を送り続けた。 数ヶ月して返信が来て、私と会いたいと! 彼は私を友人と呼び、現実で顔を合わせて話したいと言ってくださったのだ!! 引きこもりだった私は車椅子に乗って、すぐさま飛び出した! 彼の聖書が、私の何もかもを変えたのだ! ……そして、彼はこの脚も治してくださり、力まで与え給うた。 あの白衣の医者にだって憐れまれることはない、悪魔を超えた特別な力を!」
満点の夕焼け。
天井と赤い陽射し。
夕焼けを映す水平線。
「この世の特別は、私とEXE様。 そしてその信徒だけで良いのだ。 これを理解出来ぬ愚か者のお前が、勝気に私を見下すなど、あってはならんのだッ!」
「ああ、一切理解できなかったぜ。 人生が不幸から始まった、でもEXEって奴のおかげで特別になれたってだけならハッピーエンドで終われるってのに、次は手前が他人を迫害し始めたら、ただポジションが入れ替わっただけじゃねえかよ」
満点の夕焼け。
天井と赤い陽射し。
夕焼けを映す水平線。
「平凡なお前には分からんさ! 人生の始まりでコケれば取り残される。 他の奴らに追いつくことすら出来ない! そんな悲しみを抱いた者が自身の特別を特別と自覚し続けるためには、特別以下を踏み台にし続けなければ……、最早足りない。これまで幸せだった奴らから帳尻合わせですっぱ抜かねば不平等というもの! 私のような者は世の中に五万といる! 力を持った世間を正さねば! プラスからマイナスの者へ幸せを還元させるのだ! 天と地を逆転させるのだ! この世界をッ……、人類社会の構造を、逆転させる。 私が、この病んだ世界を治療するのだッ!」
夕焼け。
天井。
水平線。
「それで、医者の真似事かよ? 診察だのなんだのって言ってるが、そりゃあお前が悪魔っつって勝手に嫌ってた医者を追ってるだけだろ」
「……適当なことを言うな!」
「実はどこかで憧れてたんじゃねえのか? 立派に生きる、その医者のことを。 何時からだ? それが嫉みに変わったのは」
「黙れ! 黙れ黙れ黙れ!! 少し話してやったらいい気になりやがって……!」
「そうやってお前が自分語りしてるのも、心根じゃオレに……、誰でもいいから、少しでも多くの人に理解してほしかった、誰かに共感されたかった、手を差し伸べてもらいたかったからじゃねえのか?」
夕焼け。
天井。
水平線。
時間感覚が、『黄昏症候群』が、夏休みが、夕日が、世界が、加速し続ける。
あの永遠にも感じた長い夏が、永遠の一瞬を繰り返し続ける。
発作の度に、ラヴェンダーに何十ヶ月分もの夏の記憶が襲いかかり、頭を抱える。それを繰り返し続ける。
夕焼け。
天井。
水平線。
「くっ、そッ……!! 頭が……、天井の模様に、汚れの形までッ……、夕焼けの眩しさを……、全部……、全部……!!」
「発作の度にお前の脳にかかる負荷は一周分じゃない。 これまで繰り返した夏の全ての記憶が毎回自動で送り込まれ、脳内動画再生する。 倍速機能は使えるがスキップは出来ない。 そんな何テラバイトになるのかも分かんねえその記憶の山が、超スピードで積み上げられてってるハズだ。 当然、そんなの人間の頭で処理できるようなもんじゃねえよ」
夕焼け。
天井。
水平線。
「このっ、私が……! 『特例』なんぞに、こんなことで……、くっ、そ……ッ!」
「諦めろ、ラヴェンダー」
「仮面を外して堪るものか、これは、これはEXE様に頂いた、私の、私だけの――――、」
夕焼け。
天井。
水平線。
「オレの青春の全部が、お前の歪みを打ち倒す」
夕焼け。
天井。
水平線。
夕焼け。
天井。
水平線。
夕焼け。
天井。
水平線。
夕日。
夏休み。
『黄昏症候群』。
氷菓。
夏祭り。
夕日。
友達。
宿題。
権能。
ジョン・ドゥ。
肝試し。
仮面。
氷菓。
夏休み。
遥夏。
海。
希望。
線路。
死。
驟雨。
夏。
水平線。
アイス。
猫。
廃ビル。
少数派。
力。
綿あめ。
コンテナ。
カメラ。
自由研究。
水着。
『いつもの場所』。
入院。
引きこもり。
夕焼け。
思い出。
砂場。
才能。
人気のカフェ。
インターネット。
夏休み。
七不思議。
熱風。
ぬいぐるみ。
四階。
包帯。
シュレーディンガー。
恋バナ。
最後の日。ゲーム。 廃墟。クリームソーダ。友達。君。ラジオ。砂浜。音楽室。 天井。もう一度。『椅子取り遊戯』。神社。夜の風。約束。コード。心臓の高鳴り。混沌。擦り傷。スーパーボール。宿題。LINNE。謎。シルエット。末期症状。神無月家。警察。沈黙。湿気。世界夕日水平線無限ループ赤いソファ願い事青春思い出呪い夢命幸せ炭酸飲料心根パーカー貝殻特別お泊まり会ステッキ失踪の六戦目花火約束傷だらけ特別猫焼きそば自傷熊のぬいぐるみ白肌ロビンソン12時スニーカー謎解き廊下発作水泡事情聴取神無月家四周目紳士帽未来恋愛傷友情到達点鴉作品夏相互理解至黒衣難病青空徒歩天井記憶喪失時計街灯昼目学校既視感混沌撮影霊障血濡鈍痛絆思想普通分類組織無謀絵具情熱鈴音玄関植物参拝希望縁展望場夕日呪願後遺症役割雑踏満身創痍進路代償歩幅鼓動携帯本能極黒同調将来顔劣等感尊重責任復帰波紋転入理解不穏信念廃棄電車学生非常階段超越白貝美術息絶途中秘密基地制服生活藍色騒々流行破壊風船噛夏季課題鉄棒本時点綿飴靴底星空徘徊職員室調査旅路憶測証左食事加速事件嫉妬鏡面菓子古傷窓辺麦交差点弁解理紗実現性破滅自己犠牲発破実体空疎男試験勉強悪魔調査異能季節指導者睡眠点滴落日出店狭間箱忌避意識医者成績報恩燃料同化唇冷徹言葉目蓋場所道程明暗時間永遠呼吸困難寝室商店未知公園制定鞄正体休暇保護脱走砂煙海月徒労冷房下着残像背中隣人愛石段奪還行動疎外感憂鬱関節接吻暗黙了解反射議論緑化計画孤独静寂浴衣射的仮面球技別離火種風速果物天井甘味損得甘酸問答刃物景色優先順位仁無意識理由星座血縁監視対象反社会的水平線提灯条件協力死亡提案好機賽銭世間発声晴天街路樹新譜制汗氷菓躊躇温情治療接続心警備員取引経験自信動機近道中身真相博打放棄恐怖退院特筆相性日焼肌装飾罪悪感工事現場幻惑陽炎夕日塵埃青春人形虚言帰路好物進路希望花瓶無限黄昏
世界の一切が流転する。
数千、数万、数億回も夏をループしていく。
何もかもが加速し続ける思い出の中で、
オレは、自身の額を掴んで願う。
”ぶっ壊れろ” 。
ばきり、と。
頭の中に厚い板チョコが割れるような、
酷く取り返しのつかない音が響く。
オレは――――、
オレ自身が持っている時間感覚、
それそのものを破壊した。
加速が、夕焼けと水平線の世界で停止する。
その中心で水面に倒れ込む、
疲弊しきったラヴェンダーの姿を見つける。
これ以上の痛めつけは必要ない。
そう判断し、時間の加速を意識ごと止めたのだ。
ラヴェンダーは最後まで仮面を剥がさなかった。
数億周分の夏の記憶を、数億回も反復で見せられ続けたのだ。気力が切れて仮面を剥がす余力すらなかったのかもしれない。
あとは気絶しているラヴェンダーの仮面を剥がし、権能を解除させる。そして、現実へ戻ってラヴェンダーを担いでジョン・ドゥの所へ連れていく。
それで……、全て終わりだ。
揺れる水面の上を歩き、ラヴェンダーの傍らに立つ。
膝を折り、彼のペストマスクに手を伸ばして、もうあと数センチで触れる、というところで、
急にマスクのゴーグルに赤い光が灯った。
「私にぃ、触れる、な……ァッ!!」
意識を取り戻したラヴェンダーは転がっていたステッキに手を伸ばし、匍匐体勢のまま振るってきた。
軽い後退でそれを避ける。
目覚めたのには驚いたが、矢張り衰弱しているみたいだ。
「……ラヴェンダー」
「わた、しは……! 特別、で……! 特別なのだから……、特別であり続けなければ、ならない……」
「……特別がそんなに羨ましいかよ。 プラスの奴らがそんなに恨めしいかよ、ラヴェンダー! 皆、必死に生きてんだよ。 命があることだけが生きるってことじゃねえ。 メシ食って寝る、それだけが生きるってことじゃねえんだ! 世の中には色んな人間が飽和してる。 そんな中で押しつぶされねえように、雑踏に紛れちまわねえように、吹けば飛んじまいそうな薄っぺらいアイデンティティをテメェで抱き込んで! 血が滲むくらいに両手でしっかり掴んで、離さねえように踏ん張って! 無個性とか劣等感とか希死念慮とか! 色んなもんと同居しながら生活してんだよ! それが今を生きるってことだろうが! それさえ出来れば、誰だって特別なんだ! どこかの誰かの承認なんていらねえんだよ! だがテメェが追い求める特別ってのは、他人を蹴落として作る汚れモノだろうが! ……その権能でどれだけの人間を殺してきた? どれだけの特別を奪ってきたんだよ? 過去にどんなディスアドバンテージがあったとしても、テメェに情状酌量の余地なんてほとんどねえ! そんな方法で自己確立させてる奴のことなんか、誰も理解も共感もできねえ、救えねえ! お前は生きてねえ……、死んでんだ。 生きてねえ限りは特別にも普通にも、普通以下にもなれねえよ! 大間違いだ、この藪医者野郎がッ!」
水面の夕焼けを蹴り、ラヴェンダーに接近する。
それに対応しようと、ラヴェンダーが掴んだのは、目玉の装飾がついた黒い長ステッキ。
そのまま柄を思い切りステッキから引き抜いた。
出てきたのは、細く白い刀身。
あのステッキは仕込み杖だった。
「死に晒せよ『特例』! 死に損ないはお前の方だッ!」
「終わりだ、ラヴェンダー……!」
ぶっ壊れろと願いを込めた拳が、
振り下される刃に直撃する。
そして、砕けて散る。
拳は減速することなく、
そのまま奥のペストマスクへと直進し、
「は……ッ?」
理解の間に合っていないラヴェンダーの顔面に突き刺さり、鴉の羽根を撒きながら吹き飛んだ。
そのまま水面の上を背でバウンドし、数メートル先まで転がってから、うつ伏せで痙攣している。
破壊は、やはり起きた。
ここまで来れば疑いようもない。
オレは、触れたものをぶっ壊せる。
壊すと願ったものなら槍斧だろうと、銃弾だろうと、超速で飛ぶボールだろうと、今の通り刀剣だろうと。
更には……、時間感覚なんて形のない曖昧なもんでも。
「……なんでだ?」
この力を使う度に、不思議に思うことがひとつある。
それは……、全身に溢れる高揚感だ。
喧嘩によるアドレナリンなのだろうか?
それにしては……、おかしい。
オレはこの感覚を愛おしく感じてしまっている。
とても、幸福なのだ。
幸せの絶頂にいるのだと、
確信が出来るほどの幸福感。
美食を口にした時の食欲にも似た、
盛り立つ性欲にも似た、情欲。
それが血管を伝い、全身に広がっていく。
熱い飲み物を飲んだ時に、
液体が食道を流れていくのが
何となく感じられるように。
しかも今回のは特大だ。
ロビンソンやディオの時とは比にならないほどの情熱。莫大な熱エネルギーの循環に、腰が抜けそうになる。
「これは…………、」
「…………がッ、は……」
その呻き声の主は、ラヴェンダー。
うつ伏せから肘を立てて立ち上がろうとする彼の革のマスクは、片目を晒す形で破け飛んでいるが、全体は残り、顔に張り付いたままになっている。
「よ、くも……、よくもォ! EXE様から頂いた仮面に触れたなクソ『特例』ェ!! 仮面も持たぬ出来損ないの癖にいぃぃッ!」
情熱に気を取られてる暇などなかった。
こいつから仮面を取り上げなければ、
『黄昏症候群』は発作する。
時間感覚の加速を止めてしまった今、もうラヴェンダーを記憶の超重で押さえつける作戦は効かない。
次に夏が始まれば、オレにラヴェンダーを倒す策はない。夕焼けが8月32日を覆いきる前に、こいつを倒さなければならない!
「赦さん……、赦さない……! 赦さんぞ神無月煌ァッ!」
そう言ってラヴェンダーは、自身の左手に折れた仕込み刀を突き刺した。
勢いのよい流血が、足元の水面に落下し、煙のように溶け混んでいく。
「ああEXE様! こんな学生如きに、貴方様より賜った御力を解放してしまうことをお許しください! 全てはEXE様と『少数派』のためなのです!」
「力の……、解放?」
”オマケにもひとつ、
最高に絶望的なことを教えてやる。
ラヴェンダーは……、
権能を二つ所持している“
”権能は一人にひとつ。
例外はないと思っていた。
ひとつの仮面でふたつの権能を扱えるなんて、
見たことも聞いたこともない。
でも、奴は特別中の特別なんだ。
病を創り感染させる権能
『椅子取り遊戯』の他に、
詳細も分からない謎の力をひとつ”
「まさか……、もうひとつの権能を……!」
「そうかあァ……、ジョン・ドゥから聞いていたんだった。 厳密に言えばこの力は……ッ、くっ……、ふたつめの権能ではなく、第二の能力と言った方が正しいがねッ!」
ラヴェンダーは手のひらに刺さった仕込み刀を柄まで押し切り、あともうひと押しで貫通し、手の甲側から抜け落ちるところまできた。
「があああッ! クソ、クソ……ッ! 痛い、痛い……、が、これでいい。 お前に教えてやるよ『特例』! 『少数派』はっ、君でいう『いつもの場所』のようなただの下らん仲良しグループなんかじゃないってことをなァッ!」
ラヴェンダーは柄の先に埋め込まれた目玉を、手のひらに思い切り叩き押した。
直後、その左手から吐き出された黒い血液にも来た霧が、竜巻を起こすようにラヴェンダーを取り巻いた。
その靴底から黒い半液体が流れ出し、辺りの水面を黒く染めていく。
「な、なんだよ……、それ……!」
黒い旋風は勢いを増す。
水面が揺れ、水平線がグラつく。
黒の中心から、花弁のようなものが顔を出す。
「 病に伏せる青白の婦人。
痩せ細る乳飲み子。
奪い合う老骨。
口なしの歌うたい。
蜘蛛の糸を垂らし、
葡萄酒を傾ける殿上人。
ひと握りから溢れた者らよ、
幸せな者達へ背を向け往け!
『生まれてくるべきではなかった』 」
黒霧を切り裂き現れたのは、
背に黒の六翼を携え、
左腕から長い刀剣を生やし、
手中に大目玉が埋め込まれた、
さながら悪魔のような男の姿だった。
「……これが権能の終着点、顕現だ!
仮面すら持たぬお前には理解すら出来まい。
この力こそ……、病んだ世界を治療する、
人類史上最も偉大な治癒と死して知れ!」
黒く伸びた爪が背の一翼を引っ掻くと、六、七本ほどの羽根が抜け飛んだ。
黒羽根は風に乗るように空中を泳いで整列し、黒い残像を残しながらこちらへ飛んで来る。
「――――ッ!」
脇腹に刺さるスレスレを、なんとか横に飛び込んで回避する。羽根たちは背後の水面に続々と突き刺さり、黒い水飛沫をあげる。
「回避したねェ……、正しい判断だ。
私の顕現『生まれてくるべきではなかった』は、私から生まれた負の思念を実体化させ、羽根や爪として形状記憶させる。 もし君がこれらに触れて、その皮膚に少しでも切り傷がつきでもしたら……、君は108種の病に蝕まれ、死に至るのだ。 さあ、人体実験ショーのスタートだ。 私は頭にキてるんだ、既に執刀準備は完了しているぞ『特例』ェッ!」