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――紅魔館地下大図書館。
吸血鬼『レミリア・スカーレット』を当主に擁する紅魔館の地下に存在する、幻想郷最大規模の図書施設である。
空間の拡張、固定によって実現した地下とは思えない異常な広さ、誰も全貌を把握出来ない程の蔵書量を特徴とする知の集積所だ。
静謐な空気と古書の香りに満たされたそこには、当主の親友である賢者とその使い魔たちが住んでいる。
賢者――『パチュリー・ノーレッジ』。
生粋の魔女であり多大な魔法の才能を持つ『知識と日陰の少女』。
彼女はその代償のように喘息と生活能力の欠如という不才を抱えていた。
また、読書と魔法の研究には集中力と繊細な気配りを見せる一方で、他の事に関してはいささか過ぎる無精の気も併せ持っていた。
魔女、魔法を嗜むものとしてはこの上なく優れていたがそれ以外はまるでダメな彼女は、そのダメ部分に幾度となく危うい目に遭わされ、時には命の危機にさえも瀕した。
幾度か死を予感したパチュリーはその欠点に殺される前に魔女としてそれへ立ち向かった。
自身に足りないものを補うべく使い魔を召喚、生活能力と無精を補う契約を交わしたのである。
呼ばれ、主従の誓いを交わしたものは、魔界より来た力の弱い悪魔だった。
赤く長い髪に金の瞳の悪魔。彼女は力の弱いところから安直に『小悪魔』の名を与えられ、生活能力のない無精な魔女の使い魔として図書館で生き始めた。
――それから幾許かの時が過ぎた。
パチュリーは甲斐甲斐しく世話を焼く小悪魔に頼りきり、その負荷を増やし続け、そして……限界を迎えた。
「仕事量が私のキャパシティを超えました。仕事の数を減らすか、人手を増やしてください」
図表で記した分析データを手に直談判へと踏み切った小悪魔へ、パチュリーは「どっちも嫌」と言い放ち要望を無碍に切り捨てた。
「そんな事をする暇があったら少しでも仕事したら」と加えて。
今までの働きを一顧だにせず交渉のテーブルを蹴ったパチュリーに対し、小悪魔はサボタージュと塩紅茶を主軸としたテロを敢行。
小悪魔に補われていた部分がごっそりと抜け落ち、パチュリーは再び現れた自分の欠点によってまたしても危機に陥った。
それだけでなく、小悪魔により豊かにされていた生活水準が急落、食事どころか喫茶すら覚束無くなり、自分が如何に小悪魔に依存していたか、そして彼女なしでは生きられないかを自覚するに至った。
交渉決裂から三日後、パチュリーは白旗を揚げて降伏。
全面的に小悪魔の要望を飲み、人員の増強――二人目の使い魔の召喚を行った。
縁が呼んだのか、パチュリーの召喚に応じたのは魔界で小悪魔の妹分だった小さな悪魔であった。
小悪魔を子供にしたような外見に、赤髪のショートカットと赤い瞳の悪魔。
彼女は外見から『子悪魔ここぁ』と名づけられ、それに合わせて小悪魔も『小悪魔こぁ』と名前を改められた。
要望通りに為された人員の増強によって、仕事量はこぁのキャパシティ内に収まるレベルまで軽減された。
……だが、まだ嵐のような問題が残っていた。
『紅霧異変』後、図書館へ通うようになった人間の魔法使い――『霧雨魔理沙』である。
パチュリーとの交渉を経て紅魔館を含む入館許可および図書貸し出し許可を得た魔理沙は、通常図書だけでは飽き足らずに持ち出し禁止図書をも”借りて”いくのだ。
契約外にも関わらず。強引に。力尽くで。それはもはや強奪だった。
微妙な利害関係のバランスと同業者としての仲間意識その他で最大の脅威であるパチュリーを封殺し、阻止を図るこぁ、ここぁを力で捻じ伏せて強奪を続ける魔理沙に、図書館の住人は頭を痛めた。
交渉による阻止は望めず、戦力では及ばない。
それでも小悪魔――図書館司書二人は諦めなかった。
戦力の差を戦術と魔道具で埋めようと努力し、試行錯誤を繰り返した。
しかしそれらは尽く失敗に終わり、司書は現状の戦力では魔理沙を撃破できないという結論を導き出すに至った。
そして、勝つためには対抗しうる実力を有する専属要員が必要不可欠であるとも。
紅魔館および交友範囲内に該当する人物を見つけられなかったパチュリーだったが、代わりに妙案を捻り出した。
対霧雨魔理沙を想定した戦闘使い魔の錬成である。
パチュリーはいくつかの貴重なマジックアイテムと小悪魔二人の血液を材料に、賢者の石を触媒および補助に用いて、錬成を敢行、こぁの出した『頑丈で強力で信頼性が高く、倒れた本棚を一人で起こせる程度の力持ち』という要求を満たす使い魔を作り上げた。
――赤髪に同色の瞳。頭と背中に悪魔の羽。そして鏃のような尻尾。……それはどうみても小悪魔だった。
材料に使われた血液によるものか、組成された使い魔は小悪魔二人を足したような姿をしていた。第三の小悪魔である。
「こぁ」と鳴くその使い魔は、三番目の小悪魔であるところから『小悪魔サード』とわかりやすく名付けられた。
サードは錬成時に与えられた情報からか、先の小悪魔二人を自分の姉と認識。『こぁ姉』、『ここぁ姉』となつき、二人も見目とは裏腹に幼いサードを妹として受け入れた。
かくして誕生した小悪魔三姉妹は『霧雨魔理沙ヤキ入れ作戦』を計画、立案し、実行に移した。
もともと打撃力不足により撃破できなかった相手である。
パチュリー・ノーレッジが技術の粋を凝らした打撃力を得た時点で勝利は確定していたと言えよう。
三姉妹はやってきた魔理沙をまんまとその術中に落とし込み、綿密に練った作戦通りに事を運んで、悲願であった独力での撃破に成功した。チームワークの勝利である。
その後、確保した魔理沙にきっちりとヤキを入れてその行動を改めさせ、紅魔館地下大図書館は不定期の強奪より解放された。
そうして平穏を取り戻した図書館で、賢者と使い魔たちは今日も日常を送っている。
小悪魔サードはニンジンが嫌いだった。
別段深い理由があるわけでもない。
初めて食べたときに、あの独特のくせがある味を受け入れられなかっただけである。
「うー……」
一度ついた苦手意識はなかなか消えない。特に食べ物に関しては。
ランチタイムが終わりを迎える頃の紅魔館地下大図書館、黒と白のローブを着た小悪魔サードは一七〇センチの長身を丸め、食卓と化したテーブルの上に鎮座する深皿とにらめっこしていた。
深皿にはカレールーのついた三センチ四方のニンジンが六つ、ぽつねんと転がっている。
他には米粒一つない。
どう見ても意図的に避けた食べ残しである。
今日のランチはカレーライスだった。
辛すぎない程度に利かされたスパイスが食欲をそそり、大きめに仕込まれた具が煮とけることなくゴロゴロと出てくる、そんなカレーライスである。
辛いものは苦手なサードだったが、このカレーは大層気に入り、お替りを繰り返して六人前ばかり平らげた。――ニンジン以外。
「食べなきゃダメですよ」
眉間にしわをよせてニンジンを睨むサードへ、姉の小悪魔こぁは静かに言った。
黒い司書服の上に白のエプロンを着けて後片付けをするその姿は、若奥さんか、歳の離れた妹を手一つで養う姉といった雰囲気をまとっていた。
割と後者はそのものである。
ちなみにエプロン姿から想像される通り、カレーは彼女の手製であった。
まこと、美味でございました。
「えぅ、ニンジン嫌いこぁ」
お替りを取りに寸胴鍋を向かう度、皿のニンジンを鍋へと戻していたサードだったが、ラスト一杯でその手は使えない。
つまり嫌いであろうと食べるしかない。
残して捨てようものなら後が怖い。
誰だって優しいお姉ちゃんにこっぴどく怒られるのはイヤである。
「おこちゃまだねぇ」
サードの対面で、もう一人の姉である子悪魔ここぁがからかいの色を多分に含んで嗤った。
こぁをダウンサイジングしたような彼女はサードより頭一つ分小さいが、立ち位置は次女である。
つまり末妹であるサードの姉上だ。
「ええぅ、ここぁ姉ぇ……」
「そんなのひょいひょいひょいって口に入れて一気に食べちゃえばいいじゃん。味感じる前に飲み込んじゃえばいいのよん」
人差し指を立てて振りつつ、ここぁ。
ちなみにこれは彼女が嫌いなピーマンを食する時に使うテである。
「く、口に入れるのもいやなのにそんなことできないこぁ。それにもぐもぐしたらぜってー味するこぁ」
「すぐに水がぶ飲みすりゃいいでしょ。ちったぁ我慢しれ」
「やぁーこぁー」
子供のように――といってもパチュリーが錬成したサードはいまだに生後一年未満なので実質子供のようなものなのだが――ニンジンを口にする事を拒む妹に、こぁは肩を竦めてため息をついた。
「パチュリー様からもなんとか言ってください」
呼びかけられ、食後に新聞を広げる父親よろしく上座で読書に耽っていたパチュリーは顔を上げた。
「嫌いなものを無理に食べる事はないわよ」
短く言って、再び読書に戻る。
「ってパチュリーご主人言ってるこぁ」
父親とも母親とも言える錬成者の言葉にこぁは盛大にため息をついた。
「つまりニンジン食べなくてもいいこぁー」とバンザイするサード。
こぁはサードに「いいから早く食べなさい」とプレッシャーをかけてキッチンへ消えた。
「好き嫌いぐらい別にいいじゃない」
ページを捲りつつパチュリーは言った。
パチュリーとて食物の好き嫌いで栄養摂取のバランスが崩れやすい事は知っている。
だがそれは別の手段で補えばいい。
ニンジン一種の栄養程度、他の食料からいくらでも補える。
しかし、こぁはそれを踏まえた上で納得しない。
『もし他に食べられる物が無かったらどうするんですか』というのが彼女の言い分である。
そんな状況が今の幻想郷で起こるとは考えづらい上に、そもそも妖怪である魔女や悪魔は人間とは飢えの仕組みが違う(付け加えると食事の意味も違う)。
仮にもし妖怪が飢えるような状況に陥ったとしたら、それこそ好き嫌いの有無など問題にならない。
人間の食料では食べても食べなくても大差がなくなってしまう。
だが、それでもこぁは言い分を曲げない。
『たとえ僅かだとしても確かな差が生まれるのは事実です。その僅かな差が命運を大きく分ける事だってあるんです』と。
実際にそういった体験をしてきたのでは、あるいは見てきたのではと思わせる真摯な顔でそう言われては口を噤まざるをえない。
屁理屈、小理屈ではあの表情には勝てないのだ。
――とはいえ、嫌いなものを口にするのはなかなかにキツいものがあるのもまた事実。
それに好き嫌いは理屈ではないことも珍しくない。
パチュリー自身もこぁとの好き嫌いを巡る攻防に苦労した口なので(パチュリーはナスが嫌いだった)、その点をよく分かっていた。
「へうぅ……」とサードが鳴く。
パチュリーは小さく肩をすくめた。
「ここぁ」
「ほいきた」
主の一声にここぁが動いた。
クロスの敷かれたテーブルに膝を載せて対面のサードへと身を乗り出す。
そして好き嫌いを咎めるこぁがいないうちに、皿のニンジンを口へと運びだした。
「パチュリーさまも……ん、あまいようで」
「同じ事を考えていた貴女も充分あまいわよ」
「こぁ……ありがと、こぁ」
「んみゅ。後であたしが困ったら助けるよーに。特にピーマン関係」
「私のナスもお願い」
「こぁ」
サードはこくりと頷いた。
ここぁは最後のニンジンを口に入れて、指についたカレーを舐め取るとサードへ顔を寄せた。
「こぁ?」
吐息が触れるほど近くに来た姉にサードが目をぱちくりさせる。
ニマ、と悪戯っぽく笑って、ここぁはサードの唇を奪った。
「んぐ!?」
逃げられないように頭を抱いて舌を送り込む。
唇を舐めて僅かな隙間を探り当て、ここぁは優しく大胆に侵入を果たした。
「ん……ふ……っ」
口腔へ他者が入ってくる感覚にサードが身震いする。
ここぁはさらに粘膜同士を絡めて身体の大きな妹の守りを蕩かしていく。
「ふぅ……んぅー……」
みるみる頬が上気し、長身から力が抜ける。
赤い瞳が緩み、潤んだ。
重なり合った唇の間から雫がこぼれて流れ、顎を伝って首筋へと落ちる。
頃合と見てここぁは次の段階へと進んだ。
潜らせた舌を戻し、頬に留めていたニンジンをその上に載せる。
「ふ、は……」
束の間の解放に口を開いて息をつくサード。
ここぁは経験がまだまだ足りない妹と再び唇を重ね……無防備の隙をついて最後のニンジンを送り込んだ。
「んんっ!?」
嫌いな食べ物を口移しで飲まされて、サードが拒否反応を起こす。
端的に言って吐こうとした。
だが唇を塞いだここぁがそれを許可しない。
それどころかさらに舌を侵入させてサードの口中でニンジンを解しに掛かる。
「んー! んーっ!」
よく煮込まれた野菜は舌の力でも容易く崩れ、小さくばらけていく。
加えてここぁは同時進行でサードの抵抗を挫いていった。
粘膜同士の交わりがもたらす快楽に幼いサードは抗えない。
ここぁは身体をさらに近づけて、サードに上を向かせた。
蕩けたサードはされるがままに頤を反らす。
「ん……ん、ふ……ぅう……」
口の中で細かく数を増やしたニンジンが、舌が絡み合ううちに溢れた唾液に乗って、喉の奥へと流れていく。
最後の一つはこうしてサードのお腹に収まった。
「んー……ん。……ぷは」
サードがニンジンを食べたのを舌で確認してここぁは唇を離した。
二人の唾液で濡れた唇を舐めて笑む。
「ごちそうさま。……って言わなきゃ、サード」
とろんと蕩けて惚けた妹の額を小突いて、小さな姉はさーど側へとテーブルを降りた。
「ふあ……ごちそ、さま、こぁ……」
「よし。じゃあ今度はお皿をこぁ姉のところに持ってく。ほれいけ」
「こぁー」
サードはふわふらとしながらスプーンを皿に載せてキッチンへと歩いていった。
空いた椅子に座ってここぁはその背中を見送り、上座へと目をやった。
「パチュリーさま、顔赤いですよん」
「……いきなり目の前で痴態を広げないでちょうだい」
「痴態じゃないですよん。ただの口移し。く、ち、う、つ、し」
ニマニマとからかいの笑みを浮かべて言うここぁに圧縮水弾を叩き込んで(ヘッドショットの一発にここぁは「へごわしゃあ」と昏倒した)、パチュリーは読書を再開した。
心持ち、本で顔を隠すようにして。
午後の仕事である書架整理と図書返還の手を止め、小悪魔こぁは金の瞳を伏せて深いため息をついた。
「……全く」
ため息の種はサードのニンジン嫌いである。
「あの娘にも困ったものです」
食べ物の好き嫌いは誰にでもある。こぁも生魚の類が苦手だ。
しかし、全く食べられないほどではない。必要とあれば食する程度に克服はしている。ここぁ、パチュリーも同様だ。
だがサードは食べようとすらしない。好き嫌い自体はともかく、頑固に手をつけようとしない事が問題だった。
食べさせるだけなら搦め手を使えば可能だが、それでは意味がない。
嫌いなものであると認識した上で食べられなければダメなのだ。そうでなくては、生き残れない。
「……分かっているんですけどね」
――そんな考えが時代遅れな事は。
今の幻想郷は過不足なく豊かで、こんな心配は殆どいらない。起こりえない物資の枯渇を想定しても無意味だ。
こぁもそれを理解はしている。しかしどうしても拭えない。呪いか祟りのように。
「全く……、困ったものです」
今度は自分のサガにため息をついた。そして気持ちを切り換え仕事を再開する。
「しかし、ニンジンの何がイヤなんでしょう?」
専門書の棚に紛れていた恋愛小説を仕事用エプロンのポケットに入れながらこぁは呟いた。
「グラッセにすれば食べるし、キャロットケーキも普通に食べるし……。嫌いな理由がわかりません」
恋愛小説と入れ替えに返却された専門書を戻してキチンと収める。
エプロンのポケットにそれぞれ格納した図書はあと八冊。
「野菜炒めはダメ。煮物もダメ。生も当然ダメで漬物もダメ」
独り言を続けながら手も動かす。
停滞遅滞の一切ないこぁの動きはプロのそれだった。
凄すぎて凄さが伝わらない類のものである。
「共通項が見当たりませんね。ニオイがダメならグラッセでもケーキでも気になるはずですし、味も当然……」
整頓を終えた本棚を後にこぁは次へと飛んだ。その間も思考と口を止めない。考え事を口に出してまとめるつもりらしかった。
「本人に聞いても『理屈じゃないこぁ』だし。困っちゃいますね」
困ってばかりである。
こぁが今考えているのは、サードが食べられないニンジンの条件だった。
どういった状態は食べられないのかを調べ、それを避けて調理して食卓に出す。
それを食べさせて少しずつニンジンに慣れさせていこうというハラだ。
問題はその条件が一向に分からないということである。グラッセは食べるくせにシチューもカレーもダメな辺り、わけが分からない。
ならばグラッセで慣れさせようとも考えたが、本人はキャロットグラッセをニンジン料理に類していない節があった。キャロットケーキも同様である。
どうも甘いもの、あるいはお菓子という分類にしているらしい。
――「それ、ニンジンですよ?」
――「甘いからおやつこぁー」
こんな按配である。そして他の調理法で作られたニンジン料理には手をつけない。
取っ掛かりとなる食べられない条件が分からないので手のつけようがなかった。
「……あの娘にもパチュリー様のようにするしかないんでしょうか」
こぁは静かにそう言った。
使い魔となってしばらく経ち、お互いに遠慮がなくなった頃の話だ。
当時のパチュリーは今のサード同様にナスを食べようとせず、正論、理屈、小理屈、屁理屈を捏ねて頑なに拒んでいた。取っ掛かりが一切ないところも同様で、こぁは同じく頭を抱えたものである。
しかし、こぁは主への思い故に”あらゆる”手段を取り、最終的にはパチュリーにナスを克服させる事に成功していた。
――今回も同じ手段に出るしかないのではなかろうか。
現在と過去の状況は概ね類似している。となれば通常の手段では前例同様に効果が挙げられないであろう事は想像に難くない。さらには似たような結果となる事が予想された。
だが逆にいえば、前回の解法を使えば問題を解決できる公算が高い。
前回は多大な労力を払った末に最終手段を投入して解決した。
労力の浪費を重ねた上での解決。これはいただけなかった。
ならば今回は初手から最終手段を投入する。最終だけに使えばほぼ確実に解決――嫌いな食べ物の克服――が見込まれる手段だ。
「だけどあのやり方は……」
――最終手段なだけに問題も存在するのだが。
こぁは次の本棚へ取り付き、整理を始めた。仕事をこなしながらも思考は止めずに継続する。その手の動きに陰りはない。まるで独立した別の生き物のようによく動いていた。
「でもあの娘の事を思うならやっぱり……でも、うーーん……」
連番通りに本を並べ、中間に空いた隙間へエプロンのポケットから出した一冊を差し込む。あと七冊。
こぁは悩みながら書架整頓を進めていった。それでもミスひとつない辺り、流石である。
――最後の一冊を押し込み、息をつく。
仕事の終了と共に、こぁは結論を出した。
「そうですよね。甘く接したためにいざって時に困る、じゃダメですよね。――うん。やっちゃいましょう。それがサードのためです」
自身に言い聞かせるように言って、こくりと頷きをひとつ。こぁは図書館の一角を後にした。
「ここぁは書架整理と図書返還、ついでに担当区画の対侵入者用罠のチェックを」
司書長相当の小悪魔こぁからそう午後の指示を受けて、子悪魔ここぁは”ついで”の方をメインに仕事を進めていた。
指示ガン無視な行動だが、本人曰く「最終的に終わってりゃどっちがついでかなんて関係ないね」とのこと。ちなみにこぁの方もここぁの行動をある程度折込済みで指示を出していたりする。
伊達に義姉妹関係なわけではない。
「対空地雷、異常なし。迎撃魔法陣、問題なし。散弾魔導書、正常。金ダライ、オッケー。水バケツ、仕込み上々」
仕掛けた罠の位置と状態を、脳内の配置図とスイッチでチェックしつつ、仕事用エプロンを着けたここぁは担当区画を歩いていく。
パチュリーに召喚されたここぁは、こぁの仕事を手伝う傍らで侵入者の撃退もしくは撃破を目的とした罠の類を設置していた。
彼女は悪魔でありながら力が弱く、さらに魔法を扱うのも苦手だった。
しかし、その代わりにからくりや機械仕掛けには強かった。その強みを活かすためにこういった罠の類などを使っているのである。
――罠に掛かって痛い目に遭うマヌケを見るのが大好き、というのもあるが。
「よし、トラップワークスは問題なしの正常稼動。敵性のアホが領域に踏み込んできたらばっくりやれるね」
悪戯っぽく笑ってここぁはシガレットチョコを口に咥えた。唇に挟み、喫煙するようにゆっくりと食べる。
「んじゃ残りをやりましょうかね」、と咥えチョコで気を入れ直して仕事に掛かろうとしたところで、
(またやったわねここぁ!)
突然きたパチュリーからの念話に耳をつんざかれそうになった。
「――あだだ……」
主従、姉妹間で使用できる念話は鼓膜で聞くわけではない。
そのはずなのだが、不思議な事に大きな声を受けると耳がキンとした。
(いきなりなんですのんパチュリーさま)
耳を弄りつつここぁは応答した。
(なんですの、じゃない。また人の飲み物に悪戯したわね)
腹立ちの色が聞いて取れる声。主の怒りを念話越しに感じてもここぁはけろりとしていた。
(ええー? 悪戯なんてしてないですよん)
(嘘おっしゃい。コーヒーに塩入れるのなんてアンタしかいないわ)
(いやいや、さすがはパチュリーさま。その読みは正解です。しかし誤解がございます)
何故ならこれは折込済みだからだ。面の皮がいささか厚いのもあるが。
(誤解?)
(コーヒーに塩を入れる、それを悪戯と決めるのは早計ですよん)
(……どういうこと?)
食いついた、とここぁはほくそ笑む。
(おや、知識人ともあろう方がご存知ない? 外の世界ではコーヒーに塩を入れるのがトレンディなんですのよ)
念話の向こうでパチュリーが息を呑む気配。
(そ、そうだったの)
パチュリーの声に、ここぁは見えないのをいい事に舌を出した。意外とミーハーな主はまんまと策に引っかかってくれたらしい。
(そうなんですよ。その塩気がもたらすコクと苦味のハーモニーが外の世界でバカ受けです。……納得いただけました?)
(……ええ。邪魔して悪かったわね)
それで念話は終了した。
きっかり三秒の後、ここぁはお腹を抱えて笑い出した。悪戯成功である。
――パチュリーのコーヒーに塩を仕込み、怒鳴り込んできた所に「最近の流行」と嘘を仕込む。
策士ここぁの想定通りに事は運んだ。
おそらくパチュリーはこの後、折に触れて「コーヒーには塩を入れるのが外の流行」とレミリアやメイド長『十六夜咲夜』にひけらかすだろう。それが間違っているとは思いもせず……。
「くくくっ、間違ってると知ってるのはあたしだけ。くくくふふふふふふふ……」
そしてひけらかされた二人もさらにそれを周りにひけらかし、周りがさらに……と連鎖的に広がっていく。
塩コーヒーにしょっぱい顔をしながらも、流行ってるからと飲む人々。
真実を知っている自分はその光景を見て内心でほくそ笑み、楽しむのだ。
ここぁはその日に思いを馳せてニヤニヤ笑いながら残りの仕事に取り掛かった。
三日後、妖怪の山は守矢神社の風祝が「え? そんなの流行ってませんでしたよ?」の一言であっさり真相がバレ、お仕置き部屋へ引きずり込まれるのだが……それはまた別の話。
「サードはこのまえ妹様と壊滅させた区画の復旧を。本の運び出しは済んでますから、本棚を戻しておいてください。終わったら毛玉の掃除に掛かってくださいね」
こぁからの指示に従って、小悪魔さーどは怪獣が去った都市部のように荒れ果てた一区画で仕事に励んでいた。
半ば焦土化したこの一角は、度々図書館へ遊びに来る悪魔の妹『フランドール・スカーレット』がスペルをぶっ放した結果である。
サードを相手に鬼ごっこを繰り広げ、捕まえられずに癇癪を起こして一発派手にドカンとやったのであった。
「なんでわたしがあの赤ちっこいのの後始末しなきゃいけないこぁ」
理不尽こぁ、とサードは渋面で復旧作業をしていた。しかし理不尽なのも世の中である。
「こっこぁー……しょ」
間の抜けた掛け声とともに倒れた本棚を起こす。
さらに持ち上げて、林立する周囲の本棚と位置を合わせて下ろす。
ずんと音を立てて定位置に復帰した本棚に、サードは満足げに頷いた。
ちなみに地下大図書館の本棚は施設の大きさに比例して非常に巨大なものとなっている。
それは名前から連想されるサイズの上限を遥かに超越し、壁か建物かといった按配だ。
それだけ大きければ、当然のように――重い。
さらに丈夫な木材を用いたしっかりした作りのものとなればかなりの重量になる。
「よっこぁー……しょ」
だがサードはその細腕で軽々と本棚を持ち上げていた。とんでもない馬鹿力である。
「えぃやー……しょ」
粉塵を巻き上げながら次々に本棚を起こす。
数箇所を立て直して定位置を把握したのか、サードは流れ作業さながらのペースで本棚の森林を復活させていった。
焦土化した区画が、瞬く間に見た目だけ復旧していく。
作業量が半ばを過ぎてもサードの動きには疲労の色はいささかも見えなかった。
優秀な馬鹿力と同様に信じがたい馬鹿体力も備えているらしい。
「はぁなー……しょ。……こぁ?」
四割がた復旧させたところで、サードは周囲に『毛玉』が群れで出現していることに気がついた。
遠巻きに包囲されている。本棚起こしに集中して、周囲への意識がおろそかになっていたらしい。
魔導書の類による影響で魔力が豊富な図書館には化生が発生しやすかった。
毛埃の化生と推察されるも正体不明な毛玉や、魔導書そのものが変質した怪物などがその代表である。
発生初期段階では弱いので、図書館ではこの間に駆除することが推奨されている。
だがいかんせん地下大図書館は広かった。
そのためにどうしても監視が行き届かず、奥まった区画、死角となる場所で強力になったり数を増やしたりすることも多い。
こうして強くなる、数を増やすなどして、その場の養分(この場合は魔力など)では不足してくると、化生はその補填に動き出すのだ。
それは往々にして他者への捕食活動という形で現れる。
毛玉は捕食活動を行わない一方で群れを成して巣を作り、近づく他者へ攻撃する傾向があった。
サードを囲んでいるのもそうした一群だ。
悪魔の妹により壊滅した区画に住み着き、その魔力の残滓で養分を摂っていたのだろう。
視界を巡らせ、サードは自分が立体的に包囲されている事を把握した。
余りいい状況ではない。毛玉一匹一匹の脅威レベルは低いが、数が揃えば話は変わってくる。
一斉に弾幕を展開されればそれは脅威となる。
「本棚戻し、終わってないけど、毛玉掃除に掛かるこぁ」
短く言ってさーどは地を蹴った。最も近くにいた毛玉へ素早く接近し、拳で一撃する。
超重量の本棚を持ち上げる腕力での無造作な攻撃に、毛玉はたやすく破砕された。
パンと弾けて塵と消える。
サードはそのまま進み、手足の届く範囲にいた毛玉を次々と粉砕していく、そこから包囲を突破するつもりだ。
毛玉たちは慌てたように一斉に3WAYの弾幕を展開する。
立体的な包囲から放たれる立体的な弾幕、数と合わせてそれはサードにとって脅威となった。
――ほんの少しだけの。
「おせえこぁ」
後方に一瞥をくれて床を蹴って飛ぶ。
数を失った正面からの薄い弾幕を避けて、サードは包囲を抜けた。
急上昇を掛け高度を取って振り向き、後方から迫った弾幕を回避する。
対霧雨魔理沙を想定してパチュリー・ノーレッジが造った戦闘小悪魔は、毛玉の群れごときに劣ったりはしない。危うげなく避けきり、反撃に出る。
「まとめて仕留めてやるこぁー」
サードは背の翼、そして両腕に左右に広げた。大見得を切るその翼下に六つの白い魔力が現れて形を成す。
「ふぉっくすすりー!」
光の矢へと姿を変えた魔力は、サードの攻撃の意志とコールを持って毛玉群へと飛び込んでいった。
小悪魔さーどが遠距離攻撃手段『フェニックス』である。
パチュリーがサードを錬成する際に使った材料に同名のものがあるが、関係は定かではない。
六発のフェニックスは毛玉群の内へ入り込むとそれぞれに炸裂、魔力爆発と破片を撒き散らす。
魔理沙のマジックナパームを参考にしたこの飛び道具は、同様に高い威力と広い攻撃範囲を有していた。
広域攻撃、毛玉駆除にはもってこいである。
フェニックスの有効範囲内にいた毛玉は例外なく爆発と破片を受けて盛大に弾けていった。
敵性反応なし。脅威レベルゼロ。――毛玉掃除完了。
「こぁははは。こーんなもんこぁ」と腕を組んで得意げに笑うサード。
しかし油断大敵とはよくいったもので、
「へぷしゃるっ」
一体の放っていた撃ち返し弾に頭を引っ叩かれて墜落した。
いかんせんまだまだアマちゃんなのであった。
夕食後、こぁは部屋に戻ろうとするここぁを呼び止めた。
手招きして近くへ来させ、とがった耳に唇を寄せて、小さく何事かを囁く。
ここぁは聞き耳を立てて、ふんふんと頷き、にまぁ、とその顔を歪めた。悪魔らしく、いやらしい笑い。
「おっけ、協力する。おねーちゃんなら姉らしいことしないとね、うん。……くぅふふふふふふ」
「じゃ、お風呂入ってからまた」と、ここぁはひらひら手を振って歩いていった。楽しみらしく、スカートの裾から覗く尻尾が踊っている。
「さてと……」
こぁは妹を見送ってキッチンへと足を向けた。
床下の収納スペースを開けて、木箱に納めた食材を二つほど取り出す。
「あの娘の好き嫌いも、今日限りですね」
取り出した食材を水洗いしながら、小悪魔こぁは小さくそうつぶやいた。楽しそうな表情で。
お勤めを終えて夕食を済ませたサードはシャワーを浴びて汚れと疲れを落とし、湯上がりに着替えを引っ掛けて自室へ戻ってきた。
後ろ手にドアを閉めるやパイプベッドにダイブ。マットレスと布団の上にうにゃんうにゃんと寝転んで一息。今は本を読んでいた。
「『どんな投下だって構いやしない、これが最後のチャンスだ!』……こぁ」
こくこくと首肯してサードはページを捲る。
袖が手首まで来ていない白のブラウスと、飾り気のない白いショーツ。
この二つだけを纏ってサードはくつろいでいた。
ブラウスの裾から引き締まった脚がすらりと伸びている。
戦闘及び力仕事を主目的として作成されたためか、張りのある筋肉がたくましさを感じさせる脚線だった。
サードは次のページに目を走らせて(しかしそのスピードは歩く程度のものだったが)読み解き、深く頷いた。
「みずからを危険にさらしてでもなすべきことをなす。……こぁ」
『為すべき事を為す』
それはサードにとって重要なファクターだった。
自身の有り様――『有事の際には身体を張って、――それこそ必要があれば盾となって――戦う』――に繋がるものを感じるのだ。
故に読んでいて心地よい。
……例え為すべき事を為した登場人物が次々に死んでしまう物語であっても。
パチュリーとは対照的な読書速度で最後の一ページまで読み終えて、サードは本を閉じた。手を伸ばしてサイドテーブルへ置き、仰向けに寝転がった。
「こぁー……」
天井を眺めてなんとはなく息を吐く。寝るには眠気がなく何かするにはその気がない。
「こぁー」
もう一鳴き。
何か本でも読もうかと身体を起こしたところでドアがノックされた。来客らしい。よっこらせとサードは身を起こした。
「カギは開いてるこぁ」
ノブが捻られドアが開く。来訪者は姉二人だった。
蒼いパジャマを着たこぁと緑のシャツにホットパンツを着たここぁである。なぜか二人とも両手を背に回していた。
「うや、こぁ姉ここぁ姉。なんか用こぁ?」
「ええ、ちょっと」
「うん、ちょっと」
「こぁ?」
サードは伸ばしていた脚を畳んだ。足の裏を合わせて組み、両手でまとめる。ショーツ一枚の無防備な開脚を気にする様子はない。
「入っていいですか?」
「いいこぁ」
こく、と首を縦に振るさーどに姉二人は部屋へ入った。後ろ手にドアを閉めてベッドの両サイドへと進み、サードの左右につく。
「こぁ?」
両翼を姉に挟まれた妹は不思議そうに見上げ、首をめぐらせた。どちらの顔もどこか楽しそうに見えた。何故かは分からない。
「サード、ちょっと仰向けになって」
「なんでこぁ?」
「いーから。仰向けになったらバンザイして」
頭にハテナを浮かべながらサードはここぁに言われるがまま仰向けになった。続けて両手を挙げる。
「うん。いい娘だ」
ちょーっと馬鹿だけど、そう言ってここぁは背に持っていた手錠を掛けた。手首の冷たい感触にぎょっとした時にはもう遅い。
サードは手錠一本でベッドの格子に括られていた。
「こっ、ここぁ姉なにするこぁ!」
「いやあ、こぁ姉がアンタのニンジン嫌いを直すって言うからそれのお手伝いを」
ニンジンと聞いてサードの動きが、ひき、と固まる。
「に、ニンジン……?」
「そ。ニンジン」
恐る恐る聞いたサードとは対照的に楽しそうに言うここぁ。その手には既に橙色のあんちくしょうが居た。
よもや自分の部屋にやってこようとは。
「みゃーっ!」
さーどは悲鳴を上げて拘束を解きに掛かった。このままでは抵抗できぬまま口の中に無理矢理ニンジンを突っ込まれかねない。
打たれた手錠を力任せに左右へ引っ張り、サードは鎖を千切ろうとする。戦闘小悪魔の馬鹿力に引っ張られた鎖はたちまちのうちに悲鳴を上げ始めた。
「んぎぎぎぎぎ」と唸って力を込めるさーど。手錠が弾けるのも時間の問題かと思われた。
「こらこらサード。ダメですよ」
それを優しげなこぁの声がやんわりと制止する。
しかしニンジン強制摂取が掛かっているサードは構わず力を込めた。外さなければ不味い事になるのだ。二重の意味で。
「ひゃぅ!?」
だが首筋を撫ぜるこぁの手に力が抜けた。敏感な場所を羽毛でくすぐるようにされてはたまらない。
「ダメですよ、暴れちゃ」
こぁは優しく諭すように言って、慣れた手つきでサードの首に革の輪を締めた。犬や猫、猛獣にそうするように。
そして首輪を着けられた途端、サードはその怪力が発揮できなくなった。今にも弾けそうな音を立てていた鎖がぴたりと鳴り止む。
「こ、こぁ? こぁ?」
サードは二度三度と再び鎖を引っ張るものの軋む音は立たず、金属同士の擦れる音しか聞こえない。
「こぁ姉! 何したこぁ!」
「封印ですよ。サード」
答えたこぁの手にも、オレンジ色のヤツが居た。こぁは目を細め、常とは裏腹の妖艶さでソレを舐め上げる。
「貴女のパワーと魔力はその首輪で封じちゃいました。ああ、力任せに解こうとしても無駄ですよ。作ったパチュリー様だって解除出来ない代物ですから」
言って、濡れたニンジンでサードの頬をひたひた撫でた。
「や、ぁ……」
顔を背けるサードに、逆からここぁのニンジンが迫った。唇に触れ、その中へと入ろうとする。サードは頭を振ってそれから逃れ、こぁのニンジンに首筋を撫ぜられた。濡れた硬いものが這う感覚に肌が戦慄する。
「ニンジンが嫌いなサードにはまず身体からニンジンが好きになってもらおうと思いまして」
言葉を紡ぎつつこぁはニンジンでサードの身体に触れていく。首筋を撫でたオレンジ色は第二ボタンまで空けられた胸元へと続き、ブラウスの下へと潜っていく。
「ひゃ……! や、あ……!」
反射的にサードは脚を閉じた。身体を守ろうとしたのか、あるいは――。
その閉じた脚の上をここぁの橙色がなぞる様に動く。くすぐったさとは別の感覚がそこから全身へ流れた。
「ん……っ!」
サードが噛み殺した声で小さく鳴く。ここぁは小悪魔らしい笑みを浮かべて続行する。
「身体が受け入れてしまえば、頭が受け入れるのも容易いと思うんですよ」
ブラウスのボタンを外してニンジンの進路を拓きながら、こぁ。胸のふくらみの間を抜けて、鳩尾を進み、臍の窪みへ先端で触れて、橙色は行く。
サードは身を震わせて声を噛み殺し、答えない。
「ね。だから、受け入れて……好きになっちゃいましょうよ」
尖った耳に囁いて、こぁはショーツの縁へ触れたニンジンをさらに進めた。
「いや、こぁ……」
しかしサードは身を捩って儚い抵抗を見せた。ベッドの格子と手錠が小さく鎖鳴りの音を立てる。
「もう。しょうがない娘ですね」
「んぅ……っ!」
慈しむように言ってこぁはサードと唇を重ねた。――それで完全に詰んだ。サードの身体から抵抗の力が失われる。
とろりと糸を引いて、唇が離れていく。
「あ……あー……」
吸精と催淫の効果を持つ小悪魔の口づけを受けて、サードは喘いだ。身体が……熱い。
「パチュリー様のときもこうしたんですよ。ふふ、親娘揃ってって事になるのかしら?」
「あは。サードったら、いい顔しちゃって」
毒がまわっていくように歪んで揺れる視界で、こぁが、覗き込んできたここぁが、ワラう……。
――暗転。
不意に背筋へ悪寒が走り、パチュリーは一人きりの書斎で身を竦めた。
何かろくでもないものが入り込んだかと、卓上のランプでは払い切れない闇へ目を走らせる。
悪くなりつつあるパチュリーの目だったが、書斎を見通す程度はまだできた。――闇の中におかしなものは見当たらない。異常はない。
夜半、静寂、一人きり。
いつもの状態。
しかしパチュリーは落ち着かなかった。背中に言い様のない悪寒の残滓が残っていたからだ。読みかけの本を置いて自身を抱き、暖めるようにさする。だが悪寒の残りは去っていかない。
それどころか昼間のさーどとニンジンを巡るやりとりと合わせて、過去の苦い記憶を連れてきた。
――小悪魔、自分、ベッド、首輪、嫌いなナス。
フラッシュバックした記憶が肌を粟立たせる。
「く、ぅん……!」
その感覚にパチュリーは小さく声をたてた。
仄かに艶の混じったそれを聞いた者は居ない。――当事者以外。
「やだ……」
顔を赤らめてパチュリーは腕を枕に机へ伏せた。
「……ぅー」
細い腕の奥で恥ずかさにうめく。
「なんで、こういう記憶って忘れられないのかしら……」
それはこぁを召喚してしばらく経った頃の記憶。
ナスを嫌い、口にする事を拒むパチュリーに対してこぁが凶行に及んだのである。
パチュリーが戯れに作った能力封印の首輪を密かに持ち出して、眠りに就こうとしていたパチュリーを強襲。首輪を掛けて魔法を封じ、外見相応の少女と化したパチュリーに対し、快楽という飴を用いて教育(あるいは調教ともいう)を行ったのだ。
こぁは正体がサキュバスであることもあって(ちなみにここぁも同様である)、パチュリーに恐ろしいまでの快楽をもたらした。それはもう、瞬く間に腰が砕け心身ともに抵抗を諦めるほどに。
そして、快楽も過ぎれば苦痛に変わる事をパチュリーは身をもって味わった。
頭の中が白く染まっていくあの感覚を断続的に、長時間与えられるのだ。過ぎて苦痛となった快楽を延々与えられるのはもはや拷問だった。パチュリーの出自を考えれば魔女裁判とも言える。
身体が意に反して水溜りを作ったときにはもう『殺される』とさえ思った。
実際は「これからはちゃんと食べてくださいね」と脅迫めいた状況での一言を最後に解放されたのだが。
「…………やだ……」
思い起こした記憶が火口となってパチュリーの身体を燻らせた。机に伏せたまま身を抱き、点った火を意思で消そうとする。
「くぅ……」
だが、できなかった。火は瞬く間に燃え広がり、パチュリーの体温を上げていく。
もともと燃料は用意されていたのだ。後は火種が入ればそれだけで燃え上がる。
「ふぅ、んっ……」
ぞくんと身体が跳ね、その瞬間にパチュリーは鎮火を諦めた。
はあぁ、と熱い息を吐き、明かりを消す。そして、ふらつきながらベッドへと倒れ込み、身体を熱に委ねていった。
――翌日。
「ニンジンはイヤニンジンはイヤニンジン怖いニンジン怖い……」
瞳から光の消えたサードがニンジンに対しての拒絶と恐怖を口から垂れ流していた。
「……やり過ぎました」
「同じく……」
「……トラウマにしてどうするのよ……」
苦笑を浮かべて報告するこぁとここぁにパチュリーは顔を押さえて盛大にため息をついた。
さーどのニンジン嫌いは直る事なく、それどころか弱点として通用するレベルになってしまった。
世の中、下手にどうこうしない方がいいものもあるということである。
「ああああソッチダメこぁそっちむりこぁいあぁぁ死んじゃうこぁぁぁ……」
――何をされた。