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突如、謁見の間に悲鳴が響き渡った。
何が起きたのかを確かめようとネストが駆け戻ると、そこに広がっていたのは悪夢そのものだった。
謁見の間の扉は大きく開かれ、そこに立っていたのはバイスとヒルバーク。そして、その背後に――ゆらりと揺らめく漆黒の影は、リリーを抱えたスケルトンロードだ。
その姿はまるで死神が、王の娘を迎えに来たかのよう。
周囲の空気が凍りつき、貴族たちは無意識のうちに道を開ける。法衣に包まれた骸骨が赤い絨毯の上を一歩進むたび、乾いた骨の軋みが静寂の中に不気味な旋律を奏でた。
「ヒルバーク! 貴様血迷ったか!?」
「陛下! 恐れながら申し上げます! この者は敵ではございません」
スケルトンロードがリリーを優しく降ろすと、アドウェールに対し、ゆっくりと膝を折る。
「ごきげんよう、スタッグの王よ。この姿で会うのは三百年ぶりだな……」
力のある者が王に跪く。目を疑う光景に驚きを隠せない貴族たち。
それは国王であるアドウェールも同様だ。スケルトンロードの言っていることが理解できない。
「敵でないなら、まずはリリーをこちらへ……」
「それは出来ない相談だ。王女を放せば、君達は私を排除しようとするだろう? 言葉は悪いが人質だと思ってくれたまえ」
近衛兵達は王から付かず離れずの距離を取りつつも、スケルトンロードを取り囲み、鋭い槍を突き立てようとその隙を窺っている。
「わ、私は大丈夫です。それよりもお父様、この者の話を、どうかお聞きくださいませ」
リリーの表情は、こわばっていた。恐怖に支配されているのは明らかだったが――それでも、彼女は逃げようとはしなかった。
怯えに震えながらも足を踏みとどめ、自らの意志でその隣に立ち続けていたのだ。
「……何が望みだ」
「望み? 何か勘違いをしているようだが、我は何も望まない。預かり物を返しに来た、それだけだ。今日は|曝涼《ばくりょう》式典なのだろう?」
スケルトンロードが立ち上がり外套の裏に手を回すと、そこから取り出したのは深緑色装丁をした一冊の書籍。
それを天高く掲げ、宣言したのだ。
「アンカースに名を連ねる者よ! 今こそこれをお返ししよう。盟友バルザックとの約束を果たす時が来たのだ!」
それに視線が集まるのは必然。その中で最も驚きを隠せなかったのはネストだろう。
スケルトンロードが掲げたそれは三百年前の国宝たる魔法書。しかし、それは焼失しているのだ。
本物のはずがないと頭では否定しているのに、ネストは藁をも掴む思いでそれに縋りついた。
警戒もせずふらふらと覚束ない足取りでスケルトンロードへと歩み寄り、何も言わずに差し出された魔法書を受け取る。
あとはそれを開くだけ。それだけで真贋を見極めることができるのに、その勇気が出ない。
「ネスト……。私を信じて……」
スケルトンロードの脇に立つリリーから僅かばかりに漏れた声。
それに小さく頷き覚悟を決めると、ネストは魔法書をゆっくりと開いた。
しっかりと確認するかのように目を走らせ、それは徐々に速度を上げていく。
捲れば捲るほどに疑いようがなくなり、それは確信へと変わっていった。
(嘘……嘘だ……。なんで……。燃えてしまったはずなのに……。ここにあるはずがないのに……)
そして巻末には、著者:バルザック・フォン・アンカースと力強くその名が綴られていたのである。
ネストから溢れ出る涙は、それが本物だということを物語っていたのだ。
「嘘だ! その魔法書は燃えたはず! 偽物だ!!」
声を荒げたのはブラバ卿。それが本物ではないことを知っているからこその言動である。
「……燃えた? 燃えただと!? なぜ、貴様がそれを知っている!?」
スケルトンロードと目が合うと、ブラバ卿はそこから視線を外せなくなった。
自ら墓穴を掘ってしまった事に気が付き、言い訳をしようにも上手く頭が回らない。
鋭い視線から感じるのは明確な殺意。それは恐怖以外の感情を封じられてしまったのかと思うほど。
誰かの影に隠れようにも、護衛を含めすでにブラバ卿の周りには誰もいない。
呼吸困難になりそうなほどの畏怖を覚え、ブラバ卿は過呼吸で気絶する寸前だ。
「確かにこれは燃えたはず……。なんで……なんであなたがこれを持っているの!?」
「……バルザックとの約束だ。それ以上の理由が必要なのか?」
「それは……」
魔法書が返ってきたのだ。それで十分。理由なぞ必要ない。……ないのだが、ネストはどうしても納得がいかなかった。
スケルトンロードの言っていることが正しいと思えるだけの根拠が欲しかったのだ。
「ふむ……そうだな……。アストロラーベに隠された手紙の答え。それを墓に手向けてやれば、自ずと理解出来るだろう」
スケルトンロードから発せられたその言葉に、ネストは耳を疑った。
それはバルザックが託した秘めたる想い。アンカース家の者にしか知り得ない秘密であったのだ。
ネストはそれだけで、全てを信じることが出来たのである。
放心してしまったかのように力なく地面へと座り込むネスト。ようやく念願の魔法書が手に入ったという実感が湧きあがり、胸がいっぱいになった。
「……ありがとう……ございます……」
魔法書を抱き抱え、大粒の涙をボロボロと流しながらもネストは震える声を絞り出した。
「すまなかったな。王女よ」
スケルトンロードに背中を押され、リリーはネストを抱きしめる。
その涙の意味を知る者の一人として、喜びと感動を分かち合う為に……。
「人質を解放したぞ! 今だ! 殺れ! 近衛兵!」
今が好機とばかりにブラバ卿が号令を下す。
確かに隙だらけだった。しかし、泣き崩れるネストとリリーを前にして、それに従おうとする者は誰一人としていなかった。
「なぜ、誰も動かんのだ!!」
スケルトンロードは再度ブラバ卿へと視線を向けた。
「そうだ、人質で思い出したぞ。最近お前に世話になったという死者がいてな。話があるようだから、呼び出してやろう」
スケルトンロードが取り出したのは、人間の頭蓋骨。
それを無造作に放り投げると、床をコロコロと転がり、ブラバ卿の目の前で止まる。
「【|死者蘇生《アニメイトデッド》】」
ロードの言葉に、重く沈んだ空気の中、頭蓋骨が淡く光を帯び始めた。
それを中心に広がる魔法陣。低く唸るような音が響き、空気がざらつく。
見えぬ手が触れるよう闇の中から黒い靄が流れ込み、頭蓋骨を包み込む。それはまるで生き物のように蠢き、次第に輪郭を変えていく。
やがてそれが人の形を成すと、空気を押しのけるような輝きの後、虚ろな瞳がわずかに開き、冷たい視線が周囲を見渡す。
焦点の定まらぬ瞳がブラバ卿を捉えると、その目が見開かれ、狂気にも似た光を宿した。
「ブラバ卿! 貴様嘘をついたな! 相手にするのはゴールドの冒険者が二人だけだと言ったではないか! あんなものがいるとは聞いてないぞ!!」
「ぺ……ペライス……。貴様は死んだはずだ! なぜ!?」
ブラバ卿の表情は信じられないものでも見るかのように、顔面蒼白。ガタガタと震え後退る。
ヒルバークは、よみがえった男の顔を見て思い出した。
「……リリー様を人質にとった悪漢ではないか!」
「なんだと!? それはまことか!?」
アドウェールに、無言で頷いたのはリリー本人。
そう、この男はコット村から王都スタッグへとの移動中に襲ってきたゴロツキ達のリーダーだった騎士風の男。
リリーを人質に取り、挙句カガリに殺された者である。
「貴様の所為で俺は殺されたんだ! その恨み、ここで晴らしてやる!!」
よみがえった男は近くの貴族の護衛に駆け寄ると、腰のショートソードを奪い、ブラバ卿に向かってそれを振り上げた。
「死ねぇぇぇぇぇぇ!!」
「ひぃぃぃぃ!」
あまりの迫力に腰が抜け、ぺたりと座り込むブラバ卿。
その剣がブラバ卿の頭を割る瞬間だった。
「【|呪縛《カースバインド》】」
無数の暗黒の鎖が、激昂する男を束縛する。
「くッ!? なぜだ! 死の王! 俺の恨みを晴らすためによみがえらせてくれたのではないのか!?」
「言いたい事があるからと言ったのは貴様だ。殺しを許可した覚えはない。時と場を弁えろ。ここは王の間だ。例え自分の城ではないとて、そこを血で汚すのは許さん。ここではない別の場所で機会を作ってやる。そこで存分に殺すがいい」
激しく暴れていた男はそれを聞くと、大人しくなった。
そして恨みを込めてブラバ卿へと言い放つ。その眼光には、スケルトンロードに勝るとも劣らない憎悪が込められていたのだ。
「いずれお前を殺してやる! 覚悟しておけ! 絶対にだ!!」
そう言うと男は暗黒の鎖と共に灰となり、持っていたショートソードは音を立て地面へと落ちた。
情けなくもブラバ卿の震えは止まらない。そこに向けられるアドウェールの表情は怒りに満ちていたのである。
スケルトンロードはリリーに跪くと、派閥の証である指輪をリリーの小さな掌に置いた。
「王女よ。これはもう俺には必要ない。ここでお返ししよう」
それは耳打ちでもするかのような小さな声。
顔を上げたリリーが僅かながらに口を開くも、スケルトンロードはそれをかき消すかのように声を張り上げ立ち上がる。
「我が目的は成就した! さらばだスタッグの王よ。もう会うこともないだろう。式典を続けるがいい」
その言葉と共にスケルトンロードは塵と消え、それと同時に外にいたアンデッドの大群も消え去った。
目下の脅威は去り、残されたのは派閥の証と一つの頭蓋骨だけ。
式典なんて続けられる空気じゃないと誰もが思っていたが、皆それを口には出さなかった。
その後、ネストは王へと魔法書を返還し、曝涼式典は無事、閉幕を迎えたのである。