テラーノベル
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リョーカが眠りにつき、再び涼ちゃんに意識が戻った夜中、急に呻き声を上げた。
彼が何にうなされているか、俺は察しがついた。おそらくは、『リョーカが生まれた時』の記憶ではないか。それは、リョーカだけが囚われていた記憶。それが、涼ちゃんにまで襲って来ているということは…。
リョーカと涼ちゃんの、人格統合が始まっている…?
俺は、涼ちゃんを抱きしめたまま、朝を迎えた。自分が眠ったのかどうか、定かではない。ただ、頭の中にずっとひとつの仮説が蔓延っていた。
人格統合が始まっているとしたら、その内にリョーカが消えてしまう…いや、涼ちゃんと統合されるのだから、完全に消えるとは言わないのかもしれないが、一個の人格としては、確かに消滅してしまうのかもしれない。
しかし、こんなに簡単に、そして自然に、人格統合なんて出来るのだろうか。精神科医の治療の元、正しく行うべきではないのか。
そもそも、まだ涼ちゃんは自分の中の別人格と向き合うことすらしていないのに。やはり、このままの状態は危険すぎるのかもしれない。
「…おはよ、元貴。」
涼ちゃんが、俺の腕の中から顔を出した。俺は先程まであれこれと思案していたことを悟られまいと、笑顔を作る。
「おはよう、涼ちゃん。」
「あれ…いつの間にか僕がハグされてる…。」
恥ずかしそうに、へへ、と笑う。俺は涼ちゃんのおでこにキスをした。涼ちゃんは嬉しそうにはにかんで、俺の腕の中でモゾモゾと擦り寄って来た。
「…なんか、せっかくいい夜だったのに、変な夢見ちゃった…。」
涼ちゃんが俺の腕の中でくぐもった声を出す。俺はドキッとした。例の、記憶の夢だろうか…。
「…怖い夢?」
「…うん、たぶん…怖かった。でも…。」
「ん?」
「…途中からは、………元貴とちょっと…えっちな夢…。」
俺は息を呑んだ。まさか、昨日のリョーカとの事も…。
「…引かないでよぉ…。」
顔を赤くして、涼ちゃんが見上げる。
「引くわけないじゃん!」
俺は慌てて涼ちゃんを抱きしめる。涼ちゃんは、背中に手を回して、キュッと俺の服を掴んだ。
俺は涼ちゃんの耳元に口を近づけてポソッと揶揄った。
「涼ちゃんのえっち。」
も〜!と涼ちゃんが脇腹を叩いて来た。
「あれぇ〜、そういえばスマホどこやったっけ?」
朝の準備を済ませていると、涼ちゃんが部屋の中を探している。
鳴らそうか?と俺のスマホを取ると、ちょうど着信が入った。画面には、『若井滉斗』の文字。
「もしもし?」
『…涼ちゃんいる?』
「いるよ、代わる?」
『…うん。』
涼ちゃんに向けてスマホを差し出し、若井から、と伝えた。涼ちゃんは、あっ、という顔をして、スマホを取る。
「もしもし?」
「うん、ごめん、昨日泊まるって連絡してなかったよね。ごめんごめん。」
「え!そーなの?あー、じゃあ今日レッスン室に持ってきてくんない?」
「はーい、ありがとー。」
「ん?…あ、元貴ね、はーい。」
元貴に代わってだって、と涼ちゃんはスマホを差し出す。
「もしもし。」
『涼ちゃん、スマホ家に忘れてるから、後で渡すわ。』
「あ、そーなんだ。さっき無い無いって探してたよ。」
『…』
「もしもし?」
『今日、ちょっと時間もらえる?レッスンの後。』
「俺?」
『うん、2人でちょっと。』
「わかった。」
通話を切ると、涼ちゃんの視線を感じた。
「なに?」
「元貴、手首なんか赤いよ?」
スマホを差し出した時に袖口から覗いたのか、昨日リョーカに強く掴まれた両手が赤くなっていた。
「ああ、昨日なんか痒くて結構かいちゃったかも。」
「大丈夫?なんか塗った方がいいんじゃない?」
「いや、もう大丈夫だよ、ありがとう。」
俺は務めて平静を装った。こんなところに痕跡が残っていたとは…。心臓はドキドキと速くなっていた。
レッスン室につき、若井からスマホを受け取った涼ちゃんは、
「わ、若井から連絡いっぱい、心配かけてごめんね!」
と謝っていた。若井は口数少なめで、涼ちゃんは自分の無断外泊のせいかと、シュンとしていた。
レッスンが終わり、涼ちゃんが帰り支度を始めている時、若井が涼ちゃんに話しかけた。
「ごめん、今日は俺ちょっと元貴と話しあるから。」
「あ、うん、わかった。ご飯は適当に済ませとくよ。」
涼ちゃんは、若井越しに俺に向けて、じゃあね、と手を振る。振り返って俺を見る若井の目は、嫉妬が滲んでいるように見えた。
若井と、俺の部屋に帰って来た。若井はソファーに座り、俺は作業用の椅子に座った。
「…最初に確認なんだけど、元貴と涼ちゃんは、付き合ってんの?」
初めからのド直球な質問に、俺は少し考えを巡らせて、ここは正直に話そうと決めた。
「…うん。昨日、お互いの気持ちを伝え合って、付き合うことになった。」
「昨日…。そっか。」
若井は下を向いて黙ってしまう。俺は、若井の言わんとしていることを図りかねていた。
「…んー…そっか…。じゃあ、いいや。」
「なに。」
「いや、それを確認したかっただけ。」
「違うだろ、なんだよ。言えよ。」
若井は俺を見つめる。
「…元貴怒ると思うけど。」
「いいよ。言って。」
若井は両手を口に当て、少し言いにくそうに、困ったように、うー…と唸る。
「…俺さ、時々、涼ちゃんにもしかして好かれてんのかな、って思う時があって。」
俺は、息を呑んだ。
「いつもじゃないんだけど、特に…夜、かな。涼ちゃんはいっつも『おやすみ』って寝た後、しばらくしたら一回起きてくんの。そんで、俺のこと『滉斗』って呼んで、晩酌したり、ゲームしたり、一緒に過ごすことが多くて。」
俺は、鼻の奥がツンとした。リョーカだ。リョーカが、若井に会いに出て来ていたんだ。『涼ちゃん』としか認識されていなくても、ただ愛しい人と一緒の時間を少しでも過ごしたくて…。
「その時は、なんか…なんていうのかな、目が…。涼ちゃんの目が、なんか違くて。俺、ひょっとして涼ちゃんに好かれてんのかな、とか。思ったりして。」
若井が頭をかきながら続ける。
「でもさ、違うんだよな。いつもの涼ちゃん見てても、普通に元貴の事好きだってわかるし、俺もなんとも思わない。いやなんなんだろ?俺もわかんないけど。」
若井は、両手で顔の下半分を覆う。
「…でも、俺、昨日、涼ちゃんが元貴の部屋に泊まってるって思った時、すげーヤだったの。ごめん、よくわかんないけど。」
俺は、少し悩んだ。考えを巡らせ、リョーカに心の中で謝った。ごめんな、勝手に。でも、俺、若井に話すわ。
「…若井。」
「ごめん、やっぱ怒るよな。」
「違う。俺は、お前の話聞いて、どういう事なのかわかった。」
「わかった?何を?俺もわけわからんのに?」
「お前を好きなのは、…お前が好きなのは、『リョーカ』だ。」
「…ん?」
「長くなるけど、順番に説明する。 」
俺は、リョーカが涼ちゃんの過去のトラウマで生まれた人格である事。涼ちゃんは自覚がない事。そして、…ずっと若井に恋をしていた事。それらをかいつまんで話した。もちろん、俺とのややこしいことは、伏せておいた。
「…え、マジ?涼ちゃんが二重人格?」
「お前が感じていた好意は、『リョーカ』の気持ちだったんだ。」
「…じゃあ、いつも、俺に、会いに来てたってこと…?」
俺は頷いた。若井はほのかに頬を赤らめ、そっか、そーだったんだ、と納得した。しかし、ふと寂しそうな目をして、呟いた。
「…でも、どーしよーもないな、これは。だって涼ちゃんは元貴が好きだし、元貴と付き合ってるし。」
「いや、…若井。」
「なに?」
「お願いがある…。すごく残酷な事なんだけど…。」
「…え?」
「…リョーカと、期限付きの恋をしてあげてほしい。」
若井の目が、驚きに満ちていた。
「あれ、おかえり。」
俺と若井が、涼ちゃんの待つ部屋へ帰ると、涼ちゃんは驚いた顔で出迎えた。
「2人でご飯食べるんじゃなかったの?」
「うん、2日連続で外食はしんどくて。」
「えぇ〜、まだ若いのに〜。」
涼ちゃんはクスクスと笑って、俺たちに簡単なご飯を出してくれた。若井は、ずっと黙っている。涼ちゃんと向かい合わせに、俺と若井が席につく。
「そーだ涼ちゃん、俺、若井に話したよ。」
「なにを?」
「俺たちが付き合った事。」
「え!!」
涼ちゃんが驚きで箸を落とす。
「な、ななん…だ、だぃ…。」
「落ち着いて、大丈夫だから。」
涼ちゃんは顔を真っ赤にして、おずおずと若井を見つめる。若井は、少し息を吸って、笑顔を作った。
「うん、おめでとう、涼ちゃんも、元貴も。良かったよ、2人がちゃんとくっついて。」
「…ほんと?」
「うん。」
「…よかった…ありがとう…。」
涙目になりながら、涼ちゃんが安堵の表情を浮かべた。
「若井に、怒られる…というか、嫌がられるんじゃないかと思って、心配だった…。」
「…そんな事ないよ。涼ちゃんは、俺の大事な友達だし、元貴も。」
「えー、嬉しい…ありがとう。」
手を口に当てて、へへ、と泣き笑いをして喜ぶ。俺は、そんな2人の様子を、黙って見つめていた。俺が、2人を縛るように、閉じ込めるように始めた同居だったが、2人はちゃんと、それぞれの距離感で関係を築き上げてくれていた。それだけでも、俺は嬉しかった。少し、自分の暗い心が救われたような、許されたような、そんな気持ちに勝手になっていた。
食事を終え、若井は自室へ引っ込み、俺は涼ちゃんの部屋にお邪魔した。
「あれ、若井となんか話あったんじゃないの?大丈夫?」
「うん、それはもう済んでるから。」
「そうなんだ。」
涼ちゃんは決して、話の内容まで訊き込んででくるようなことはしなかった。この距離感が、俺には心地いいし、俺や若井への信頼の表れだと思った。
「…涼ちゃん、好き!」
「ぅわ!」
ガバッと俺が涼ちゃんをベッドに押し倒す形で抱きつく。しばらく2人で並んだ体制のまま、涼ちゃんの香りを嗅ぐ。ああ、落ち着く…。俺は顔を傾けて首筋にキスをした。
「あっ…!」
涼ちゃんがビクッと身体を捩り、声を出す。上体を起こして涼ちゃんの顔を見下ろすと、顔が真っ赤になって、恥ずかしそうに俺を睨んでいた。
「…びっくりするじゃん…。」
「…ごめん。」
俺はゆっくり顔を近づけて、キスを落とした。最初は触れるだけ。次は唇を啄むように何度も。涼ちゃんの目が、熱を持ち始めたので、ゆっくりと舐るようにキスをした。
「…ふ…。」
涼ちゃんの口から、熱い息が漏れる。俺が涼ちゃんの上に跨り、またキスをしようと顔を近づけると、不意に涼ちゃんが両手で俺の胸の辺りを押してきた。
「だめ…、若井もいるんだから…。」
「…わかってるよ、キスだけ…。お願い。」
俺が懇願すると、涼ちゃんは困ったような顔をして、キスだけね…、と承諾した。
俺は涼ちゃんが眠るまで、とろけるように甘いキスを繰り返した。この後に来たる時のために。この涼ちゃんだけは俺のものなのだと確認し続けたのだ。
『眠ったよ』
俺がスマホでそう送ると、若井が涼ちゃんの部屋へ入ってきた。俺はベッドに腰掛け、若井は少し離れたところに立ち、お互いに無言でスヤスヤと穏やかに眠る涼ちゃんを見つめていた。
ふと、若井が、涼ちゃんの頬が上気したままなのに気付いたのか、呆れたように息を吐いた。
「お前…どんだけ…。」
「なんもしてないよ。」
2人してふふっと吹き出して静かに笑う。
しばらくして、涼ちゃんがうぅ…と声を漏らし始めた。
「…はぁ…う…。」
どっちだ…?俺は身を乗り出して、涼ちゃんの様子を伺う。若井も、ベッドの反対側に回って、涼ちゃんを心配そうに覗き込む。
「…ひ……ろ…。」
涼ちゃん…いや、リョーカが、苦しそうに顔を歪めて、愛しい人の名前を呼ぶ。俺は静かにベッドから立ち上がり、代わりに若井が反対側から腰掛ける。
若井が、そっとリョーカの顔を撫でる。
「…リョーカさん?」
リョーカがうなされながら、空を掴むように手を動かす。若井は、両手でその手を包みこんだ。
「リョーカさん、俺、滉斗。ここにいるよ。」
リョーカの閉じられた目の端から、すう、と涙が流れた。そして、息をゆっくりと吸って、目を開いた。しばしボーッと目の前を見つめていたが、自分の手が誰かに握られていることに気付いたのか、その方を見る。
「………え…?…滉斗…?」
「…リョーカさん。」
若井が、愛おしそうに握った手を自分の頬に近づける。
「え、なに…なんで、え…?」
リョーカが戸惑いながら周りを見渡し、俺の姿をその目にとらえた。
「え、大森君…。これ、なに、どういうこと…?」
「ごめん、若井に話した、涼ちゃんの中のお前のこと。」
「…えっ…。」
「…若井は、受け入れたよ。あとはお前が伝えるだけだ。…素直になれよ。」
俺は、それだけを伝えて、涼ちゃんの部屋から出て行く。あとには、もう一つの恋だけが存在していた。
俺は、2人の家の玄関前の手すりに、身体を預けていた。だいぶ暖かくなってきたのに、夜は少し冷える。俺は暗い外を眺めながら、こんな時にタバコでもふかせば絵になるのかな、とぼんやりと考えた。
今頃、若井とリョーカは、お互いの気持ちを伝え合っているだろうか。あいつ、素直になれてるかな。
ふと、リョーカが自傷行為とも取れる性衝動を俺にだけ向けていたのは、もしかしたら涼ちゃんに義理立てしていたのではないか、と思えてきた。最初は、自分の気持ちに従って、若井にキスをしたり、アレをしたりしてしまったが、後から涼ちゃんに申し訳なく感じたのではないか。涼ちゃんは俺のことを好きでいてくれた。その涼ちゃんの身体を、俺以外に触れさせてしまうことを、あいつは良しとしなかったのだ、きっと。
バカだな、そんなところでまで、涼ちゃんのために気を遣って…。今は、あいつが素直に若井の胸の中に飛び込めればいい、と思う。
俺は、空にはぁっと息を吐いて、2人の期限付きの恋が、どうか上手くいきますように、とただ願うばかりだった。
コメント
2件
期限付きの恋、切なすぎて、泣けます🥲 いつも更新ありがとうございます!