いつも通りの朝、何一つ変わらない景色、まるでその風景の中の一つとなってしまった私、この生活がいつまで続くのだろう、、
私はその中で49年生きてきた。50歳の誕生日の前日に自殺してしまいたい。
この世における死とは、事故や災害による偶然の死や自然死、それと殺人や自殺などの人の意思によるものの大きく分けるとこの二つがある。前者は神にのみ決定権があり私たちがどう対抗しようがその決議は揺るがない。後者はどうだろうか。自殺も殺人も私たちが人間に決定権があり、その行為自体まさしく神と等しいと思わないか。
だから神の決定を欺き、自分で自分の命を断つことにより神よりも神らしい事を成し遂げて死にたい。そう思うようになった。とここまではそれらしい事を言ってみたが、そう思っているが残りの半分は生きる意味を感じなくなってしまったのだ。
奪われる側より奪う側に、、その思いでこれまで生きてきた。たくさんの人から大切なもの、を手段を問わず奪ってきた。しかし人々との関わりは一種の円のように繋がっているのだ。奪われない人間なんてどこにもいない。次は私が奪われる番だ。
鐘が鳴る。
審判の時だ。