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雨は嫌いだ。だって汚いし痒くなるしテンションも下がるし。それに…
「はーねちゃっ♪みてみて〜、久しぶりの豪雨だよ!」
時刻は昼の2時、机に突っ伏してうとうとしていると、突然入ってきたろんろんに起こされた。見ると外は豪雨で敷地内が霧がかっており、門すら見えない状態だった。偏頭痛で死んでる人や突然の豪雨でびしょ濡れになりながら帰ってきた人など、ある意味屋敷内は賑やかな状態だ。
そんな中1人元気にしているのが、このろんろん。先程かすみんに、外に出たいと駄々をこねるももちろん却下だった。
『お外出たい!』
『駄目です。』
『お願い、10分だけ!』
『駄目です。』
『そこをなんとか!』
『あげませんっ!』
盗み聞きした内容を思い出し、ふっと鼻で笑ってしまう。はてなを浮かべるろんろんを見て咳払いで誤魔化し、適当に返事をする。
「そだねぇ…ろんろんは何で外に出たいの?」
「豪雨はね、酸性雨のエネルギーチャージにとってもいいんだよぉ♪最近使いすぎてなくなっ…あ、えっと何でもない!」
使ったんだなぁ…。
最近ニュースで取り上げれている建物崩壊事件、やはり犯人はろんろんだったようです。
「…ろんろんの酸性雨って生まれつき?」
「ううん、これはねぇかすみさんから貰ったんだよぉ♪」
もら…った…?
その『貰った』という言葉が気になりすぎてしまい、聞かせてくれと頼むと少し考え良いよと言ってくれた。
「そうだなぁ…」
というと、朱華のベッドにぼふっと座り、先程よりも暗い表情で話し始めた。
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目が覚めると、無機質な白い部屋で寝っ転がっていた。頭痛が酷く座るのも難しくて、思わず2度寝してしまいそうだった。すると、目の前の扉が開き白衣を着た男性が3人入ってきた。
「…これが『NO.2905』か?」
真ん中にいたいかにもリーダーというのような人が顔を覗き込む。そうですと右にいた男が答え、バインダーに文字を書き始める。
「ふむ…NO.2905、自分の名前は言えるか?」
「……くろん」
「脳に異常はないらしい。早速だがNO.2905、君には実験に付き合ってもらう。」
まだ頭が寝ぼけており、何が何だかよく分からなかったが考えるのも面倒くさかったのでうんと頷く。
その日は3度の食事と入浴だけで終わり、すっかり元気を取り戻して次の日から実験が始まった。
「…早速だがNO.2905、君の能力は何だね?」
昨日、実験に付き合ってもらうといった1人の眼鏡をかけた男が話しかけてくる。
「能力?うーん、炎龍を呼べる事かなぁ?あ、呼び方はくろんでいいよぉ♪君は?」
「…佐藤だ。それよりくろん、今君は炎龍を呼べると言ったが、本当にそれだけか?」
こくっと頷くと少し考え込むような素振りを見せた後、見せてくれと言った。しかし炎龍はそう簡単に呼び出せるものではなく、まだ外は見た事ないが下手すればこの施設も吹っ飛ぶ程の威力を持ったものであった。そのため、そう易々と召喚出来るものではなかった。
呼べないのか?と圧をかけてくる。今部屋にいるのはろんろんと佐藤だけ、外にはもう数人待機しているらしく逆らえなかった。
「うーん、じゃあお外に出して」
「外?なぜ外なんだ?」
「炎龍はとってもおっきいんだよぉ、お外じゃないと呼べない」
佐藤が歯ぎしりをし難しい顔をしながら考え込む。数秒後、渋々わかったと返事をし扉前で待機している人達と話し合いを始めた。
――――――――――――――――――――
「お外だ〜!」
その日の空は快晴で、そよ風がとても気持ちのいいお昼頃だった。しかし施設はかなり大きく、そこから数十メートル離れた所にはその何倍もある真っ白い壁が四方を囲んでいた。しばらく走り回ったり芝生にゴロゴロしたり楽しんだ後、5人程後ろに付けた佐藤に早くと促された。やはり呼ぶのには少し躊躇したが、やらなければ何も進まないので嫌々呪文を唱える。
数秒後、すぐに炎龍が空から舞い降りてきた。男達は突風で飛ばされそうになるも、何とか耐える。
「よーしよーし、りゅーくんえらいねぇ♪」
「……りゅーくんとはその炎龍の名前か?」
「そだよぉ、りゅーくんとっても良い子なんだぁ♪あ、こら威嚇しちゃめっ!」
そう言われて心做しか炎龍がしょぼんとしたように見えた。しばらくろんろんと炎龍が会話のようなやり取りをした後、佐藤が違和感を覚える。
炎龍…つまり炎を纏った龍。それを触っているにもかかわらず、ろんろんは暑そうな顔ひとつせず炎を撫でているかのようだった。しかしその龍の炎はまるでろんろんを避けるように燃え盛っていた。
「…くろん、なぜ君は炎の影響を受けない?」
「え〜わかんない、りゅーくんと会った時からこんな感じだったからそれが当たり前なのかなぁって♪」
まるで目に見えない半球がろんろんの周りを護っているかのように、炎はろんろんに近づけず周りに飛び散っていた。それからしばらく、ろんろんと炎龍の観察は続いた。炎龍の体内はどうなっているか、行動パターンは、自我はあるか、会話はできるか等。
外での調査は数時間に渡りやがて日が暮れてきた時、佐藤はぼーっと夕日を眺めるろんろんに聞いた。
「君はどこで生まれてきたんだ?両親は、兄弟や友人はいるか?」
ろんろんは下を向き少し考えてから悲しそうに口を開く。
「…いないよ。お父さんもお母さんも、友達も兄弟も元からいなくて…。」
「なぜいないんだ?両親もいないのになぜ君がいる。」
ろんろんは固く唇を噛み、隠しきれない憎悪の感情を必死に抑えながら答える。
「お父さんは、いつも知らない女の人と家に来る。いつも違う女の人。お父さんの目の前に出ると、叩かれたり蹴られたり…。お母さんはいつも、いつも暴力をしてきた。お前が産まれてこなければって、早く死ねよって…。みんなオレがゴミみたいな扱いをする。愛してなんかくれなくて、優しさなんか知らなくて…」
すると光の消えた目で佐藤と後ろの男達を睨み、今まで聞いた事のない声で言う。
「だから人間って嫌いなんだよ。表向きの感情でしか生きていけない地球のがん細胞が、さっさと消えちまえばいいのに…!」
そう言うとろんろんの隣にいた炎龍の炎が激しく燃え盛り、辺りを熱気で包み込む。男達は怒りに顔を歪ませるろんろんに目もくれず一目散に逃げ出し、佐藤1人だけ残った。
「お前もだよクソ人間、そこで突っ立ってる暇があるならさっさと死ね!」
その言葉と同時に炎龍が大きく吠える。まるで火山のてっぺんから溶岩を見下ろしているような、耐え難い暑さの中佐藤は1人氷のように冷静だった。しかしそれがまたろんろんの怒りを買ったのか、手を上に突き伸ばし枯れかけた声で炎龍と叫ぶ。するとぴしっと伸ばした細い指先に噛み付く勢いでもう一体の炎龍が舞い降りてきた。2体が並び揃ったかと思うと、離れた所にいる佐藤へ目にも止まらぬ速さで突撃する。ドォンと心臓に響く大きな音と、今にも真っ二つに割れて渓谷が出来るのではないかと思う程のヒビが地面に入る。普通の人なら熱風と音圧で死んでしまう所であったが、ろんろんには目に見えぬ半球があるため関係なかった。
「…お前があんな質問をしたのが悪いんだ。お前はオレの気持ちなんて見もしなかったし結局何にも変わらなかった。また1つ死体が増えただけだ。」
そう言い、ろんろんがその場を離れようとすると煙の中からやれやれと声が聞こえてきた。驚いて振り返るとそこには、青のバリアに覆われた佐藤がいた。
「お前…!」
「大したものだよ、くろん。君の能力には大変驚いた。しかしまだまだだな、使い方に粗がありそれじゃあ目標の人物所か、そこら一帯全て吹き飛ばしてしまうだろ。」
甘いな、と最初とは人が変わったように余裕に満ち溢れた口調だった。呆然と立ち尽くすろんろんに向かって歩きながらまた口を開く。
「くろん、君はとてもいい能力を持っている。しかしそれだけだとまたつまらないな。どうだい、私の実験に協力しないか?」
そこまで言うと隠し持っていた注射器を首に刺す。直後、意識が飛んでいく感覚に襲われた。
――――――――――――――――――――
目が覚める。天井に設置された蛍光灯が眩しく思わず目を細め、寝返りを打とうとする。しかし体を左に向けた瞬間、手首が押さえ付けられ腕が動かせない事に気づいた。見ると枷のようなものが寝ているベッドと連結されており、とても外す事は出来なかった。
目が覚めたかと突然声をかけられまだパニック気味な頭を必死に働かし、右を向く。そこには不敵な笑みを浮かべ多くの機材に囲まれた佐藤がいた。
「お前、何を考えている…?オレに何をするつもりだ?何が目的だ!」
恐る恐る聞くと佐藤は表情を変えずに答える。
「簡単な事だ。君に新しい能力を授けようと思ってな。能力者というものは、基本1つの能力しか持てない。2つ以上持ってしまうと身体が異常反応を起こし最悪死んでしまうからね。」
しかし!と大声を出した後、また落ち着いた口調で話し出す。
「私は2つ以上の能力を持つ方法を見つけたんだ。それを私は今まで何人、何十人、何百人と試してきたが…あぁ、人間とはどうしてこんなに脆いのか。皆失敗に終わってしまった。だからくろん、君には2905人目の実験体となってもらいたいのだよ。」
頭の整理が追いつかず、ただ話が溢れないよう脳の箱に詰め込むしか無かった。
「安心しなさい、能力をインプットするのは難しい事ではない。ただ1つ、君がこの肉体的、精神的な痛みに耐えられるかが問題だ。」
「ちょっと待ってよ!オレは協力するなんて一言も言ってない…それに、何で実験体がオレなんだよ!」
佐藤は少し考えた素振りを見せ、口を開いた瞬間、佐藤の背後の扉が勢いよく開いた。そこにいたのは左手にキャンバスを抱えた背の高い男性が立っていた。すると男性が落ち着き払った声で佐藤に喋りかける。
「…佐藤さん、もうそれ以上やっても意味ないですよ。そろそろ諦めた方が良いかと。」
そう言うと佐藤は若干イライラしながら答える。
「はぁ…毎度毎度しつこいんだよ、かすみ。私が君に託したものを忘れたのかい?その能力、その肉体、その精神!…全て私が君に分けた与えたものだ。まさか、恩を仇で返そうとでも言うのかい?」
かすみと呼ばれたその男性は頭を掻き、面倒くさそうな顔をしながら答える。
「…っすよね、確かに俺は全て佐藤さんのお陰でここにいると言っても過言ではない。ただの人間だった俺と……その子が能力を持てたのもあんたのお陰だ。」
能力を持てたのは佐藤のお陰…?
炎龍は産まれた時からずっと持っていた能力のはず、誰かに付与された記憶も何も無い。更に何を言っているのか分からず、怒りを通り越して不安と恐怖が芽生える。しかしそんなろんろんに構わず佐藤とかすみは話を続ける。
「いいか?君が私に逆らったらどうなるか、もう分かっているだろう?君は数え切れない程見てきたはずだ。私の能力で死んだ者、追い詰められ自殺していった者、記憶を消された挙句殺された者…君も最初は震えてたなぁ、まるで産まれたての小鹿のようにね。あの時はまだ可愛かったさ。」
「そうですか」
「それに…あぁそうだ、確か君の友人にも手伝って貰ったかな。」
佐藤がそう言うと、興味がなさそうにキャンバスを見ていたかすみが、はっと顔を上げる。
「懐かしいねぇ、その友人もかなり暴れていたが君の協力もあって簡単だったよ」
「やめろ…」
「友情ってやつかね?君が少し説得しただけであっさり実験体になってくれるとは…それに君は友人が苦しんでいる間何もせずただ見るだけで…」
「やめろってんだよクソジジイ!」
そう叫ぶかすみの顔には怒りと憎しみの表情が浮かび、酷く息切れをしていた。キャンバスをギュッと握り締め今にも飛びかかって来そうな猛獣のような目付きで佐藤を睨んでいた。
「…それ以上あの人の事を喋ってみろ…お前だけじゃなく、ここの職員も施設も土地もまとめてふっ飛ばすぞ!」
かすみが言うと佐藤はふっと嘲るように鼻で笑い、1歩前に出る。
「そうかそうか…さぁ、これで何回目かね?かすみ。次はないと前回私は忠告したぞ。」
佐藤の声はさっきとは違い低く、威厳のある雰囲気を漂わせ辺りの空気を重くする。その言葉にかすみがはっと口を押え、扉から出ようとするも固くロックされており開く事は出来なかった。怯えた表情を見せ扉と背中を合わせながら下を向き、必死に何かを考える素振りを見せる。
「私の能力は、指定した対象に放った言葉と同様の変化を起こす事。私が死ねと言えば対象は死ぬ、吐けと言えば吐く、狂えと言えば狂う…。もう分かっただろう?君が今どの立場にいるのか、ハッキリとね。」
状況はよく理解出来ていないものの、とりあえずかすみの命が危ない事だけは分かった。ならば助けるのが妥当、しかし助けようにも手が動かしきれないのであれば何も出来ない。炎龍を呼ぶべきか、だがここで呼んでしまうとこの施設もかすみも自分も吹っ飛んでしまう。
そうこうしている間にも、佐藤は1歩1歩ゆったりとかすみに近づいて行く。どうするべきか、また誰も助けられないまま人の死を見届けるだけなのか。
卑屈な考えになっていると太もも辺りの横に重機械と開きかけの水筒が置いてあるのが見えた。重機械には様々なスイッチやキーボードなとが付いており、いかにもメイン機材というような雰囲気だった。その横にある水筒。やるしかないと覚悟を決め勢いよく足を曲げ、水筒が置いてある台を上手く重機械に向けて蹴りあげた。ガシャンと大きな音を立て台が倒れると同時に佐藤がやめろと叫びながら手を差し伸べてくる。水筒の蓋が外れ、重機械の上に転がる。
「残念だったね佐藤!これでこの機械はもう機能しな、い…?」
水筒が倒れたにも関わらず何かおかしな音がする訳でも、エラーが発生する訳でもなく部屋の中はシーンと静まり返っていた。変だと思い重機械の上を見てみるとそこには、空っぽの水筒だけが転がっていた。
空っぽ。何も入っていない軽い鉄の水筒だけが機械の上に置き去りにされ、何かを生まなければ何かを失う事もなかった。すると佐藤が大きく笑いだし再びろんろんに近づく。
「思考能力への異常無し…水筒の中身を機械にかけ、破壊しようという思考は悪くなかった。だが、肝心の中身が入ってないんじゃ意味は無い。」
残念だったな、と佐藤が呟く。水筒の中身があると完全に勘違いをしていた。これも全て佐藤がろんろんを観察する為に仕組んだ罠だと知った瞬間、イラつきと悔しさが溢れ出しそうになった。
「さぁ、もうお芝居は終わりかね?いつもよりかは楽しい時間を過ごせたよ。これから君、いや、君達が楽しい時間を過ごせるかはわからないけど…」
そこまで言うと、突然施設がガタガタと揺れ始めサイレンが鳴り1人の職員がかすみを押しのけ、駆けつけて来た。
「博士!し、施設が崩れて来てます…雨も降っていて、多分酸性雨かと…」
「酸性雨…まさか!」
はっとした様子で佐藤がかすみの方を見る。そこには、必死に笑いを抑えしてやったというような顔をするかすみの姿があった。ざまぁと一言呟き佐藤を睨む。動揺し言葉が出ず口を開け眺めるしか出来ない佐藤に対し、かすみが煽り気味に口を開く。
「…時間稼ぎ、ありがとうございま〜す。お陰で思ったよりも力を使わなくて済みましたよ。ふふっ、どうですか?散々過ちを許してきた『元』助手に裏切られる気分は。」
「お前…こんな事をして今回こそ本当に許される思っているのか!?」
佐藤が今までにない程のイラつきが混ざった勢いで言葉を返すと、かすみは余裕そうに答える。
「許す?何を言っているんですか?貴方が俺を許す許さない以前に、俺は貴方に死んでもらうのが望みですよ。」
そう話すと同時にかすみがキャンバスの中から水晶のようなふわふわと浮く物体を取り出し、こちらへ投げつけてくる。右手の枷に当たった瞬間、分裂し左手の枷にも同等の物体が現れた。その物体は無音で枷の部分だけを吸い取りキャンバスの中へ戻ってしまった。
手が自由になりサッと起き上がると佐藤が慌ててこちらへ向かってくる。手を伸ばし右腕を掴まれそうになった瞬間、突然左に強い力で引きずられ体勢を崩す。見上げると顔に汗を浮かべ逃げるぞと叫ぶかすみがいた。慌てて立ち上がり、腕を引っ張られながら職員が入ってきた扉から逃げる。
「あ、アイツらを逃がすな!捕まえて地下に放り込め!」
後ろから佐藤の声が聞こえ、振り向くと武装した警備隊が追いかけてくるのが見えた。
「やばいな…くろんさん、こっち!」
長く先の見えない廊下を途中で折れ曲がると、天井に換気口のようなものがありカバーを外しかすみが先に入っていった。捕まってと手を掴み引っ張られる。上に登り数秒後に先程の警備隊が下を通って行った。しかし安心は出来ず、この狭い換気口から抜け出そうとあちこち曲がり、時には職員達の物騒な声や施設が崩壊してきている音が聞こえ終始震えが止まらなかった。
どれだけ進んだだろうか、しばらくして目の前から雨の音と薄暗い光が現れ格子を外すと、先程の職員が言っていた酸性雨が降っていた。
「くろんさん、貴方のそのシールドに俺が入る事は出来ますか?」
「うん、一応」
「…酸性雨に耐えることは?」
「出来るよ」
よしと言い外に出ると、空には灰色の重い雲が全面に浮いており水平に刈り取られていた草は枯れ、真っ白な壁は黒い線がいくつも入っていた。その光景に圧倒されぼーっとしていると、施設から鈍く大きな音が鳴り響く。
「そろそろ崩壊する頃だ…この壁の外に出るのは難しくと、もなるべく離れる事は出来ます。走れそうですか?」
何とか、と答え崩れかける施設に背を向け全力で走り逃げる。ザアザアと降る視界の悪い豪雨の中、早く走るのは難しく何度も滑りそうになった。外壁と施設の中間まで来ると、施設の1棟が落石のように潰れてしまった。激しい雨音から微かに聞こえるいくつもの悲鳴や、逃げて行く人々を遠目で見る。かすみに早くと促されやっとの思いで壁の外に出ると、そこはさながら樹海のように先が見えず草木は生い茂り、枯れているものがほとんどだった。
施設から出ても、この樹海から出られなければ意味は無い。いやむしろここで暮らした方がいいのかもしれない。ご飯も出てくるし話し相手もいる、寝る事も絵を描く事も許され何をするにしても自分の自由。
ここから出る必要なんて、あるのか?
家もない世話をしてくれる人もいない自分が、もしこの樹海から抜けても意味が無い。大人しく捕まりに行こう。そう考え施設に戻ろうとするとかすみに腕を掴まれた。
「離してよ、オレもあっちに行くんだ!」
「何を考えている?あんな所行っても意味が無い、ただ苦しいだけだ。貴方が思ってる程楽じゃない!」
「いいんだよ!ご飯を食べれて寝る事が出来るだけで十分、それに雨風もしのげて話し相手もいるんだよ?最っ高じゃん!」
ぐっとかすみが押し黙る。足元を向き何かを考える素振りを見せた後、じゃあと口を開く。
「貴方を受け入れてくれる所を紹介します。そこで、貴方なら上手くやっていける。決して拒まれたりはしない、辛い事もあるかもしれないですがそこならきっと大丈夫です。」
お願いします、と頭を下げられ悩んでいるとそれにと短い言葉を付け足した。
「…貴方は、忘れている使命がある。」
忘れている使命と聞いてもピンと来ず、考えても答えは出なかった。相変わらず整わない頭で必死に整理をしていると、お願いしますとまた頭を下げられ断りきれず同意してしまった。じゃあ、と樹海の中へ入ろうとすると待ってと止められた。
「この能力、酸性雨の能力をくろんさんにあげます。」
「能力を?でも、痛いんでしょ?痛いの嫌いだから要らないよ」
「痛くないですよ、簡単です。あの人はただ人の悲鳴を聞きたかったが為にあんな方法をとっただけ。それに俺はこんな能力もう要りませんし…」
あははっと苦笑を浮かべるかすみに向き直り、貰えるものは貰っとけ精神でいいよと答える。お礼を言われ、失礼しますと両手で頭にそっと触れると目を瞑り集中する。ボーッと見ていると、だんだん頭から足にかけて暖かくなっていくように感じた。
全身が温まった頃かすみがそっと目を開け手を離す。
「…移行完了です。邪魔が入らなくて良かったぁ…。」
「ほむ、これで移行出来たのか…あんまり実感はしないなぁ。」
「まぁそれは仕方ない、良くある事です。それより地図と例の人達の写真渡すので、早く逃げて下さい。時間が無い。」
そう言い1枚の地図と数枚の写真を渡された。その中の集合写真には一人一人名前が書かれており、かすみを合わせた9人の人物が笑顔で写っていた。汚さないようにとポケットに入れながら地図を確認していると、かすみが施設の方へ歩き出す。
「ちょっ、待ってよ!一緒に行かないの?もう施設は崩れて危ないし…」
「すみません、でも俺、どうしても佐藤をこの手で仕留めたくて…きっと今頃地下にでも逃げていると思うので、終わり次第すぐ追いかけますよ。」
でもと言うと、大丈夫ですと笑顔で返す。勇気と少し悲しみの混ざった顔に、何と反応すればいいのかわからずオドオドしていると最後にと付け加えてきた。
「俺の友人に言っといて下さい。俺は絶対戻ってくるから、それまで待っとけよ。って…」
友人と聞き写真を見ると、かすみの傍で仲良く一緒にピースをしている男性が目に入った。少し羨ましさを感じながらも、今までとは違うハッキリとした声で分かりましたと答える。
「ありがとうございます。じゃあ、くろんさんも頑張って下さい!」
そう言うとかすみはダッシュで崩壊した施設へ向かって行った。背中が見えなくなり、こちらも鬱蒼とした樹海へ勇気を出し足を踏み入れた。
━━━━━━━━━━━━━━━
「……んでま、今ここにいるってわけ〜♪」
過酷だ…今までに聞いた話の中で一番過酷だ。
よく乗り切れたなと感激しながら、頭に浮かんできた質問を投げかける。
「そいえば、かすみんの言ってた『忘れている使命』って何だったの?」
「うぅぅ、それがよくわかんなくてさぁ…なんなんだろうねぇ?」
割と興味無さそうに答えるろんろんにコケながらも、また色々話を聞かせてもらった。佐藤はどうなったのか、施設はどこにあるのか、逃げた時はどんな感じだったのか、などなど…。答えられない質問もあったが、それなりにろんろんがどれだけ辛かったかは痛い程わかった。しばらく雑談していると、突然扉が開きかすみんが慌てて入ってきた。
「く、黒さんと羊さんが、うち、ゲバしてる…!」
「あーいつもの事だ、ほっとい…」
「ホント!?はねちゃ急いで乗り込むよ〜!」
そういうと1人で部屋の外へ走り去って言ってしまった。1階からは確かに罵りあいの声が聞こえてくる。いつも通りだなとほっこりしていると、かすみんがボソッと言う。
「朱華さん……」
「ん、どした?」
「…いえ、何でも。」
ふわっと笑みをを浮かべかすみんもまた足早に部屋を去っていく。変なのと思いながら引き出しを開け、黒い線の入った薄汚れた石を手に取る。
「…何も残らなかったねぇ…。」
ため息混じりに言い、窓を開け力いっぱい石を投げ捨てる。どこか見えない遠くに飛んでいったのを見届け、引き出しと窓を閉める。
相変わらず止まない罵りあいや物が壊れる音が聞こえ、痺れを切らして参加する事にした。
まだしばらくこの時間が続けばいいのに…。
そう考えながら、ガチャリと部屋の扉を静かに閉めた。