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午前10時時。まだ陽が柔らかく、商店街のアーケードは人通りもまばらだった。
不破湊「晴くん!こっちこっち〜!」
甲斐田晴「不破さん!そんなに走らないでよ〜!迷子になりますよ〜!」
甲斐田晴は、数歩前を嬉しそうに駆ける不破湊を、目で追いながら、自然と頬をゆるめていた。
今日、僕らがこの街に来た理由。
それは、
「不破湊に人間の街をもっと知ってもらう」
という、ちょっとした遠足みたいなものだった。
天界から降りてきて間もない不破湊は、地上の文化や風景、食べ物に興味津々。
だが一方で、それらの多くをまだよく知らない。
加賀美ハヤト、三枝明那、剣持刀也も、当初は同行を希望していたが、仕事や用事が重なり参加できなかった。
───結果、今日はふたりきり。
甲斐田晴「まずはパン屋、ですよね?チョココロネ、また食べたいんでしたっけ?」
不破湊「うんっ!あれ、甘くておいしいんだもん。あと……くるくるしてて、なんか、かわいい!」
甲斐田晴「……不破さんって、なんか変わってるよね」
不破湊「へへ〜。でも、変わってるって言われるの、嫌じゃないよ?」
甲斐田は思わず言葉を詰まらせる。
不破湊のその無垢な微笑みは、ふとした瞬間に胸を突くような、不可思議な破壊力を持っていた。
そんなふたりの様子を、遠くから見つめる視線があった。
男。
帽子とマスクで顔を隠し、薄汚れたシャツとジーパン。
普通なら埋もれてしまうようなモブ───
だが、その目だけは異様にギラついていた。
男(まただ……またあいつと、いるのか……)
男は、不破湊に出会った日から、日に日に“執着”を深めていた。
初めて見たのは数日前、駅前のベンチで、野良猫にパンを分けていた時だった。
白銀の綺麗な髪。ガラス細工のような瞳。言葉の端々に滲む優しさ。
そして、なにより───その“匂い”。
男(……違う。あれは、人間じゃない。もっと……清らかで、甘くて、ふわふわしてて……)
人間には到底持ちえない、“神性”のようなものを、不破湊は纏っていた。
だからこそ、男は惹かれた。いや、惹かれずにはいられなかった。
だが───
不破湊「わぁ!このお菓子屋さん、色んな色があるよ!きれい〜!」
甲斐田晴「ここ、有名なんですよ!地元の子供良く買っていて、味が良いんです!」
不破湊「へ〜……晴くん、色々知ってるんだね!なんか、頼りになる!」
甲斐田晴「ま、地元だしね……」
───その笑顔を、「自分以外の誰か」に向けるのは、許せなかった。
男(なんで……なんで、そんなヤツと笑ってんだよ……俺が、俺がずっと見てやってんのに……)
ふと、不破湊が菓子屋のウィンドウ越しに、笑光が差してその横顔を照らした。
その姿は、まるで祝福を受けた神のように───美しかった。
男(……汚したい。……あの白さ、全部、俺の色に染めてやりたい……)
脳内に湧き上がる、名状しがたい衝動。
支配したい。触れたい。貫きたい。悲鳴を上げさせたい。けれど、笑ってほしい。自分だけを見ていてほしい。
すでに、男の精神は“執着”を通り越していた。
その後も、2人は数軒の店をまわり、たこ焼きを食べたり、雑貨屋でカラフルなヘアピンを見たりした。
不破湊「ねえ、晴くん!このピン、かわいくない?羽みたい!」
甲斐田晴「あー、確かに!不破さんの髪色に似合いますね!」
不破湊「えっ、ほんと!?じゃあ買ってみようかな……ふふっ、晴くんが褒めてくれたの、嬉しいな」
甲斐田晴はそれに何も返せなかった。
鼓動が、うるさすぎて。
不破湊「……あっ、晴くん!こっちにいい匂いする!」
突然不破湊がくるりと振り返って、路地にある一軒の店を指差した。
不破湊「これ……香り?なにこれ……すごい、あまくて、落ち着く」
甲斐田晴「あー、香水屋か。ここ、女性に人気なんですよ。香り系の専門店で」
ふわっと香るジャスミンに、ほのかに混じるウッディなベース。
香りを初めて意識した不破湊は、まるで夢を見る子供のように、目を輝かせていた。
不破湊「この匂い、なんか、好きかも……落ち着くの。おうちの天界の空気に、ちょっと似てる」
甲斐田晴「そっか……じゃあ、試してみますか?」
店内に入ると、ガラス瓶に詰まった無数の香水が並んでいた。
不破湊はひとつの瓶に手を伸ばし、そっと香りを嗅ぐ。
不破湊「これ……これがいい。なんか、気持ちがふわふわする……」
その香りは、フローラルの中にかすかな石鹸のような清潔さを含み、まさに“不破湊”という存在にぴったりだった。
甲斐田晴「……あのさ、それ、僕も同じやつ買っていい?」
不破湊「えっ?」
甲斐田晴「二人で居れるのなんてそうそうないし……思い出として、……ダメ?」
不破湊「……ううん!いいよ!嬉しいっ!」
不破湊は照れたように微笑むと、瓶をぎゅっと胸に抱えた。
ふたりは同じ香水を、それぞれ1本ずつ手に取る。
レジで会計を済ませたその瞬間───
ふたりの背後に、凍りつくような視線が走った。
男(……なんで、同じ香水……?いや、違う……これは、そうか、そういうことか)
ずっとふたりの行動を遠巻きに見ていた男。
目の前で繰り広げられる“共有”の光景に、脳内が熱を帯びていく。
男(あいつ……他の男と“匂い”を共有してる……?ふたりが同じ匂いになって、常に互いを感じるようにしてるってことか……?)
呼吸が荒くなる。喉が渇く。心臓が暴れる。
男(ふざけるな……なにが“香り”だよ……なんでそんな特別なもんを、俺じゃない男と……ッ)
脳内に渦巻くのは、妄想と怨念。
湊が香水を首筋にふりかける場面。
その匂いを隣の男が吸い込む場面。
ふたりが香りを頼りに、互いの存在を意識して笑い合う姿───
男(全部……俺に向けてほしいのに)
気づけば男はアーケードの隅で、ぼろぼろと涙をこぼしていた。
男「……なんでだよ……あんなにきれいで……あんなにやさしくて……なんで、俺じゃダメなんだよ……」
不破湊と甲斐田晴が香水を手に店を出てくる。
不破湊「ねぇ晴くん、これ、明日もつけていい?」
甲斐田晴「もちろん。……不破さんに、めちゃくちゃ似合ってるよ」
その一言に、
不破湊はにこっと笑い、ふわっと風に揺れた。
その瞬間、香水の香りが空気中に漂い、再びあたりを包む。
それを嗅いだ男の脳内が、一気に沸騰した。
男(そうだ……俺も、同じ匂いになれば……)
男(俺が、湊と同じ香りになれば……俺だって、“特別”になれる……)
その目は、もはや正気ではなかった。
憎悪と、欲望と、執念が宿った男の目は、とうとう理性を手放しかけていた。
“天使”が地上に降り立ち、無垢なままで生きている。
その事実に、堪えられる者など───ほんの一握りだ。
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