「ところでケマル。どうしてこっちの人は、君のことちやほやしないんだ?」
彼は痰がからんだようで、軽く咳払いをした。
「こっちの人は、普段の俺をよく知ってる。だからその結果を見ても、みんな当たり前だとしか思わない」彼は有名になるずっと以前から、毎日演劇の稽古を続けてきたという。指導にあたる先生は皆「希望の星」と呼ばれる成功者たちで、稽古場の運営は寄付でなされているという。
丸テーブルを囲むのはおそらく大学生のサークルだろう。世界だとか未来だとかの言葉が随所に聞こえる。窓際では男女が手を取りあっている。壁際には店内奥の彫刻を見ながらスケッチブックを開いている人がいる。ちょっと大げさな表現をすれば、それぞれがそれぞれの青春を送っているように俺には見えた。
「それにしても、こっちでも君のブロマイドが欲しいって人くらいはいるだろう」
ケマルは静かに首を横に振った。
「こっちの人は、他人のブロマイドなんか手に入れるよりも、自分自身を手に入れることの方が大事だってことを知ってる」
レモネードが底をつくと、ウェイトレスの方が気づいて新しいグラスを運んできてくれた。二杯目以降は無料、上に乗るバニラアイスは店のサービスだという。
「いつも不思議に思うんだけど、壁の中の人って、夢や憧れをわざわざ手の届かない、壁の外へ持ってくよな」とケマルは言った「最近じゃもう、そういう気持ちまでは分らなくなってきてんだ。それって、向こうの風習なのか」
「ふ、風習?」
「壁の中の人って、そうやって幸せを遠くから見てる。傍観者になって一生を過ごすよな」
彼は窓の方を向いた。つられて俺もそちらを向いた。窓の中程、建物と建物の間に森が見え、その上に薄くかすんで、水平に城壁が横切っていた。
「こっちは、違うのか?」
ケマルは俺の方に向き返ると、何を当たり前なという顔をしただけだった。