「テツぅう〜〜〜! ホンっっマにおめでとうなぁあ……!! 俺ぇっ、お前と同じユニットでいられてぇ……ッホンマにぃ゛……!!」
「マナぁ〜それ今日もう何回目ぇ? え、お酒飲んでないんだよね? 僕を差し置いてKPしてないよねまさか」
「マナくぅ゛うん……!!」
「お前もなんでそのテンション保てんだよ」
2名ごとにテンションの落差が激しいOriensアジト内にて、壁に掛けられた手作り感満載の垂れ幕には『祝! 佐伯イッテツ、Oriensに正式加入!!!!』と書かれている。やけに達筆なそれは昨日、本部からの知らせを聞いたマナくんがその場で書き上げたものだ。よって涙の滲みやビックリマークの数にその瞬間の感動と喜びが込められている。
どこもかしこも飾りつけられたアジトの共有スペースには折りたたみ式のテーブルが2つ並んでおり、片方には近くのスーパーで買ってきたお惣菜やウェンくんの作ってくれたからあげ、お酒類やジュースなどのソフトドリンクが置いてある。もう片方にはケーキやお祝いで各所からいただいたお菓子、そして僕のリクエストで食用の虫や知育菓子などが鎮座している。後者、僕以外食べるんだろうか。
こういうホームパーティみたいなやつって案外初めてかもしれない。正月や法事で親戚が集まっている時ともまた違うお誕生日会みたいな雰囲気に、僕は素直にワクワクしてしまっていた。
思い返せばここまで長かった──というと何だか大袈裟な気がするけど、本当にここに来るまで気が遠くなりそうなほど長い時を過ごした気がする。
時間にして言うとたったの2年間、僕はOriensのみんなとの仮加入状態での訓練、時にはマジの現場に呼び出されて戦闘に参加したりもしつつ素人には扱いが難しすぎるデバイスの調整を続けてきた。そしてようやく今日この日、Oriensというヒーローユニットに正式加入することが決まったのだった。
更にその間にも、まさかのあの日喰らった停滞のエネルギーやら何やらが巡り巡って呪いとなって肉体が全く老化しなくなったり、科学では説明のつかないその現象を解明するべく頻繁に行われる身体検査や、僕の特性が増えたことにより更に難航するデバイスの改良によって大学がダブりまくったりもしていた。おかげであれから2年経った今も僕は大学3年生のまま、肉体年齢で言うと21歳のままでいる。
おまけに戦闘が完全にデバイス頼りかつ出力も未だ不安定なため、正式に加入するとは言っても、ヒーローとしてはまだ見習いという形ではあるんだけども。
──まぁ、その呪いのおかげで僕は不老長寿かつ残機とかいうチートみたいな能力を扱えるようになったことだし、足りない戦闘力をしぶとさのみで補うというのは縛りゲーという意味ではものすごく性に合っていると言えなくもないだろう。一瞬をありがたがりすぎる僕にとっては、時間なんてものは永遠に続くくらいでちょうどいいのかもしれない。
それに、何よりこうして素晴らしい仲間たちと出会うことができたのだから。
「……にしてもカゲツたちおっそいなぁ、どっかで迷子になってるんとちゃう?」
「僕みたいに方向音痴ってわけじゃないにしても、彼らこっちの国自体全然来ないしねぇ」
「あ、そのことならさっき個チャで連絡来たよ。なんかねぇ、ライとカゲツきゅんは駅から直行で来るんだけどー、るべショウとロウきゅんは別行動なんだって」
「あいつらずっと別行動してね? つかなんでウェンにだけわざわざ個チャで教えてんの??」
「……まぁ……信用度、ということで……」
「俺らが信用されてねえって言いたいのかよ!!」
冗談だって〜! と笑うウェンくんにリトくんが食ってかかる。それをマナくんと微笑ましく眺めながら、あぁ、本当に平和というのは素晴らしいなとしみじみ思う。
僕があの日に戻って変えられたこと。
まずは、星導くんが人類の敵として研究所に閉じ込められることなく西の国のヒーローとして活躍できるようになったこと。それは僕という一般人がKOZAKA-Cの討伐に成功したことで、ヒーロー組織の在り方そのものが変わったためらしい。
それまで組織がヒーローとして集めていたのは、個人の能力を飛躍的に向上させる『デバイス』に適合することのできる一握りの人間だけだった。そのせいで常に人手不足だったのを、今度は『デバイス』に頼らずともそれに匹敵する能力を持った人間も勧誘することにしたらしい。
それは例えば暗躍させておくには惜しいほど多種多様な武器の扱いに長けた忍者であったり、アウェイな環境にも関わらず国のトップレベルの技術を持つメカニックであったり──そうして集められた彼らのために西の国にも支部が設置され、『Dytica』というユニットが組まれることになった。
そして次に、その環境でロウくんが自分の素性を明かせるようになったこと。
彼の正体は昔東の国で保護された白狼という希少な種族の末裔らしく、秘密裏に暗殺組織を率いる立場であったという。あの頃のロウくんは自らの過去の血生臭さを嫌って隠していたけど、忍者という同じレベルに血生臭い同僚ができたことで吹っ切れたらしい。
狼という性質ゆえに超夜型なのを隠すこともなくなり、最近は専ら深夜にしか顔を合わせない。むしろよく真昼間から学校なんて通えていたなと思う。
それにしても一番大きな功績としてはやっぱり、ヒーロー組織全体の労働環境を改善できたことだろう。
支部を設置して西の国と活動範囲を分けることになったおかげで、日夜島の北から南に派遣されてはKOZAKA-Cの殲滅に当たる忙殺の日々がマシになった、と当初マナくんから本気で感謝された。
彼の本業は芸人のほうだろうし、ウェンくんだって僕と同じ大学生だ。西の面々にだってそれぞれ別の顔があり、みんな二足のわらじを履きながら日々ヒーローとして活動することができるようになっている。
それはあのリトくんも同じで、今の彼は筋トレ好きが高じてジムトレーナーとして働いているらしい。なんで兼業が解禁されたというのにわざわざそっちの道に進んでしまったのか甚だ疑問ではあるけど、まぁ本人めちゃくちゃ楽しそうだし、側から見ていても天職なんだろうなぁと思えるので良しとする。
……それに、彼の夢はまた別の形で叶っているのだし。
「──そういやさぁ、リトとテツは明日あれやろ? なんやまた女子校に行ってくるんやろ?」
「ンマナくん言い方ァ……!」
「ちょっと歌とかの練習に助っ人として参加してくるだけだから。誤解招きそうな言い方やめてくんない??」
マナくんがわざとらしくニヤニヤ笑い、ウェンくんが「不潔ぅ〜」と悪ノリする。それをリトくんと必死に訂正しながら、まさか間違えていないよなとスマホのスケジュールアプリを開いて確認してみる。
それは最近呼ばれるようになったお嬢様学校の演劇同好会の活動で、時折集まっては好きなミュージカル曲を歌いまくるというものだ。少し前に任務で立ち寄った際、ひょんなことからミュージカルが好きという共通点が見つかったためこうして度々お邪魔させていただくことになっている。彼女たちからしても補うことの難しい男性パートのある曲が歌えるという利点があるらしく、毎度赴くたびに大変歓迎される。
もちろん学院側からの許可も得てやっているので勝手に侵入しているわけではない。断じて。
大きな劇場のぎっしり埋まった客席の前で歌うことはできなくとも、そこそこ広いステージから暇つぶしに観に来てくれる生徒や先生たちの前で、精一杯楽しみながら歌うことができる。
時にはお転婆で夢見がちなお姫様を嗜める優秀な執事として、時には自由気ままでありながらちょっぴりニヒルな義賊として、はたまたへっぽこな相棒を持つ愛嬌たっぷりのモンスターとして。伸びやかに高らかに、楽しげに歌うきみは、やっぱり隣で見ていても最高にかっこいいと思う。
そして何故かリトくんとともにずっと呼ばれ続けている僕の、普段の生活はというと──。
「んじゃテツは明日配信お休み? 僕あれ結構楽しみにしてるんだけど」
「えマジで? 嬉しいなぁ……明日は学院から帰ってきてからにはなるけど、まぁ何かしらはやるつもりだよ」
「元気やなぁ〜、何するん?」
「う〜んどうしよう。夜に帰って来れたら雑談とかになるだろうし、朝方になるならなんか、土とか食おうかなって思ってるんだけど」
「ごめんなんて?」
「お前煙草吸いすぎて飯買う金もねえの?」
「ヒーロー見習いって給料どんぐりとかなんか??」
「はは、そんなに褒めるなって」
そう言って鼻の下を擦ってみせれば、「褒めてねえよ」と一斉に声が揃うので思わず笑ってしまった。いやぁ、仲が良くて結構。
というわけで、どうにか正攻法でヒーロー組織に潜り込むことに成功した僕はまず、広報部にかけ合って市民の皆さんがヒーローというものに親しみを持ってもらえるようなネット配信をしてみないかと提案したのだった。
殺伐とした戦闘の様子を中継するのではなくユニット内の仲の良さや個人の自由さをありのままに配信することで、市民の皆さんのヒーロー組織に対する不信感や懐疑心を拭うことができ、また自分もヒーローを目指してみようかなという人を増やすこともできるだろうと力説し、実際成功した。計画通りというやつだろう。
配信の内容は僕に一任されているため、それは時にネットの海から拾ってきた変なゲームの実況だったり寝ぼけながら一晩かけて考えたよくわからない企画だったりするのだが、ここ最近は見てくれる人もそこそこ増えているのでこれで合っているんだろう。身内からの評価は真っ二つといった感じだけど。
にわかに騒がしくなり出したアジトに、突然チャイムの音が鳴り響く。
近くにいたウェンくんが「はーい」とモニターを付けてくれたところ、インターホンに映っていたのはビニール袋を両手に下げたロウくんと星導くんだった。
《すいませーん、鍵開けてもらっていいですかー?》
「何や大荷物やな……ドア開けられへんやろ、迎え行こうか?」
《あ大丈夫ですー。俺まだ使える『腕』いっぱいあるんで》
星導くんはにゅるんと蛸足を2、3本出して、飄々と笑っている。彼も自分の特性をよくもここまで使いこなせるようになったものだ。
マナくんはインターホンからキーパッドを操作して鍵を解除してやり、2人は軽く頭を下げながら画面端へと消えていく。しばらく待っていれば、階段の上からこちらへ向かう足音が聞こえてきた。
「どうもー遅くなりましたー。これ、小柳くんと途中のコンビニで買ってきたアイスとかです」
「えーマジで!? ありがとう!!」
ガサガサとテーブルに置かれる袋を覗いて見てみれば、そこにはスナック菓子やアイスがこれでもかというほど詰め込まれていた。お祝いでもらうお菓子って大体クッキーとか甘い系なのでこれは嬉しいな。
星導くんに続いて袋を置いたロウくんがアジトをきょろきょろと見渡す。ロウくんの持ってきた袋の方には、ジャーキーや鮭とばなどおつまみ系のお菓子がたくさん入っていた。
「……ライとカゲツ来てなくね?」
「さっきカゲツきゅんから連絡来てから音沙汰ないんだけど2人はなんか聞いてない?」
「え、ウェンが聞いてなくて俺らが聞いてるわけなくない? 普通に」
「なんでユニットの面子のが優先度低いん??」
「なんででしょうね?」と白々しい演技をする星導くんに、ロウくんは「俺らが返信しねえからだろ」と片肘で小突く。
……何だか懐かしいな。星導くんが記憶を失ってしまってからは、こんな光景がまた見られるとは思ってなかった。
「既読つかないな〜、これどっかで迷ってるんじゃない?」
「あーやっぱか……ちょい俺とウェンで迎え行ってくるわ」
「え、じゃあ僕も──」
「いいのいいの! 本日の主役はどっしり構えて座ってて!!」
慌ててマナくんの後ろに続こうとすると、ウェンくんに無理矢理押し戻されてしまった。
本日の主役って。もうみんな僕のお祝いがどうとかいうよりも、8人揃って呑み食いすることが目的になっているだろうに。
マナくんとウェンくんは上着を羽織ったり財布を持ったりして簡単な準備を済ませると、すぐに出て行ってしまった。
──これはどっちだろう。単純に2人が迷ってしまったので迎えに行っただけなのか、もしくは昔馴染み同士積もる話もあるだろうと気を遣われたのか。あの4人のことだから、多分後者なんだろう。
「…………一旦どうする? 俺ら」
「とりあえずアイス冷凍庫持ってこうぜ」
「ここアジトですよね? なんで冷凍庫あるんですか??」
「キッチンもあるしお風呂も仮眠室もあるよ」
「住めるじゃんもう。え、俺ここに住もうかな」
「あじゃあ光熱費は支払っていただいて……」
そんなふうになんてことのない会話をしながらキッチンへと辿り着き、袋からアイスだけを取り出して冷凍庫へとしまう。
いやこれアイス以外置いて来れば良かったな。完全な二度手間だ。
「何のアイスがいいとか全然分かんなかったんで手当たり次第に色々買ってきたんですけど……」
「うわすっげぇ! マジで色々あるじゃん──……あ、」
「? どうかしました?」
「……いや、何でもないよ」
星導くんに手渡されるカップアイスが少しも溶けていないことに、ほんの少しだけ寂しくなってしまった。
昔、星導くんの手によってパーカーのフードにいつの間にかアイスが入れられていて、家に着いてからどろっどろに溶けたそれが見つかったことがあった。確かロウくんも同じ被害に遭っていたはずで、それは当時の星導くんが『小悪魔』を目指して迷走していたからだった気がする。
もう小悪魔でなくなった星導くんはそんな小さな悪戯もしなくなったのか。大人になったんだな、きみも。
「……なんでなんか遠い目してんの?」
「いやぁ……感慨深いなって……」
「?? ……ヒーローになったことが……?」
「……まぁ、それもあるけどね」
アイスを全て冷凍庫に押し込んで顔を上げてみれば、ロウくんとリトくんが揃ってこちらを見下ろしていた。2人ともどこかノスタルジーに浸るような穏やかな顔をしていて、それはきっと、今の僕もそうなのだろう。
──ああ、良かった。僕らにとっての未来がこんなに穏やかでキラキラしたものであってくれて、本当に良かった。
バタフライエフェクトとはよく言ったもので、僕がしたことといったら竜巻を起こすためにほんの少し羽ばたいたことだけかもしれない。
けれど、現に星導くんとロウくんはこうして肩を並べることができているし、あの頃とは少し違う形ではあれど気の置けない仲でい続けられている。
リトくんは相変わらずヒーローを続けながら舞台の上で輝くことができていて、その右耳にはイナズマの形のピアスが誇らしげに輝いている。
僕も僕で何だかんだ好きなことをやれているのだし、全てはあの時手を貸してくれた彼のおかげというものだ。あれ以来結局一度も会えていないが、いつか再会できたら心からの感謝を述べるとしよう。
「……なんか、良いなぁ。こうやって昔の仲間とまた集まれるのって。当たり前じゃないんだよ、こういうのも」
「な、なんかイッテツが急にジジイみたいなこと言い出したんだけど」
「ああ、こいつがジジイなのはいつものことだからあんま気にしないで」
「おい今何つった?」
「腐っていても縁と言いますからねぇ。生きていく上でこういう関係性は大切にしていかないと」
「そうそう、今良いこと言っ────……え?」
いきなり真後ろから聞こえた声に振り向くと、夜色のローブをたなびかせた人物がニコニコしながらこちらを見ていた。あまりにもナチュラルに会話に参加してきたものだからすぐには反応できず、声も出せないまま跳ね上がった心臓を手で抑える。
「皆さんお揃いで? 私決して怪しい者ではございません、通りすがりの時魔導士──」
「────抜と、」
「待って! 待ってロウくんその人違うから!!」
目の前の人物を不審者と見るや否や、瞬時に変身して刀の柄に手をかけるロウくんを必死で制止する。危なかった、かけがえのない恩人が斬られる瞬間を目撃してしまうところだった。
「きゃ〜」とわざとらしい悲鳴を上げつつ僕の背後に回った長身の彼──ミランくんを見上げて、ロウくんは目隠しを押し上げる。
「……その声、お前もしかして──」
「ミランくん……ッ!! 来るなら来るって前もって言ってくれるかなぁ!? でないとびっくりしちゃうからさぁ……ッ!!」
「あぁ、ごめんなさぁい。なるべく驚かせないように声をかけたつもりだったんだけど」
僕の懸命なお願いにミランくんは少しも反省していない様子で『ごめんなさい』のポーズをしてみせる。くそ、確信犯だこいつ。
事情を察したらしいロウくんとリトくんは顔を見合わせ、やれやれとため息を吐いた。
「ハァ……お前はそういう奴だったな、そういや……」
「つうかめっちゃ久しぶりじゃね? 元気してた?」
「してたしてた〜。今日呼ばれてないな〜って思いながら来ちゃったんだけど大丈夫かなぁ?」
「あ〜〜これこれ、この感じだわ。ミランといえば。全然平気〜、な、テツ」
「いや大歓迎よ、そりゃ。もちろん」
これだけみんな集まってるのにミランくんだけ仲間外れって何だか気が引けるしな。どこまでもマイペースなミランくんと、分かっててそれにノるリトくんと、頭を痛めながらも振り回されてあげるロウくん。何となくあの頃の教室を思い出す雰囲気に自然と頬がほころぶ。
──そして星導くんは、一歩離れたところでそれをぽかんと見つめている。
「……えっと、お知り合いの方、ですか?」
「、あぁ……こいつは──」
「──お友達だよ。もちろん貴方とも」
ミランくんは星導くんに歩み寄り、柔らかく微笑んだ。星導くんはぱちぱちと瞬きをした後、ほんの一瞬逡巡して同じようにふわりと微笑み返す。
「……そう、なんですね。はじめまして……じゃないか。お久しぶりです、ミラン」
「んふふふ。久しぶり〜、しょうちゃん」
どことなくふわっとした挨拶とともに黒い手袋同士で握手を交わす。
……どうしよう、どちらの笑顔も胡散臭い。というかこの2人に関しては何なら昔よりも相性が良くなっている気がする。主に外見の怪しさという点で。
どうしてこう揃いも揃って進化先が闇属性なんだろうか。気まずさから目を逸らした先で、キッチンカウンターの上に謎のクーラーボックスが置かれていることに気付いてしまった。このタイミングでのクーラーボックス。嫌な予感しかしない。
「…………ミランくん、このクーラーボックスって……」
「あぁそれね、鱧」
「ハモ!?」
「なんで急にハモ……??」
「え? 今日鍋パーティするんじゃないの?」
「どう情報が食い違ったらそうなるの??」
「てか鍋にしたって鱧鍋って」
「せめて捌ける奴呼んで来いよ」
そして厳正なる話し合いの結果、鱧は一旦冷蔵庫に入れておくことになった。後で鱧の捌き方を調べておかないといけないな。
「えっお酒もあるの? 飲んじゃおうかな〜」「お前マジであんま飲みすぎんなよ」「小柳くんなんか絶対人前で飲まないじゃないですか」とやんややんや言い合うみんなを見ながら、脳内でずっと鮮やかなままの当時の景色を重ねてみる。
──何も変わってなんかいないな。失くしたものはそれぞれあれど、こうしていると僕らの根本は何一つとして変わっていないのだと思える。
青春は意外と長く続いているし、大人になるってそんなに悪いことじゃなかったな。ぼんやりとそんなことを考えていると、ミランくんが突然僕の顔を覗き込んできた。一瞬で思考が消し飛ぶ。
「ぅお゛ッッ!? エッ何!?」
「私達下に戻るけど、ふたりはどうするのかな〜って」
「ふたり……? ──おぁッ、リトくん……!」
ミランくんが見つめる方向を見てみると、いつの間にか僕の真横にはリトくんが立っていた。その距離感と視線の圧に、併せて驚く。
「悪いけど先戻っててくんない? こいつ多分この後煙草吸うから、俺は吸いすぎねえように見張っとかないとなんだよね」
「ぎ、ぎくぅ……!?」
「はははっ、ギク〜じゃねえよ。お前ヤニ切れてんの分かりやすすぎな?」
僕が縮み上がるのを見て、リトくんはあの鶏みたいな元気な声を上げて笑った。Oriensに仮加入した頃はこの笑い声を聞くだけで泣きそうになっていたのを思い出す。こんな愉快な声で笑う人なんてそうそういないんだから、きみは二度と笑い方を忘れたりしないでくれよ。
3人がキッチンから出ていくのを見送りながら、お言葉に甘えて煙草を吸わせてもらうことにする。リトくんは煙草があんまり得意じゃないので離れようとすると、それは片手で制されてしまった。
「今はキリンちゃん、下で寝てるからさ」
「……でも、」
「いーんだって」
そう言いながらリトくんはコンロの上の換気扇を付け、すぐ横の壁へと凭れかかった。……ここで吸え、ということらしい。
仕方ないのでリトくんの隣へ移動し、ポケットから箱とライターを取り出す。そういえば、過去を変えても煙草だけはやめられなかったな。
「なんか、すげー懐かしいな。あいつらといると」
「……ね。こんな変わんないもんなんだね、みんな」
「な」
煙草を口に咥え、吸い込みながら火を着ける。チリ、と微かな音を立てて先端部分が淡く光った。
「……そういや、お前が最近良くしてもらってるあの……眼鏡のさ、めっちゃシゴデキっぽい青い人。あの人もうちの学校出身なんだってな」
「あぁ、らしいね。……それを言うならきみが最近可愛がってる……呪術師? だかの彼もあの学校の後輩なんでしょ?」
「あー……なんか聞いたわ。意外と多いな、そうやって考えると」
「そうだねぇ……この世界もさ、広いようで狭いから」
「……ふ、何悟ったみてえなこと言ってんだよ」
「いやいや、事実でしょうが」
ふ、と笑いながら紫色の煙を散らす。煙草の煙を燻らせて思い出話をするって、なんかものすごく大人な気分だ。
リトくんはどこか遠くを見つめて背中を丸め、指先をいじくっている。……僕の癖が移っちゃったかな、なんておそらくてんで的外れなことを思う。
「…………そんでさ、」
「うん」
「お前、なんか俺に隠してることある?」
「…………、」
突然踏み込んだ質問が飛んできて、危うく煙草を取り落としそうになる。何とか平静を装いつつ顔を上げると、リトくんはあまり見たことのない表情でこちらを見つめていた。
「具体的に言うと、さっきミランが時魔導士とか何とかって名乗ったのと、お前が『あの日』急に説教してきたの、なんか関係あんのかって話なんだけど」
「…………それは……」
「それは?」
リトくんが首を傾げるのと同時に、ピアスがチャリ、と音を立てる。
僕は口を開いて、また閉じた。薄墨のように淡い煙が唇の隙間を縫って飛び出して、どこへも辿り着かずに溶けて消える。
十秒、二十秒と時間だけが過ぎていく。
リトくんは多分、怒っているわけじゃないんだろう。純粋に僕が何を隠しているのか知りたくて、もし予感が当たっているならそれについても詳しく知りたいはずだ。何故なら僕ならそうするだろうから。
──別に、ここで全て言ってしまっても良かった。
特に口止めをされているわけじゃないし、今まで言っていなかったのだってリトくん相手に恩だの借りだのを作る気になれなかっただけし。……けれど、きみの知らない物語の全てを言って聞かせるには、この煙草はあまりに短すぎる。
僕は今度こそカラカラになった口を開いて、いつもの冗談を言うときの彼を思い出してみた。
「──秘密、って言ったらどうする?」
「……はは、別に? どうもしねえよ」
「じゃあ、……今はまだ、そういうことで」
それだけ言うとすぐさま煙草に口を付ける。重たい雰囲気に耐えられなくて、さっさと黙る口実が欲しかった。
リトくんは気が抜けたみたいに天を仰いで、ため息混じりに笑っている。そしてふと、──いつかのきみも、こんな気持ちで僕を遠ざけたりなんかしたのかな、と思って。
「……今はあれだけどさ、いつかまた、ゆっくり話せる時が来たら聞かせてあげるよ」
「あ? ……いいのかよ」
「良いよ、別に減るもんじゃないし」
不意を突かれたように目を丸くするリトくんに大人ぶって笑いかけてやる。
その澄んだオレンジ色はもう、きみのものなんだな。
「何せまだ始まったばっかりだからね、
────この僕の、一徹無垢な冒険譚ってヤツはさ!」
敬具。
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なんでだろう…この平和な雰囲気に泣きそうなった…… なんならちょっと泣いた…… さすがです…もう……ふぅ〜ん……泣泣 なんかもう…はぁあああああああ………(クソデカ感情) ありがとうございます……次も楽しみにしてますぅ………