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コン、コン、コン――
「お取り込み中、失礼します」
そう言って静かに部屋に入ってきたのは、見覚えのある男だった。
軍服のようなコートに、あの苛立たしげな足音。中原中也。
「構わないよ、中也くん」
森鴎外が答え、手にしていた書類から目を上げる。
「ありがとうございます」
中也の目が、部屋の隅に立つひとりの女を捉える。
その瞬間、彼の表情が凍りついた。
「……梨奈、お前……生きてたのか」
その声に、梨奈はわずかに眉を曇らせ、目を逸らした。
その仕草すらも、人間味が薄れているように見えた。
「……うちの異能力で、戻ってきただけや」
中也は眉をひそめる。
「“だけ”だと? あのとき、確かに死んだはずだ。遺体も――」
「消えたんよ、あの夜だけ」
梨奈は小さく笑ったが、笑みには温もりがなかった。
そこには怨念にも似た静けさが漂っていた。
「太宰には……まだ言わん。言うつもりもない。少なくとも“あいつ”に会うまでは」
「……“あいつ”?」
「うちを殺した奴や。名前も顔も覚えとる。どこにいるかも、もうすぐ分かる」
中也は言葉を失う。目の前の梨奈から、どこか“生”の匂いがしなかった。
「お前……まさか、復讐のためだけに……」
「それ以外に、生き返る理由なんかある?」
そう言った梨奈の瞳は、透き通るように冷たかった。
幽霊――いや、“執念”そのものだ。
森が立ち上がる。
「……中也くん、この件はまだ太宰くんには伏せておくべきだ。彼女の意志がある限りはね」
「わかってます。だが――」
「もし、彼が梨奈くんの存在を知ってしまえば……制御できない。そういうことだ」
森が出ていくと、部屋には再び沈黙が落ちた。
中也が重い声で口を開く。
「……どこまでやるつもりだ」
「殺す。地獄の底まで追ってでも」
梨奈の言葉は、まるで死神の宣告だった。
中也は、しばらく彼女の目を見つめたまま、何も言えなかった。
「……なら、せめて利用されんなよ。お前の異能力を狙う奴は、この街には腐るほどいる」
「分かっとる。裏を取るには情報が要る。中也くん、君なら持ってるやろ?」
それは依頼でも、懇願でもない。
ただ、復讐の道を選んだ亡霊が発した、冷たい取引の言葉だった。
ーーーーーーーー
梨奈の胸の奥に残っていたはずの温もりは、既に凍りついていた。
あの日、命を奪われた瞬間から、彼女の心を支配していたのはただひとつ――冷えきった復讐心。
太宰への想いなど、とうに奥底に封じ込めた。
今の彼女にとって、それは生きる理由ではなく、足かせにしかならなかったからだ。