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90S あの時
90s
1989年、昭和から平成へと年号が変わる中、
日本経済は世界の頂点を目指して発展を続け、
街は購買意欲に満ちた人々で賑わっていた。
この時代は、アナログからデジタルへと移行が
進む転換期でもあり、新たな時代の幕開けを迎
えていた。そんな中、見知らぬ土地に一人で降
り立ち、就職という人生の新たなスタートを切
ることになった私は、激動の90年代を社会人と
して体験し、数十年後の現在に至るまでの旅路
の果てに何を感じたのかを綴りたいと思いま
す。
【昭和の終焉と旅立ち】
1988年12月31日、年越しの日。当時高校3年
生だった私は、卒業式を控え、いつもとは異な
る新年を迎えようとしていた。新年を迎える期
待と不安が入り混じり、まるで日々期待と不安
が混ざった風船を膨らましている様だった。
4月には、生まれ育った土地を離れ、未経験の
場所での就職が始まる。
夕方、両親はテレビの紅白歌合戦を楽しんでい
たが、私は一人部屋で過ごし、窓の外の闇を見
つめながら、少し遅れていた壁掛け時計の針を
見てもうすぐ12時かと思った瞬間、遠くの港か
ら貨物船の汽笛が新年を祝う声を響かせてい
た。毎年、新たな年に変わるたびに自分を変え
ようと思うが、実際には何も変わらなかった。
しかし今回、次の年には確かな変化が訪れると
信じていた。期待と不安、そして過去への未練
が交差した夜だった。
家族は母と父、私の3人暮らしで、両親は小さ
な町工場を営んでいました、物心がついたころか
ら一人で過ごす時間が多く、創造性豊かに遊ん
であました。昭和の終わり頃、一人っ子は比較
的珍しく、近所の公園には友達や兄弟と遊ぶ子
供たちがまだまだ沢山おり、時折見知らぬ同
年代の子供が遊ぼうっ声をかけてくる時もあり
特に可愛いい女の子だと嬉しかったことを
よく覚えております。周りの子供たちはいつも
笑顔で、時間を忘れて遊んでいた、あの時の様
に夢中になって時間を忘れて遊ぶことも成長と
ともに次第に少なくなっていきました。
小学生になると、同じクラスの友達と遊ぶこと
が増え、授業が終わるとともに友達と遊ぶ日々
が続いた、気づけば、自分の意思よりも友達に
合わせて遊ぶことが多くなったが、気の合う友
達と遊ぶのは楽しかった。義務教育を通じて、
多くの思い出を作った、楽しい時はあっという
間に過ぎ去り、高校生活が始まり、受験や卒業
式を迎え、年が明けると、昭和の終わりととも
に平成に年号も変わり、高校生活も自由登校
になり、家で過ごす時間が増える中、自由気ま
まに日々を過ごすようになったある夜、母親か
ら「明日は仕事が早く終わるから、一人で生活
するのに困らないように必要なものを一緒に買
いに行こう」と言われ、うんと返事をした。
翌日、早々に仕事から帰ってきた母親と近所の
ディスカウントストアに出かけ、歯ブラシや鏡
など、一人暮らしに必要な日用品を買い揃え
た。必要なものをほとんどカートに入れ、レジ
に向かう途中、当時欲しかったSONYのウォー
クマンがガラス越しに陳列されているのに目が
止まったことだった。音楽を聴けば、孤独な一
人暮らしの寂しさを紛らわせられるという勝手
な理由付けをし、母親に最後にコレもと頼み店
員に頼んでガラスケースから出してもらい、買
い物カゴに入れた。
この時から、親に欲しい物や学用品を買っても
らい、喜ぶ姿を見せるだけで感謝やお礼を伝え
ることは、これまで一度もなかったことを思い
出した。自分は、親と馴れ合いの中で育ち、礼
儀正しくお礼や挨拶をすることが親や親戚に何
故かできず、常に顔を合わせる親族に改まって
お礼する事が恥ずかしいと思っていたのかもし
れない。
外見は18歳だが、内心はまだ甘えたい子供のま
まであった。
【初めての土地】
あっという間に就職の日になり、両親に車で駅
まで送ってもらった。途中、最低でも3年、で
きれば10年は新天地での人生を歩もうと決意し
ていた、だがそのときはまさか永住への旅立ち
だとは思わなかった。
駅に着き、親と電車のホームへ向かう途中、売
店に目が止まり、電車の中で退屈を紛らわせる
ために、週間マガジンとチャンピオンを買っ
た。当時、関東から1500キロ離れたこの土地
では、週刊誌の発売日が関東より1週間遅かった
ため、今日買った雑誌の続きが翌日すぐに読め
ると思うと少し嬉しくなった。そうしているう
ちに電車の発車の合図が鳴り響き、車窓から
自分を見送る両親に手を降っていると電車が少
しづつ動き始めた、ホームでいつまでも手を降
り見送る両親を車窓から見えなくなるまで見つ
めて居たら18才迄過ごしたこの地を本当に離れ
るのだと実感が込み上げてきた、電車が加速し
て駅のホームから離れ車内のスピーカーからア
ナウンスが聞こえてきた、過去に行った事のあ
る駅名からその先の未開拓の駅名の到着時刻が
聞こえる、これまでの自分が感じていた世界観
を突き破り新たな世界に突入するんだと漠然と
感じながらホームで合流した。他校生だが中学
時代同じ学校で顔見知りだった同郷の子と長椅
子に腰掛け売店で買って貰った弁当をお互い食
べ始めた、電車に揺られて時間も過ぎ同郷の子
と会話も徐々に途切れかけたころ、親に最後に
買ってもらったSONYのウォークマンをボスト
ンバックから取り出し、ブルーハーツのカセッ
トをセットして、「トレイントレイン」を聴き
ながら暗闇の窓の向こうをぼんやり見つめてい
た。気づけば何度もボタンを巻き戻し、同じ曲
をヘビーローテーションで繰り返していた。
【見えない自由】
「見えない自由がほしくて
見えない銃を撃ちまくる
本当の声を聴かせてくれよ」
あの時、自分が感じていた見えない自由とは、
漠然としたものであり、本当の自由の正体もつ
かめていないまま、漠然とした想いを抱いてい
たのだと思う。高校を卒業し、就職して社会に
放たれ、一人前の社会人になれば自由が手に入
ると思っていたのか、それとも、親の承諾も得
ずに突き進んでいく自分に、何か自由があるの
か、と考えていた。未だに答えは見つかってい
ないが、暗闇の中を走る電車のなかでそんなこ
とを考えていたら、外も明るくなり、主要都市
で何度か乗り換えるうちに人生初の関東圏に入
り、自分の気持ちが高まった。ふと自分の郷里
の友人に目を向けると、目的地の駅から今夜お
世話になる就職先の寮までのアクセスを、企業
から送られてきた資料とともに確認していた。
自分と言えば、駅から目的地までタクシーに乗
れば大丈夫だろう、という考えしかなかったた
め、その友人の几帳面な性格にしばし呆気にと
られたが、就職先は違えど同じ地域で暮らすの
だから、と、自分から「途中まで同じタクシー
に乗り合おうと」声をかけ、目的地の駅に到着
して
から二人でタクシーに乗った。駅から比較的近
くにある友人の会社と隣接する寮に着き、友人
を降ろして自分一人になると、寂しさが込み上
げてきた。
出会い
センチメンタルに浸っていると、「着いたよ」
と運転手さんの声で我に返り、目的地の会社の
寮の前でタクシーは停車した。急いで運賃を支
払い、寮の前に降り立った。外観は長い間使わ
れていなかった県営住宅のようで、思い描いて
いた小奇麗な外観(ユニットバス付きのフロー
リングの1LDK)の夢は崩れ去った。落ち込む
気持ちもあったが、仕方なく玄関のガラス張り
の両面ドアを通ると、寮の管理人とみら
れる50代〜60代の男性が出てきて、「部屋番
号を確認するから」と寮長と共に寮看守部屋と
大きな表札のある部屋に入り、満面の笑みを浮
かべながら私をじっと見つめる寮長が「ここは
男子寮だから、住んでいるのは男性だけ、親戚
でも女性は入れないからね」と一言、その場で
書類を差し出され、氏名と生年月日を記入しな
がら寮内の注意事項や案内を早口で話し始めた
が寮長の早口はまるで小言のようで、何を言っ
ているのか理解できなかった。疲労もあって聞
き返す気力もなかった。そんな疲れた心情を察
したのか、話し終えると、「そちらの鍵を渡す
から」と言って、部屋番号の付いた鍵を素早く
渡してくれた。指示通り、階段を上がりすぐの
201号室に入り、ドアの鍵を回して開けると、
テレビや漫画でしか見たことのないような四畳
半の畳部屋だった。壁も薄く、隙間から隣の部
屋の明かりや音も漏れていた。
実家に比べて自室は遥かに劣るが、その落ち込
みも疲労とともに深まり、親の顔が頭に浮かん
できた。一睡もできず、車内で揺られながら身
体と心はすぐにでも眠れそうだったが、目的地
の寮に無事到着したことを両親に知らせるた
め、部屋を出て公衆電話を探し、寮を飛び出し
た。身体も思考も疲弊していたが、実家に電話
をかけ、「声を聞いた」とだけ伝えると、モチ
ベーションが上がった。しかし、持ち合わせて
いた10円硬貨はすぐになくなり、ありきたりの
言葉でまた電話すると伝え、電話を切った。寮
に戻る途中、改めて1500キロ離れた未知の土
地に来たことを痛感し、部屋に入ると倒れるよ
うに眠ってしまった。
翌日、目を覚まして部屋を見回すと、昨日の寮
長の「女性入室禁止」という言葉を思い出し、
この部屋なら誰も来ないだろうと一人冗談交じ
りに笑った。そして、畳四畳半の空間に対し
て、これまで感じたことのない感覚を覚えた。
テレビで見たことのある貧乏学生の四畳半部屋
と似ているが、こちらはテレビのセットではな
く、実際に人が暮らしている部屋だと気づいた
瞬間、不思議な感情が湧き上がった。それは、
「この場所で一人前の社会人になるためにやっ
てやる」という前向きな意欲だった。一方、何
もすることがなくひとりきりの部屋にいると、
寂しさも湧きやすいため、気持ちを入れ替え、
窓を開けたとたん、大音量の音楽が聞こえてき
た。洋楽やユーロビート、矢沢永吉の
「TOKYO NIGHT」など、寮の上階に住む先輩
寮生たちがお気に入りの音楽を楽しんでいるの
だろう。壁は薄いが、鉄筋コンクリートの建物
なので、窓を閉めれば外の騒音は遮断できると
ひとまず安心して喉の渇きを思い出し、一度下
の階に降りて玄関脇の自動販売機に向かった、
階段を降りると何やらペンキで汚れた作業服を
きた初老の男性が寮看守の部屋の前で身を乗り
出す様に寮長に訴えている、何ら先日から始
まった寮の外壁塗装、外壁の塗り替え工事の為
に足場を寮の外壁沿いに設置して、その設置し
た足場に乗り更に二階の足場を若い塗装工員が
設置している時、何やら声が聞こえふとガラス
越しに室内をみたら男女が声を上げイチャイチ
ャしてるのを目撃し、ガラス越しに室内をよく
見ようと近寄ったら足を足場から踏み外して二
階から落ちたと言っている、なんでもカーテン
全開で声もガラス越しに大きく聞こえ、誰が足
場で作業していても、気になるので寮看守にそ
の部屋に住んでいる住人にカーテン閉めて外に
声が漏れない様、節度を保てと刹那に訴えてる
ではないか、寮長も寮は女性入室禁止であり、
私が寮に入る寮生は全てチェクしてるし、まして二
階の部屋に女性がいるはずはないと反論仕返し
ている、その現場監督と困った顔で対応してい
る寮長のやり取りを横目で見ながら笑を堪えて
自販機で買ったコーヒーを手にそそくさと部屋
に戻った。
この寮は男子寮であり、高校を卒業した男性が
30歳まで住めるもので、会社の福利厚生により
食費以外居住費は無料提供もあり、老朽化が進
んだ独身寮だが給料の少ない若い世代を中心に
寮内はほぼ満室で、多くの若者が暮らしてい
る。故郷を離れ、就職を機に高校卒業と同時に
全国からこの地に集まり、特に高校を卒業した
ばかりの18歳から30歳までの血気盛んな独身
男性が多く住んでいる。そのため、寮内ではさ
まざまなトラブルも頻発し、当時はまだ力と金
で何でも解決できる風潮が強かった時代だっ
た。男子寮での生活は毎日が驚きと発見の連続
である。
寮生だけの暗黙のルールや、就職先でトラブル
や緊急事態が発生した場合には、休日や祝祭日
も昼夜を問わず、寮に在籍する寮生がまず会社
に呼び出され、対応に追われる事も有り、仕事
と寮での生活に慣れるまで仕事から帰って来て
も寮で安心して気を抜くことができず、落ち着
かない日々を送っていた、一方、勤務先の企
業は一応名の通ったところで、ブラック企業と
いうわけでもなく、福利厚生もしっかりしてい
たし仕事内容は工場勤務だったが何とかやって
いけていた。
出会い
新たな土地での新生活が始まり、仕事にも少し
慣れてきた頃、一人で仕事を終えて寮に帰る途
中、「おい、おい」と後ろから誰かに声を掛け
られることに気づき振り帰ると、そこには当時
人気のカレッジTに膝に穴の空いたボロボロの
501を履き足元にはのadidasのスタンスミス雑
誌の特集した古着屋から出てきた様な身なりを
した髪の毛ボサボサの男性、よく見ると同じ寮
で見たことのある年上の先輩寮生だった。
そう思いその男性を見入っていると「お前、鹿
児島だろ」と言われ、「はい」と答えると、
「俺も鹿児島だ」と同郷訛りで返してきた。同
郷であることもあり、寮に着くなりそのまま先
輩の後を着いて行き先輩の部屋に上がらせて貰
ったら畳四畳半のスペースに綺麗にフローリン
グカーペットを敷き押入れの引き戸を外し上下
の仕切りを利用して上に布団を敷き下にクロー
ゼットを仕切りに合わせて設置して生活スペー
スを広くとり、男2人寛いでも窮屈じゃない部
屋を見回して、自分の何もない畳の臭いしかし
ない部屋とを比べ重ねて驚いてしまった、そん
な私に小さなワンドアの冷凍と冷蔵が一体とな
ってる一人暮らし用のコンパクト冷蔵庫からビ
ールを取り出し手渡してきた、2人で乾杯しな
がら先輩の部屋を事故現場、いやショールーム
の様に見回すと壁に無数の映画ポスター、イー
ジーライダー、エンドレスサマー ハリウッド
映画を代する様な映画のポスターが貼ってあり
窓枠にアメリカのキャラクターを催したソフト
ビニール貯金箱古着屋で揃えた様な部屋の装備
品の数々だが綺麗に部屋自体整理され陳列して
いるので窮屈感も無く、自分には夢の小さな博
物館に感じた、その中でも部屋の照明に照らさ
れキラキラと時折輝く緑色のコップを見つけて
手に持って見ると、重い、プラスチックと思っ
ていたそのコップは陶器でも無くガラスの様な
緑色した透明感あるコップなのである、不思議
そうに手に取って見ていると先輩から「気をつ
けて」落としたらすぐ割れると言われ、こんな
重いコップ使い辛くないですかと、の私の問
いに、「飾りだから良いんだよ、それにマグカ
ップだし」ファイャーキングだよ、と教えてく
れた先輩に「炎の王様ですか?」と不思議そう
に言葉を返すと、古いアメリカのマグカッだ、
「へぇー
レトロなアンティークなんですねこのコップ」
と又返事を返すと、「アンティークじゃないア
メリカンヴィンテージ だよ、ハリウッド映画
で主
人公がこのマグカップを使い良くコーヒー飲ん
でるだろ、お前の履いている501も元々アメリ
カ製品、だから昔の501はヴィンテージ 品、ヴ
ィンテージ 品は年々希少価値が付き値段が高く
なるから買える時に買って温めて置くんだよ」
そう興奮気味に言い放つ先輩の顔を見て話を聞
いていたら、経済ニュースで見た株が上下して
興奮しながら自身の株の変動を見守る人に先輩
とが重なって見えた、その後仕事が終わるとす
ぐに先輩の部屋に入り浸るようになり、兄弟の
いなかった一人っ子で育った自分にとって、遠
い土地で仕事が終わればいつでも会えるその先
輩は、何気ない話や仕事の話、故郷のことを打
ち明け合うことができ、隠し事もなくありのま
まを話せる存在だった。先輩は、兄のような存
在であり、年齢は違えど無二の友人となった。
叔父さん
ある日、寮の入り口に設置されたビールの自
動販売機で、先輩と自分のビール缶を買い、先
輩の部屋へ向かおうとしていたところ、一階の
開いた廊下の窓から身を乗り出して叫ぶ先輩に
気づいた。
「おーい、こっち来てみろ」と呼ぶ先輩のもと
へと寮の裏口に隣接した寮生専用駐車場に
行くと、駐車場の線引きギリギリに、大きなタ
イヤに荷台の付いた、普通の国産車としてはあ
り得ない程の車高も車幅もワイドな、全体がワ
イルドな印象の車が駐車されていた。その車の
運転席に先輩が乗っており、助手席に乗るよう
手招きしていた。タイヤに足を掛けて助手席に
乗り込み、外の景色を見渡すと、窓の外の景色
が普通の車と異なり、バスと同じくらいの高さ
にあることに気付いた。
「先輩、この車買ったんですか?」と尋ねる
と、「4x4だよ」と先輩が一言。
さらに、「トラックですか?」と質問すると、
「違う、違う。リフトアップしたハイラックス
のWキャブだ」と返事があった。
「荷物を積んで走るだけのトラックとは違う。
道なき道を走破し、あらゆる悪路を乗り越え
て、行きたい場所へどこまでも行ける、俺のプ
ライベートパートナーだよ」とニコニコしなが
ら話す先輩に、何だか自分の方が恥ずかしくな
っていた。
(当時の1990年代頃は、全国的に見てもまだ
若者の車の流行はシャコタン全盛期で、フルエ
アロにローサス、マフラー交換やオールペイン
トがステータスだったような気がする。住んで
いた寮が江ノ島に程近いこともあり、週末の日
暮れ時には134号線を行進のように突き進む行
列や、同じ柄のステッカーを貼った車やバイク
の爆音が深夜も構わず江ノ島周辺の道路で朝ま
で鳴り響いていた時代だった。)
当時車体をラジコンのジープのように持ち上げ
大きいタイヤを装着した4x4は、自分にとって
とても珍しかった。先輩の車の助手席に乗り、
車窓から見える景色はひときわ美しかったし、
普通乗用車では見られない風景を自分に見せて
くれた。それから、先輩の車で出かけることが
多くなった。自分は普通乗用車の免許をまだ持
っていなかったため、車を買う前に免許を取得
する壁が立ちふさがっていた。先輩が運転し、
自分は地図を見て目的地までのナビゲーション
を担当する、そんな役割が自然と当たり前にな
っていた。楽しい日々が続く一方、急に先輩の
仕事が夜勤にシフトし、私の昼勤務と生活リズ
ムが合わなくなり、一緒に出かけることも少な
くなってきた、ある夜
週末の深夜11時頃、部屋のドアをドンドンと叩
く音がした。すぐに覗き穴から訪問者を確認す
ると、見慣れた先輩が佇んでいた。慌ててドア
を開け、部屋に招き入れようとしたところ、先
輩の一言、「今から出られるか?」に対して、
重くなっていたまぶたを擦りながら、「はい、
出られますよ」と答えた。
着ていたスウェットを、その場に脱ぎ捨て、外
出用のカーハートのペインターパンツと渋谷、
原宿見学に1人で行った時に原宿シカゴで買った
スヌーピーがプリントされてる厚手のTシャツ
に着替え、先輩の後ろについて歩きながら、寮
の玄関に停めてあった先輩の車、ハイラックス
に乗り込んだ。久しぶりのナビゲーションだ。
先輩に「こんな深夜に、どこへ行くんです
か?」と尋ねると、「俺の親戚の家だよ」と
意外な返答が返ってきた。一瞬、何を言ってい
るのか分からなくなったが、「親戚の家にこん
な深夜に、しかも他人を連れて行くのは非常識
じゃないですか?」と質問を繰り返した。
先輩は笑いながら、「飲み屋を営んでいる横須
賀の親戚のところに行って、飲んだ後、店の中
で二人で寝かせてもらうんだよ」と答えた。そ
の言葉を信じ、「マジっすか」と一言返し、レ
コードからカセットにダビングしたばかりの
Run-D.M.C.の曲を先輩お気に入りのアゼスト
のカーデッキに入れ、車のスピーカーが割れそ
うなほど大きくボリュームを上げて、二人とも
テンションを上げながら目的地の横須賀へと向
かった。
久しぶりのクルージングに眠気も吹き飛び、思
いがけない深夜ドライブとなったが、とても楽
しかった。男二人で車を走らせるのがこれほど
楽しいとは思わなかった。あの思い出は今も心
の中に鮮明に残っている。純粋に楽しかった
あの瞬間が色褪せず、年齢を重ねても、いつま
でも心の奥に持ち続けられることが、一番の宝
物だと感じられるようになった。
Run-D.M.C.のカセットを約3周程繰り返し聴
いた頃、先輩の親戚が経営するという飲み屋に
到着した。深夜だったため、周囲の建物はあま
り覚えていないが、山間の急なコーナーを曲が
り終えた道路脇には、100坪にも満たない小さ
な長屋のような建物があった。
先輩に誘われて店の暖簾を潜ると、人気のない
店内の奥から元気な声が響いてきた。
「来たかー」「来たよー」と先輩が返事をす
る。閉店時刻をとっくに過ぎた店内のカウンタ
ーに、先輩と二人座りカウンター越しに先輩の
親戚の叔父さんと声を交わしながら、注いでも
らった瓶ビールを二杯、三杯と飲み干してい
た。三人で話が弾む中、先輩の叔父さんも高校
卒業と同時に就職難の郷土を離れ、一人この土
地にやってきたそうだ。当時は大船撮影所とい
う映画の撮影所関連の仕事先に就職していた
が、大船撮影所が閉鎖になり、就職先の仕事も
無くなり、横須賀のこの地でひっそりと
飲み屋を始めたという。コッチの女性と結婚も
若い頃にしたが、性格の不一致が年々増してき
たため離婚したとも話してくれた。三人は一時
を忘れて郷土の話で盛り上がった。時計を見る
と2時を過ぎており、明日はいつもより早く店
に来なければならない、と親戚の人は言い、自
分たちを店に残して自宅へ帰ると言った。「朝
になったらまた来るから」と、店の奥の小上が
り席で寝るよう告げ、小上がり席のテーブルを
片付けて敷いてあった座布団を枕に使えと言い
残し、店を出て行った。残った先輩も疲れた表
情で「寝るか」と言い、テーブルをどかした畳
の上にゴロンと横になった。すぐに寝息を立て
て眠ってしまった。自分も側に横になり、店の
天井を眺めながら夜明けを待つことにした。
カチャンカチャンと鍋や食器の音が聞こえ、目
が覚めると、もう親戚の叔父さんも店に来てい
て、奥の厨房で忙しそうに働いている。自分の
隣で寝ていたはずの先輩も、周囲を見回してい
ない。両手を伸ばし、顔を上に向けながら店内
の時計を見ると、すでに朝の9時半だった。厨
房で忙しそうに仕込みの準備をしている親戚の
方に、先輩の行方を尋ねると、「店の外で客と
バーベキューの準備をしているよ」と答えられ
た。店を出てみると、昨夜は暗くて店の周辺が
よくわからなかったが、横須賀の街から程近い
山間の道路脇だった。昨夜は辺鄙な場所だと思
っていたが、日が上り明るくなっていたので改
めて店の周囲を見渡せば、街も近く、横須賀の
海も一望できる高台の好立地だ。基地に停泊し
ていた空母も、この高台からよく見えた。物珍
しそうに店の外から景観を眺めていると、先輩
が寄ってきて、「今日は親戚の店を閉めて、お
得意のお客さんと店の外でバーベキューをする
から、一緒に準備しよう」と声を掛けてきた。
先輩の親戚の方は、先ほどは店内で仕込みの準
備をしていると思っていたが、実は違い、普段
よく来店する常連さんと私たちのために親睦会
を兼ねたバーベキューを企画していた。昨夜は
カウンター越しにしか見えなかった先輩の叔父
さんだが、昼間外で見ると、スラリと伸びた白
髪交じりのセミロングにヘンリーネックのコッ
トンシャツ、517のブーツカットにニューバラ
ンスの1300を合わせて履いている。その自分
の親と同世代の叔父さんのルックスを見て、昨
夜は感じなかった衝撃を受けた。なぜそんなに
若者が好んで着るブランドや服を、若者以上に
かっこよく着こなせるのか、疑問に思ったの
で、炭火に叔父さんと協力して火をつける際
に、「叔父さん、そのリーバイス良い当たりで
すね」とか、「ニューバランスもカッコいいで
すね、胸元にゴローズ付ければ完璧っすよ」と
話しかけると、叔父さんは一言、「まあな」と
軽く返してくれた。
そんなことをしているうちに、お店の常連客と
思われる黒人の男性たちが、大きなス
クーター、ビッグスクーターに乗り数人やって
きた。これもまた、スケールが大きく、間近で
見た常連客たちは皆デカく、顔はニコニコして
いるが圧力感がすごく、話しかけるどころか近
寄ることもできなかった。彼らは横須賀の基地
の米兵らしく、手にした袋には大きなステーキ
肉が入っていた。バーベキュー用に、基地の人
しか手に入らない場所で買ってきたのか、と思
うほどの何キロもある一切れの肉を何枚も持参
していた。
それまで黒人の人と接することはなか
ったので、興味津々だったが、間近で見ると三
人ともとても大きく、顔はニコニコしているも
のの、圧力感が圧倒的で、話しかけたり近寄っ
たりはとてもできなかった。叔父さんは流暢な
英語で話していたが、私と先輩は何を話してい
るのか全くわからなかった。テレビの英会話程
度なら理解できるが、ネイティブ同士の会話
は、間近で聞いてもさっぱり訳がわからなかっ
た。
ブラック黒人同士が身振り手振りを交えて話し
ているのを見るだけでも面白く感じ、少し距離
を置きながら会話を観察していたら、叔父さん
が自分たちの元に来て、「アイツら、基地での
愚痴を言っているんだよ。話す内容は基地内の
愚痴か、いつも食べ物の話だ」と教えてくれ
た。叔父さんによると、メディアではアメリカ
全土は既に黒人に対する差別が一切存在しない
と強く主張しているが、実際には基地で働く
黒人は、兵士である前に日常作業として
の労働もこなしている。黒人だけでなく、基地
に在籍する兵士は訓練以外にも日常的な作業を
役割分担によって担っているらしい。例えば、
港に空母が到着したとき、巨大な空母を桟橋に
引き寄せるためのロープを人力で引き寄せる作
業には、皆黒人が選ばれることが多い。また過
去には、空母に降りるF-15戦闘機の車輪止め用
ワイヤーの近くにいた人物が、F-15の着地の勢
いでワイヤーが切れ、しなって鞭のようになっ
たワイヤーがその人物に当たり、死亡した例も
あったそうだ。そのワイヤーは丸太のように太
く、ジェット戦闘機の着地の勢いで切れ、ムチ
のようにしなるため、近くにいた人に当たった
ら大変だと思うと、先輩と二人で身震いした。
こうした危険な作業は3Kの仕事と呼ばれ、黒人
に配属されやすいという。さらに、見えない差
別やいじりも基地内にはまだまだ存在している
ため、ブラック黒人たちは皆、愚痴や不満を身
振り手振りを交えながら話しているのだと教え
てくれた。
話を叔父さんから聞いていると、離れた場所で
話していた黒人たちがこちらに向かって、陽気
な感じで微笑みながら話しかけてきた。相変わ
らず先輩と何を話しているのか分からず、笑顔
で返すしかない二人を残し、叔父さんはその常
連の黒人たちの方へ歩み寄っていった。炭火も
火がつき、食材もステーキ肉がメインで揃った
ころには、地元の日本人の常連客もちらほら現
れ、言葉の通じる地元の人たちと昼間からビー
ル片手に飲みながら話しているうちに、気づけ
ば太陽も傾き、時計の針を見ると四時を過ぎて
いた。明日から先輩も自分も仕事だと考えてい
たところ、先輩から「そろそろ帰ろうか」と提
案された。私は、「先輩、運転ですし、ビール
を飲んでいだけど、大丈夫ですか?」と尋
ねると、先輩は「昼過ぎからコーラしか飲んで
いないから酔いは覚めた」と言った。そこで、
叔父さんに二人でお礼を言い、夜はこれからだ
という感じで盛り上がっているところを、お店
の常連客の方々に挨拶をして周り、先輩と車に
乗り込み、叔父さんの店を後にした。
来た細い山道を道沿いに戻り、鎌倉を過ぎて
134号線に出た。そして、来るときは真っ暗闇
の中ヘッドライトが照らす道路標識を頼りに車
を走らせていたため、周りの景色にはあまり気
を留めていなかった。しかし、今は夕方で、ま
だ外は明るく、車の外に目を向けると海沿いの
遠くに江ノ島が見えてきた。夕日も沈む頃で、
江ノ島を背景に雲の切れ間から光輝く美しい光
を放ち、黄金色に染まる夕日が、あたかも日章
旗の旗の様に目に写った、余りにも神秘的で美
しく身近な場所で、これ程までに素晴らしい景
色が見れる事に驚き、わざわざ高額なお金を出
して遠くの山々や川や海や高原に景観を楽しみ
に行かなくても身近な所でこれ程までに素晴ら
しく心揺さぶられる様な夕焼け、夕暮れと言う
名の自然界による広大なショーが見れるのに、
今日まで意識して、夕日を見なかった事に後悔
の念を抱き沈みゆく夕日に心の中でお礼を告げ
ていたら大きな声を出し「ここは潮風が臭いか
ら窓を閉めてくれ」と叫ぶ先輩の声が車内に響
いた、その一言で夕日に対する神聖な気持ちで
入られた思いが吹き飛び、先輩に「湘南の海っ
て臭いですか」と尋ねた。
先輩は、「九州の故郷にいた頃は、実家の家か
ら港が近くて、幼少期から釣りが大好きで就職
してその地を離れるまで、家の前の漁港傍の桟
橋から海に向かい、潮風を感じながら釣りを楽
しんでいた。だから潮の匂いには敏感なんだ
よ」と答えが帰って来た、
そんな調子でいたら結局、帰り道も自分のナビ
役という責任はそっちのけで、運転手の先輩に
すべて任せてしまい、後で部屋に戻ってから後
悔していた。しかし、寮の前に車を止めてもら
い降ろしてもらった際、「ありがとうございま
した」と一言告げると、先輩は笑みを浮かべて
「俺も楽しかったよ」と言い、車とともに去っ
ていったその先輩の笑顔を思い出し、後悔の念
もすぐに忘れていた。部屋に一人になり、昼間
のバーベキューで飲んだビールもすっかり酔い
が覚めていたので、向かい酒のつもりで部屋の
小さな冷蔵庫からビールを取り出し、一人で飲
み始めた。気付いたらもう朝方で、もう数時間
したら仕事だと思うと、風呂も入らず、食事も
ビールの摘み程度しか口にしていなかったた
め、部屋の隅に置いてあった食べかけのスナッ
ク菓子を口に流し込むように一気に頬張った。
しかし、スナック菓子の封を閉じていなかった
ため、湿気を吸って硬くなっており、食感は最
悪だった。狭い部屋を見回しても他に食べ物は
なく、「背に腹は代えられない」と思い、その
スナック菓子を完食した。さらに、何日も履き
替えていなかった下着を新しいものに換え、出
社時刻まで横になっていた。
レジェンド
そして、どれくらいの時間が過ぎたのか、横に
なっていたらブーッという電子音が部屋に鳴り
響き、聞いたことのある声で「今日は休みです
か。もうすぐ8時ですよ」と、寮の看守が各部
屋に設置してある寮内放送用の自分の部屋のス
ピーカーから聞こえてきた。
朝方、目を覚ましてスナック菓子を食べ、少し
横になった六時頃から今の八時近くまで二時間
近く熟睡してしまっていた、改めて部屋の時計
を見ると、就業時刻の八時まで十分ある。どう
考えても急いでも会社まで行き、ロッカールー
ムで作業服に着替え、配属先の現場へ行き、タ
イムカードを切るのに十分で間に合うわけはな
いのだが、その時は就業時刻に間に合わなくて
も会社に行くしかなかった。慌てて寝ぼけ顔の
まま洗濯して干していた作業服を掴み取り、そ
のまま部屋を飛び出して会社に向かった。
当然、間に合うわけもなく遅刻扱いとなり、皆
より遅れて作業開始となったが、呼び出されて
説教されることも特になく済んだ。ただし、現
場の班長から「就業時刻を過ぎてタイムカード
を入れたら遅刻扱いで、その月の給料が減る
よ」と言われただけで、代わりの人もいなくて
作業が止まってしまうからと、早く自分の持ち
場に行くよう催促された。それだけで済んだ。
タイムカードの設置場所から自分の持ち場へ向
かっていると、別のグループの人から声をかけ
られた。見ると、高齢と思われる先輩従業員の
方だった。「オメエ、二日酔いで遅刻したんだ
ろう?」と尋ねられ、「いいえ、一度早く起き
たのですが、横になっていたら二度寝してしま
ったんです」と答えると、間髪入れず「お前、
九州だろう。九州のヤツは酒を飲むからなぁ」
と笑いながら私に向かって言い放った。
私は、「確かに前日飲みましたが、二日酔いで
はありません」と強い口調で返すと、笑いなが
ら去っていった。会社の大先輩と思われるその
方を見送っていたら、その人はすれ違う従業員
やパートさん、関連会社の下請け社員、同じ年
頃の高齢トイレの清掃員にも世間話のように話
しかけていた。もしかしてあの人は社長なのか
と思ったが、よく見ると自分と同じ作業服を着
て、持ち場の職場名の入った名札を胸につけ、
酒焼けのように真っ赤な顔をした風貌だったの
で、「いや、同じ作業者なんだな」と思い直し
た。
その後、持ち場に着いた。その日の昼過ぎ、ま
たあの大先輩が近くに来て、隣で作業している
2個上の先輩に話しかけていたので耳を澄ませ
て、2人の会話を聴いていたら、「オイ、オメ
ーも来るか?」と突然の誘いで、2人の間に駆
け寄り、よくよく話を聴いてみると、大先輩が
来月60歳の誕生日を迎えて、この会社を定年退
職するため、来月の送別会を企画しているらし
く、主賓であろう本人自ら指揮をとり、送別会
の出欠を現場で聴いて回っているとのことだっ
た。来月定年でこの会社を去る人が仕事をほっ
たらかしてフラフラしていても、上司だろうが
誰も文句を言うことはないのだと、その時、妙
に納得してしまった。
そして、大先輩の送別会当日、週末の仕事終わ
りからの開催だったが、式場に着いて会場を見
渡すと、想像以上の来賓客で、式場は既に人混
みで溢れていた。普段見慣れない事務所のお偉
いさんも多く、先日、大先輩に声をかけられた
時に、「仕事もせずにフラフラして人と話しば
かりしている人」と勝手に思い込んでいた自分
が恥ずかしくなった。式も記念品贈呈から始ま
り、色々な理由で出席できなかった方々からの
祝電や祝いの言葉が式場内のスピーカーから流
れ、戦後間もない頃からこの会社で働き始め、
昭和とともに会社を立派に成長させてきた方々
の思いが伝わってきた、そう祝電を聴いていた
祝辞の最後に当社の取締役兼社長からとのアナ
ウンスがあり、今日やむを得ない事情で本日式
場には参列できませんが、これまで会社のため
に尽くしていただいたことに心から感謝申し上
げます。戦後間もなく若くしてこの会社に勤
め、今日まで多くの困難を乗り越え本日無事に
定年退職を迎えられ喜ばしく思います、と社長
からの祝辞が会場に響く中で会場に来ている社
員皆呑んでいたグラスをテーブルに置き、真摯
に社長の言葉をスピーカー越しに聴いていた
時、社長が祝辞を送っている当事者を見るとテ
ーブル脇にビール片手にしゃがみ込み同じ職場
のパートタイマーの女性と2人話し込んでい
る、そんなこんなで時間は過ぎ大先輩もアルコ
ールが廻ってきたのか、遠くの天井を見つめた
まま何か物思いに耽っているのか、動かなくな
り普段はニコニコと笑顔を絶やさず、何気なく
話しかけても冗談ばかり口にしてる大先輩だ
が、その笑顔の奥にはさまざまな苦労があった
のだろうと感じ時折遠くを見つめる眼差しに、
どんな過酷な状況でも目標に向かって努力し続
け微かな光でも見えその光を諦めず何年掛かっ
ても追い続けることができればその追い続けた
答えが見えるんだ、というメッセージが込めら
れているようにその時は思え尊敬の念を抱い
た、そんな大先輩に対して感謝の念を抱きなが
ら、送別会も終わり、気付けば周囲の参加者と
ともに見知らぬ飲み屋、大先輩の行きつけの
バーへと流れ連れられて行き、気付いたら先程
まで主賓席にいた大先輩も、隣のテーブルに座
っており、周りの人達に自らビールを寛いでい
る様子で、その大先輩に会社で見た事ない大先
輩よりも高齢そうな方が水割り片手に話しかけ
ている、誰だろうと思い見ていたら今度は自分
に向かって「今年入社したのか」と尋ね、私は
「はい」と答えると、「若いな」と返され俺が
君と同じような年代の時は、潜水艦の中で日本
近海に潜って戦後を待っていたよ。
そして、退職する大先輩を指さし、「一回り俺
より若いこいつは米兵を見かけたらギブミーギ
ブミーと叫んで物乞いしていたんだ」と自分の
親よりも年上の大先輩をイジり始め大先輩が反
論すると思ったら、「アイツら米兵は、俺たち
子供が凄い勢いでギブミーと叫びながら寄って
くるので、子供相手だから追い払うこともでき
ず、そんな子供たちに出会ったら米兵は皆慌て
てポケットに入れていた物を投げ出し、逃げる
ように去って行くんだ」と話してくれ、そし
て、「だからチョコレートや飴、ガム、ゴム風
船も多かった」と付け加えた、私が「ゴム風船
って何ですか?」と尋ねると、「ゴムだよ、
スキン。コンドームだよ」俺たち子供が凄い勢
いで走ってくるから、慌ててポケットに入った
ものを食べ物やハンカチだろうと何でも米兵は
投げて逃げていくのさ、当時はそうやって遊ん
でいたのさ。だから、食べ物以外にも色々投げ
ていたし、とくにコンドームが多かったな。俺
たちは風船にして遊んでいたけど、と初めて真
顔で話す様子に圧倒された。
大先輩がそのような会話を始めたきっかけとな
った見知らぬ方は、後になって詳しく聞けば、
元々は同じ会社の社員であり、大先輩と同じ地
元出身で、職場も同じで、その方は大先輩の上
司であったことがわかり、その方は、大先輩の
親友であり、いわゆる“大先輩の先輩”でもあっ
たのです。その後、会社で定年が近い年配の作
業者の方とも接する機会があり、生の戦争体験
談をよく聞かせてもらいました。同じ会社の作
業者や年上の大先輩たちにも戦争体験者が何人
もいるのだと思い、戦争体験者の年上の方と接
するときは襟を正して臨もうと心がける、気付
きの日でも有りました、90年代頃はまだ戦争体
験者が多く、社会でも活躍していたし、気軽に
接する機会も幾度も合って直接話を聞くことが
できたが、最近、今は戦争の話し何処ろか戦後
の混乱期の体験者もいなくなってしまった。
己の性
数日後、1人部屋でゴロゴロしていると、大先
輩の顔が思い浮かんだ。会社を卒業してしまっ
た大先輩で、せっかく知り合い仲良くなれたの
にと偲びながら思い出していると、ふと同じ寮
にいた同郷の先輩も退職した大先輩も、全く面
識も会話もなかったのに、なぜ自分が九州生ま
れで新卒で会社に入ったばかりだと知っていた
のだろうという思いに囚われ始めた。そんな思
いを抱いている最中に、先輩と寮の廊下ですれ
違い、声を掛けて足を止めてもらい、尋ねてみ
た。
「先輩、素朴な疑問なんですけど、なぜ先輩と
面識なかった頃から、自分が九州人、しかも鹿
児島だと分かっていたのですか?」と。
すると、突如びっくりした様子で爆笑しなが
ら、「お前、バリバリ現役の鹿児島弁だから、
周りにいる人はお前が喋るだけで、関東以外の
九州か東北の人だとすぐにわかるよ。俺も同郷
だから遠くでお前の話し声を聞いただけでわか
る。お前自覚ないのか?」と返してきた。
それに対し、「日々、自分の中ではテレビドラ
マの主人公のような歯切れの良い標準語で話し
ているつもりなのに…」と戸惑いつつ、「マジ
っすか、先輩。俺の話し方、鈍ってますか?」
と尋ねると、先輩は笑顔を浮かべながら、「俺
もお前と話していると訛りが出てくるんだよ」
と語った。
その顔を見ていたら、ある日のことを思い出し
た。そういえば先輩、先日二人で駅近くのセン
タービルに行った帰り道、お腹が空いて中華料
理店に入ったよね。その店でウエイトレスの女
性が頼んでもいなかった焼売を2人分オーナー
からですと言つて持ってきたじゃないですか、
不思議に思いながらも2人共美味しく焼売食べ
て頼んでいた料理も完食して店を出ようとレジ
寄ったら、お店のオーナーらしい初老の女性が
「貴方達2人共鹿児島から来たんでしょ」と唐
突な言葉に先輩と目を合しながら「2人でハ
イ」と答えたら初老のオーナーの方が「私も同
じ生まれだから懐かしくて焼売サービスしたん
だよ」と言われ 2人並び頭を下げて「ありが
とうございました」と礼をして店を出た事あっ
たじゃないですか、その時店のオーナー
2人の会話が鹿児島弁訛りだから同郷だと解
釈したんですかね〜
「先輩は俺と話す時は訛ってますけど他で話して
るの聞いてると全然訛ってないですよ」「俺も
自画自讃する訳でないですがメチャ標準語で話
してるのつもりです」と真剣な眼差しで先輩に
問いかけている矢先2人の間を割る様に通り抜
け、過ぎ去る寮長が一言、「九州男児は2人共
声が大きいねと〜」
その言葉に2人返す言葉も無くその場に佇み、
寮長に軽く会釈して2人その場をそそく
さと離れたのですが私の訛りが気になりだしそ
んな訛ってるのか不思議に思い部屋に戻るなり
棚に置いてある録音機能付きラジカセでを取り
出し自分の発言、声を録音してみた 「本日快
晴なり、本日快晴なり」
カセットを止め巻き戻し再生してみると、言葉
の単語の語尾や言葉の終わりの音を高く発音し
たりと言葉のイントネーションに特徴があり明
らかに標準語ではない発音を発していた事実に
直面し標準語話してなかったんだとの思いが頭
を過った、そう言えば同じ職場で現役バリバリ
の津軽弁を話す30代の人が居るが、その人に話
しかけてみても返事が何を話しているんだか、
全く分からず聞き取れ理解できずに、いたのを
思い出し、本人はあの話し方でも標準語で話し
てると思っているのかなと感じ始めた、なんせ
完全標準語で話してつもりの自分の声もテープ
で録音して聴いたら、話してる会話の内容は分
かれど語尾や高点が明らかに高く標準語とは程
遠い完全にアウェイの人、標準語を話してい
た、つもりの自分の思い込みの恐ろしさに恐怖
感さえも感じてしまう出来事だった、
カオス——
夏の終わりが静かに訪れようとしていた。
方言に対する思いも、どこか薄れはじめ、日の
落ちるのも、日に日に早くなり、季節風の北風
が吹き始める頃—— 時折、肌寒さを感じるよう
になってきた頃に社内で各職場ごとに分かれて
行われる朝のミーティングで、現役バリバリの
津軽弁を話す30歳の拓也(たくや)さんが、
班長の指示で、職場の作業者の前に呼び出され
た。「後ろの人も見えるように、一段高いこの
踏み台に乗り、挨拶をしてくれ」
と促す班長に対し、拓也さんは「アウアウ…」
と何やら小さな声で返しながら、ゆっくりと踏
み台に足を掛け、登っている様子を、私はそっ
と見つめていた。その光景を目にした瞬間、 以
前、拓也さんについて班長に相談したときのこ
とを、 思わず思い出していた。
「班長、先日、社内アンケートを拓也さんに私
の次に渡して、
『至急のものだから、仕事は一旦止めて、すぐ
に書いて、次の人へ回してね』と伝えたんで
す、でも本人、『アウアウ』しか言わなて……
本当に私の話を理解してくれたのか、不安で仕
方がありませんでした。
そして、果たしてアンケートを書いて、次の人
に回してくれたのかも、気になって、それだけ
で仕事に集中できませんでした……」
と話すと、
班長は、困り果てた表情でこう言った。
「……実は、私も拓ちゃんの言葉、何言ってる
のか、ほとんど分からなくてね、指示した作業
の事は理解してくれるんだが、以前、別職場に
勤めている、拓ちゃんと同じ青森・津軽出身の
作業者に、
『拓ちゃんと会話するときの通訳』をお願いし
たんだが……
でも、その人でさえ——津軽弁も話せて、東北
訛りにも慣れているのに——
拓ちゃんの話しは『さっぱり分からない』っ
て、頭を抱えてたよ、とにかく吃音(きつお
ん)が激しくて、
同じ津軽弁を話す者同士でも、言葉が聞き取れ
ないほどなんだそうだ。
ただ たったひとつ、 拓ちゃんが必死に伝えよ
うとしていたことが、 何とか伝わった内容があ
るんだ。 それは 「18歳で、ひとりで東京に上
京して、ボクシングジムに所属、何回も、プロ
テストを受けてきた』ということ。
でも、その話す内容は、私たちが問いかけた質
問とはまったくズレていて、
肝心の『アンケートの内容』や『何をどう書い
てほしいか』は、
結局、まったく理解できなかったそうだ。
班長は、「親族しか拓ちゃんと会話できないの
かも……」と呟いた。その言葉を聞いた私は、
ただ唖然として聞いていた。
そして、ふと、班長が以前こう呟いていたのを
思い出した。「……拓ちゃん、オットセイだよ
なぁ。あの話し方。」
そのとき、目の前では拓さんが別れの挨拶を
「アウアウ……」と言い始めた。
「オットセイ、オットセイ拓ちゃん本当にオッ
トセイだよ」
そのフレーズが、頭の中でグルグルと回り始
め、腹の底から笑いが込み上げてきた。
しかし、周囲の作業者たちは、深々と重々しい
まなざしで、ただ黙って拓たゃんを見つめてい
たそんな中、私は拓ちゃんのアウアウをプルプ
ルと震えながら笑いを必死に堪え聴いていた、
頭の中では「オットセイ」が暴走し始めて、そ
れを落ち着かせようと、私はあたふたと必死に
取り繕っていた、 そんな状況のなか拓ちゃんの
挨拶も、朝のミーティングも、いつのまにか終
わりを告げ、そして、謎のまま拓ちゃんはこの
会社を去って行った。
その後、班長と話す機会があれば、必ず拓ちゃ
んの話題が持ち出された、 「拓ちゃん、実家の
家業を継いで、今頃は畑を耕してるかな〜?」
「もしかして、ボクシングで殴られ過ぎて、パ
ンチドランカーになっていたのかな」 真意は、
結局、誰もわからないまま私は、拓ちゃんと、
二度と会うことはなかった。
ただ、当時、私は不思議に思っていた、「会話
もコミュニケーションも、周囲の作業者とも上
司とも普通に取れないのに、それでも『期間従
業員』とは言え、会社は拓ちゃんをちゃんと雇
ったんだな」 しかし、のちになって、私はこ
う思うようになった、 「拓ちゃんは、まだ良い
作業者だったんだと」 そんな気持ちに至るきっ
かけとなった、最初の出来事、それは拓ちゃん
の代わりに派遣された派遣社員が、我が職場に
配属されてきたときのこと、班内の誰が話しか
けても、上司が何回質問しても、職場に設置し
てある終業のベルが鳴っても、彼はただ、目の
前の一点を見つめたまま、頷くことしかしなか
った、20歳前後、色白で、綺麗な顔立ちの若者
だったが、 翌日彼は来なかった、代わりに、派
遣会社から別の人が赴任してきた、その人は、
周囲のものペンから定規、メモ帳、卓上カレン
ダーに至るまで、周囲の目も気にせず作業服の
ポケットに入るものなら、なんでも会社の物を
ポケットに入れ、持ち帰ろうとしていた、次に
派遣されて来た人は誰が聞いても「嘘に決まっ
ている」と思われるような話を、誰にでも平然
と並べて話し始めてる、次に派遣されて来た人
は返事はいつも「はい」だったが、頼んだこと
の1つも、実際に実行してくれなかった、次に派
遣されて来た人は職場に配属された早々に、
「自分には合わない」と言って帰ってしまった
人そんな人が立て続けに赴任し、すぐに辞めて
いくという状況が続いて仕事もまともにこなせ
ず、入社初日で「一日も持たない」人が続出。
しかも、こうした人たちは「会社が直接採用し
た従業員」ではなく、
人材派遣会社や紹介業者(中間業者)を通じて
送り込まれた人材実際に上司に相談したとこ
ろ、驚くべき事実を耳にした、今日迄人材をこ
の職場に派遣していた人材派遣会社は自社で求
人広告を出したり、面接を行ったりして採用し
ていなかった、代わりに「作業者を紹介する中
間業者」に依頼しその業者が人材を供給してい
たとのこと、そしてその中間業者は、「企業に
人材を紹介して紹介手数料を得ようとする目的
で、面接など一切せずに、人材派遣の中間業者
(いわゆる「人材紹介会社」や「派遣元」)に
応募してくる人がいたら、応募者は派遣会社の
契約書に名前だけ書けばOKという状態で、履歴
書すら提出していない者もおり、面接はおろ
か、本人確認や背景調査など一切行われないと
いう、そのため、素性がまったく分からない人
材でも、犯罪歴があろうが、どんな背景を背負
っている人であろうが、派遣会社は採用・登録
し、企業に「紹介」していたのです、そのよう
な人材が「派遣社員」「契約社員」「期間限定
社員」として入社してきましたが、入社後、早
くて翌日、長くても1週間から2週間以内に、会
社に来なくなるという、いわば「謎の短期離
職」が相次ぎ、このような状況が目立ったの
は、私が入社して数年経った、90年代初期のこ
とで.その頃メディアでは地方銀行の相次ぐ不良
債権問題による倒産報道が相次ぎ、あるテレビ
の特番で、 「今の日本経済はバブル状態であ
り、そのバブルがいつ崩壊してもおかしくな
い」 という報道記者の発言を耳にしていたが、
その時、私は「経済バブル」という、聞き慣れ
ないフレーズを初めて知り、「日本って、単な
る好景気じゃないんだバブルだったんだ」と、
深い意味は分からずとも、一種の衝撃を受けた
ところが、そんな認識を得た数日後ふとテレビ
をつけたら、「バブル崩壊」のニュースがトッ
プで流れ、その日を境に、連日、日本経済のバ
ブル崩壊に関する特番が組まれ、経済学者・大
学教授・経済アナリスト、さらには銀行・証
券・保険業界の専門家たちが、普段はメディア
露出が少ない方々も次々とゲストに招かれ、番
組の「今後の日本経済はどうなるか?」という
問いに、難解な専門用語を交えながら、のらり
くらりと答えの出ないまま適当とも感じる発言
ばかり発していた。
しかし実際に、私たち一般市民がその「バブル
崩壊」の影響を肌で感じることは、直ぐにはま
ったく感じる事もなく、むしろ逆に工場全体、
あらゆる部署で、日に日に仕事の量が増え続け
て増産対応に追われる日々が続き、そこで私は
上司に作業者増員を再々依頼したが、派遣会社
から送られてくるのは、どう見ても「不思議な
オーラを放つ」人ばかり、新人派遣社員に、私
が自分の担当業務を止めて丁寧に説明しても、
翌日から来ない、たとえ翌日来ても、多くは1〜
2週間で辞めてしまうそんな人材にただ呆然と
する日々が続きました。
そんな頃のある朝、会社でラジオ体操が終わ
り、各部署に分かれて職場ミーティングが始ま
る直前のこと、社内を連なって歩く集団の姿
に、思わず目が留まり、その集団は、どう見て
も日本人ではなく、南米系の外国人の様に思わ
れ、彼らは誰かに誘導されながら職場内を見学
して回り始めていた、その頃、90年代に入り、
街中でも中東(特にイラン)を中心に中東系の
外国人の姿を頻繁に見かけるようになり、東京
都内や首都圏では、まるで「人種の流動」のよ
うな様相を呈して、仕事や生活を求めて日本に
来る外国人は、年々増加し続け、来日する外国
人の総数も右肩上がりで伸びていったのです。
シティ オブ ゴッド
また、会社を見学していた南米系の外国人の中
には、派遣社員の肩書きで派遣会社を通じて入
社してきた人もいた。そんなある日、 私達の部
署にもブラジル日系2世の若い男性と沖縄生ま
れで幼少期に両親とブラジル移住日本の記憶処
ろか生まれた沖縄の記憶も無いと言う高齢の男
性の方2人が上司と共にニコニコ微笑みながら
やって来た、1人は異国生活長く高齢者だけれど
純粋な日本人だし
もう1人の2世の方は日本人離れした体型で身長
も180センチ有りそうなスポーツマン選手の様
な体型だが自分よりも若そうな若手そんな感じ
で2人を見ていたら上司から2世の安達セルジオ
君と穂高義則さん2人を紹介され、セルジオ君
はお前と年も同じだから仕事が教えてやれと言
われセルジオを残し穂高さんと上司は別の現場
に去って行った、セルジオも生まれた国は違え
ど俺と同期だと思うと親近感が湧き仕事の説明
しながら合間合間に世間話をセルジオに持ちか
けていた、セルジオも片言で流暢に日本語を喋
れなかったが同年代の男同時意思疎通出来たの
で気づいたら2人夢中になって話し込んでい
た、異国育ちの若者に興味深々になり祖国ブラ
ジルでの生活を色々聞いた、住んでいたのはブ
ラジル第二の都市サンパウロの郊外都会の地区
だか都市を少し離れたら治安が悪かったとか、
親が厳しくて悪い事をしたらベルトをムチの様
に使い叩かれたとか、都市部を離れアマゾン川
の源流近くに住む部族はアジア人、日本人に似
ているとか、ブラジルは銃社会で金さえ出せば
直ぐ銃が買えるし、目の前で見知らぬ人に銃を
発砲し逃げていく犯人を見た事も有ったそう
だ、そんな話を手振り身振りでジェスチャー混
じりで教えてくれた、異文化で映画でしか見た
ことも無い様な刺激的な体験をセルジオが初め
て会う俺に目を輝かせて話してくれた事になん
だか感銘を受けより一層親近感湧き国の壁を超
えた友情の様な繋がりをセルジオに感じながら
仕事の流れを教えていた情熱の国ブラジル、
サッカー、カーニバル、仕事終えセルジオと2
人タイムカードを押しお互いのロッカールーム
に向かいながら当時日本で発足したばかりのj
リーグのポスターが社内に大きく貼ってあるの
にセルジオの目が止まり、 93年頃だったろう
か会社の関連企業も有るjリーグチームのスポ
ンサーになっていたので社内アチコチにポスタ
ーや旗を見かける事があった、メディアも連日
jリーグ発足を大々的に特集して民衆のプロリ
ーグに対する感心度も日に日に上がって行って
いた、当然若いセルジオはサッカー大好きで母
国のプロサッカー選手の話、ブラジルの代表チ
ームの活躍振りを熱く話してくれたが、小学生
時代にサッカーボールで友達と蹴り合いした位
で、まして異国のプロサッカー事情等知る余地
も無かった俺は頷きながら一方的に聞いている
だけだった、そんな俺を見てセルジオが今度仕
事終わったら一緒に遊ぼうと提案して来たので
okと即答しお互いのロッカールームに別れてそ
の日は終わった、それから何日かした週末、昼
の休憩時刻に俺の側にセルジオが寄って来て
「今日仕事終わったら遊ばない」と言うので何
するとの返しにセルジオが、「友達に紹介する
から」と言う、友達って? と不思議そうに答
える俺に、「この地区周辺に住むブラジル系の
若い人が集まるコメニティーだよ」と言う、
「近くのスタジアムに隣接している広場に仕事
が終わったら、集まってラジカセで音楽かけて
皆んな思い思い話してスケボーしたりBMXし
たり集まってワイワイだよ」
と言う 俺はそう言ってくるセルジオに「友
達集まったら皆んなで何の音楽聞いてるの?
ボサノバ」と当時日本で癒しのテーマと共にブ
ラジル発祥のボサノバが流行っていたのでつい
聴いてみたら、セルジオ渋い顔して、「ボサノ
バはお爺さんお婆さんが聞く音楽だよと」返さ
れ「母国ブラジルでは若者は誰も聞かないジャ
ンルだと」言われて、アレ今日本で盛り上がり
てるボサノバってなんなんだろうと思い始めな
がらセルジオの誘いに乗ってしまっていた夜に
な1人でTVを見ていてふと時計を見たら待ち合
わせの数分前、スマホも携帯電話なんて誰も持
っていなかった時代、行くしかない、急いで近
隣のスタジアム迄普段愛用しているママチャリ
を立ち漕ぎして待ち合わせ場所のスタジアム迄
駆けつけると、何やら周囲とは違う異国の雰囲
気オーラをバリバリ出して騒いでいる10人前後
の人盛りにセルジオの姿を見つけて近寄り、最
近教えて貰ったブラジル式挨拶を交わす、いわ
ゆるストリート・ハンドシェイクと言うやつで
映画では良く見かけていたので教えて貰い直ぐ
に覚えていた挨拶する相手と軽く片手同士で横
に手のひらで叩き合い、叩いた手の裏、甲同士
て再び軽く叩き合ったらその手同士で握手しな
がら上に上げ握手からお互いの手を2、3回握り
締めて終了と言う、少し面倒だか親愛なる証と
してブラジルでは常識的挨拶だそうでブラジル
でも住む地区やグループに寄って少し変わるら
しい、その教えて貰ったハンドシェイク挨拶を
セルジオと交わして初めて対面する日系と言わ
れるセルジオの仲間と次々にブラジル流挨拶を
交わし、落ち着いてその10名前後の仲間を見回
して見ると見た目で、10代から20代なるかな
らないか位の若い世代1で構成されたセルジオの
友達、コメニティー 普段セルジオと片言の日
本語で話して聞き取れ無い事もあるが、がそこ
にいた日系の子たちの中には全く日本語話せな
い子や単語しか発せない子も多く、まだセルジ
オの方がコミニケーション取れる方なんだと変
な安心感をその時抱いていた、そんな事を思っ
ていたら誰かが持ってきたデカいラジカセで何
やらノリノリの曲も流し始めた、直ぐ一曲目か
ら皆曲に酔って踊る子もいたので、セルジオに
このノリの良い曲ビースティーボーイズかなと
聴いて見ると、母国ブラジルで人気の有るグル
ープだよと、良く耳をラジカセに傾けて見る
と、英語じゃない、ポルトガル語だとわかった
が、ロックにヒップホップを融合した様なそれ
でいて、リズム&ブルースの様なスイートバラ
ードの曲もあり、ファンク、グルービィで誰が
聴いても聴きやすいテンポにノリノリのダンス
ナンバーで、自分も日本で売っていないブラジ
ルから持ってきた、そのレコードの曲を気に入
ってしまいレコードの持ち主に「テープにダビ
ングをしてもらいたい」と頼んでいた、そんな
セルジオの仲間と打ち解け身体を揺らしながら
曲に浸っていたら皆と違う、何か怪しいオーラ
全開で年齢も皆より明らかに上の目をギラギラ
した男が何やら1人1人声掛けながら例の挨拶を
交わしてある、私の隣に居たセルジオとハンド
シェイクを交わし話し終えたら俺の顔を見て手
のひらを出し他ので自分も覚えたてのハンドシ
ェイクを交わしたら何やら一言言って皆の元を
去って行ってしまった、彼の姿が見えなくなっ
た途端にセルジオが俺の耳元で「今来たヤツ、
ヤバい奴だから街であっても目を合わさないで
逃げて」と耳元で囁いて来た、それを聴いた俺
は怖くなりマジィ〜と言う俺に、セルジオが
「ヤツは俺たちよりも昔父親と2人日本に来た
けど父親と喧嘩して1人家を飛び出し悪い事して
アチコチ1人で移動して暮らしている」「でも同
じブラジル日系の若い人には悪い事は仕掛けな
いよ」「でも俺はネイティブジャパン、日本人
だから俺やばいじゃん」と言うと、「大丈夫、
大丈夫俺の友達って言ったから」「だったら彼
を見かけても逃げ無くても大丈夫?」と解いた
ら、「でも関わらない方が良い」と言うので素
直に返事してテンションも一気に落ち込んだの
で、皆を後に1人四畳半の待つ寮の帰途についた
その後何度かセルジオに誘われてコメニティー
に行った時の事、先に来ていた常連メンバーの
雰囲気と言うか何かが違う、ラジカセで曲をか
けて踊っているが皆いつもと様子が違う
踊ってると言うか酔っ払ってるんだと、近寄っ
て見てわかった、皆んなの中で踊るセルジオに
近寄り酒呑んでるのと聴いたらポケットから全
体茶色く焦げた匂いの何やら英文が書かれた紙
を丸めた物体、いや細い蓑虫を出してきた、思
わず「何コレ?」とセルジオの手のひらを驚い
て見ていると「ハッシュだよハッシュ知らない
の?」と言うセルジオに「知らない知らない」
と返したら普段タバコ吸わないセルジオがその
細くて茶色い蓑虫の片方を咥えコンビニライタ
ーで火をつけ始めた、俺は唖然としてセルジオ
を見ていたら、思いっきり煙を吸い込んで吐き
出したので、わかった、映画で見たことある場
面、鈍感な俺にもわかったがセルジオにコレど
うしたのと尋ねると「先日来たヤバいヤツから
貰った」と言うので、「じゃあやばいじゃんコ
レ」と言葉を返すと、「くれた奴はヤバいけ
ど」セルジオが細い蓑虫を手に持ちながら「コ
レはやばく無い、タバコより大丈夫だよと」言
う発言に、俺は「ブラジルはコレ大丈夫なの」
と聞くと「大丈夫じゃないケド大丈夫」と言
う、訳わからなくなりタバコを普段吸う俺にも
進めて来たが、初めてのヤバイ物体を目の当た
りにして未知なる領域が怖くなり、「俺直ぐそ
このコンビニでビール買って飲むから大丈夫」
とセルジオに言い放ちコンビニに走って逃げて
しまった、翌日朝礼終わって互いの職場に向か
っている時、昨夜何も無かった様な顔して歩い
ているセルジオに「昨夜悪かった、何も言わず
コンビニ行ったまま帰ってしまって」と謝ると
何のことみたいな顔して俺を見るので、片手を
口元に持っていきタバコを吸うジェスチャーを
したらセルジオも思い出した様で、「ああ大丈
夫、大丈夫誰も覚えてないし気にしなくても」
と言うので安堵の表情を浮かべお互いの持ち場
に別れて行った、後日談になるがブラジルの家
庭では子供の頃から親や年上の年長者が手にし
て良い物(drug)悪い物を教えるらしい、しか
しdrug自体良いの悪いのとジャンル分け出来る
のか、全てアウトだろと思い、ブラジル教育の
底知れぬ奥深さを痛感した。
それから程間なくしてセルジオから又未知なる
誘いが舞い込んだ、「一緒にクラブ行くクラ
ブ?六本木のクラブ行かない?」と誘われた
全国的に首都圏にあったディスコと言われてい
たダンスホールだが90年以降はユーロビートの
衰退とブラックミュージックの大塔でそのディ
スコと言うネーミングは長年に渡るディスコ文
化を愛してやまない、毎週末胸焦がしてユービ
ートのリズムに乗って踊っていた世代と共に輝
かしい思い出を胸に抱きしめつつ幕を下ろして
しまきました。
懐かしいミラーボールとスポットライト、店内
モクモク、スモークよフォーエバー
しかし90年代を突き進んでもマハラジャや、そ
の後現れたベルファーレがディスコの名残を引
き継いでくれ、現在でもマハラジャは日本の歴
史とも言えるディスコ文化を継承していただい
ています。
90年代以前にも四つ打ちサウンドは存在してい
たがラップミュージック、ヒップホップ、R&B
以前から確立されていたストリートスタイルの
ラップが1990年頃からヒットチャートに次々
とヒットし始めNYのサウスブロンクスがリア
ルなラップだと言わんばかりにヒットチャート
を上り詰めた時ウエストサイドのバイブスを背
負ったラップ会の重鎮も独特なサウンドでミュ
ージック界にインパクトを与え、次々と地元の
バイブスを背負いったラッパーがメディアを賑
わせると、四つ打ちサウンドも90年代以降本格
的にクラブミュージックに溶け込む様な形で再
構成されアシッドジャス、ヒップホップ、ハウ
ス、テクノ、ブレイクビーツジャングル、ニュ
ージャックスイング等を母体に様々な曲に取り
込まれ、これまで以上に世の中に知れ渡りメデ
ィアに露出し出しました。
長年ロック、ファンク、ソウル、ユーロビー
トが若者に踊れる曲ダンスナンバーとして支持
されて来たが、日本で1990年前後にラップ文
化が本格的に姿を表し、トレンドに敏感な若者
中心に支持し始めヒップホップ、ソウルとバラ
ードを甘いスイートボイスで歌い上げるR&B
ラップのルーツ、ルーツレゲエを昇華したかの
様なダンスホールレゲエ、過去に感じた事もな
いリズムとBPMが世界のトレンドに敏感なダン
サーに受け入れられ、レゲエのダンスホール
No.は一気にクラブミュージック界のトップに
上り詰め、そのままデジタル普及に伴い過去の
常識を覆すような速さでトレンドも世界を駆け
巡り、ハウスが来ると聴けばテクノも良いと情
報のリークが年々早くなりエンジンチェーンし
か知らなかった世代に突如ターボチェーンの波
が押し寄せた様な激しくも斬新なトレンドと
ンスホールNo.が入れ替わり、登場した90年代
しかし2000年頃に入ると過去に登場したヒッ
プホップ、ハウス、レゲエ、テクノのクラブシ
ーン クラブ、店はそれ迄のオールジャンルの
曲を回す、スタイルから 同じジャンルの曲だ
けを回すオンリースタイルのクラブに変わって
行き90年から2000年迄の約10年間で現在のク
ラブシーンの基盤は全て築かれ確立したのでは
無いでしょうか?
ダンスホール
話しを戻して、セルジオの誘いに、その時は
考えると言ったが、心の中では好奇心の塊がモ
ゾモゾソワソワして体験したがっているし、セ
ルジオと面識の有るコメニティーのメンバーが
一緒なら六本木でも大丈夫かなと時間の経過と
共に思い始め、そうだ寮の先輩誘えば完璧だ
と勝手な完成図を描き同じ日勤に戻り寮に居る
はずの先輩の部屋に行くことにした、「先輩ク
ラブ行かないっすか」の問いに「クラブ?何処
の?」と返す先輩 「ギロッポンっすよギロッ
ポン」とアホな顔して答えると 「夜そんな所
行って盛り上がったら終電間に合わないだろ
う」の冷瀬沈着な返答に言葉も無く、そうです
ねと頷き 自分の提案の失態を隠す様に そう
だ先輩アレどうなりましたかと別の話題にそそ
くさと切り変えて先輩の部屋を後にし1人部屋に
帰るなり、そうだよな六本木迄ここから電車で1
時間以上掛かるし、セルジオはどうするんだろ
うと言う疑問が何点か湧き始めた。
翌日の休憩時間に昨夜の疑問を全部セルジオに
聞きてみた、まず何故渋谷とか新宿で無く六本
木なの?と尋ねるとセルジオ曰く
「シブヤはチーマ多くて外人はやばいし
新宿も似た様な感じで外国人が騒ぐと直ぐ締
め出そうとするんだよ」「なら六本木は大丈夫
なの」と聞き返すと「六本木はブラジル、ペル
ーアルゼンチン他の南米系の日本在日の若者が
週末になると集まるから他勢に無勢だよ、それ
に世界中の国の色々な人が六本木に来るから
白いよ、」みたいな事を言っているので一応納
得して次の疑問を聞いてみた、「六本木行って
終電間に合う」と、セルジオ曰く「イヤ逆に終
電で六本木行って始発で帰ってくるんだよ」の
答えに 「なるほど」としか返信が返せずにい
た、沈黙が苦手な俺はとっさに「セルジオ俺の
寮の先輩も一緒に六本木連れて行っても良い」
と聞くと「全然大丈夫」と微笑みながら言って
くれたセルジオの言葉に安堵感を覚えセルジオ
に着いて行けば間違い無いなと確信めいた変な
安心感を覚え一緒に六本木まで着いていく決心
を固めた。
それから数ヶ月後、暦も残り少なくなり、肌寒
さが身に染みて来たと感じ始めた頃、三連休を
前日に控えた週末の今日、先輩と2人電車の往
来も少なくなった時刻にホーム2人佇んでいた
ら、階段を降りてコチラのホームに向かってく
る数名の人影に気付きその影を目で追っていた
らセルジオと見たことのある数名の日系人、思
ったより少ない友達にセルジオは「俺以外の友
達は皆毎週六本木行行ってるから連休は遠くに
住んでいる親戚や友達の所に行ってるんだ」と
言う、自分は明日からの三連休と思うだけで
嬉しくて意味もなくウキウキしていた、一緒に
いた先輩は数ヶ月前迄六本木行きを躊躇してい
たが、時間を掛けて何とか口説き落とし、セル
ジオが六本木に行く日にタイミング合わせてい
たら数ヶ月過ぎて今日と言う日になってしまっ
たが、逆に色々と六本木の事も調べられて先輩
とも一緒に行けて良かったと時折吹き付ける北
風が襟元から背筋を伝い背を丸めて眠気と戦っ
ていた自分の頭を一瞬シャキッとしてくれた、
そして目頭を擦って居たら上り最終であろう電
車が、ホームに入って来た、最終電車の上りは
首都圏に近い駅でも乗り込む客は少なく、電車
内も余裕で座れるスペースが、あちこち空いて
居た、俺達先輩とセルジオのメンバーは車内の
一角に固まりながら次の乗り換え駅迄長椅子に
座って各々隣の友達と途切れる事も無く話し込
んでいた、自分も眠かったが揺れる車内で目が
覚め始め先輩とたわいもない話をしていた、途
中気付いたら車内は吊り輪に捕まる人も多くな
り座席も満席、深夜に関わらず人の多さに呆気
に取られていたら電車も都内に入り乗り換え駅
に着いた、乗って来た電車を降りてセルジオに
着いて行こうと電車を降りた途端一緒に電車に
乗って来た日系の若い友達が電車から降りたち
辺りを軽く見回したかと思ったら降り立った
プラットフォームからそのまま目の前の線路に
降り立ち、目の前の線路を走り超えて行き駅構
内を仕切るフェンスをよじ登って超え、そのま
ま駅構外に消えて行ってしまったではないか、
何も事情を知らない俺と先輩はその行動を目の
前で目撃して、ただ唖然として見つめていたら
セルジオは何もなかった様に手招きして、「こ
っちこちっち」と誘導してくれている、そんな
セルジオに駆け寄って「セルジオ彼はどうした
の」と聴いたら彼はこの都内のこの駅の近辺に
住んでいて、今日は夕方帰ってくるセルジオや
仲間に会う為に俺達住む街に遊びに来ていて六
本木行くセルジオ達と一緒に電車乗って帰った
と言うが、帰るのは良いんだが、線路に降りて
フェンスよじ登るのはやばくない、最悪警察捕
まるよとセルジオに言うと大丈夫、日本の警察
は銃で直ぐ撃たないから、ブラジルは逃げたら
直ぐ射殺だよと言うセルジオの言葉にリアリテ
ィー感を感じ、改めて日本の安全生を有り難く
感じ、残されたセルジオと2世の仲間と改札口
に向けて歩き出した、開催口に近づくや否や、
セルジオが「着いてきてと」大きな声を先輩と
俺に向かい発したと思うと、セルジオ筆頭に
次々と2世達も目の前の改札を両手で支えて足
を丸めて飛び越えて行き、誰1人乗車切符を自動
改札口に通さず走り去って行った、先輩と呆然
としているとセルジオ達の姿が見えなくなり、
こんなところで帰りの終電も無くなった時刻に
2人取り残されたく無いと思い急いで先輩と2人
改札に切符を通しセルジオ達を追う様に走り去
って行った方向目指して深夜の構内を2人駆け
巡ったのだ改札口付近て出てセルジオ一行を探
し回っていたら何も無かった様な顔してセルジ
オ達が息を切らしている先輩と俺を見て「大丈
夫?」と声掛けてきた、「大丈夫ってこっちが
聞きたいよ」と返すと「日本の改札は大丈夫だ
よ」と当たり前の様な顔して平然と答えるセル
ジオに周りの2世の落ち着き様を見て、自分は
「そう、大丈夫?と」完全に人事みたいな表情
になり、その時は先輩と2人納得するしかなか
った、電車を地下鉄に乗り換え目的地の六本木
に着き六本木の町並み、アマンド前を通り抜け
セルジオ達に続けて歩きながらメディアでしか
見たことの無かった六本木と言う街を始めて肌
で感じていた、深夜なのに人の往来が激しく街
も活気に溢れ深夜にも関わらず営業している店
も多く、確かに眠らない街六本木だと思いなが
ドンドン歩いて行くセルジオ達に着いて行っ
た、駅を降りて何処まで歩いても人、人、人、
って言うか6割5部外国人、ネイティブ日本人は
少なく街自体が異国のカオスに未知ていて先輩
と2人歩いて深夜の六本木の街を探索するだけ
でも楽しくなっていた、そんな先輩と眠気吹き
飛びウキウキしていたら通りの路地に入りビル
沿いに隣接してある地下に伸びた階段を降り始
めた、1人ずつしか階段は通れず先輩、そして最
後に俺がその階段を降り着いて少し広がった廊
下の様な通路を先輩の後から着いて行くと一際
広いビルの正面玄関の様なスペースが地下にあ
り人も何人も広がったスペースに居ると思って
いたら、俺は気づかなかったが奥にドアが有り
そのドアが開き若い黒服着た数名の男が5名と
言っている、セルジオが俺の元に来て手を掴み
その黒服達の元に駆け寄った、黒服の男達は
3000円と無表情で俺と先輩に向けて言い放ち
俺が1人?と聞き返すと睨みつける様に当たり前
だろと言わんばかりの顔して頷いた、俺はこの
黒服達とは余り接しない方が良いかなと確信し
て3000円払いセルジオ達に遅れる形でドアを
潜った、ドアの先にはなんと不思議な事に家庭
用エレベータの様な小さなエレベータが有り外
の階段降りてからこの建屋のビル全体作りが全
くわからなくなってきていた、そのエレベータ
に先輩と2人乗り込んた、エレベータ内部から
上下のボタン押そうとしたら一個しか無い、と
りあえず押して見た、ドア閉まり明らかに下の
階に降りている、そお思っていた矢先にエレベ
ータが止まりドアが開いた、開いたと思った瞬
間に重低音が響いてきた、ドォーン、ボォーン
どデカいサブウーファーシステムが俺の心臓を
刺激する、クラブの端々が重低音の振動で軋ん
でいる、ドンー ドンー ボォーン身体全体が
サブウーファーの重低音を受け止めて痺れる、
テンポ良く流れるBPMが心地よく重低音と共に
俺を刺激する、身体の皮膚の表面がピリピリし
始め、鳥肌が立つ感覚とは違い、なんとも心地
よい、休み暇もなく店内のサウンドシステムか
らツイーター、ミッドレンジ、ウーファー重低
音だけでなく音全体のバランスも良くボーカル
の声も響いてくる、特に重低音を放つウーファ
ーからの振動音、それを自ら身体で受け止め感
じ尽くしている、既に音を聞いている感覚では
なく音と言う衝撃波が自分を包みこみ、そして
抜けていくクラブに入店したばかりでKOされる
訳にも行かないが、入店そうそう音に挑発され
高揚感に浸っていた、しかし人と人が会話でき
ない位店内はクラブミュージックが大音量で流
れているが、耳を塞ぎたくなるとか、うるさい
とかは全然思わなかった、寧ろ、とにかく心地
よく、重低音の振動で身体も振動するし、音が
俺を貫き、一旦音が自分の身体に入って共鳴
し、そして身体の外に帰って行く様な感覚、当
然、曲自体も良い選曲ばかり、そうして目を閉
じて音に身を任せ浸って居ると背後から頭を軽
く「パシッ」と叩かれて振り返ると先輩の心配
そうな眼差しに、先輩から「お前なんか変な薬
やったな」と言われ「ハィ」と首を傾げたら
「普通じゃないよ」
と言われて、「いや先輩、普通を忘れる為に
遥々ココに来たんじゃ無いですか」と返すと先
輩は1人カウンターに行きグラス片手に飲み始め
た、酒の好きな先輩だから早くアルコール給油
したかったのかと思い俺もカウンター越しでカ
クテル作ってるバーテンダーに覚えたてのカク
テル、テキーラサンライズと真顔で頼み先輩の
横で一緒にアルコール給油タイムを取る事にし
た、セルジオ達を目で探すとダンスフロアの広
いフロアを超えた一際ゴージャスなVIPルーム
の様な作りのラウンジで見た事も無い南米系の
若者達と話し込んでいる、先輩見ると既に数杯
飲み干して居る、俺も飲みかけのテキーラサン
ライズを一気に流し込み、先輩誘い「ダンスフ
ロアで踊りましょう」と誘うと「テンション上
がらない」と言うので、「先輩可愛い女子も沢
山踊ってますよ」と告げると、先輩いきなり立
ち上がって「ヨシいくぞと」完全に酔っ払いモ
ードで少し心配になったが、イヤ毎日変わらな
い仕事と寮との往復ばかりで何も変わらない日
常を忘れて今夜、今ここで、今だけを感じて非
日常を楽しめば良いのだと変に自分を納得させ
て先輩とダンスフロアに突入した、フロアの中
心付近は踊る人で男女問わず密集して身振り手
振りで踊る処ろじゃ無い、時折息が詰まる感覚
も覚えてきた一緒にフロアに突入した先輩を探
すと少し離れた場所で顔立ち良い色白で身体も
細く髪も腰まで伸ばしたメーテルみたいな美女
と先輩が話し込んでるではないか、俺はその現
場を目撃して一瞬両目が飛び出たが、落ち着き
ながら先輩の幸せを祈りつつ、人混みを避ける
様にダンスフロアの隅に移動して行った、そう
こうしていたらセルジオの友達で俺とも話の合
う日本語は少ししか話せない年下のヘンリーが
居た、ヘンリーが俺に「楽しんでる」と聴いて
きたのでポルトガル語が話せない俺は英語で
「エンジョイ、エンジョイ」と連呼して「ビー
ハッピー」と意味も分からず考えず話し返して
いたら隣で踊って居た欧米系の白人男性が話し
かけてきた、英語もTVで流れるフレーズしか知
らないのに、その白人が俺に英語、母国語で話
しかけてくる、たびに俺はアハァと英語話せる素
振りで開き直り聞き入ってしまった、当然何を
俺に訴えてるのかなんてチンプンカンプだが俺
に話している白人男性はヒートアップしたかの
様に延々と俺に何か訴えたいのか話し掛けてく
る、そんなこんなしてフロアーで踊って居たら
結構な時間が過ぎて居て身体も疲れてきたので
座れるスペースをキョロキョロと見回し探して
いたら真っ赤なソファーが並べてあるのを見つ
け空いているソファーに腰掛けて、背を曲げて
ソファーに持たれて居たれた瞬間、フッと眠っ
たのか一緒記憶が無くなり、目を開けたら俺の
隣で同じソファーに座り先程の欧米系の白人男
性が涙目で涙を浮かべながら俺に向かい話しか
けてるではないか、展開が全くわからない俺は
周囲を見回して見ると真後ろのソファーに、な
んと先程のメーテル似の美女が先輩の肩に持た
れて寝てるではないか、俺の驚いた視線に気付
いた先輩は、俺にウインクして手に持って居た
グラスの中身を飲み干し、空のグラスを片手で
高々と持ち上げ、何かの勝者のインタビューを
受ける様な顔で俺に微笑む先輩を見て、先輩に
気を使うのもアホらしくなり声も掛けずそのま
ま帰りまで接しない事にした、しかし隣で俺に
向かい涙浮かべて延々と話しかけてるこの白人
はなんなんだと思い何か悪い事をこの人にした
かなと考えたが、「イヤしてない、してな
い、」
第一見た事も無いし、俺は英語話せ無いのだ
から接点自体無いと確信を得て、真剣にその白
人の英語に聞き耳立てて見た、「My
girlfriend is getting too close with
another guy」や「My girlfriend is flirting
with another guy」と何度も連呼している事
に気付きその白人が時折目線を変え見つめてい
る先を見ると同じ年代と思える白人女性数名と
同じ白人男性数名が輪になり話していた、それ
を見て俺はもしかしてあの輪になって話してる
白人女性の事を俺に訴えているのかと思い、涙
目で俺に話してくる男性の肩を叩き先程の白人
グループを指差してみた、そしたら頷くので、
思わず彼の肩を握り締めながら「大丈夫大丈
夫」と日本語で話してしまい、合っているがわ
からない単語で、「ノーブログラム、ノープロ
グラム、ドントワーリー」と連呼したら気持ち
が通じたのか、はたまた俺の拙い英語が彼の気
持ちを落ち着かせたのか、涙目を擦ながら、笑
顔になり何処か行ってしまった、しかし冷静に
考えたらアノ白人男性、「ただの飲み過ぎた酔
っ払いだよね」と自分に問いかけ、「そうだ
ね」と自分で納得して居た、そんんなカオス状
態も気付いたら朝方になり店も閉店、終わりの
時間になってラストナンバーの曲が店内に掛か
るとゾロゾロ客も連なって帰っていった
俺も帰宅しようと一緒に来たセルジオやその
仲間、先輩を探すと先輩はまだ先程のソファー
に座っているが先程見た時は先輩の肩に持たれ
て寝ていたメーテルが起きていた、何やら先輩
と話し込んでいた残りのセルジオやその仲間達
は幾ら探しても見当たらない、店内も人がいな
くなり、仕方なくメーテルと3人店内を出よう
と帰る人の後を着いて行くと、店に入る狭いド
アやエレベータの方向と真逆のnextと表示のあ
る店内の奥のドア向けてゾロゾロ歩いてドアを
抜けていく周りの人達に着いて行くと店内のド
アを抜けたら幅広い階段がありその先はビルの
出口になっていた、入店する時のあの面倒な回
り道して入店したのはなんだったんだろと考え
ながら前の人に続き店内を後にした。
紺の胸元の広がった丈の短いドレスみたいな出
立のメーテルを見て銀河鉄道999のメーテルに
やっぱり似てると確信しながらその子と話しを
していたら帰る方向、駅が自分達の目指す駅と
別の方向だと分かり名残を惜しむかの様にその
場でメーテルと別れ2人来た道を思い出しなが
ら歩き始めた、まともに何時間も食べ物を2人
食べていなかったので道沿いのコンビニに食べ
物を求めてはいるのだか、弁当何処ろかかパン
もサンドイッチもおにぎりすらない、何も食品
関係が売り切れでないのだ2件目3件目と帰り道
に有るコンビニにで当たり次第寄ってみるのだ
が、何処のコンビニも食べ物が無い、仕方なく
チョコレートを2人別々に買いボリボリ食べな
がら降り立った地下鉄のホームを目指す、場所
降り立った六本木の地下鉄のホームに着いてみ
たら朝5時前なのに始発を待つ人の長蛇の列、
こんな朝方に駅で並ぶ人が居るのと驚いたが自
分と先輩も並ばなければ帰れないと理解して最
後尾に並び始発を待つ人々を眺めて居たら、国
外の人も多く全体的に若い世代が殆どでその若
い世代殆どくたびれた様子、中にはネクタイを
鉢巻代わりに巻いて高級そうなスーツを引き足
りながらホームをフラフラ泥酔状態で徘徊して
いるエリートサラリーマン風の男性もチラホ
ラ、そんな構内地下鉄のホームを眺めながら来
日外国人のホームで人種の流壺、カオスでも有
り、色々な意味での日本、イヤ世界の最先端六
本木、と自分の中で確信しながらプラットフォ
ームを眺めていたら始発電車がホームに着き停
車した電車に乗り込んで座席に2人並んで座り
一息ついていると初めての六本木を体験して調
子良くしなったのか先輩がら「ヨシ今度は芝浦
のゴールド行くぞ」「六本木は他国から遊びに
くる観光客しかいなかったから、本物が集まる
場所は芝浦だ時代はゴールドだ」初めて聞くフ
レーズに何ですかそこと聞くと、「ハウスだよ
やっぱ時代は芝浦だよ」と何処で聞いたのか、
調べたのか根拠も無く話し始める先輩に「今度
は2人で行きましょうよ」と笑顔で答えて、更
なる冒険えの期待を弾ませ帰途に着いた。
後日先輩にメーテルさんと別れ際何話して居た
んですかと聴いてみたら、先輩曰く、「みさき
ちゃん、自分のさいふを取り出し、一枚の紙切
れを俺の前に出して、コレだよコレ書いて貰っ
たんだよ」とニコニコしながら話してくれたの
で何を書いてくれたのか紙切れをみたら数字が
8桁程書いてあり「電話番号貰ったんですか」
と驚きながら聴くと、「彼女はメーテルじゃな
くてみさきちゃんだし、あの日みさきちゃん
友達と六本木来て人混みの中友達と逸れてしま
い、友達と行く予定だったクラブの名前は覚え
て居たから1人で勇気出してお店探して来たんだ
って結局店内探しても友達居なくて寂しくなり
心折れて帰ろと思ったけど終電も過ぎてしまっ
て途方にくれて居た処ろ俺が声掛けたら安心し
たんだって」「へぇ〜先輩メーテルさんに取っ
て救世主の様な存在だったんですね、先輩優し
いから一緒に居ると安心したんじゃ無いですか
メーテルさん?」そんな俺のお世辞も聞こえて
いないのか、先輩は立て続けに、「みさきちゃ
ん1人暮らしだから遊びに来てねって言いながら
この紙に電話番号書いて、それを貰ったんだ
よ」と言う、「先輩凄いっすね、車は四駆に彼
女はメーテル」そう先輩に褒め言葉の様に言う
と、先輩が間髪入れずに「会社と給料は二流だ
けどな」と捨てセリフの様に言い放ち落ち着き
のない先輩を見ていたら完全に浮き足で先輩舞
い上がってる事に気付き話を変えてみた、「先
輩もう貰った番号かけたんですか」の問いに、
「実は先日六本木から帰って来て直ぐ公衆電話
から貰った番号にかけてみたんだが、呼び出し
音も聞こえないし、聴いた事も無い音、ピィー
ーガラガラガラ ピィーガラガラガラって音
が何回掛けても流れるんだ」そんな不思議そう
な顔して話してくれた後日、貰った番号を先輩
今度は公衆電話の番号案内サービス104で調べ
てもらったら紙に書かれていた番号は電話番号
じゃ無い事が分かりでは何の番号だったのかと
言うとポケットベルの番号という事がわかりそ
の時代セールスマンの極一部の人や限られた職
種、刑務関係者、官僚、金融機関、水商売関係
者しかポケットベルは持っておらず一般人でポ
ケベルを持っている人はいなかったが、90年初
頭からポケベルが急激に一般市民の間で普及し
始め、ポケベルを一般向けに改良してNTTが
発売したのをきっかけに一般市民から高校生迄
僅か1〜2年程で瞬く間に普及したと思います、
とにかくデジタル関係は過去に類を見ない程に
普及率が早くその後、高額な通話料と肩から下
げて持ち運べるとにかく巨大な携帯電話が一般
向けに発売され.その後通話料安く、電話機本体
も手に収まるサイズだが電波網が少なく都市部
を離れたら全然電波が入らなくなったPHS、
携帯電話のメーカーもNTTの独占状態からツ
ーカーセルラーやjフォン、IDO.等のメーカ
ーが参入して来て携帯電話会社の戦国時代の様
に携帯電事業に新参入して来た通話話会社もあ
ったり消えたり携帯電話会社同士合併したり、
気付いたら見かけなくなった携帯電話会社もあ
り、90年代は現在のスマートフォンに形状が落
ち着く迄様々な形状の携帯や通話会社が切磋琢
磨して世にさまざまなけ携帯を次から次に打ち
出して携帯事業の会社自体も消えたり新参入し
たりで目まぐるしく変わり、2000年代に入る
とソフトバンク、docomo、KDDiの大手3社に
通信事業会社自体落ち着き現在の基盤を固めた
様な感覚を覚えています。
ニュージェネレーション
それから何週間か過ぎメーテル改めみさきちゃ
んと連絡が取れないと肩を落としていた先輩に
「今週末何処か気分転換にでも行きましょう」
と提案したが全く気乗りしない先輩に「先輩いつ
も横に乗ってるだけで悪いのでガソリン満タン
俺入れますよ」と言ってみたら、「そうかじゃあ山
下行こう山下公園」と言ってきたので「男2人
夜の公園ってキモくないですか、それに六本木
の帰り道今度は芝浦だ、ゴールドだとか騒いで
いたじゃないですか?」との発言に、「確かに
芝浦ゴールドは時代が来てるけど、遠いし今回
は辞めておこう」「お前関東来たばっかりで未
だ分からないだろうが今の時代は山下公園と大
黒埠頭なんだよと」言い放つ先輩に、「芝浦で
も無く時代は山下、大黒?時代は渋谷とか原宿
じゃあないんですか?」と言い返すと先輩曰く
「渋谷、原宿は関東近郊の田舎者が週末にゾロ
ゾロと地元を抜け出して来て昼夜構わずグルグ
ル回ってるだけだよ」と話す先輩の発言を聴い
て、就職で関東に初めて来て間も無く故郷の鹿
児島にも支店のあったビームス、ピンクドラゴ
ンの本店に行って見たくて1人で渋谷原宿を探索
した日曜日、渋谷や原宿に行けば雑誌に出てく
る奇抜で個性的な時代の最先端を行くファシャ
ンに身を包み映画でしか見た事の無い空間を思
い描いていたが、実際渋谷駅に着き原宿まで歩
いてみたら人盛りは多いものの思っていた雑誌
のファションリーダー的な服を来てオーラを放
ってる人物は思いのほか出会えず原宿の歩行者
天国で思い思い演奏するバンドマンの多さと、
そのバンドの周りに居た観衆の熱気に圧倒され
て帰って来た時の事を思い出し、「そうすっね
ーっ」と先輩に言葉を返すと、得意げな表情を
浮かべて、「だろー」って即答する先輩を見
て、先日初めて六本木に行って目を丸めて田舎
者丸出しでジロジロ周囲を見回していた人間の
言うセリフじゃあ無いよなぁーと思いつつ、
「流石先輩既に東京の事情も見切っていたんで
すね」と持ち上げると
「ああ、みさきちゃんには逃げられたけど
ね」とにやけなが答える先輩を見て笑いが込み
上げ2人して爆笑しながら迎えた週末
先輩と落ち合う時間になり寮の玄関迄行くと玄
関のガラス越しに既に車のエンジンを掛けっぱ
なしで車の運転席で自分を待っている先輩がい
た、慌てて玄関を飛び出す私に寮長が「館内は
走らない」とか何とか言っていたがお構い無し
で車に乗り込み、「先輩お待たせです」と言う
と助手席に座る自分に分厚いA3サイズありそう
な一冊の本を渡して来た
「何すかコレ」と先輩に言いながら表紙を見る
と関東全域ロードマップと書かれた関東圏全域
の道路用の地図だ、パラパラめくると神奈川県
の主要道路も乗っており、先輩曰く「それさえ
有れば道に迷わず何処でも行けるだろ、車を買
ったら買った車に先ずロードマップを常備する
のは常識なんだよ、それ見てちゃんとナビ頼む
よ」と言われokっすと即答したが、元々車酔い
しやすい体質だった俺は車に揺られながら本を
読むと大人になっても車酔いし気持ち悪くなる
体質だったので少し不安だったが車の窓を少し
下げ外から入る新鮮な空気を意識して吸い時折
外の景色に目を向けて車酔いを少しでも緩和さ
せながら地図を見ようととか考えながら目的地
迄の道のりの地図をめくり確認していたら、い
つもノリの良いクラブミュージックが流れてく
る車内で最近良くTVコマーシャルで見かける
JR東海のCMソング、山下達郎のクリスマスイ
ブが流れて来た
きっと君は来ない
1人きりのクリスマスイブ
サイレントナイト
フォリーナイト
雨は夜更け過ぎに
雪えと変わるだろ
クリスマスイブを聴きながら「先輩コレいい
曲っすよね」「もしかしてまだみさきちゃんの
事思ってるんですか?」「もう俺的に時効だか
ら言いますけど、みさきちゃんって表情1つ変
えないで無表情のアンドロイド、銀河鉄道999
のメーテルみたいだったじゃ無いですか、何だ
か大きな影を背負い込んで一生背負い続けてる
様な雰囲気醸し出してましたし、哲郎も結局メ
ーテルと別れたじゃ無いですか、先輩もみさき
ちゃんと関わらないで正解だったんですよ」と
言うと、先輩から
「人事なら何とでも言えるわなー」
「イエイエ、ほんと絶対メーテル何かヤバイ
感プンプン臭ってましたよ
だってポケベルなんか持っていたんだし
夜の仕事関係の女ですよ」
と宥める様に先輩に話しかけると
「何でも良いんだよ俺はみさきちゃんの瞳に
恋してるだよ」
そのフレーズを先輩から聞いて勝手に車に積
んであった先輩のカセットテープライブラリの
ケースから一本のカセットテープを取り出して
先輩ご自慢のアゼストのカーデッキに入れて巻
き戻ししてある曲を探した、その頃になると先
輩のカセットライブラリーは全て把握して網羅
していたのでどのカセットテープのA面B面ど
の辺にどの曲が収録されているかも全て分かっ
ていたので聞きたい曲を大量のカセットケース
から探し出す事位簡単だった、探し出したカセ
ットテープを何度か巻き戻し聞き慣れたフレー
ズの冒頭で止め再生ボタンを押して曲を流し俺
が選曲した曲がスピーカーから流れてしばし2
人で聴き入った
Baby、愛してるの もしあなたが良ければ
Baby、あなたが必要よ 孤独な夜を暖めて
愛してるわbaby 私を信じてちょうだい
Oh, pretty baby, don’t bring me down, I
pray
Oh, pretty baby, now that I found you,
stay
And let me love you, baby
Let me love you
ああかわいいbaby どうか私を落胆させないで
私は祈るわ
ああいとしのbaby ようやくあなたを見つけた
ここに居てほしいの
そしてbaby 私にあなたを愛させて
あなたを愛させてちょうだい
ボーイズ・タウン・ギャング
(Boys Town Gang)
Can’t Take My Eyes Off You
(君の瞳に恋してる)
先輩みさきちゃんに対して、まだこんな気持
ち抱いてるんですか?
「そうそうコレコレって違うよ、お前なぁ
ー」っと言って俺がツッコミ入れて返してくれ
た先輩に対して大人の余裕を感じつつも1人っ子
で育った俺には兄弟がもしいたらこんな会話を
していたのかなぁと思い感じていたら当初の予
定、地図帳を見て運転席を目的地迄誘導すると
言う事もせず、結局音楽を聴きながら2人で話
し続け、運転手の先輩が道路標識見ながら運転
し続け気付いたら一般道路から高速道路を進行
しており神奈川の新名所完成したばかりの大黒
埠頭パーキングエリアの標識も見えて来た、真
新しい高速道路を走り続けていると都内を思わ
せるビル街が見えその先には薄暗い海が感じと
れ港町横浜に着いたんだと分かり眼下に広がる
広大な景観、海沿いに輝いて見えるランドマー
クを筆頭としたビル街、その近くに聳え立つ綺
麗にライトアップされた観覧車、何と無く神戸
のメリケンパークと雰囲気が似てるが、横浜が
一望して見えるベイブリッジからの景観は無二
で素晴らしいベイブリッジ、橋の道路脇に4点
車の非常灯を付けて停車し車を降りて横浜の夜
景を見ている人も多い、そう思い夜景を見てい
たら、「お前かココに就職したばかりの頃は目
の前に見えるビル街は無かっただろう」と言わ
れ、そう言えば以前横浜駅の東口から歩いて落
書き壁を見に行く途中に横浜東口から海まで広
大な更地で何も無かったのを思い出した、先輩
曰く「この更地一帯は横浜博覧会のイベント会
場が立ち並んでいたが博覧会も終わりその後更
地になり、横浜の都市計画でみなとみらい計画
が打ち出された途端に建設ラッシュになりラン
ドマークタワーが直ぐ様完成し、日本丸の停泊
している湧きに遊園地が出来たと思っていたら
ランドマークタワー一辺ビルが立ち並びそのラ
ンドマークタワーを起点にパシフィック横浜方
面に建設ラッシュが進み僅か数年で広大な更地
が今では横浜市が誇る都市になって、ほんとア
ット言う間に何も無かった所に都市が出現し
て、今の日本の建設技術はすごいなぁ」と感心
しきる先輩に便乗して、「そうですね寮の近く
に最近オープンしたコンビニあるじゃあないで
すか?アソコも建設し始めたら数週間、更地が
気付いたらコンビニですよ」と先輩と会話をし
ていたら、先程から道路脇に非常灯付け停車し
車から降りて横浜の夜景を見ている人が多く、
ここは橋と言えど高速道路、駐停車禁止なのだ
が夜景の魅力には勝て無い、車を止めて見たく
てなる気持ちは充分このベイブリッジから眼下
に広がって見える先のみなとみらい、ランドマ
ークタワー、ライトアップされた観覧車、山下
公園のシンボルマリンタワー一望できるこの場
所は海の真上時折ベイブリッジ全体突風で揺れ
るがベイブリッジ自体が巨大な建造物なので不
安感が無い、そうして夜景を見入っていたら大
黒パーキングエリアの誘導標識が現れ標識の指
示通りの車線に車線変更しそのまま標識の指示
通りの進行方向を少し走ったら巨大な螺旋状の
道路が見えて来た、その螺旋状の道路をグルグ
ル吸い込まれる様に車で降りて行く大きく円形
状にカーブした道を回ってると突然4点非常灯
を付けた車が目の前で停車している、自分達も
ブレーキを踏み停車すると目の前は大黒パーキ
ングに向かう車で渋滞してる、連日メディアで
神奈川の新名所としてTVを中心に話題になって
いたので昼夜問わず渋滞しているとは知ってい
たが、こんな夜更けにも関わらず大黒パーキン
グに入る車で大渋滞しているとは想定外で、し
かしココは高速道路引き返す事も道路から出る
事も出来ない、大人しく前の車が進むのを待つ
しか無い、渋滞でトロトロと進んでいると何や
ら目的地のパーキングエリアから深夜にも関わ
らず大音量の重低音が響いてきたり、車の爆音
やタイヤのスリップ音等、普通のパーキングエ
リアではないと言う感じ、雰囲気は直ぐわかっ
たが、パーキング全体を囲む様にライトアップ
されているココ大黒パーキングは、パーキング
全体が端の端まで明るく、パーキングにいると
真夜中と言う事を忘れる程、明るく、又次から
次に車でやってくる人の群れで賑わっている、
そうして渋滞にハマりながらも何とか大黒パー
キングの空いてる駐車スペースを見つけ人盛り
のある売店の方に先輩と行ってみる事に、人盛
りを何とか抜けて売店やトイレの建屋前に先輩
と2人立ち尽くして、目の前の片道一歩通行の
路面道路を次から次に通る車、この場合は正月
に全国からカスタムした自慢の車を披露しよう
と集結する富士スピードウェーイじゃないかと
思わせる様なカスタムカーの大群、広大なパー
キングに駐車している大半の車はノーマル車何
も手を加えていない車より、カスタム、ノーマ
ル車と違い色々なオプションを車外車内に取り
付け独自のカスタマイズを施した車の方が多
く、珍しい車も良く見かける、車の展覧会状
態、、アメ車や国産コンパクトカーラーライダ
ー、2WDのコンパクトカートラッキング、国
内外のエンスー旧車 86走り屋軍団に ハイエ
ース筆頭のキャンピングカーカーカスタム、バ
ニング、リフトアップした国内外の4WD. 車
好きには夢の様な場所、車目当てに来てる観客
もヒートアップ、カスタムカーを操るオーナー
もスピーカーボリューム前回でガンガンでの登
場、いつまで見ていても飽きなかったが、先輩
と山下公園に行こうと言う事になり 大黒パー
キングを後にした。
昭和から平成へ80年代から90年代に入り日本
の車体産業は格自動車メーカー様々な形で世界
進出し海外仕様の車は海外で生産するスタイル
が定着して海外に生産ラインを構える自動車メ
ーカーがメディアに映り、肝心な国内の自家用
車は軽自動車が年々伸びてきて、格国内メーカ
ーは排気量車のニューモデルを絞り始め、これ
までのセダン3リッター車やツインターボ仕様
車は95年頃をピークに減少傾向に入り、ニッチ
なユーザー向けのマニアック車は廃盤にして売
れる路線、当たり触り無い逆に言えば特徴も無
い万人受けする様な車、売れる車しか生産しな
くなり、
2000年以降、車文化は出生率の減少と共に減
少若者の車所有率も何年減少し始め、16歳にな
ったら原付免許、18なったら即普通免許、中に
は二輪普通を会得し400ccバイクを購入する男
子も多く18才なったら男女共に即普通免許を会
得して卒業したら即中古車を購入する若者が多
くチープなカスタムから始め、サスペンション
を数巻カットしたりマフラーの消音器を抜いた
りと金の掛からないカスタムをするのがステー
タスで、20前後の男女の車所有率は高確率で
高く、その若年層の車所有率は90年代をピーク
に何年減少傾向になってる感じを受けます、
2000年代入ると、ハイブリッド自動車の幕開
けで時代はどんどんハイブリッド車、底燃費車
が売れる車と言う流れてになってきました、今
後ガソリン車は消えて全てハイブリッドか水素
車電気車しか買えない時代になると昔のエンジ
ンチェーンを好んでいた人達からすれば車文化
は世界から消えたと言っても過言では無いのか
なと思います。
インパラ62〜64 コンパクトカー、国産車を筆
頭に西海岸で人気の有ったコンパクトカーとよ
ばれていたカスタムを仕様をホンダ国産車を
USA仕様にしたアキュラ
国産日産車をUSA使用にしたインフィニティー
マツダはB2200を筆頭に2WDのピックアッ
プトラックスズキはジムニーのアメリカ仕様サ
ムライその他Ford、Chrysler、 Dodge、
GMCアメリカ車をカスタムした車も多く、その
ほとんどの車がシステムサウンド搭載、過去に
日本国内で見たことない様なドデカい500W〜
数千W迄アンプを付けて スピーカーもメイド
インUSA.キッカー、アースクエーク、見た事
もないようなデカいスピーカーシステム、ウー
ファー重低音、ミッドレンジ中低音 ツイータ
ー高域専用のスピーカーを搭載したシステムサ
ウンドをカスタムしてオリジナル感を演出して
いました、本格的なカスタムカーになると油圧
システム、ハイドロリクスが西海岸からリーク
して日本に伝わりサスペンションのシリンダー
を油圧で上下する油圧サスペンション構造に改
造して車の前輪後輪上下左右に傾けながら観衆
の前を走行したり 鉄で頑丈なフレームのアメ
リカ車中心に油圧でサスペンションを圧縮して
から即座に解放し車自体を飛んだり跳ねたりさ
るパフォーマンスが日本国内でもブレイクし始
めコンパクトカートラック、トラッキングの荷
台の下に油圧システムを何本か鉄板に加工して
取り付け荷台自体を油圧システムで上左右に動
かして、ダンシングベットと呼ばれる荷台が踊
るような動きを走行しながら民衆の前で行った
りと、これまでの日本の車のカスタムと言え
ば、シャコタン、車高を下げて、フルエアロ、
車のサイドや前後に取り付けるレースカー仕様
マフラー改造がメインで何年も似たようなレー
ス車を模様した、セダンカスタム流れのままで
したが90年代大黒パーキングオープンと同時代
に西海岸からメキシコ系チカーノ.LAギャング
スタイルのカスタムカーのトレンドが日本に入
り徐々に日本全国に現れ、車を愛するオーナー
に新たなインスパイアとインスピレーションを
を与えました。
先輩と来た道ベイブリッジを少し戻り本牧埠頭
で高速道路を降りて一般道路にでたら山下公園
の標識を見つけ標識の指示通りの車線に沿って
車を走らせていたら山下公園のシンボル、マリ
ンタワーが見えて来た、標識の矢印に従ってウ
インカー出し右折しようとハンドルを切ったら
目の前の道路は、またもや渋滞その渋滞してい
るマリンタワー沿いに伸びた車線は目的地の山
下公園に沿った国道で片道2車線両サイド4車線
のわりかし広い道路だが、交代量も多く路駐や
大型車が通行を妨げ渋滞している、こんな深夜
に大黒パーキングと言い山下公園と言い何処も
車と人の多さに唖然とする、山下公園もこんな
深夜にも人が多く往来している
渋滞が嫌な先輩はハンドルを咄嗟に切り直し山
下公園を避ける様にその道から少し離れた有料
パーキングエリを見つけ直ぐ様止めて、そこか
ら歩いて2人山下公園に行くことにした、程な
くして公園内に着いた先輩と道沿いの公衆トイ
レに駆け込み用を足していると
同じ2人組の男達が大声で話しながらトイレに
駆け込んできた、1人はセミロングにバンソンの
赤いシングルライダースを着てレッドウイング
のエンジニアブーツを履いた五右衛門似
もう1人は東洋エンタープライズの背中に富士山
をバックに虎が吠える刺繍が施されている須賀
ジャンを着てベースボールキャブを深々と被っ
て顎髭生やした次元大介似
2人を横目に今日はルパンいないのかな〜なん
て事を頭の中で2人に言い放つて、1人でウケて
いたら「アイツ1人サーカス置いて来て大丈夫かぁ」
「大丈夫じゃ無い、好き勝手に次から次に来店
して来た来る女の子と話して俺達の事は忘れて
たから」 「そんなことよりサーカスでゲット
した子達、待たせたままだから早く行こ」そん
な会話を先輩と、トイレで聞き耳立てて聴い
ていたのでトイレを出て直ぐ先輩に「先程の2
人の会話聞きました」と聴くと「ああ サーカ
スにルパン置いてきちゃたんだろあの2人」違
った意味で先輩凄いと思いながら「先輩サーカ
スって何処にあるんですかね」と尋ねたら「車
止めた駐車場から山下公園目指し歩いて来た途
中道沿いにブラック、黒人が数名店先で話し込
んでいたろ、ネオン看板が出ていた店音楽か店
から漏れていた所」「ああ、あそこですか」そ
んな会話をしていたら2人共自然とサーカスが
合った道沿いに向けて公園と逆に歩いていた、
歩きながら「先輩俺こんなラフな服装なんです
がサーカス入店出来ますか」と聞いてみたら、
「マハラジャとか正装が入店基準のイメージの
店も有るケド実際は入店時中のTシャツ見えな
い様にファスナーやボタン閉めて、カジュアル
でもラフな服装していてもだらしなく見えなけ
ればokって時も有るし」「サーカスはソウル、
ファンク、R&Bのブラックミュージック専門
だから基本的にカジュアルokだって、先程トイ
レで出会った2人もストリートカジュアルな服
装だっただろ、でも須賀ベーの基地の米兵が白
人黒人入り乱れてカオス状態って聴いた事有る
から飲み過ぎて節度を忘れたらやばいから」と
先輩と話していると程なくしてサーカスの看板
が見えてきた、ココかココと思い先輩とジロジ
ロとサーカスの店舗ドアを見ていたら突然ドア
が一気に開き、開いたドアから女性2人組が飛
び出して来た突然の出来事に先輩と目を丸くし
て飛び出して来た2人の女性を見ていたら石田
えりこ、篠 ひろ子にそっくりな2人組だった、
思わず先輩に「石田えりこと篠 ひろ子が目の前
に居ますよ」と耳打ちした途端その2人組に先
輩が何やら話しかけ始めた「今から入って座れ
そう?」そんな先輩の問いに石田えりこと篠 ひ
ろ子2人声を合わせて、「座らなーい」
2人を見ていたら仕草も可愛い、先輩も2人を目
の当たりにして次から次へと女性2人に話しか
けてる、自分は店内から響いてくるR&Bの曲
が気になってきてドアの近くで聞き耳立ててい
たら、突如先輩が、自分に向けて、「おい2人
を送って帰るぞ」と元気よく完全に決定事項の
様に先輩が言ってきた、ええっ山下公園来たば
っかりなのにと内心思っていたが、年末に近づ
いて深夜は想定外に寒く、B3フライトジャケ
ットにチノパン姿の先輩と違い自分は慌てて部
屋を出たので薄いナイロンのコーチジャケット
をロングスリーブTシャツの上に羽織り生地の
薄いブッシュパンツを履いた出立だったので時
折プルプル震えても致し、先程迄いた大黒埠頭
は風も吹いてこなかったし、なんせカスタムか
ーを見に来ていた観衆の熱気が凄く寒さも感じ
なかったから、ここ北風吹き荒む山下公園を歩
くと一際寒さを感じていたので、了解ですと車
を停めていたパーキングに4人向かい車に乗り
込み、改めて先輩と顔を合わし急遽、石田えり
こと 篠 ひろこ2人を送る経緯を聞いてみる
と、何やら初めは楽しく飲んで2人で踊ってい
たらしいが途中から外国人がしつこく英語で話
しかけて来て、
興味の無い2人は無視していたら手を掴噛まれ
て怖くなり女性2人店を飛び出して来たと言
う、電車で最寄り駅まで来たから帰りはどうし
ようと思って先輩に相談したら、住んでる所も
近いから帰り道に寄って2人送ると言う話しに
なり今に至る事が分かった、運転席、助手席先
輩と俺うしろの座席に石田えりこと篠 ひろ子車
内で良く女子2人顔を確認しても似ている、い
や厳密に見ると、そっくりで無いが、2人共美
女だ、偏見だが大抵2人組の女子は1人が綺麗目
もう1人は普通か、まあ、それなりかの2人組が
多いのに美女2人組は珍しい、
先輩、先輩と俺2人を運は見放しては居なかっ
たんですね、車内沈黙の中で運転席の先輩を見
つめながらテレパシーを送った、すると俺を見
て先輩が一瞬微笑んだではないか、驚き、テレ
パシーが通じた、先輩との出会いは運命だった
んだと美女2人が後ろの席に乗っているのも、
忘れて先輩を見つめ目を輝かせていた、そんな
事考えていたら先程渋滞で通過出来なかった山
下公園沿いを走っている、渋滞も落ち着いてき
たから帰り道に通って帰ろうとの事、片道2車
線だが両車線路駐車でビッチリ埋まり実質片道1
車線走行状態、対面走行していたら反対車線を
走る4WDがパッシングしてすれ違う時軽くク
ラクションを話してくる、先輩もそれを受けて
見知らずのすれ違う4WDにパッシングしてク
ラクションを軽く鳴らして返す、それも何台も
4WD車とすれ違う度にパッシングしてクラク
ションを鳴らしている、何やら4WD車のオー
ナー同士闇の掟なのか?
「先輩なんなんです」と聴いたら、「昔マクド
ナルドが集合場所だった首都圏の4WD愛好者
チームがアメリカの4WDオーナークラブの真
似をして始めた4WD車同士の挨拶が関東圏か
ら広まった」との事でそれもはじめはカスタム4
WD.リフトアップしてワイドタイヤを装着して
いたカスタム4WD車特有のパッシング&クラ
クション挨拶が国内に4WD車のブームが広が
るとノーマルの4WD車同士でも見知らぬ者同
士道路ですれ違う時はパッシング&クラクショ
ンする様になり、広まって来たとの事、でも知
らない者同士同じ趣味4WDオーナー同士すれ
違居ながら互いの顔微笑みてクラクションで挨
拶できるって、なんだか感銘を受け、人と人の
繋がりが年々少なくなる中で、見知らぬ者同士
が車に乗りながらでも、お互いの顔を見てクラ
クションで挨拶をかわす、「そんな挨拶先輩い
いっすね」と問いかけたがら車は高速道路を走
り始めて先輩はルームミラーでチョロチョロ後
ろのシートに乗ってる2人を見ていて返答もな
い、後部座席の2人が気になる様子で俺も後ろ
を振り向いて目を向けると美女2人は項垂れて
お互い肩に寄り添いながら寝ている、その寝顔
も可愛いそんな感情で後ろのシートを見ていた
ら、先程迄パラパラと降っていた雨がサラリサ
ラリと雪に変わって、あっという間に道路脇は
銀世界になって、「確かに年末で極端に冷え込
んでます来たから雪でもおかしく無いけど、こ
の地区で年越し前に雪が降るのは珍しい」と先
輩と暗黙の中でキラキラ光る雪の結晶をヘッド
ライト越しに見つめながら「来年こそ良い年にし
たいな」「いいことありますよ、来年こそ」そ
んなやり取りを先輩と2人していたら、もうす
ぐ隣町の駅に着きそうな距離、慌てて先輩が俺
に「2人起こしてくれ」自分も慌てて助手席か
ら後部座席に身を乗り出して軽く片手を伸ばし
「トントン」と肩を叩いてみた、起きないので
何度も繰り返しトントン指先で軽く叩いていた
ら石田えりこが気付いて起きて篠 ひろ子も起こ
してくれた、丁度2人目を覚ましたら隣町の駅
前ロータリーに着いたので、ここから家まで、
道筋はどう送れば良いのか聞くと、「直ぐ近くの
マンションに2人で住んでいるのでここで下ろ
して」「2人共この駅ビル内に店舗がある歯医者
の歯科助手して近くのマンションがその歯科の
寮だから現在2人で住んで駅ビル内の歯医者で
働いている」と車を降りながら石田えりこと篠
ひろ子が話してくれた、先輩と2人で「今度歯
医者行くから」と声かけて2人の元を離れた
車内先輩と2人になって「後部座席に座ってい
た2人の子の名前を聞きましたか」と先輩に尋
ねると「聞いたケド忘れたよ第一あれ程の美女
は2人共俺達なんか相手にしないから、送って
貰っただけのアッシーだよ俺達、仲良くなって
も移動の足に使われるだけだよ」寮迄の帰り道
そんな寂しい話をしながら車を走らせていた、
2人沈黙の車内が寂しく感じて、来る時に聞い
たクリスマスイブを思い出し又、山下達郎のク
リスマスイブが収録されてるカセットテープを
探して聴く事に、2人車内でクリスマスイブを
何度もテープを巻き戻しヘビーローテーション
で聴いている最中に、ふと互い車窓の外に目を
向けたら雪も止み、寮のから見える距離に程近
い見渡す限り広大に広がる畑に薄く積もった雪
が朝日に照らされて、キラキラと眩く光り、ち
ょとした綺麗な銀世界が垣間見れた、「このま
ま晴れて太陽が登れば、この程度の雪なんて直
ぐ溶けちゃいますね」と先輩に話しかけている
と車は寮の玄関前に止まり、先輩に別れの挨拶
をして車から降りたら空気は澄んでいるが外気
は身震いする程寒く感じ、そそくさと自分の部
屋に向かい部屋の窓から朝日が登るのを確認し
て部屋のカーテンを閉じ四畳半に敷いた布団に
包まり寒さに震えながら横たわった
エキゾースト
TVも飽きたのでトレンド雑誌を先輩の部屋に借
りに行ったら、先輩から「今夜一緒にコレ飲も
うぜ」と何やら洋酒の瓶を手に取り俺に見せ
た、見慣れない洋酒に「ジンとかウォッカです
が」の問いに「リザーブだよ、ダルマじゃない
ぞ、ウイスキー 本当はVSOPとか買いたかっ
たんだけど」先輩の言う洋酒の違いがわからな
い俺は、そうなんですかとしか声が出ず「映画
観てないのか?ハリウッドの新星トムクルーズ
のカクテル、トップガンに出ていた主役だよ」
と言われ「トムクルーズは知っていますが、カ
クテルですか」の不思議そうな返答に「ビール
ばっかり飲んでいても飽きるだろ第一に腹が出
てビール腹になるし、ショトバーで慣れた口調
でジントニック、コークハイ、テキーラサンラ
イズとかカクテルを注文すればトレンディーだ
ろ、なあ」なんて事を言っている先輩を横目に
お目当ての雑誌を先輩の部屋中探しても無く阿
部寛や風間トオルが表紙の一面を飾るメンズノ
ンノしかない事に気づき、ストリートカジュア
ル的なコアなファイン雑誌が読みたかったので
カクテルを興奮気味に説明する先輩を置いて近
くのコンビニに立ち読みついでに探しに行こう
と寮を出た、歩いていたらコンビニが見えたと
思うと同時に遠くからドゥドゥドゥドゥと独特
のエキゾーストサウンドを放つバイクがコンビ
ニに止まり、ヘルメットを脱いだ人をよく見た
ら目的のコンビニの店長じゃあないか、いつも
丸い顔でニコニコしている店長、シブイと思い
ながら近寄って店長の乗って来たバイクを目の
前で良く見るとメグロ、国産バイクのメグロw3
だ通称W3ダブサンだ シブイじゃなくてマブ
イ もう存在していない伝説的な国産ブランド
メーカーメグロ 店内に入りレジに店長がいる
レジに店長がいる事を確認したので、目的の雑
誌も立ち読みしないで早速さと雑誌を手に取
り、ドリンクコーナーで缶コーヒーを反対の手
で掴みながら雑誌と共にレジに向かった、そこ
には先程見かけたばかりの店長がレジに1人立っ
ていた、「お会計お願いしますと」雑誌とコー
ヒーをレジカウンターに置いて清算してもらい
ながら店長の顔を見上げると、いつもと同じ丸
い顔でニコニコ微笑みながら清算済みの雑誌と
缶コーヒーをレジ袋に入れてくれる、すかさず
店長に「ダブサン凄くカッコ良いですね」と伝
えると一言「ありがとう、でも家に有るw1もイ
イよ」と言う店長の言葉に、「ダブワンも所有
しているんですか」と驚き、「どちらも良いバ
イクですよね」としか言葉を返せず、心の中で
は凄い、カッコ良すぎるセレクトしたバイク2
台ともシブ過ぎる 所有しているバイクを見れ
ば、バイクに対する情熱がひしひしと伝わるよ
うな伝説的国産バイク、凄い、目の前で見た事
も無かった夢のバイク、思いがけず急に夢に描
いている物が目の前に現れたら、誰でも言葉に
詰まるのではないでしょうか?
私自身は中古のカワサキZ400FXを学生時
代愛用していましたがメグロの意思を受け継ぐ
カワサキ、他のバイクメーカーの同じ排気量車
種でもカワサキ車は一回りデカく、小柄な自分
は何度立ちコケしたのか覚えていません、90年
代初頭から2000年代に掛けてバイクもトレン
ドの入れ替わりが激しい年代でした、CBXの後
継車的なCBRが現行で新車販売されておりカワ
サキはGPZの後継車のGPRが現行車として道
路を走っており、ホンダのCBXは廃盤になりま
したが、新車同様のコンディションの車体も数
多く残っており、格バイクメーカー揃って空冷
4気筒を採用するのを終えて水冷式のエンジン
に移行していく年代でも有りました、そのバイ
ク業界でもレトロブームから火がついたのか、
SRとか単気筒車ブーム、国産バイクをアメリカ
ン仕様にしたりクルーザー仕様にしたりカスタ
ムバイクのトレンドも有り そんな最中バイク
業界の中に新たなトレンドがビックスクーター
として君臨し伝説的アニメ、AKIRAに登場する
鉄雄が乗っていたバイクを真似たカスタムがビ
ックスクーター中心に流行り若者中心に瞬く間
に広がりました、ビックスクーター自体が
250cc車が多く車検も無く普通バイク二輪免許
で乗れたので全国的に人気の広がり方が早かっ
たと思います。
逆にバイクの限定解除一発免許と呼ばれている
バイクの排気量条件無制限免許が無ければ乗れ
ないハーレーダビットソン、イージーライダー
の爆発的人気で熱狂的なファンも昔から多いハ
ーレ、アメリカのハーレーダビットソンの人気
は根深く、日本以上のマニアックオーナーも多
く、アメリカ番、暴走族的な位置付けの全てハ
ーレーダビットソン車に乗るヘルスエンジェル
スしかし日本は、ハーレーダビットソンに乗る
ための限定解除免許の高い壁が有り 欲しくて
も、乗りたくても、限定解除の免許の壁があり
ましたが年々ハードルの高さも乗り越えてハー
レーダビットソンを購入オーナーになる方も多
く存在し始め、最近は主要道路を走行している
と必ず何台かハーレーダビットソンとすれ違い
ます、それ程ハーレーダビットソンの魅力に魅
了されたバイクマンが世代を超えても日本人は
多いのですね、
アンダーグラウンド
季節も巡り、桜の散るのも見届けて気候も暖か
く季節風の南風も強く吹き付ける様になった頃
シフト調整で夜勤になった先輩とすれ違う生活
が何ヶ月か続き寮で久しぶりに先輩を見かけて
駆け寄って見るとなんだか日焼け、黒い顔が黒
い先輩の側に行き「夜勤してから昼間も道路工
事のバイトとかしていたんですか?」と言いなが
ら近寄ると「塩やけだよ土方や日サロ焼けじゃ
あないよ」と笑いながら返す先輩に「釣りです
が」と聞くとサーフィンだよサーフィン波乗り
だよ日焼けしてカッコ良いだろと言うが自分の
学生時代頃85年〜90年頃は紫外線の強い日差
しが容赦なく照りつける鹿児島県人は日焼けし
て黒い顔した人は外仕事野良仕事や畑仕事土木
そうイメージが定着して色の黒い人は外見で嫌
がられていた。仕事終が終わり、寮の玄関開け
自分の部屋に向け歩いていたら聞き慣れた先輩
の声で足を止め 先輩から、「今週末一緒に海
いくだろ、その時お前が使うボード借りて来て
やったからな」と言う、そう言えば先日先輩と
の会話の中で「サーフィン俺もやって見たいけ
ど何も道具持って無いし」と呟いたら、先輩か
ら「職場の友達が昔サーフィンやっていたけど、
辞めてサーフボードも何年も物置に仕舞い込ん
でるって言う友達いるからボードその友達から
借りて来てやるよ」と言う先輩とのやりとりを
思いだした、その際は深く考えないでお願いし
ますと言ったケド本当に俺の為にサーフボード
借りて来てくれたんだと思うと先輩にお礼しな
ければと、と思い直ぐそこに設置してあるビー
ルの自動販売機でビールを買って先輩に「有難
う御座います」と言って手渡した、その日から
週末迄、頭の中はサーフィンの事ばかり考えて
いた、テレビCMで見た美しい海とサーファー
雑誌の広告の中の華やかなサーファーと海と自
然描写が映る写真広告そんな綺麗なイメージを
自分に重ねてワクワクしては早く週末ならない
かと昼夜そんな事ばかり考えていたら、あっと
言う間に週末の当日になり、先輩と約束した時
間に先輩の車に乗り込んで近くの海まで行った
のだった、海沿いの広い駐車場に車を止めてか
ら駐車場の海に出る階段を登りきり、細い歩道
を少し歩いたら眼下に広がる広大な海が一望で
きる場所についた。そして一息つきながら海を
見渡していたら先輩が「週末だからと言って夜
更けまで飲んでいたり深夜番組を朝方まで見た
りして、せっかくの休日を寝て過ごすより朝早
く起きて広大な海で塩に浸かり波に揉まれて自
然を感じた方が気持ちいいだろと」と言われ、
毎週未ビール1人で飲みながらギルガメッシュや
バンドやろうぜを朝方までTV視聴するのが週末
の日課だった俺は眠い瞳を擦りながら聞いてい
た、「先輩ココでサーフィンするんですか」と
尋ねたら「そうだよ、でも人多いから少し移動
しよう」と言われ波打ち際を見たら目に見える
波打ち際は端から端まで人、人、人、えぇこん
なにサーファーて多いのと思いながら慣れない
サーフボードを両手で抱きしめながら、慣れた
手つきで片手でサーフボードを持っている先輩
の後について行く、駐車場から結構歩いたケド
波打ち際にいるサーフファーの数は変わらず多
い、先輩も諦めてココで良いかと言いながら海
に向かいサンダルを脱ぎ捨て歩き始めた、俺も
先輩の後を付いて行くべくサンダルをその場に
置いて波打ち際に、向かい歩いて行った もう
直ぐそこまで波打ち際の海水が押し寄せそうな
場所に先輩が座りサーフボードにくるくる巻き
つけたカラフルなビニールの太い紐のマジック
テープを剥がし足首に付け直しながら俺にも同
じ様にボードに巻きつけてある「ビニールの、
紐のマジックテープを利き足の足首に装着し
ろ」と言っている、慣れない手付きで言われた
通りマジックテープを剥がし利き足の右足首に
付け直した、先輩が足首に着いているビニール
の紐の反対側をサーフボードに付けると俺の側
に来て俺の代わりに同じ様にボードに紐を付け
てくれてる、「ありがとうございます」と伝え
ると、「遅いからよぉ」と言葉が帰って来たが
笑って返した、先輩とお互い腰位の水位まで海
の中に入って行こうと話して沖に向かい歩いて
いたら一際大きな波が目の前迄迫って来る、と
思った途端自分を飲み込んで、そのまま海底に
叩きつけられたと思ったら洗濯機の中にいる様
に水中で揉みくちゃに周り始め身体全体引っ張
れて千切れそうになり、上も下もわからないと
思ったら足が海底に付くことに気付き立って見
ると水位も膝位で、落ち着いてから、又少し沖
で波待ちしている先輩の元にサーフボードを抱
えて歩き始めたら、またしても目の前に迫る大
きな波に飲み込まれてしまい、水中でぐるぐる
回転しながら浅瀬の波打ち際迄波に連れて行か
れる、先輩の待つ場所まで海の中を歩いている
だけなのにいけない、ただ水中を沖に向けて腰
の水位迄歩いて行くだけなのに行けない、第一
思っていたより波のぶつかる威力が想像以上想
定外で、ただの水なのに波として自分の身体に
ぶつかると、凄まじいパワーで俺を襲う、そん
な波に巻かれてばかりの俺を先輩が見つけて、
「何1人で何回も自然の洗礼受けてるんだよ、洗
礼は一回で良いんだよ」と笑いながら俺の側に
やって来た、先輩が自分の近くに寄ってきた時
な又、大きな波が先輩と自分を飲み込みと、思
った瞬間に先輩は、ヒザを曲げて波の中に自ら
入り込んだそれを見た瞬間、自分1人波に飲まれ
て波打ち際迄波に揉まれながら流され、連れて
行かれたが、今度こそと起き上がり、また先輩
目指し歩き始め、波待ちしている先輩の近くま
で来れたので、先輩に「先程は、波が崩れる前
に波の中に先輩消えましたね」と声をかけてみ
た、先輩は「波が飾れる前に波の裏に出るんだ
よ」「自ら波が崩れる所に居たらダメだ波がウ
ネリとなって近づいてきて、浅瀬になればなる
ほど波は崩れやすくなるから、波がきたら巻き
込まれ無いよう波の進行方向と逆の沖に向かう
んだ、大きな波が迫って来る時に波の進行方向
と同じ浅瀬に向かって逃げると必ず波に飲まれ
巻かれる、波に逆らわず波任せてにするんだ
よ」そんな事を言われても目の前に身の丈も有
る波が押し寄せたら誰でも身を丸め逃げ越しに
なって波から逃げようとするよと思いなやんで
いたら、何やら見知らぬ人が先輩を睨む様に話
しかけている、なんだと思い、その様子を近く
で見ていたら先輩に話しかけたサーファーが自
分サーフボードを両手に持ち先輩目掛けて振り
翳し始めたではないか、慌てて自分のボードを
波打ち際に放り投げ全力で先輩の側に駆け寄る
と先輩の怒鳴り声が、「あんただって初めは初
心者だっただろ」と大きい声を出して反論して
いる、それを聴いて相手は、「うるせぇいいか
ら海から上がれ、帰れ」と邪魔者扱いで先輩を
海から上がらせて帰れと怒鳴り声を出してい
る、そうしているうちに気づけば周りを異様な
集団、怒鳴っている人の友達が私と先輩の周囲
を囲んで威圧している事に気付いた、露出して
いる肌にタトゥーが全身掘ってある人、ガタイ
良く坊主で睨んでいる人、ロン毛で顔面真っ黒
な人、若そうだが髭を伸ばして坊主にしている
人、アフロパーマに顎髭を伸ばしている人、そ
の人達が、ココは俺達の海だから、俺たちの波
に乗るなと言わんばかりの事を言ってくる、自
然は誰の物でも無い、まして海は皆んなの物と
言うか、誰の物でも無い、海にココは俺達の海
だと表示があるわけでも無い、理不尽極まり無
いが初心者の俺と先輩と、このアウトロー集団
に反論する事も出来ず、周りのサーファーも騒
然としてコチラを見てる、「先輩帰りましょ
う」と先輩のサーフボードを持ち浜辺迄歩いて
帰ろうとしていたら1人の男性が波打ち際を歩い
て自分達の元に来て、「どうしたの?」と声を
かけてきたので、見張らぬ人だったが先輩が、
経緯を話し始めた、1人先輩が波待ちしていた
ら、いきなり「初心者は邪魔だからどっか行
け」と見知らぬ面識ない人から言われたので、
貴方も初心者からサーフィン始めたんでしょと
反論したら、サーフボードで殴りかかって来た
ので、つかみ合いになってしまい、気付いたら
相手の仲間に囲まれていました、と話したら、
その男性は、「あいつらは自称ローカルチーム
と説明し、「自分たちのチームステッカーをア
チコチに貼って周っている」「アイツらの大半
は横浜や八王子ナンバーの車で海まで来てい
て、海ではローカルのように振る舞っている集
団だがタチ悪いから誰も近づかないんだ」とい
う、「真剣にサーフィンをしているローカルは
トラブルを避けるため、ほとんど文句は言わな
いよ」と最後に教えてくれた、私と先輩は「あ
りがとう御座います、と伝え2人駐車場に項垂
れながら帰っていたが、途中元気の無い先輩に
「冬になったら話題のスノーボード一緒に行き
ましょうよ、今度は俺がスノーボード教えます
よ」と適当な事を言ってみたが、沈黙のままだ
った、だがそうこうして着替えを済ませている
と先輩が突然、「そうだ、寮の近くにカラオケ
ボックスができたろ。オープン記念の割引券を
もらったのを忘れていて、今日が期限だから、
2人で行ってみよう」と提案してきた、私は、
「小沢健さんですね。2人でデュエットして
『ブギーナイト』ですね」と笑いながら答え、
そこであの出来事も少し忘れ、2人寮へ帰るこ
とができた。
1990年代は、それまでナイトクラブやパブな
ど夜の店だけで楽しめた娯楽が、カラオケボッ
クスの登場により、朝からでも気軽に楽しめる
ようになった。プレハブの安価な建物に防音設
備を備え、更地に突如出現したカラオケボック
スは、瞬く間に全国へ普及し、カラオケブーム
となった。これにより、90年代後半には居酒屋
に行かず、カラオケで飲み歌い、食事をするル
ーティンが定着し、居酒屋業界や飲食店全体に
打撃を与えたのではないかと個人的には感じて
いる。
1990年代初期の頃は、まだサーフィンやスケ
ートボードなどのサブカルチャー的な感覚で捉
えられており、メジャーなスポーツである野球
やサッカーと比べると情報量も極端に少なく、
専門用品を扱う店も、サーフポイントと呼ばれ
る良い波が立つエリアの前に立ち並ぶローカル
ショップが主流だった。大型スポーツ用品店と
してはムラサキスポーツやミナミスポーツ、オ
シュマンズ程度しかなく、サーフィンに興味を
持っていてもハードルが高いと感じる人が多か
ったと思う。
サーフィン文化は、当時アンダーグラウンドの
世界であり、サーフィンをしている人はハード
コアなアウトローの人が多く、平日にスーツを
着てパソコンを打ち込む会社員は少なかった。
自営業や建築、現場の土木、格闘技関係、夜の
仕事に従事している人たちが多く、海にはそう
した人々の姿をよく見かけた。実際、浜辺でサ
ーファー同士の小競り合いを目にしたこともあ
る。
90年代のサブカルチャー的サーフィンも、現在
ではスケートボードとともにオリンピック種目
となり、メジャースポーツと呼ばれるまでにな
った。時代の変化とともに、サーフィンができ
るサーフポイントも全国的に閉鎖環境の解消が
進み、「邪魔だ邪魔だ」と怒鳴るような光景
も、今やどのサーフポイントでも聞かれなくな
った。
流れゆく時の中で
数年が経ち、先輩から俺、鹿児島に帰るよと伝
えられた、「父親が亡くなり1人実家に残された
母親の元に妹は実家の近くに結婚して住んでい
るが長男だから母の面倒を見たい」と会社を辞
めて実家のある鹿児島に帰って行った、セルジ
オは怪しい年上のヤバい奴と言っていた人と良
く遊ぶ様になり、徐々に会社に来なくなって解
雇と言う形で辞めて行った、街でも見かけなく
なってから5年位過ぎた頃に、テレビニュース
でセルジオの顔が写り安達セルジオと名前も読
まれた、他県でコンビニ強盗に数名で入り逮捕
されたと言うニュースだった、先輩の叔父さん
は足を悪くして店は閉めたと先輩から聞いたま
ま、その後一度も会って居ない、寮の前のコン
ビニは更地にコンビニが出来てから5年後位に
取り壊され空車が目立つコインパーキングにな
った、寮も2000年頃に老朽化と言う名目で取
り壊され、残った敷地も売り払われて直ぐに家
族向けの高級マンションが建てられた。
95年にWindows95の発売で世間が騒めき、香
港、マカオが次々と返還され99年のノストラダ
ムスの大予言に世間は怯え波乱に満ちた90年代
も20世紀の終わりと共に過ぎ去り昭和と言う激
怒の時代を忘れ始め、平成生まれの人々も周り
に多くなってきた、それから数十年経ち自分は
この地で結婚しその後1人子供も産まれ、気付い
たら家と会社の往復しか記憶に残らない日々が
続いていた、毎日が淡々と過ぎ去る生活に慣れ
過ぎて、毎月生活費の給料は出る、仕事が少し
位辛くても会社さえ出勤すれば終身雇用の名の
下に定年退職した後も年金受給で何も考えず死
ぬまで暮らしていけると信じて仕事と家との往
復生活が全てと思い込み過ごしていた、そんな
日々が続いて春夏秋冬を感じ味わう事もないま
ま何年もただ淡々と時が過ぎ去ろうとしていた
ある日、会社の朝礼で事業拡大に伴う増産対策
や職場の拡大、再構成の話が進み、辞令も発表
された。その中で、同期の異例の昇進を知っ
た。表面上は周囲に合わせて落ち着いていた
が、心の中では驚きを隠せなかった、同期や年
下の作業者に対する態度と上司や年上の人と接
する時の対応が格段に違うのだ、その上、職場
に上司がいないときは、「適当でいい、検
査をしなければ問題ない」と責任感もない発言
ばかりで同期や年下の作業者に対しては上から
目線で「仕事なんか適当で言い」と言い放つ、
そして上司や権威のある年配作業者の前で自ら
側に寄り、率先して話を聞く。まるで時代劇の
越後屋のような奴だった。上司を見かけるとす
ぐ側に寄り、満面の笑みでご用聞きをし、その
上司の言葉を投げつつ、自分は知らんぷり。勝
手に補佐役に徹し、書類整理や現場の事務作業
に入り、同期や年上には命令口調。でも実際の
作業には一切関わらず、気にはしなかった。
その後、辞令発表とともに職場の再編成に伴
い、その男は直属の上司に任命された。以降、
何事もなく淡々と日々が過ぎていった。ある
日、仕事に追われながら、余った材料、不用在
庫を台車に載せ保管場所の倉庫に向かって運ん
でいると、その班長が現れた。彼は在庫の返品
伝票を持っていて、「俺が持って行くから」と
言い、台車を押して消えていった。珍しいなと
思いながらも、何度か不用品を保管倉庫に持っ
ていくのを手伝いに来た、そうしているうちに
他の職場の在庫管理も始め、結果的に職場全体
の在庫や廃棄を管理するようになった。だが、
本人は本来の自分の受け持つ職場は半分放置し
つつ、工数管理や出勤管理しか、しないし勝手
に動き回る。これに腹を立てつつも、常に顔を
見ないだけ良しと自分を慰めた、数ヶ月後、彼
は今の職場の班長を続けたまま倉庫の班長にも
兼任と言う形で就任した、だが倉庫でも実作業
は手を出さず工数管理や事務作業しかしない、
やってる事は何も変わらなかった、その後社内
で重大問題が発生したと噂が広まり、社内調査
が始まった、何やら社内の不要在庫が数百万円
分も消えている事が発覚したらしい、社内調査
によると余って使わない不用在庫や部品、間違
って発注した材料、在庫が消えたと言うのだ、
しかし最終的に工場の生産に影響ないと判断さ
れ、不用在庫や部品の行方は不明のまま。社内
に警察を呼び盗難届けを出し、調査してもらう
と言う話も合ったが生産を止められたら仕事に
影響を及ぼすとの理由に見送られた。
噂では、倉庫の班長を兼任していた同期の自分
の班長が休日に社内に出入りし、不用部品や不
用在庫を社内のトラックに積んで運び出しスク
ラップ工場に売却されたと言われている、証拠
や証言が乏しいこともあり、犯人は上司と倉庫
の作業者数名と噂されていたが、結局は見て見
ぬふりが黙認された、そんな状況の中で以前自
動車業界を転々としながら働いていた契約社員
と話していたら「何処の企業も社内の落ち度に
なる様な事は公表しないんだよ、第一に企業の
イメージダウンに繋がる様な事が公表されれば
株価がさがるだろ」「俺が昔働いて居た自動車
製造工場で聴いた話しだけど社長が生産ライン
工場を見学しに来た時、目の前の数百トンブレ
ス機に乗って社長にプレス機の説明していたら
間違ってプレス機のボタンが押され社長の目の
前で、そのプレス機を説明していた作業者がブ
レスされ周辺は血の海になったけど一切その事
は社内にも外部にも公表しなかったって」「そ
れに自動車をディーラーで新車って名目で販売
しているけど実際は工場で完成してから新車と
呼ばれる車は工場からディーラーに届く迄にア
チコチぶつけたりするけど、解らない様に直す
んだ、だから本当の意味で新車って無いんだ
よ」と俺に業界の話しを聞かせてくれた。
旅路の果てに
数年後、度重なるストレスから時折、発作で胸
か締め付けられた様に苦しくなり最悪、意識が
無くなり倒れると言う事があって、その症状が
日に日に強く感じられる様になってきたので病
院で検査しようと考えていた矢先、勤務中に胸
が苦しくなって意識を無くし倒れ、心肺停止の
まま救急車で近隣の総合病院に運ばれた、総合
病院に運ばれる際に心臓は蘇生したが意識は病
院の集中治療室で数時間後に回復した、胸が苦
しくなり意識が無くなり最悪、心肺停止になる
症状自体は一生治らない可能性があるから万が
一の為ピースメーカーを胸に埋め込む手術をと
担当医から進められた、だが自分の意思でピー
スメーカーの手術は断り、その後1ヶ月入院生活
を終えた頃に、もう1ヶ月経過観察と検査の為に
入院延長をと何度か担当医に進められたが、病
院の閉鎖的行動制限や基本的に寝て過ごす日々
に嫌気もさし、とにかく外に出たかったのも有
って経過良好で体調は良いと担当医に更なる入
院は断り半ば医者に歯向う様な形で無理やり病
院を去って、そして会社に復帰を果たした、頭
の中で今度発作で意識が戻らなければ死ぬのか
なと、と悪い思いが膨らみ、この病気(狭心
症)不治の病は普段は健康な心臓だが不特定な
発作で心臓の大動脈が縮まり血流が止まり心肺
停止状態に落ちる症状でなぜ発作が起きるの
か、なぜ心臓の大動脈が締まるのかは根本的に
不明らしく、発作が起きたらピースメーカーで
電気刺激を、与えるのが1番効果的で命の危険性
を回避するには良いと医者は言って居たが、死
ぬ時は死ぬし胸に何か人工物を埋め込む事も抵
抗合ったので最後まで断り続けた、薬を飲みな
がら、万が一発作が起きた時の為にニトログリ
セリンを胸に紐で通し首から吊るして会社に復
帰した、そうして症状も落ち着いて来たなと安
心していた矢先に事業撤退や業務縮小の話が出
た。売上は好調ながら、自社製品を作らず下請
けとして他社の部品製作を続けていたが、その
発注企業が値下げを要求し、値下げを断ったた
め、今後は工場の移転の話になった、それから
数ヶ月後上司に呼ばれて数百キロ離れた山沿い
の関連企業の工場に移籍の話しを聞かされた、
噂で聴いた事のある所で過去に移籍した人は全
て辞めたと言われる昼夜問わず24時間体制の12
時間勤務業務内容もライン中心の体力勝負と噂
は知って居た、上司に「決定なんですか」と問う
と、「そうだよ給料ドンと上がるぞ」と返答す
る上司に、「給料の事なんか誰も聴いてませ
ん、俺が心臓悪くして現場で倒れてピースメー
カーを胸に埋め込むかどうかの身体で重労働や
生活のリズムを崩す夜勤など出来ない事を良く
知っているのに何故そんな辞令がでるのです
か」と身を乗り出して上司に言い返すと、上司
は困ったような顔で「上層部の決定事項だか
ら、人事移動の経緯は俺は知らないよたた決定
事項だから、お前だけで無く周りの作業者も皆
んな同じで移籍するんだよ」それを聴いて黙っ
て上司の元を離れた、そして過去に窃盗の主役
の上司は撤退した後に残る広大な作業所を整理
して新たな事業が始まる時の生産の指揮をする
らしい、それに関連企業に移籍する人員も独身
者を優先的に割り当て移籍予定人数も発表当初
から半減した、配偶者やこの地を離れられない
理由がある者は、このままこの地に残り新たな
生産に対応する作業者として今まで通りこの勤
務地で働けることが正式に発表され書面で各職
場の掲示欄に交付された職場内に安堵感が漂い
始めた、だがこの地に残りこの敷地で新たな職
務に就く作業者として自分は呼び出されて説明
も聞いていない、以前呼ばれて関連企業に移籍
の話だけ言い渡されたままだ、他の同年代は皆
上司に呼ばれ遠い地での転籍辞令撤回の話しを
聴いている、黒でも白になる企業の立て社会、
その組織とも言える宗教じみた上司に対する渾
身的奉仕感覚、上の者に反発する事は組織全体
に歯向かう行為として公開処罰的な処置をする
企業体質、見て見ないふりをする上層部、今な
お続く癒着、見えない結束このまま移籍で半年
後この地を去る事になれば自分はどうなるのだ
ろう、一度産まれた地を離れ寂しい思いをまた
思い出し、もし関連企業への移籍辞令が下った
ままでいたら、半年後は聞いたこともない山間
の工場でやったこともない作業を長時間それも
昼夜問わずもしも持病の発作が、起きて意識が
戻らないと死ぬのに、やっと住みなれたこの地
を去り新しい地に行き何があるのか、給料が上
がればそれはそれで嬉しいがそんな次元の話で
は無い、他の地に追いやり俺を殺したいのか
病気の現印となったストレスは仕事からくるス
トレスだ、明日発作が起きて死んでも可笑しく
無い身体にしたのはこの会社だろ、仕事のせい
だろ、上司に唯一口答えする俺を毎日毎日どう
でも良い事をやらせて意味もない事で俺を追い
込みストレスで潰して上司に反発するとこうな
るぞと言わんばかりの仕打ちを何年も仕掛けた
のはお前だろ、そんな仕打ちをして最後は厄介
払いかと心の奥で叫びながら、もう住みなれた
地を離れるのは2度と嫌だ、と色々と考える事
が多くなったある日の朝目覚ましで目が覚めた
が身体が硬くなって布団から起き上がれない、
どうしても起きれない、そんな日が続き会社の
指示で心療内科に通い職場での適応障害と診断
され自宅で横になり色々考えるながらあの頃の
事を思い出し、高校を卒業してこの地に降りて
先輩に出会いセルジオに驚き叔父さんに聴いた
話し、会話が通じない拓ちゃん メーテル 今
は無きコンビニ店長 石田エリコ 篠 ひろ子
寮長
90sに出会った人々
あの時代あの時
あの時代、あの時、自分は確かにあの場所にい
た、それは映画で見たワンシーンで無く、リア
リティあった夢でも無く バーチャルゲームの
ストーリーでもない、今思えば言葉にできない
五感を超えた感覚で向き合っていた確かに俺は
あの日、あの時
90sと言う歴史に残る時代にいた
出会った人々と心から向き合えた
時にジェネレーションの枠を超えた出会いも合
った、
心から思いの丈を言えた
確かに俺は、あの日、あの時 あの場所にい
た、
そして、その時に出会った人、その時側にいた
人と同じ90sの風を確かに感じながら時を共有
した。
昭和から平成に年号が変わり昭和のカルチャー
も90年代の激しく移り変わりゆく流れの中でシ
ェイプされ残った本物だけが90sの激しい激流
と合流し更に勢いを増しながら21世紀という大
海原を目指して流れていく、大海原で全ての汚
れを洗い落とし心身共に新たな心と身体で大海
原を泳いで行けると誰もが信じていた、
そして90年代のトレンドとカルチャーが激流の
ように流れ周囲の物を飲み込みながら加速して
いく、その流れに飲み込まれ流れから消えて見
えなくなる人 流れに身を任せ幸せそうに流さ
れて行く人 その流れを遠くて見守る人、流れ
に逆らい必死で流れから出ようとする人、色々
な人が様々な人生を送りながら時は流れていく
90年代確かに俺はあの日あの時あの場所であの
人と出会い、同じ時間を過ごし、共有した。一
期一会の瞬間もあれば、長い時間を共に過ごし
たこともある。
ハイブリッドのように混ざり合ったデジタルと
アナログが、過去に例を見ない形で融合し新た
な未来へと突き進む過去の歴史からシェイプさ
れた本質的本物の粒子も混ざり合い粒子通し反
応しあって21世紀の壁を突き破る、21世紀の扉
を突き破った瞬間に瞬い輝となって弾けてひろ
がりそれまで暗黙で誰にも見えなかった新世紀
を照らし初める、その瞬いばかりの光輝く21世
紀が目前に迫る時代に、みんな何かを感じてい
た。
21世紀の扉が開けば、世間が目を覚ますような
一撃で長い眠りから覚め、瞬く日差しを浴びる
ように、21世紀の扉が開くと光り輝く新たな世
界が待っている。漠然とその様な未来に向かう
夢を描いていた90年代の若い頃の自分を思い出
す。
自由
ある朝、玄関で子供と妻の話す声で目を覚まし
た。
「あんたも19だ。もうすぐ成人なんだから、熱
が出たくらいで一人で病院に行きな。私も仕事
があるんだから」――と、二人のやり取りがド
ア一枚隔てた玄関から聞こえてくる。
それを聞いて、自分の子供も俺が故郷を離れた
年を過ぎるような年齢になったのだと、しみじ
み感じ子供も社会人になれば金もかからない、
妻も正社員として働いている、中古で買った建
売のこの家も直ぐ退職しても残りのローンを退
職金で返せる、年金も最低額貰えるまで5年、
アルバイトでもすれば俺1人なら暮らしていけ
る、毎日一膳に卵でもやっていけ自信は今の俺
には十分ある、そんな事を考えていたら
新鮮な空気を吸いたくなり、外に出て近くの海
まで散歩に出た。
海を見ながら、先輩に教えてもらった日から続
けていたサーフィンも、最近はやっていなかっ
たことを思い出す。そして90年代に過去も未来
も考えず仕事も忘れ時間が過ぎ去る事も気にせ
ず今、今と言う瞬間、その時の瞬間だけを感じ
味わい感じながら出会った人々と向き合い思い
のままお互いの事を感じ理解できていた、あの
瞬間瞬間を感じられた90s時折その時代の断片
を思い出しては胸焦がし、遠い昔の思い出と思
えない程鮮明に、その時の その場面を覚えて
いる、昨日の出来事野様に明確に思い出すこと
も度々ある、過ぎ去った過去を引きずっても仕
方ないと考えては胸にしまっていた90s
そんなことを考えながら潮風を感じて歩いてい
たら海の海面がキラキラ光っている、キラキラ
光る海面を綺麗だと思い見つめていたら一瞬何
か悟った様な非日常的な感覚を覚えたが、その
まま海の彼方に広がる水平線を眺めていたら自
分が生まれてきてから今日迄抱え込んできた悩
み事、今日迄自分に振り掛かって来た災難、今
日迄自分の自由を縛り付けていた見えない檻、
今日迄感じて来た漠然した幸せや夢そして生き
てる意味 自分が探していた全ての問いと答え
が一瞬解った感覚を覚えた
生まれて初めて、一週間以上、いや一ヶ月以
上、何ヶ月も何の制約も拘束もなく、何も考え
ずに1人で過ごせる時間を持った。これは、物心
ついてから初めてのことだった、
「よし、もう会社には行かない。どうなろう
と、お金の心配もしない。会社のことも考えな
い。明日の事も未来の事も先の事は考えない、
過去は振り返らない引きずらない、何も自分を
縛るものはない」――そう決意できた。
今、心から自由だと言える。
それに過ぎ去った90年代の思い出は過去に消え
てしまったのではない、その時に自分の一部、
今生きている自分を形成している細胞、ニュー
ロンの瞬間、瞬間、光り輝くスパークの中に、
自分の細胞至る所の素粒子と融合して、あの日
あの時あの場所で出会って過ごした人達との思
い出の瞬間、瞬間はその時その時の自分の身体
全ての細胞に素粒子となり吸収され全身を駆け
巡り融合して混ざり合い自分の一部になって、
その時から自分と共に今日迄一体となって共に
歩いて来た、その事に気づかないで居ただけ
で、その時思い出として脳の神経回路に刷り込
まれた訳では無かったんだ、自分と90代に感じ
た思い出は今は自分の身体の一部になってい
る、だから、あの日、あの時、あの場所で出会
った人々を思い出すと昨日の様に鮮明に思い出
せ胸が熱くなっていたんだ、意識にならない無
意識のその奥の本当の自分がその日そのその場
所でその時を迎えて、その迎えた身体に吸収さ
れる様にその時がその時その時フィルムをパラ
パラめくる様に一瞬一瞬その時その時に粒子と
なって自分の身体に吸い込まれる様に吸収され
細胞に溶け込みながら全身隅々迄広がり過去に
消えていく筈の一瞬の場面がその時から自分と
共に一つとなり次の一瞬を迎えて又自分と共に
次の一瞬の時を迎えその時を迎えていた自分が
社会の枠組みに全て入り込み周囲の常識に完全
に染まってしまい自分で無くなるまで自分を形
成していてくれていたんだ、そして意識できな
かったったケド自分一部として共に歩いていた
んだ(あの時から常に自分の中に居るんだよっ
て、いつまでも一緒に居るよと胸を焦がして、
鮮明に心の中に写し出して教えてくれていたん
だ)だから懐かしく思う事は無く、いつまでも
自分と共に今を生きてる、だから懐かしみ、思
い出に耽る事は考えなくてもいい、過去は振り
返らないで、あの時の熱い気持いは胸の中、自
分の身体全て全身に溶け込み刻まれている、だ
からあの時の気持ちを思い出し待ち続けよう、
何の制約もされずに 何の束縛も無く 見えな
い囲いも取り払い 過去も未来も考えない、い
まこの時この時だけに目を向け、瞬間瞬間を感
じ 物質をもとめず、生きていけるだけの食材
さえ有ればいい、家族に不便をかけなければ俺
はどうでもいい、もう何の制約も何の制限も何
の規則も縛られる事はないし受け付けない、会
社はもう行かない 社会と言う囲いの中には
入らない、世間の常識には縛られない他人の思
い込みに自分を合わせない
金はどうでもいい。生きていける食べ物さえ有
れば、僅かな生きていける食料があればそれで
いい。
あの日、両親に見送られ電車に乗ってブルーハ
ーツを聴きながら自由を求め上京していたあの
場面が甦る。
やっと自由を見つけた、という思いて胸が熱く
なった。
コメント
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お疲れさまです、寺島あおいです。 「90s あの時」、一気に読ませていただきました。冒頭のブルーハーツ「トレイントレイン」から、もうその時代の空気が鮮やかに蘇ってくるようでした。特に印象的だったのは、先輩との深夜の横須賀ドライブや六本木のクラブのシーン。改札を飛び越える日系ブラジル人のセルジオたち、言葉が通じなくても通じ合える瞬間…あの「カオス」が、読んでいるこちらまで高揚させてくれました。 そして後半、病気や会社との闘いを経て、海辺で「やっと自由を見つけた」と思えるラスト。胸が熱くなりました。懐かしむのではなく、「あの日の自分は、今の自分の中に生きている」という気づき――本当に深く、美しいですね。一話でここまでたくさんの人生を詰め込める筆力に、ただただ脱帽です。続きを心待ちにしています🌷