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私はレオンのマントの裾を掴んで、小声で訊いた。
「……ねえ、レオン。オルファ侯爵の隣で、黒い扇子を持っていた女……覚えている?『|この女《オランジェ》がいなければ、オルファ侯爵の地位は安泰ですよ』って、耳元で囁いていた……あれ、誰なの?」
レオンは一瞬、息を止めた。
「……あれは、ミーア男爵令嬢だがそれは表向きの名前。『毒の女』と呼ばれている。」
低い、凍りつくような声だった。
「ヴィンセント公爵が飼っている『毒の女』だ」
私は眉をひそめた。
「毒の女?」
「ああ。人の耳に甘い言葉を吹き込み、欲望を煽って操るのが専門。オルファ侯爵の屋敷にミーアが出入りしているのを見た者がいる」
レオンは吐き捨てるように続けた。
「ミーアはオルファ侯爵と深い仲になり、オランジェ、君との婚約破棄を唆した」
『毒の女』は毎夜、オルファ侯爵の耳元で囁き続ける。
「最初は『オランジェットを手放すのは惜しいですね』次に『でも、あの女を生かしておけば、侯爵の地位は脅かされます』そして最後には『あの女は王太子の暗殺を企てています』と……」
私は奥歯を噛みしめた。
「……つまり、あの女がオルファ侯爵を寝返らせた……正確には、寝返らせたように見せかけた。侯爵は最後まで自分が裏切ったつもりでいるだろうが、実際は最初から、ヴィンセント公爵の罠に嵌められていた駒だ」
レオンはフードを深く被り直し、物陰から王宮を見上げた。けれど私は不思議に思った。いかに王太子の護衛騎士といえ、なぜここまで詳しく知っているのだろうか……。
私はレオンの袖を強く引いた。
「……お前、なんでそんなに詳しいんだ?」
暗い路地の奥、街灯の光も届かない場所で、私は真正面から彼を見据えた。レオンはフードの下で、ほんの一瞬だけ目を伏せた。「……俺は、王太子の影武者だった」静かな、でも確実に私の胸を抉る声。
「表の護衛騎士は別にいた。俺は殿下の“影”として、常に三歩後ろに控えていた。だからこそ、……ミーアの動きも、オルファ侯爵が少しずつ壊れていく様子も、全部見ていた」
彼は苦しげに唇を歪めた。
「暗殺未遂の夜、殿下は本当に毒を盛られた。でも死んでない。殿下は抜け道から逃がした」
「レオン、お前、大丈夫なのか?」
「……毒には慣れている」
リバーが「しっ!」と鋭く唇に指を立て、背中を壁にぴたりとつけた。ガシャン、ガシャン、ガシャン……石畳を蹴る重いブーツの音。松明の火が揺れて、黒い甲冑が一瞬だけ赤く光る。肩に縫い付けられた黒百合の紋章が、まるで生き物のように蠢いていた。
「東の裏門から逃げた女と金髪の裏切り者がいるらしい」
「生きたまま捕えろ。公爵様のご命令だ」
「特に金髪のほうは……王太子の影武者だ!王太子の行方を知っているかもしれん!」
低い、冷たい声。レオンが私の手をぎゅっと握りしめた。震えているのは、私のほうか彼のほうか、もう分からない。黒百合騎士団は十数人。松明の列が路地の入り口を過ぎ、奥へ奥へと消えていく。静寂が戻った瞬間、レオンが掠れた声で呟いた。
「……王太子と間違われたまま、か」
苦い笑みが、闇の中で浮かぶ。
「結局、俺は今でも“死んだ王太子の影”なんだな」
私は歯を食いしばった。違う。生きている。王太子は生きている。レオンも、私も、まだ死んでない。「……行くよ」私はマントを深く被り直し、リバーの背中を押した。レオンが囁く。
「次の路地を抜けて、王宮の地下水路へ。あいつらが表を騒いでるうちに、俺たちは裏から潜り込む」
黒百合が狩人なら、私たちはもっと深い闇に潜む狼になる。