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鼻の奥が腐った卵と死体を混ぜたような臭いで痺れる。靴底にへばりつくぬるぬるとした感触は、腐った藻か、それとも……考えるだけで身の毛がよだつ。松明の火が赤く揺れるたび、岩壁に三人の影が巨大に歪み、まるで別の生き物みたいに蠢いた。リバーが先頭、片手に松明、もう片手で剣の柄を握りしめている。
レオンが私のすぐ横を歩き、時々私の肩に手を置いて「大丈夫か」と無言で確かめる。水音がポタ、ポタ、と響く。足元をドブネズミが何匹も横切り、赤い目だけが闇で光った。
「……もうすぐ、旧王宮の地下牢に繋がる分岐だ」
「あの牢獄?」
「……そうだよ、僕たちがいたあの場所だ」
レオンが低い声で囁く。
「そこから王太子の隠し部屋へ……殿下が生きているなら、必ずそこにいる」
私は頷いた。喉が渇いて、声が出そうにない。松明の火が、突然大きく揺れた。リバーがピタリと足を止める。「……気配がする」前方の闇の奥、水路の曲がり角から、ゆっくりと別の火が近づいてくるのが見えた。誰かが、こちらに向かって歩いてくる。私たちは息を殺し、岩壁に身を寄せた。
松明の火が揺れて、角の影がどんどん大きくなる。次の瞬間、でかい声が地下水路中にドーンと響いた。「おお!レオンじゃねえか!お前も来たのか!」……バイキングだ。あの要塞で会った、角付き帽子の大男。彼は片手に松明、もう片手に巨大な戦斧を担いで、ニヤリと白い歯を見せた。
「遅えぞ、遅えぞ!もうみんな集まってるぜ!」
背後から、さらに複数の足音と松明の火が揺れる。要塞の仲間たちだ。カードをやっていた男たち、鍋をかき回していた女性、全員が武器を手に、顔に布を巻いて、地下水路に勢揃いしていた。
「ロバ宰相から王太子様は生きてるって聞いてな、俺たちも黙ってられねえ」
バイキングが私の肩をバシンと叩く。
「お姫様も来てくれたか!ありがてぇ!」私は思わず笑った。「……みんな、ありがとう」レオンも、リバーも、目を見合わせて小さく頷いた。地下水路に、三十を超える松明が灯る。闇を裂く炎の列が、王宮の最深部へと、確実に進んでいく。
まずはオルファ侯爵だ。王太子の後ろ盾として王党派を率いていた彼は、一夜にして裏切り者の烙印を押された。彼が王太子に毒を盛った犯人を、王宮内に手引きしたという噂が漣のように広がったのだ。彼は今、私が投獄されていた独房で後悔に苛まれていることだろう。
地下水路の分岐を抜け、鉄格子の古びた扉を蹴り開ける。先に進む前に、私は足を止めた。
「……ちょっと寄るところがある」
レオンが眉を寄せる。バイキングも「時間がねえぞ」と呟いたが、私は首を振った。「五分で済む」牢の最深部。私が三日間、死を待っていたあの独房。錆びた鍵を外す音が響く。
松明の火が、奥の暗闇を赤く照らす。そこにいた。オルファ侯爵は、鎖で両手を吊られ、膝を折って座り込んでいた。
かつての威厳はどこにもなく、髪は乱れ、頬はこけ、目は虚ろ。私の足音に気づいて、ゆっくりと顔を上げる。「……オランジェット……?」掠れた声。信じられない、という顔で瞬きを繰り返す。私は一歩、また一歩と近づいた。
「覚えているか?あんたが私に言った最後の言葉」
オルファ侯爵の肩が震える。「『お前は国の恥だ』って」私は静かに笑った。「今、誰が恥だって?」彼は唇を震わせ、やっと、初めて、本当の恐怖に顔を歪めた。
「……俺は、嵌められた……あの女が……ミーアが……」
「知っている」
私は冷たく告げた。
「だから、おまえはここにいる。私がいた場所に」
「オランジェット……、助けてくれ。婚約者じゃないか」
オルファ侯爵の目から、涙が零れた。私は踵を返した。
「死ぬまで、後悔してな」
蝶番が軋み、扉は閉まった。私は無表情なまま鍵を掛ける。もう二度と、この鍵は開けない。三日後、彼は私が登った断頭台で、神に跪くだろう。私は仲間たちのもとへ戻った。「……次は、本当の黒幕だ」松明の列が、再び動き出す。
足元の水溜まりで小さなカエルがコロコロと鳴く。地上はすぐそこだ。レオンは無言で岩壁に歩み寄り、両手を一枚の岩に当てて、ぐっと横に押し滑らせた。ズズッ……!次の岩が縦に沈み、最後に現れたのは、王家の百合が深く彫られた古い石の扉。レオンは百合の花びらの中心を指でなぞり、静かに力を込める。
ゴゴゴゴ……!
重い音と共に扉が内側へ開き、ひんやりとした夜風が一気に吹き込んできた。松明の火が三十本、まるで生き物のように激しく揺れた。奥は真っ暗。でも、かすかに……薔薇と薬草の匂いがする。王太子が隠されている、誰も知らない“隠し部屋”だ。
レオンが一歩踏み出し、振り返った。「……行くぞ」私たちは息を合わせ闇の中へ、足を踏み入れた。