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外が騒がしい。 悲鳴と銃声、車のエンジン音。それらは連なって、俺のいる場所まで聞こえてくる。
ここはとあるショッピングモールの二階の喫茶店。机も椅子もバラバラに倒れ、店内スピーカーから不穏なノイズが聞こえてくる。
本来なら俺も、外に居るべきなのだが──今はここから動くことができなかった。
理由は三つ。
セディエーションガンが壊れてしまったこと。
足を少し挫いたこと。
そして──目の前で優雅に佇む、一人のゾンビ。
黒い髪を揺らし、オレンジ色の服を纏ったこいつが突如現れ──この地は地獄と化した。
「外界も外界で、賑やかなものですわね」
「……そうだな」
ゾンビらしからぬ流暢な口でそう言い、彼女は人間のように微笑んだ。
周囲の床には、人間の遺体が幾つも転がっている。皆、このゾンビに殺された。そして彼女の足元には、気絶した隊員が一人横たわっている。明らかに、いつでも殺せる位置に置いている──つまり俺は、部下を人質に取られていた。
罵詈雑言はいくらでも思い浮かんだが、不機嫌にさせると腹癒せに殺すかもしれない。だから自分の怪我も関係なく、俺は動けなかった。
「不思議なものねぇ」
慎重に睨み付けていたら、ゾンビが口を開く。黒いブーツに包まれた爪先で、隊員の顎を少し持ち上げた。
「棺の覚悟を持って、戦地に立ったのでしょう? 一人や二人見捨てたって、誰も咎めないでしょうに」
嘲るでも呆れるでもなく、ただ単に判らないといった様子で彼女は言った。やはり、ゾンビに倫理観なんてものはないらしい。
そもそも、ゾンビには理性なんてない。会話なんてできない獣だ。なのにどうして、こいつは人間みたいに振舞っているのだろう。
──いや、どうでもいい。考えても無駄だ。
「……あんたには理解できないだろうな」
「そう。どうせ全員死ぬのに」
心無い言葉を聞き流しながら、俺は思考を巡らせていた。
この状況を打破するには、応援を待つしかない。しかし単なる戦力ではなく、ゾンビの呪いを浄化できる存在──つまり、アド隊長の力が必要だった。既に多くの被害者が出ているこの状況。きっと彼女も、すぐに向かってくれている筈──
「隊長さんを待ってるのね」
「ッ……!」
僅かに視線が背けたせいか、思考を見透かされる。しかし、なぜそこまで理解できるのか。生前の記憶があるのか判らないが、どうしてアド隊長を知っているのだろう。面食らった俺に向けて、追い打ちみたいにそいつは笑った。
「んふふ。そうねぇ……わたしがここに来た理由、教えてあげましょうか」
「何……?」
唐突にそう提案されて、嫌な予感が胸をつく。
隊長の名前の後に話すということは、こいつは隊長に危害を加えるつもりではないか。
「うちの主がね、アドちゃんを欲しがってるの」
不吉な考えは杞憂に終わらず、呆気なく的中した。冷や汗が頬と首筋を伝う。
「歌姫が欲しいってね。わたしは別に、録音でもいいと思うのだけど……彼女はアドちゃんの歌を直接聴きたいみたい」
「ふっ……ざっけんなッ!!」
俺は掴み掛かる勢いで立ち上がり怒鳴った。やはりこいつは、隊長を手に掛けるつもりだ。
「隊長の歌は娯楽のモンじゃねえ! 主だか何だか知らねえが、ゾンビなんかに隊長を連れてかれてたまるかよッ!!」
「座ってくださる?」
顔を近付けて吠えるが、彼女は微動だにしない。その細い首を叩き斬ってやりたかったが、今はその手数がない。屈辱を噛み締めながら、俺は椅子に座り直した。
「あとわたし、隊長には興味がないの」
「あ……?」
「わたしが欲しいのは『アド』であって……『隊長』はいらないわ」
なんだか意味深そうな言葉に、俺は眉を顰める。
「……『アド』は『隊長』なんだけど」
「ああそう。あなた達の間ではそうしてるんでしょうね。でもアドちゃんは隊長ではないでしょ」
彼女の口から、哲学のような捻くれた理論が展開されている。まるで、『アド』と『隊長』が別々の人物とでも言うような口ぶりだった。しかし、決して別人ではない。『隊長を務めるアド』は、一人の人間だ。
暫くそう主張したが、こいつはいまいちな表情をしている。そしてふと、何か思い付いたように顎を上げた。
「アドロイド、って知ってるかしら?」
「アドロイド……?」
自身の髪を指で弄びながら、彼女は話しだした。
「人並みの精神を得た機械人形を、ロイドというの。彼らは自然に生まれるものだけど、ある帝国の悪い科学者が、人為的にロイドを作ろうとした。人間の女の子のクローンを作って、その脳を機械に組み込んだ。そして元来のロイド以上に、人間に近い思考のロイドが生まれた。それがアドロイドよ。アドって呼ばれてたから、アドロイド」
なんの話だ、と思いつつ耳を傾ける。クローンとはいえ、機械に人間の脳を組み込むのは、些か非人道的ではないのか。
「人間の脳が組み込まれた機械。じゃあアドロイドは、人間の女の子かしら? それとも機械──ロイドかしら」
倫理学の思考実験のようだが──なんでこの話になったのかわからない。こんな問題に答えるより、人質を保護してこいつを駆除するべきなのに。でも相変わらず、隊員は彼女の足元で気絶していて動かない。
「あなた、答える気がないのねえ」
「……」
彼女は首を傾げていたが、やがて何か、見えないものを見透かしたように微笑んだ。
「わたしの主が言うには、アドちゃんは普通の女の子なんですって。歌うのが好きな、大人しくてお茶目で面白い子。……でも隊長は違うじゃないの」
「……ただの女の子に、隊長が務まると思ってんの?」
「いいえ? だからよ」
彼女は、冷たく目を見開いた。蔑むように。
「おかしいと思ったのよ。歌姫だったアドちゃんが、いつの間にか隊長だなんて。そもそも『隊長』に、呪いを解く力なんて無かった筈よ。なのにアドちゃんの力を、隊長が使ってる。力だけ、じゃなくて……アドちゃんそのものが組み込まれてる」
「はあ? 隊長は機械じゃねえ」
俺がそう言うと、彼女は僅かに溜息を吐いた。そして次の瞬間、
「ッ!?」
目にも留まらぬ疾さで、俺の目前に詰め寄っていたのである。
「主はね、『隊長』から『アド』を引き剥がすことが目的ですって」
いつの間にか、俺の頬に彼女の手が触れている。鉄のように冷たい指先が、顔の傷を撫でた。
「『アド隊長』なんて、行き過ぎた先の幻想でしょうに。……ねえ、ゾンビのいない世界にいたアドちゃんが、どうしてこの世界に来ちゃったの? ゾンビという非倫理的な存在を排除するなら、一人の女の子の尊厳を貶めるなんて、どうしてできるの?」
「な……なに……?」
何を、言っているのだろう。俺の知っている隊長は、最初から浄化の力を持っていた。まさかそれが、非人道的に移植されたものだというのか。
本当に──『アド』と『隊長』が、別人だというのか?
「どうして、知らないふりをするの?」
「……!?」
器官を掴まれたみたいに、心臓がどくんと跳ねる。図星? なぜ? 隊長とアドは同一人物なのに。俺は何も知らない。
──何も、知らない……はずなのに。
「忘れたの? それとも、消されてしまったのかしら」
半開きになった口から、乾いた息が漏れた。気が動転した拍子に、記憶の取っ掛かりみたいなものに触れてしまった──気がする。
アドと、隊長……?
「……あら、失礼。酷な質問だったかしら」
俺が何も答えられずにいると、彼女はすっと顔を離した。音もなく、元々座っていた椅子に腰掛けている。
「んふふ。可愛い子羊ちゃん」
ゾンビが嗤っている。この状況の何が楽しいのだろう。
「まあ、そうね。あなた達が真実を知っている必要はないわね」
座ったというのに、彼女はすぐに立ち上がった。そういえば、こいつに奇襲されたのだった。俺は慌てて身構えるが、彼女はもう、人質など眼中にないみたいだった。
「今日はもう帰るわ」
「なに……?」
彼女は嫣然と微笑み、そこから数歩下がる。彼女の目的がアド隊長なら、まだこちらに敵意を向けてくると思ったのだが。
「わたし、過程を楽しむのがモットーなの。……んふふ。じゃあまた来るわね」
そう言って、彼女は踵を返した。
「……二度と来るな」
その背中を攻撃しようかと思ったが、人質にされていた隊員の保護が優先だと思い出す。代わりに捨て台詞を投げながら、隊員の息を確認した。幸い、怪我はないようだ。
「あぁ、そうそう」
外の喧騒に歌声が混ざる中、彼女はこちらを振り返って、言った。
「わたしはロメロよ。……じゃあね、ダーリン」
それだけ言うと、彼女──ロメロの姿は、曲がり角の向こうに露と消えた。