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#高校生
松下一成
85
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ナ コ # 情緒不安定
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体験入部みたいなのが終わると、そこから本格的な練習が始まるのですが、最初はとにかく柔軟と補強の毎日が始まります。柔軟はとにかく可動域を広げる事、そして補強はいわゆる筋トレですね。(体操はなんでか補強といいます。他の部活もそうなのかな?)
で、当然なのですが高校生なので体つきはそれなりに出来上がっているので、この2つはかなり大変な感じになります。
というのも体操競技はこの柔軟と補強がほぼメインの種目でもあります。というより、一定数の柔軟力と筋力が無いと技に挑むことも出来ませんから。
で、やってきた吊り輪に触る時間。わっかを掴んでぶら下がって見ることに。するとあることに気が付くわけで。
「…思ったよりも体が重いぞこれ」
当時の私は細く、身長も低かったので、多分体重は50キロなかったと思います。身長も150そこそこだったような…。
それでも2本の腕で支えることが出来ないまま、そのまま着地。先生は「今は着地だけ意識しろ」と言ってました。
そこからスイングといって体を前後に振ることを始めます。吊り輪は鉄棒とは違って、可動します。なので自分の体が前に行く時は輪っかを引き、後ろに行く時は輪っかを押すという感じなりますね。
専門的な用語を使えば「ヌキとアフリ」って言うのを言われます。これはつまり、ヌキの時は体重を生かしてなるべく下を通るように体を伸ばして、アフリの時は腹筋、後ろの場合は広背筋を使って反り上げるようにします。
それを実際のスイングとタイミングを合わせることで、スイングの大きさが広く、高くなっていくわけです。
理論的に考えると、このスイングが大きくなると、いわゆるみんなが言う所の「大車輪」になるわけです。(体操的には大車輪はなく、車輪が一般的です)
スイングが大きくなると、水平まで体を持ちあげることが出来るので、後は自分の体を高いところで引き寄せれば、吊り輪の上に上がることが出来ます。
腕2本で自分の体重を支える形に成るわけですね。
でも、出来ないんですよね。なぜなら支持をするための筋力が無いから。ぶら下がるのは多分体重が重くなければ誰でも出来るんですけど、支持をするとなると筋力が関わってきます。
多分ですけど、ダンベルやバーベルを持ち上げる筋力とは別の力が必要で。要は、足がやっていることを腕でやらないといけないわけです。これはなかなかできることではありません。
ということで補強をメインに据えて部活は形成されていきます。
少しだけ私の中学の時の話をすると、野球をやっていたのですが、正直、野球を教えて貰ったことはありませんでした。やっていたのは基本的に球拾いです。3年間それだけをやり続けました。
というのも、当時の監督・コーチは基本的に「出来る選手」にしか練習をさせなかったのです。まあ、人数も確かに人学年20人近くいてそれが3学年。となれば60名に教えることになりますからそれは物理的にむつかしいのかもしれませんけど。
だから、ある意味割り切ってレギュラーである9名をメインにして、それ以外の人たちの練習はそのレギュラーの練習を補佐するための練習でした。
今考えれば合理的かもしれませんけど、効率的かもしれませんが、共育的にはどうなのだろうか。と今も思っています。
それで、そんな感じの中学を過ごしていたので、人数が少ないこともあって、顧問の先生はキチンと私に向き合ってくれたわけです。
それが一番楽しかったことでもあります。
なので、補強がメインの練習は朝に行われるのですが、私は長野市から中野市へ通っていたのでかなり時間がかかる通学をしていたのですが、朝早く起きて朝練に参加することに。
自主的にやることにしたのです。
補強は基本的には嫌いではなく、好きな方だったのかもしれませんけど。
でも、慣れないうちは朝筋トレを行ったあと、普通に授業にでるわけで。そうすると、ペンを握ったり、箸をもったり。工具を持ったりする手が若干震えてましたね。今考えても相当量やっていたのを思い出します。
練習は基本的に毎日朝と夕方。そして休日もありました。休みはなくて、高校生の時はお盆と正月くらいしか休みが無かったです。
私の学校ではクラスの日っていうのがあって、それはクラスで決めた遊ぶ場所にいくみたいな。富士急ハイランドに行くってのがあったのですが、私服が無かったので制服で行き、修学旅行にも倒立バーっていうモノを持って行って練習してました。
そのくらいになぜかあの時代はやり続けていましたね。
話を戻しまして、初めての試合になります。
長野県は北信・中信・南信と言う分け方をされます。北信大会、中信大会。みたいな感じです。その北信大会で勝つと、県大会になるわけです。
それで、記憶が確かではないのですが、たしか5月に北信大会があって、6月に県大会だった気もします。
入部して一カ月。出来ることはありません。というか技とかそんなレベルの話ではなく。ということです。
本当に冗談抜きでかろうじて出来るのは床の後転倒立くらいなもので。あとは何だろう、転回くらいは出来たのかもしれません。
ですが、床はまだいいんです。問題はあん馬、吊り輪、平行棒、鉄棒。これらは基本的な動きである。旋回、吊り輪の上に上がること、スイング倒立、車輪なんか初心者からしたらそれだけでも3年かかるんじゃないか。と言われる感じなので。
やってきた北信大会。床と跳馬はそれなりに得点はでましたが、他の種目は1.00でした。そりゃそうです。スイングだけして降りるわけですから。規定演技も、自由演技もあったもんじゃありません。
この試合に出る意味はあるのか?と言われると先生は2つ意味が有ると言ってました。
まず一つは体操の試合は年間を通じて少ない。これは大学の時も感じていたのですが、出られる試合数は年3回くらいです。北信大会、新人戦、国体予選。この3つ。つまり経験値を重ねることが出来ないので、出られるものは出る。ということ。
もう1つには体操は競技人口が少ないです。特になのかわかりませんけど、長野県は少ない感じ。どのくらい少ないのか。というと、北信地区で当時「団体」を組めたのが私の学校だけで、後は個人でしたから。なので、ここまで言えばわかると思いますが、どんなに点数が低くても試合に団体で出さえしてしまえば県大会までは進めるということです。
一応、先輩がいたので、その人と1年生が団体を組んで出場。
その結果、総合1位に。トロフィーと賞状を貰いました。
「…どうなんだろうこれは」
私の点数は60点満点中、多分、10点なかったんじゃないかな。床で5.00、跳馬で5.00出たかどうか覚えてません。跳馬も規定は転回飛びだったのですが、飛べるわけもなく、体育の授業でよくやる開脚飛びってやつで。
多分、開脚飛びって採点規則にはないと思います。なので審判の人が「飛んだから」みたいな理由なのか、審判の内規に何かあったのかわらかないですけど、5.00くらいはくれた気がします。
そんな感じで初めての試合を終えることになります。
コメント
1件
読み終えました〜!柔軟と補強の毎日、本当に大変そうですよね…腕が震える描写がリアルで、高校生でそこまでやる姿勢にグッときました。開脚飛びで5点もらえた話、ちょっと笑っちゃいましたけど、それでも試合に出続けることの意味を先生が教えてくれてたんだなって。団体1位おめでとうございます!次の話も楽しみにしてますね🫶