「ちょっと季節的に早いけど。
せっかく来たんだし、着てみなさいよ」
母家に唯由たちを呼んだ梢は、唯由におばさんの、蓮太郎におじさんの浴衣を着せてくれた。
唯由が着たのは白地にあやめ柄のレトロな浴衣だった。
古代紫の帯の色がきいていて、水色のトンボ玉の帯留めも可愛い。
蓮太郎の方はモダンなストライプ柄の茶系の浴衣で体格がいいのでよく似合っていた。
着慣れている感じもある。
蓮太郎は唯由を見て、目を細めて言った。
「さっきまで、俺はここになにしに来たんだろうなと目的を見失っていたんだが」
いや、そもそも、あなたに目的なんてありませんでしたよ。
ただただ、ひいおじいさまや大王親子に操られてやってきただけですよ……、
と思う唯由に蓮太郎は言う。
「俺はこれを見に来たんだな。
よく似合ってるぞ、蓮形寺」
その言葉に梢と雅代は笑い、唯由は赤くなった。
だから、照れもせずにそういうことを言ってくるのはやめてください。
まあ、あなたの場合、アメーバに、
「動きが可愛いぞ~」
と言っているのと変わりないんでしょうけど……と思いながらも。
そのまま二人で暇なので、屋敷の中をウロウロしていた。
蓮太郎が廊下の隅にある台の上に、小さなゴミ箱やもっちりハムスターや、ミニサイズのストーブなんかが並べてあるのを発見する。
「あ、それ、私がおばあちゃんにあげたガチャガチャですよ」
唯由が笑ってそう言うと、蓮太郎は膝に手をやり、前のめりにそれを眺めながら、
「いらないだろうに。
祖母の愛だな」
と呟いていた。
いや、何故いらないと決めつけますか……。
そのまま廊下を曲がって歩いていくと、羊の写真が飾ってあった。
草原の中に、ぽつんと立ってこちらを見ている。
「可愛いな」
と言う蓮太郎とともにそれを眺めながら唯由は言った。
「私が初めてひとりでこの家に泊まったとき、おじいちゃんが買ってきてくれたんですよ。
夜眠れなかったらいけないからって」
「この写真の羊を見て数えろって?
一匹しかいないが」
そう言いながらも、蓮太郎は微笑ましげな顔をして写真を眺めていたが、
「いえ、おじいちゃんが買ってきたのは、その写真の羊です」
と唯由は言う。
「……羊」
「一匹じゃないです。
いっぱいいます。
もこもこです。
まだ今も増えてますよ。
あとで行ってみますか?」
眠れなくなったら、今でもあの羊を数えに行くんです、と唯由は言った。
「……深すぎる祖父の愛だな」
と蓮太郎が呟く。
そして、笑って言った。
「この家は、もてなすために豚を大量虐殺するかと思えば、眠れない孫娘のために羊を増やしてみたり」
いや、あの豚、おばあちゃんが虐殺してきたんじゃないんですけど……、
と思ったとき、蓮太郎が振り向き、笑って言った。
「お前は実家での愛には恵まれなかったかもしれないが。
充分愛されてるな」
ホッとしたように言う蓮太郎に、なんだかちょっと泣きそうになってしまった。
たまたまコンパで一緒になっただけの。
仮の愛人契約を交わしただけの私なんかのことをそんなに心配してくれるなんてと思ったのだ。
……でも、なんだかかんだで、この人やさしいから、誰に対してもこうなんだろうな、とも思う。
「井戸に冷やしてたスイカ、そろそろ冷えたんじゃない~?」
と梢の声が聞こえてきた。
蓮太郎が張り切る。
「よしっ。
幽霊女とスイカを引き上げるかっ」
「幽霊女は引き上げなくていいですよ……」
井戸の中に置いといてください、と唯由は苦笑いしながら、蓮太郎について行った。
浴衣といえば花火だ、と梢が言うので、みんなでちょっと早い花火を楽しんだあと、蓮太郎が帰ると言い出した。
「なによ。
泊まっていけばいいのに。
なにしに来たのよ」
そう梢に言われ、唯由は、
……ほんとうに、なにしに来たのでしょうね、我々は、
と思っていた。
練行に挨拶をしたあとは、美味しくスイカを食べ、うさぎを眺め、昼食を食べ、うさぎを眺め、屋敷を散策し、羊を眺め、うさぎを眺め、夕食を食べ、うさぎを眺め、花火をして――
一足早い夏休みを満喫した。
「お世話になりました。
ありがとうございました」
と頭を下げる蓮太郎に残念がりながらも梢と雅代は、
「まあ、二人きりの方がいいわよね」
「そうですね。
引き止めるのも野暮ですよね」
と言って笑い合う。
……なにも野暮ではありませんよ。
蓮太郎は近くにあったうさぎ小屋に向かって、
「世話になったな」
と言っていたが、なにも世話をしていないうさぎは、寝てるか、はむはむしてるか、突っ立って、はむはむしてるかで。
相変わらず、人の話を聞いているのかいないのかよくわからなかったが。
まあ、可愛かった。
蓮太郎も会話が通じていないのはわかっているようで。
「……うさぎの頭の中、宇宙人並みに想像できないな。
なに考えてるんだろうな」
と呟いていた。
いや、あなた宇宙人の頭の中、想像したことあるんですか、と思う唯由を振り向き、蓮太郎が言う。
「まあ、お前の頭の中は、うさぎや宇宙人以上にわからないが」
なんですか、その言ったもんがち。
私もあなたの考えてること、さっぱりわかりませんよ~と思っている間に、蓮太郎は梢たちに頭を下げて言っていた。
「ぜひ、一度、うちにも遊びにいらしてください。
雅代さんも」
「ありがとう。
また来てね。
唯由をよろしく」
と梢が言うと、蓮太郎は、
「はい。
大事に扱います」
と私は実験器具か、というようなことを言っていたが、梢たちは笑っていた。
ライフルじゃなく、巨大な懐中電灯を担いだ練行が、
「夜道は暗いからこれを持っていきなさい」
と言う。
唯由たちがタクシーではなく、最終のバスで帰ると言ったからだ。
「だ、大丈夫だよ。
スマホのライトがあるから」
と唯由は重すぎる祖父の愛を断った。
それ、懐中電灯っていうより、サーチライトっていうか。
バスに持って乗ろうとしたら、たぶん、バズーカかなにかと間違われて乗車拒否される……と唯由は思っていた。
「ありがとう、おじいちゃん。
また来るね~」
「お母さんに、たまには顔を出せと言っておいてくれ」
「……いや~、お母さん、私も滅多に見かけないんで」
と希少動物のように母を言い、じゃあ、とみんなに手を振った。
広い道に向かって坂を下る。
しばらく行って振り返っても、まだ何処からともなく湧いてくる人たちとともに、みんな手を振ってくれていた。
「……お前のじいさんちは二、三人知らない人が混ざって住んでてもわからないな」
「座敷童とかも混ざってるかもしれないですね」
そんなことを言いながら、虫の音の響く真っ暗な田舎道を二人で歩く。
スイカを食べたあの川の音がすぐ横に聞こえていた。
「星がすごいな」
蓮太郎が空を見上げる。
「なんだろう。
宇宙が近くて、広すぎて息苦しいな」
「ちょっとわかる気がします」
と唯由は笑った。
何処もかしこもぎゅうぎゅうな街中に住んでいるので、こんな場所はくつろぐ反面、長くいると落ち着かなくなる。
「子どもの頃、夜が落ちてくるみたいだって思ってましたよ」
街の灯りのない真っ黒な空を見上げて唯由は言う。
「……十年か、二十年経って。
こうして二人で夜道を歩いたことを思い出すのかな」
ふと蓮太郎がそんなことを言った。
まだ十年、二十年経ったわけでもないのに。
未来の自分になった気持ちになって、今、こうしている自分が懐かしくなる。
っていうか、十年、二十年後も我々は一緒にいる設定なのですかね? あなたの中では。
王様ゲームでたまたま選んだ番号の女と?
そのとき、思った。
あのとき、この人が違う番号言ってたら、今、この人といたのは別の人かもしれないんだよな、と。(数字)
……てことは、誰でもよかったんだよね、この人にとっては。
まあ、愛人になれとか言われて受ける人、そんなにいないかもしれないけど。
「どうした、機嫌が悪いな。
やっぱり、タクシーで帰った方がよかったか」
「ああ、いえ。
そうじゃないです。
いろいろ考えちゃってただけで。
夜のバス、楽しみですね。
街中走るのと、また全然景色も雰囲気も違うから」
「来るとき、全然、民家がない山の中をいきなりおじいさんとか歩いてて、この人、何処から来て、何処へ行くんだろうと思ったんだが。
ああいうおじいさんが夜も歩いてたらホラーだな」
と言う蓮太郎と、全然人の乗っていない、このバスの収支は大丈夫ですか、という意味でホラーなバスに乗り、電車に乗り、いつもの駅に戻った。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!