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テラーノベルの小説コンテスト 第4回テノコン 2025年1月10日〜3月31日まで
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 リオンを父の書斎に一人残してリビングに向かったウーヴェだったが、広いリビングの立派なボックスソファに腰を下ろした途端、緊張の糸が解れたように全身から力が抜けてしまい先ほどのリオンのように滑り落ちそうになる。

 それをなんとか堪えてソファの背もたれに腕を回して寄りかかると、父と母からお前も疲れただろうと労われて微苦笑する。

 肉体的なものよりもある意味強い精神的な疲労感に溜息を吐き、今日は診察が終わったのなら時間があるだろう、飲むかと問われて本能のままに頷きそうになるのを堪え、コーヒーが飲みたいと天井を振り仰ぐ。

 苦労らしい苦労もせず一人で生きているつもりでも実は親父や兄貴に守られ、母や姉に支えられてきたお前に何が分かるとの言葉が脳裏を巡り、遣る瀬無い溜息を零す。

 リオンに比べれば己の過去など確かに先ほど感情に任せてぶつけられた言葉の通りだと自嘲し胸の軋みを堪える。

 幼い頃にウーヴェが経験した誘拐事件とそれに伴う家族の断絶。その時に生まれてしまった溝を家族の誰も越えることが出来なかったのに、驚くほど軽々と跨いだリオンのその言葉はウーヴェの胸に深く突き刺さり、今まで心のどこかで疑問に感じていた事実をも突きつけてくる。

「……あいつの言う通りだな」

「ウーヴェ? どうした?」

 ウーヴェの自嘲混じりの呟きを聞きつけたレオポルドが怪訝な顔で見つめると、リオンがさっき言った父さんやノルに守られていた俺にはあいつが背負った苦しみを分かることはできないと呟かれ、イングリッドと顔を見合わせてしまう。

「……陳腐な言葉だがな、あいつの苦しみはあいつにしか分からない。人の苦しみは本人にしか分からないものだ」

「……確かに、そうだな」

「だからと言ってお前も苦しいが俺も苦しいのだから我慢しろと言うのは違う」

 お前はそれを言える冷酷な男ではないと父が言葉を選びつつウーヴェに語りかけるそれに息子も何かに気付いたのか、天井を見上げていた顔を両親へと向ける。

「それに、人の苦しみが分からないからと言って諦めてその人の苦しみを分かろうとしない人ではないわ。そうでしょう、ウーヴェ」

 そもそもあなたがそんな人ならば心に病を抱える人達と毎日向き合う仕事に就いていない筈だと母に優しく断言されて軽く目を見張る。

「……そうであって、欲しい」

「あなたは大丈夫。リオンも今余裕が無いのよ」

 余裕の無い今、例えそれがリオンの隠していた心だったとしても非常時だから許すことも受け入れることもあなたは出来る人だと、信頼の証の笑顔で頷かれてウーヴェが眼鏡を外して目元を手で覆い隠す。

 両親が己のことをそんな風に信頼してくれていた事実を図らずも知ってしまい、家族間が断絶していた時ならばこんな言葉を伝え合うことも無かったと思うと、リオンの存在が自分だけでは無く家族にとってもどれ程大きなものかも実感してしまう。

 今一人で苦しんでいるリオンにさっきも何度も伝えた、一人で苦しまなくて良い、お前は何も悪くないとの言葉が届いていれば良いと強く強く祈り、自分達の事を信じて今も黙って見守ってくれる両親の視線に気付いて小さな笑顔で頷き返す。

「それにしても……少し言いすぎたんじゃないのか、ウーヴェ」

 自分たちの目の前で息子とその伴侶が静かだが激しい言い争いを見守ることになった両親が本当に大丈夫なのかと心配げに苦笑すると、ウーヴェが一つ肩を竦めて大丈夫だろうと己に言い聞かせるように呟く。

「……ああでも言わないと……あいつは本心を出さない」

 さっき俺にぶつけた本心も反発心から咄嗟に出た言葉だろうが、普通に話をしている限り絶対に出てこない言葉だと顎に手を当てて父の言葉に答えると、母が心配そうに溜息を零す。

「ホームであいつがあの顔を見せることは無いはずだ」

 どうして俺だけがと感情にまかせて口走ったがホームでは絶対にその言葉を使うことは無いはずだし、押し隠した本心をもてあました結果が学生の頃の悪行だったのだろうと、愛する男の決して見ることの出来ない過去を完全に見抜いたウーヴェが悲しみ混じりに呟くと、イングリッドが悲しそうに目を伏せる。

「……あいつは周りの空気に合わせるのが巧い」

 巧いと言うよりは己を守るための方策がそれだったと続ける息子の横顔をじっと見つめた父と母だったが、子どもが子どもらしくいられる、それがどれ程幸福なことなのかよく分かる気がすると、ウーヴェがこの先経験する可能性の低い子育てを経験した両親に素直に頷く。

「……喉が渇いたな」

「ああ、そうだな……あいつが教えてくれた命の水を飲むか」

「そうね、そうしましょう」

 父の口から出た飲み物の名前にウーヴェが軽く目を瞠り、家人を呼んでいつものあれをお願いと母が頼む姿に腹の底が熱くなるのを感じて腿の上で拳を握る。

 家族の仲を以前のように修復してくれたリオンだったが、その影響はこんな所にも出ていて、きっと両親が疲れたときに飲んでいるのだろうと想像すると己の右手薬指でサイズが合わないためにふらふらと揺れてしまう指輪を親指で撫でる。

 リオンの存在がなかった頃を最早思い出せない程己に、また己の家族に浸透している事を実感し、それをリオンにも感じて欲しかった。

 己や家族にとっても最早掛け替えのない存在である事を思い出して欲しかった。

「……早く思い出してくれ、リーオ」

 お前は一人ではない、一人で苦しむ必要など無いと気付いてくれ。支える人がいることを思い出してくれと呟き再度天井を見上げるウーヴェを両親が信頼している顔で見守っているのだった。


 命の水を飲み終え、まだ出てくる気配のないリオンを待ちながらテレビを見たり本を読んだりと、必要だがやけに長く感じる時間を過ごす事にも飽き始めた頃、リビングのドアがそっと開き、その音に三人が同時にそちらへと顔を向けると、先程よりは血色が良くなったもののまだまだ沈んだ顔のリオンが無言で立っている事に気付く。

「そんな所でぼーっと立ってないでこっちに来い」

 ウーヴェが声を掛けるよりも先にレオポルドがいつもの口調でリオンを呼び、その声にくすんだ金髪が小さく上下した後、ウーヴェが座るソファに少しだけ距離を置いて腰を下ろす。

「何か飲むか? 腹が減ってるなら何か作らせるぞ」

「……」

「どうした?」

 返事もせず顔も上げないリオンに三人が戸惑ってしまうものの、レオポルドがいつもと変わらない調子で声を掛ければくすんだ金髪が左右に軽く揺れる。

「……さっき、酷いことを……言った」

 毛先の揺れが治まった頃に後悔の言葉がリオンの口からこぼれ落ち、それに気付いたウーヴェが野生動物との距離を測るようにそっと手を伸ばすと、拒絶も反発もされないことに気付いて握りしめられた手に手を重ねる。

「気にするな」

「でも……」

 本当に言ってはいけない事だったと顔を上げずにウーヴェの手を撥ね除けることもせずに呟くリオンにどう伝えようか一瞬考え込んだウーヴェは、さっきも告げたがあの時とは全く違う思いから顔を上げてくれと伝えれば、時間は掛かったもののリオンが顔を上げる。

 例えどれ程昏い顔をしていようとも顔を上げてくれた事が先程同様にホッと出来ることだった為にリオンの握りしめられている右手を掴み、関節で窮屈そうに留まっている己のリングを撫でる。

「今は非常時だ、仕方が無い」

「……っ! で、も、俺が言ったのは……」

 子どもの頃の事件の結果、仲の良かった家族とも距離を置かなければならなくなった事を知っているのにあんな事を言ってしまったと己の言葉を悔やんでいるような声で謝罪をされて目を瞬かせたウーヴェだったが、一度首を傾げた後、それは言葉へのものかそれとも言ってしまったことへのものかと問いかけて昏いリオンの目を見開かせる。

「……オーヴェ……?」

「……確かにお前の言葉は胸に刺さった。それは俺が目を背けていた事だからだ」

 だがそれを言われたからと言ってお前のことを嫌いになったりはしないと己の問いの真意を伝えるためにいつも以上に丁寧に語りかけ、驚愕に染まる頬にサイズが合っていない指輪が嵌まる右手を重ねる。

「……感情に任せて吐き出した言葉であっても、それを言えた事の方が今は大切だ」

 さっきも言ったが今はお前にとって非常時なのだ、どんな類いの言葉が出てきたとしても余程のもので無い限り受け止めるつもりだから安心しろと見開かれる双眸を覗き込むように頷いたウーヴェは、でもお前を傷付けたと呟く唇に再度頷き、確かに傷付いたがそれはいつかどこかで受ける傷なのだからお前が気にすることじゃないと返す。

「オーヴェ……良く、わからねぇ……っ」

 いつもならばすぐに入ってくるお前の言葉が理解出来ないと己の混乱ぶりを素直に口に出したリオンの額にキスをしたウーヴェは、一番大切だったのは言葉の内容ではない、お前が普段ならば絶対にしないであろう、お前が守らなければと思う相手を自ら傷付ける行為、それを出来たことが重要なんだと混乱するリオンの頭を愛おしそうに抱きしめながら囁くと、訳が分からないという本能の叫びにも近い言葉が流れ出す。

「お前は小さな頃であっても思った事を本当に口に出すことは無かったはずだ」

「それ、は……」

「母や姉に迷惑をかけたくない、いや、思っている事を口にすればきっと自分は嫌われてホームにいることが出来なくなる。それに大好きな二人を酷く傷つけることになる、それをずっと怖れていたはずだ」

「……!」

 優しい言葉で告げられるリオン自身意識した事がないほど自然と行っていた行為の宣告。

 その言葉にリオンの体に緊張が走り、どんな理由からか小刻みに震え出す事が悲しくて、どうか真意がちゃんと伝わりますようにと願いつつウーヴェが隠されていたリオンの心をパイの皮を剥がすように一枚ずつ言葉で剥き出しにする。

「……二人を困らせてしまえば自分の居場所が無くなる。その恐怖と対面するぐらいなら本当に言いたかったことを堪えればいい。そうすれば居場所を得られる。そう思っていたんじゃないのか?」

「ちが、う……!」

「気付いていなかっただけだ」

 リオンが否定する声も体と同じように震えていたが、決して手離さないと決めたウーヴェがそれを感じ取りながら冷たく聞こえないように気をつけつつリオンの言葉を否定する。

「子供の頃から素直に感情を出せなかったリーオ。お前が感情のままに吐き捨てた言葉で彼女達や俺が傷付いても……そのぐらいでお前を見捨てたり嫌いになったりなどしない」

「……!」

「お前が総ての感情を見せても嫌うこともないし見捨てることもない」

 だから喪う恐怖から殻に閉じこもるのではなく感情を見せろ、それによってもたらされる結果に恐怖するなとリオンだけでは無く書斎にいたときと同じように黙って見守ってくれている両親すらも驚愕に目を瞠るようなことを囁いたウーヴェは、身じろぎしようとするリオンの頭を驚くほどの優しさと強さで胸に押し当て、くすんだ金髪に頬を宛がう。

「だから……見せろ、リーオ。今までお前が押し殺してきたもの総てを見せろ」

 お前が愛する母や姉を傷付けないように彼女らに嫌われたくない気持ちから押し殺してきた心を見せてしまえと、己の患者に接する顔とは全く違う顔で強く囁きかけたウーヴェは、震える腕がサマージャケットの背中をそろそろと動いた後、ぎゅっと握りしめられた事に気付き、俺にだけ見せてくれとそっと背中を押すように囁きかける。

 その言葉がリオンの耳から流れ込み全身を巡って心の奥底にまで届いた事をウーヴェが確信したのは、背中に回された手にさらに力が篭ったことと胸元から短く息を飲むような音が聞こえて来た時だった。

 その音は余程注意していないと聞き逃してしまうほどの細やかなものだったが、ウーヴェの脳味噌が咄嗟に過去の出来事と照らし合わせ、リオンにとって大切な女性の顔を思い浮かべた為、当時の気持ちを思い出してさらに優しく肩も抱く。

「……前にも言ったな。シスター・ゾフィーの弟、ホーム出身の元刑事。そんな肩書きなど今は忘れろ……俺の、リオン」

 その一言がリオンの心を優しく押したらしく、レオポルドとイングリッドが驚きと心配に声を上げてしまいそうな程の悲痛な叫び声が流れ出し、二度目に聞いたその声も前回同様しっかり受け止めるように抱きしめる腕に力を込める。

「な……で、ど……して、俺だ……っ!」

「どうしてだろうな、リオン。どうして何もしていないお前だけが今まで苦しまなければならなかったんだろうな」

 悔しいな、腹立たしいな、それに己は生まれてすぐに殺されかけたのに、何故彼だけがあんなにも両親に愛されているんだろうなとリオンの胸の中に渦を巻き出口を求めて荒れ狂う激情を代弁するように告げたウーヴェは、ちらりと両親へと視線を向けて目で合図を送ると、何かを察した2人が極力物音を立てないように静かにリビングから出て行く。

 ここが父の家のリビングで先程は書斎から追い出しまたリビングから追い出すことになってしまった申し訳なさに目を伏せたウーヴェだったが、今は己の感情よりも胸に顔を押し当てて悲鳴を上げるリオンの方が大切だった。

 だからその背中を抱きしめたい一心で腕を回し、物心ついた時からずっと付き合って来たであろう激情を洗いざらい吐き出してしまえと伝えるように身を寄せる。

「……Sch……iße! な、で……!」

「ああ。本当にどうしてだろうな」

 お前が捨てられた理由が妊娠中の出来事ならばお前のせいじゃないし生まれたばかりの乳児に何の罪も責任もないはずなのにお前に全ての罪を背負わせて逃げた二人に言いたいことは山ほどあるなとリオンの口から流れ出すお決まりの文句を流石に今は咎めずにいたウーヴェは、背中に回った手がシャツを一緒に引っ張った為に首が締まると微苦笑しつつも普段ならば絶対に出せないだろう渾身の力でリオンを抱きしめて支え続ける。

 ホームで世話をしていた少女が拳銃の暴発事故で亡くなった時、悲しみのあまり今と同じような顔をしてクリニックに来たことがあった。

 また姉とも思っていたシスター・ゾフィーが元同僚に嬲り殺された時ももっとひどい顔をしていた事を自然と思い出し、あの時垣間見えた幼いリオンの背中を今抱きしめられていると気付くと更に力が湧いてくる。

「どうしてだろうな……」

 胸にぶつけられる激情を受け止め、ああ、もっと己に技術や人の心を読み解ける力があれば今リオンが欲している言葉を伝える事が出来るのにと、無尽蔵の欲求が頭を擡げた事に気付いて小さく息を吐く。

 リオンを産み捨ててウィーンへと逃げるように引っ越していったリオンと遺伝上でしか繋がりのないクルーガー夫妻に対する腹立たしさ、疑問が次から次へと湧き出て来るが、今は直接話をしたことのない人への感情ではなく目の前で暴露されるそれに向き合うべきだと己を戒めたウーヴェは、両親だけではなく全ての人を呪うような悲鳴じみた叫びを胸にぶつけるリオンの背中をただただ抱きしめ、どうしてだろうなとしか返せない己の無力さも一緒に抱きしめるのだった。


 ウーヴェによって引きずり出された感情だったがいつまでも悲鳴を上げ続けられる訳もなくようやく落ち着きを見せ始めたのを見計らったウーヴェは、落ち着いたかと問いかけながらくすんだ金髪にキスをする。

「……っ……ん、……」

「そうか。……顔を洗って来るか?」

 流石に今の顔を俺にも見られたくないだろうと微苦笑し抱きしめ続けていたリオンから離れて力が入らない腕を撫でたウーヴェだったが、いつもならば顔を洗いにすっ飛んでいくはずのリオンが動かないことに気付き大丈夫かとその顔を覗き込む。

 俯き加減の顔は今まで見た事がない程涙と鼻水などで汚れていたが己も何度かリオンに見せた顔だと思い出すと、ごく自然とジャケットを脱いでシャツの袖でその顔を拭いてしまう。

「っ!」

「ああ、驚かせたな」

 いつもお前がしてくれていた事を思い出したと笑いながら目元をぐいと拭ってやると、まるで雲の隙間から差し込む光にも似た色が双眸に浮かんでいることに気付き、己の言葉がちゃんと伝わった事を知る。

「……オーヴェ」

「ああ、どうした?」

「……すげー痛かった」

 まだ顔を上げる事ができないようだったがその口から流れ出す言葉がいつも聞いていたものと同じだった為、ウーヴェが一先ずは危機を脱した安堵に胸を撫で下ろす。

「さっきの言葉、すげー痛かった」

「……そうか」

「そう。だから……ちゃんと向き合ってみてぇ」

「リーオ?」

 向き合ってみたいとはどういう事だと問いかけると同時にリオンが顔をあげた為、ウーヴェもしっかりと向き合えるようにソファの上で座り直す。

「ゾフィーの時みてぇに黙ったままいなくなろうとした事、許して欲しい」

「……ああ」

 猫背気味にソファの上で胡座をかいて足首を掴むその姿も今まで見てきたリオンそのものだった為にウーヴェも肩の力を抜いてしまうが、昨夜から今日にかけての己の行動を素直に反省するリオンに軽く驚いてしまい、咄嗟に返事が遅れてしまう。

「そんな俺もさっきお前が指摘したような俺も……俺だから仕方がない、よな」

「ああ、そうだな」

 お前の言動がたとえとんでもないものだったとしてもお前らしいと思えるものであれば自然と許せてしまうと、最早短いとは言えない付き合いの中で察してしまったそれを微苦笑交じりに認めると、リオンが微かに震える指先でウーヴェの頬を撫でて大きな掌で包むように宛てがう。

「でも、お前がたとえ俺らしいからって許してくれても……俺が嫌だ」

「リ、オン……?」

 その言葉に籠る感情というよりはいつものようにまっすぐに見つめて来るロイヤルブルーの双眸に宿る光に不気味な何かを感じ取ったウーヴェの声が掠れてしまい、そんなウーヴェに申し訳なさそうな顔で軽く目を伏せたリオンがそっと顔を寄せてキスをする。

 随分と塩味のするキスだと後日思い返すたびに微苦笑してしまうことになるキスを受け、どうしたと己の中の予想が外れますようにと祈りつつ問い掛けたウーヴェにリオンがうんと短く答える。

「何が、Ja、なんだ……?」

 そのうんの意味が分からないとさっきとは立場が逆転したように意味が分からないと繰り返すウーヴェの両手を掴んで己の頬に当てさせると、その手に手を重ねて温もりを感じ取るように目を閉じる。

「……ダンケ、オーヴェ。愛してる」

 今の己はやはりどう考えてもお前に相応しくない、だから相応しい俺になるまで離れることにするとゆっくりと目を開いて感情に揺れるターコイズ色の双眸をまっすぐに見つめたリオンは、あいつらのせいじゃないとウーヴェが言い出すことを先読みして首を横に振る。

「さっきみてぇな態度はお前に相応しくない」

「でも、それは、俺がいいと……」

「うん。オーヴェならそう言ってくれるのは分かってる。今までずっと……それに甘えてきた」

 いつだったか同じようなことで口論になったなぁと遠い過去を懐かしむような目で笑うリオンにウーヴェが顔中から血の気を引かせたように蒼白になり、嫌だと何も考えることもない本心をポロリと零す。

「いや、だ、リーオ……」

「……約束する。必ず戻って来る。だから……」

 ごめん、誰も俺を知らない所で考える時間が欲しいとさっき己がされたようにウーヴェの頭を胸に抱き込んだリオンは、小さな子どものように嫌だと繰り返すウーヴェの髪や頬にキスをし、本当は離れたくないがこのままお前の傍にいれば甘い自分のままだ、それは嫌だと穏やかすぎる声でウーヴェに謝罪の代わりの理解を求める。

「いや、だ……」

「うん。ごめんな、オーヴェ」

 必ず戻って来るから、だから行かせてくれと静かに懇願するリオンにウーヴェも引き止めても無駄だと悟ったのか、自らリオンの首に両手を回してしっかりと抱きしめる。

「必ず、戻って……来い。良いな」

「うん。帰って来る」

「お前が、帰って来る家は……」

 俺とお前が二人で暮らすあの家しかないのだからと感情に震える声をなんとか押し殺しながら伝えたウーヴェに、リオンも同じく感情を堪えながらうんと頷き、俺の家はお前のいる場所だからと囁き返す。

「……落ち着いたら連絡をくれ」

「……」

「電話がイヤなら……メールでも良い。一言だけでも、良い、から……」

 頼むから音信不通にだけはならないでくれと繋がりを一つでも残しておきたいウーヴェの気持ちに気付いてもすぐに返事ができなかったリオンだったが、手紙を出すと答えれば手紙とウーヴェがおうむ返しに呟く。

「うん。今までそんなの書いたことねぇけど、手紙を書いて出す」

 だからそれで許してくれと全ての関係を断ち切りたい訳じゃない事を分かってくれと言外に告げると、流石にウーヴェもそれを察したのか、うんと小さく返事をする。

「……なんか、今時の基礎学校の生徒でもやらねぇ事かもな」

 でもそんな前時代的な事をやってお前との関係を続けていきたい、わがままな事は分かっていると続けるとウーヴェの腕に更に力が籠る。

「……俺がいなくなって色々迷惑をかけることがあると思う。全部お前に任せるから……」

 時期は明言できないけれど必ず帰って来るからと、それだけは必ず守ると断言するリオンの肩に両手をついて少し距離を取ったウーヴェだったが、リオンがその右手を取って薬指にキスをした為、ノロノロと顔を上げる。

「約束、オーヴェ」

 このリングを持っているお前の傍に必ず戻って来るからと、結婚式の時の誓いを彷彿とさせる顔で囁いたリオンにウーヴェが唇を一度だけ噛み締めると、リオンの右手を取って同じ指に誓いのキスをする。

「……分かった。待って、いる」

 だから必ず帰って来いとただそれだけが伝えたいとばかりに同じ言葉を繰り返すウーヴェを再度抱きしめたリオンは、微かに震える背中を何度も撫で、本当に心の底から愛している、ありがとうと有りっ丈の感謝の想いを伝え、同じ想いを小さな声で返すウーヴェをただ抱きしめるのだった。



 真夏の夜空に月が静かに浮かぶ夜半、必要最低限の荷物を小さなバッグ一つに詰めたリオンが、大切にしてきた青い自転車を押しながら広い屋敷から出て行く。

 背の高い門の前で一度立ち止まり屋敷を振り返ったリオンの目に映ったのは、見送ると辛いからと言ったはずのウーヴェが窓越しに見送ってくれている事が小さくても分かるシルエットだった。

 どれだけ辛く苦しくても最終的にはリオンの思いを優先してくれる、そんな優しくて強い男に愛されている事を実感し、その思いに応えられる人になって戻って来たいと改めて意志を強くする。

 そして本来の持ち主から譲り受けたリングを必ず持って帰って来る事を伝える代わりに、チェーンに通して首からぶら下げたそれを引っ張り出して掌に乗せてキスをする。

「……行ってくる、オーヴェ」

 お前の優しさがどれ程ありがたいものなのか、また今までそれに甘えきっていた己を見つめ直して戻ってくるとリングと窓越しのウーヴェに伝えたリオンは、これもまた最終的にリオンのやりたいようにさせてくれたレオポルドやイングリッドにも感謝の言葉を胸の中で告げると、開けてくれた門を潜って自転車を漕ぎ出すのだった。

 昨夜とは似ていても全く違う心で家を一人出たリオンが小さくなって行く姿を自室の窓から見送っていたシルエットは、リオンが完全に見えなくなるまでその場から動く事はないのだった。


Über das glückliche Leben.

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