テラーノベル
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ものすごく遠い、名も無い時代のお話
とある集落に、一人の少年がいた。
名を持たないはずの子だったが、彼は自分で「元貴」と名付けた。
呼ぶ者はいない。
けれど、名前がなければ、自分が本当に消えてしまいそうで怖かった。
その土地のしきたりで、僕は生まれたときから忌み子――鬼の子として扱われていた。
人として数えられたことは、一度もない。
だからかな。
悲しいと思ったこともなかった。
夕焼けの中、母親に手を引かれて帰る子供の気持ちを、僕は知らない。
叱られたあとのやさしさも、雨上がりのぬくもりも、何ひとつ。
――何も、知らない。
けれど。
本当は、寒かった。
どうして僕は死なないのだろう。
夢を見ることすら許されないような日々の中で、ただ生きている。
誰も知らない。
僕の人生は、誰にも語られないおとぎ話だった。
ある日。
吐き出すような暴力と、蔑む視線の中で。
ふと、そこに立っている人影に気づいた。
やさしい笑顔の、きれいな人。
けれど、その身体は傷だらけだった。
――同じだ。
そう思ったのに。
なぜか、足元に影がなかった。
夕焼けの中に立っているのに。
僕は見間違いかと思って目をこすったけど、次に見たときには、ちゃんと影があった。
気のせいかな
本当は、話しかけてはいけない。
関われば、どちらも殺される。
それでも、僕は口を開いた。
「ねぇ」
「君の名前が知りたいな」
その人は、少し困ったように笑った。
「ごめんね。名前、ないんだ」
「舌も、ないし」
そう言って笑うその人の口元は、
どこか不自然にきれいだった。
傷だらけの身体なのに、そこだけが――妙に。
言葉は、かすれていた。
生まれつきなのか。
それとも、罰なのか。
僕にはわからない。
それでも――
はじめて、人と言葉を交わした。
「一緒に帰ろう」
差し出された手を、僕は見つめた。
知らない。
知らないものばかりだ。
でも。
その手は、あたたかかった。
「見つかったら、死ぬのに」
「どうして助けてくれるの?」
「……なんとなく」
少し考えてからの答え。
けれどそのあと、ぽつりと付け足した。
「だって、ひとりはつまらないでしょ?」
その言い方は、まるで――
“ひとりでいることに慣れすぎている”みたいだった。
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その日、ふたりは逃げ出した。
雨上がりの空気の中、
夕焼けに溶けるようにして、集落から消えた。
それから、ふたりはよく遊んだ。
日が暮れて、夜が明けて。
走って、笑って、疲れて。
――そして、捕まって。
「こんな世界」
ふと、僕はつぶやいた。
「こんな世界…僕と君以外、みーんな…いなくなればいいのに……」
その言葉を口にした瞬間。
涼架が、こちらを見た。
笑っていたはずなのに。
一瞬だけ、表情が消えた気がした。
そう遠くないところから知らない声が聞こえて
次の瞬間。
すべてが、消えた。
僕と、その子以外のすべてが、
夕焼けの中に吸い込まれるように消えていった。
抗う間もなく。
まるで、最初から存在しなかったみたいに。
静寂だけが残る。
その中で、その子だけがぽつりとつぶやく。
「ね、言ったでしょ」
僕は聞き返す。
「……なにを?」
その子は首をかしげて、また笑った。
「ううん。なんでもない」
何が起きたのかは、わからない。
ただ。
この世界には、ふたりしかいなかった。
「……ねえ」
僕は言った。
「名前、つけてあげるよ」
その子は、少し驚いた顔をしてから、
「いいの?」
と、小さく笑った。
「涼架、なんてどう?」
「いいね。かわいい」
「じゃあ、涼ちゃんだ」
「……かわいいね」
少し照れたように、涼架は笑った。
「君の名前は?」
「元貴。自分でつけたんだ」
「かっこいい名前」
しばらく沈黙が続いたあと、僕は言う。
「これから、どうしようか」
涼架は空を見上げた。
夕焼けが、世界を染めている。
「今はさ」
「ふたりで、自由を満喫しようよ」
夕焼けの中で笑うその顔は、あまりにも綺麗で。
僕は、ふと思った。
どうしてこの人は、こんなにも――
“ここにいることに慣れているんだろう”
ふとそんな考えが脳をよぎったけどすぐ消えて
僕は、少しだけ笑った。
――それでいい、と。
遠くで、耳鳴りのような音がした気がした。
それはまるで、
最初からこの世界には 誰もいなかったと告げるような音だった。
けれど、それもやがて、夕焼けの中に溶けて消えた。
「ボクね、最初から元貴のこと知ってたの」
背筋が凍る
身体が凍ったみたいに動けなくなる
涼架と出会ってからの違和感あれは…
「元貴」
「これでふたりだね」
涼架は言った。
「……どういうこと?」
「お願いされたから、叶えただけ」
「君が望んだんだよ」
喉が、ひゅっと鳴る。
「ボクね」
涼架は続けた。
「こうやって、ひとりずつ増やしていくの」
「増やす……?」
「うん」
「ひとりじゃ、つまらないから」
その言葉は、最初に聞いたものと同じだった。
けれど、意味がまるで違っていた。
「君も、同じになるよ」
元貴は、一歩後ずさる。
「だって」
涼架は、やさしく笑った。
「“願った側”は、もう戻れないから」
耳鳴りが、強くなる。
世界が、歪む。
視界の端で、夕焼けがにじむ。
「やめ……」
声が、うまく出ない。
自分の手が、透けていく。
「大丈夫」
涼架が、手を握る。
あたたかかったはずのその手は、
もう感覚がわからなかった。
「すぐ慣れるよ」
元貴の視界が、ゆっくりと赤に染まっていく。
最後に見えたのは、
涼架の、あのときと同じ笑顔。
――そこで、すべてが途切れた。
どれくらい時間が経ったのか。
気づくと、そこに立っていた。
夕焼けの中。
目の前には、ひとりの子供。
傷だらけで、怯えた目をしている。
――同じだ。
胸の奥が、ひどく静かだった。
「……君の名前が知りたいな」
自然と、言葉がこぼれる。
どうしてこんなことを言ったのか、わからない。
けれど、その子は顔を上げて――
物語は、またはじまる。
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