レオポルド達を病院に残して解剖が行われている病院へとコニーが乗ってきた覆面パトカーで駆けつけたリオンは、病院の入口横で誰かと話し込んでいるヒンケルの背中に気付いて手を上げる。
「ボス!」
「ああ、ご苦労、リオン」
今からですかと問いながら駆け寄るとヒンケルの向こうに白衣の医者がいる事に気付くが、その医者の口元から煙が立ち上っていることから、病院の敷地内は禁煙だろうと笑みを浮かべたリオンにその医者がリオンと似たり寄ったりの笑みを浮かべて手を差し出してくる。
「よう、問題児。遅かったじゃねぇか」
「仕方ねぇだろ? オーヴェの手術が始まってから家族に説明する時間が必要だったんだからな」
「……ああ、被害者はウーヴェ・バルツァーだったってな。今手術を受けているのか?」
「ああ」
「気の毒なことだ……家族ということは、ギュンターは来ていたか?」
誘拐という事件に巻き込まれたウーヴェが心底気の毒だと目を伏せた医者、カールにリオンが素直にありがとうと礼を言うと、ギュンター・ノルベルトがいたかと問われて目を瞬かせる。
「へ? ああ、兄貴ならいたぞ」
「そうか……あいつも可哀想にな。昔も弟を誘拐されて死ぬような目に遭わされているのになぁ」
「カール、なんで知ってるんだ?」
ウーヴェの誘拐事件については一時期担当していたヒンケルでさえも忘れるほどだったのに何故知っていると問うと、ギュンター・ノルベルトは俺の同級生だと教えられてヒンケルと二人目を瞠って咥えていたタバコを落としそうになる。
「何だ、二人揃ってその驚き方は」
「や、いや、確かに兄貴の年齢を考えたら……おかしくはないけど、な、うん」
どう考えてもカールの方が年上だろうとぽかんとした顔で呟くリオンにヒンケルも無言で頷くが、人を見た目だけで判断するな、そんなことはどうでも良いが今からジルの司法解剖を始める、立ち会うのなら廊下から見ていろと少しだけ顔を赤くしたカールが言い放ち、さすがに表情を切り替えたリオンとヒンケルが頷いて指定された部屋の横の廊下へと向かう。
ゾフィーが検死を受けた際も同じ部屋だったことを思い出し、あの時はウーヴェが傍にいてずっと支えてくれた事も自然と思い出されたリオンは、今日はあの時のような無様な姿は見せないと決め、ベンチに腰を下ろして手を組んで作業を少し高い場所からじっと見守る。
あの時はゾフィーで今はジルベルトを見下ろしたリオンは、一つ一つ丁寧に取り出されては重さやサイズなどを計測される臓器を見ながらやはりジルの心臓にも毛が生えていないと苦笑する。
ジルベルトが寝かされている台の横のストレッチャーに脱がした衣類やポケットの中に入っていたものなどが取り出されて置かれているが、くしゃくしゃに丸められた紙も数枚置かれていて、何でしょうねと呟くとヒンケルも何だろうなと返すが、財布の中からロザリオが出てきたことに二人同時に目を瞠る。
「ボス、もしかして、ロスラーの傷に埋めた聖母マリアへの祈祷文ですが、あれ、ジルが書いたかも知れませんね」
「何故そう思う?」
「あいつも俺も宗教には無頓着だと言いましたが、ロザリオは俺も財布に入れて持っている。それって本当は……絶対に忘れられないほど自分に刻み込まれてるんですよね」
「リオン……」
「ジルも教会の児童福祉施設出身のようだから毎日絶対に祈祷文は聞いているはずです。門前の小僧じゃねぇけど、その辺の神学校に通う新米神父達よりも聖書は読めるでしょう」
だからあの一文はジルベルトが書き記したものかも知れないが、それを傷口に突っ込んだのはやはりルクレツィオだと思うと頷くと、ヒンケルも部下の洞察力に目を細めてそうかと返す。
「あの紙、何か書かれてるのかな」
「先に渡してもらうか?」
「Ja.」
窓を叩いてカールに合図を送ったリオンは今からそちらに行くことをジェスチャーで伝えて驚かれるが、ストレッチャーに置かれた紙を指さすと了解した合図に手袋の親指が立てられれ、行ってきますと残して下の作業部屋へと入り手袋を填めて紙を受け取ると、そのままヒンケルの横に戻って来る。
「何だ?」
「……手紙、ですかね」
日頃は比較的丁寧な文字を書くジルベルトだったが、慌てているのか感情が乱れているのか読みにくい箇所がいくつもあり、何とか読み進めていったリオンが途中で読むのを止めて天井を見上げ、やるせない溜息を空に向けて吹きかける。
「リオン?」
「ボス、今回の事件、色んな意味で俺のせいかもしれません」
「お前、まだそんなことを……」
一体いつまでその言葉を繰り返すんだとヒンケルが目を吊り上げるが、リオンがそっと差し出した紙を受け取って読み進めるるうちに途中でリオンと同じような顔になってしまう。
それは、ジルベルトが誰に当てたのかが一目瞭然の告白文で、今回の事件に至った経緯などが震える文字で書かれていたが、イタリアを発つ時にルクレツィオの思いに応えていればドイツで知り合ったお前に本当の思いを伝えることが出来たのだろうかと自問されていた。
初めてジルベルトと出会った時リオンはまだ見習いだったのだが、ジルベルトは優秀な成績で試験をパスして一足先に刑事になっていた。
その時の出会いを思い出しながら手紙を読み進めると、初めて出会った時から密かにリオンに惹かれていたがルクレツィオへの性的虐待を阻止できなかった事などから同性愛者に対する嫌悪感を抱くようになり、そんな自分がリオンに惹かれているなど認められず、また積極的に肉体関係を持ちたいとも思えず、だからといって距離を置いてしまえば苦しくなるため女好きを演じ続けながら友として傍にいられることだけで満足していたと書かれていた。
だが、リオンがウーヴェと出会ってからは様子が変わり、まさかと密かに不安を抱いていたら付き合いだしたと教えられ、目の前が真っ暗になる様な衝撃を受けたとも書かれていて、手紙を手に再度天井を見上げ、あの頃からずっとジルは悩んでいたのかとリオンが呟く。
「……言えば良かったのになぁ。ジルのバカヤロウ」
それからはウーヴェの話を聞く度に胸が締め付けられる思いがし、その苦痛から逃れるように人身売買の仕事に力を入れるようになっていったが、ゾフィーの事件でそれも総てが終わりになってしまい、ルクレツィオの元に帰ることになったがその切っ掛けを作ったウーヴェに対する嫉妬が限界まで膨れあがり、その結果誘拐という暴挙に出た事を告白され歯軋りをしたリオンは、その嫉妬がウーヴェに対する暴行やレイプという形になったのだと気付きがりがりと頭を掻きむしる。
ジルベルトにウーヴェの顔を殴った男を殺すなと伝えた結果男はクスリで廃人になったが、それはむしろジルベルトがリオンの願いに応えたためで、本来ならば躊躇せずに殺していたこと、ウーヴェが射殺されなかったのも結局はリオンが悲しむことは避けたかったのだと気付くが、ならば何故ゾフィーを暴行して殺害したとの疑問が生まれるが、ゾフィーが己に向けていた思いを事件後に知ったリオンは、あいつも自分と同じだと思ったのかな、同族嫌悪かなとぽつりとこぼし、今回はウーヴェをゾフィーの時のように殺してしまうという最後の一線を越えないように踏みとどまってくれたが、嫉妬だけは堪えきれなかったのだろうという結論に到達する。
「……あいつ、俺の事、友達としても男としてもそんなに思ってくれてたんだ」
「どうやらそのようだな」
事件についての報告書には動機を書かなければならず、ロスラーに対するものは間違いなく報復だがドクの誘拐についてはどうするとヒンケルが台の上で蝋人形のように目を閉じている元部下の顔を見つめつつぽつりと呟くと、リオンも同じようにジルベルトを見つめつつあいつは最後まで綺麗なお姉ちゃんが好きだった事にしてやってくれませんかと告げ、手紙をリオンなりに丁寧に折りたたむとジーンズの尻ポケットに突っ込む。
「……ドクの誘拐はあの時手帳を持ってきた事への逆恨み、フラウ・オルガはそんなドクへのみせしめのために襲った、それで良いな」
「……ありがとうございます、ボス。あいつに代わって礼を言います」
この手紙の処分についてはお前に一任する、証拠として提出させることは無いとヒンケルが告げるが、証拠品の隠滅にならないかとリオンが不安そうに呟くと世に出ない方が良いこともあると力なく呟かれ、リオンの身体から力が抜ける。
「……終わったようだな」
ジルベルトが最後の時に一人で己の本心を訥々と綴った手紙を読み、どうして一人で苦しんでいたのか、その話も出来ないほど自分たちは信用できなかったのかという疑問が芽生えるが、己を最も信じていなかっただろうジルベルトにそれが出来るはずもなかった結論付けて立ち上がる。
解剖が終わったジルベルトの遺体はストレッチャーに乗せられてボディバッグに収められるのを待つだけになっていたが、カールが神妙な面持ちで立つ廊下に駆け寄った二人は、最後の別れをさせてくれと告げると、タバコに火を付ける仕草を残してカールが無言で玄関へと歩いていく。
煙草を吸う間の短い時間だが見て見ぬふりをする、そう教えてくれる背中に軽く頭を下げた後、穏やかに見えるジルベルトの顔を見下ろしたリオンは、あの時のように頬を撫でて小さく笑みを浮かべる。
「なぁ、ジル、お前と一緒にいる時はマジで楽しかった。お前が俺の事を思ってくれてたなんて気付かなかったからさ……」
鈍くて悪いと眉を寄せたリオンはジルベルトの顔に覆い被さるように手をつくと、眠っているような男前の額にそっとキスをする。
「おでこにキスってガキみてぇだけど、それも良いよな」
悪戯小僧の顔で笑ったリオンだったが、笑った拍子に目尻から涙が零れ、一つ二つとジルベルトの頬に落ちていく。
「……いつか俺もそっちに行くけど、その時は迎えに来てくれよ」
あの時、行くなと叫んだお前の気持ちを少しだけ理解出来たが俺にはもうオーヴェがいるから応えられない、でも俺も天国になど行ける身分ではないからお前の最期の言葉のように地獄できれいな悪魔を従えて出迎えてくれと泣き笑いの顔で告げると、仕方がないから綺麗なオネエチャンと一緒に待っていてやると自他共に認める男前の声が脳裏に響き、つい笑ってしまう。
「良いな、それ。でもその前にオーヴェをあんな目に遭わせた償いに一発殴らせてもらうし、お前のダチのルクレツィオとは絶対に仲良くなれねぇけど、それぐらい大目に見ろよ」
あの手紙のように俺が選んだのはオーヴェだからそれも我慢しろと笑い、俺はいずれ蜘蛛の糸でオーヴェに天国に連れて行ってもらうが、それまでの間だけ一緒に地獄で遊んでやる、だから俺がそちらに行くまでの間退屈だろうが待っていてくれとも告げたリオンは、決して忘れられない聖母マリアの祈祷文でジルベルトのためだけに祈り、ジルベルトが愛してやまなかった子どものような笑みを浮かべて一礼する。
「またな、ジル。…チャオ」
その一言でジルベルトとの決別を果たしたリオンは一歩下がってヒンケルに場を譲ると、ヒンケルの涙に湿った声を聞かなかったふりをし最後の別れを終えるのを待っているのだった。
リオンがここに駆け付けた時はまだ午前中だったが今すでに世界は夕闇に包まれていて、冬の間の日が沈む速さを内心で罵りながら病院の入口近くで三人無言でタバコを吸っているが、リオンが思い出した様に尻ポケットからジルベルトの手紙を取り出すと、黙って見守る二人の前で紙の端にまるでキスをするようにタバコで火を付ける。
ゆっくりと炎が広がっていく紙をただ黙って見つめていた三人は、燃えた紙が灰となって風に散って行く先を見届け、総てが空へと舞い上がったことに目を細める。
「バイバイ、ジル」
その言葉に二人もそれぞれ心の裡で別れを告げてタバコを吸い終えたカールが、ジルベルトが殺した男の解剖は他のドクターがやってくれた、次は頭を撃たれて死んだ男の解剖だと重苦しい息を吐いて伸びをする。
「ああ、頼む」
「ボス、オーヴェのとこに戻って良いですか」
「そうだな。コニーが可哀想だから早く戻ってやれ」
残りの解剖を続けるために戻っていったカールにまた後で連絡をすると伝えたヒンケルはリオンの言葉に苦笑しつつ覆面パトカーへと向かうが、その時、リオンの携帯が着信を伝えてきたため助手席のドアを開けたまま待機する。
「ハロ。……アリーセ? どうした?」
『リオン、あなた今どこにいるのよ! 早く戻って来てちょうだい!!』
氷の女王と称されることもあるアリーセ・エリザベスの周章狼狽ぶりにただ呆然とするリオンだったが、フェルが、フェリクスがと繰り返すだけになってしまったアリーセ・エリザベスに今すぐ病院に戻ると叫んで通話を終え、ヒンケルに何があったか分からないが早く病院に戻ることをこちらでも叫ぶと無言で頷いて助手席に乗り込んでしっかりとシートベルトを着ける。
運転席に座って緊急車両を示す回転灯を付けるリオンの様子に口を差し挟むことも出来なかったがリオンがただウーヴェの名を呼び続けている事から手術を終えたウーヴェに良くないことが起きたのだろうかと思案し、急いでいるのは分かるが安全運転をしろと無駄な忠告をし己の命を守るためのシートベルトをしっかりと握りしめるのだった。