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アリーセ・エリザベスの狼狽する声が脳裏でリフレインしているリオンだったがヒンケルを乗せていることもしっかりと理解していて、安全運転とぎりぎり呼べる乱暴な運転ぶりで病院へと駆けつけると、ヒンケルを残して車から飛び降り、レオポルドらがいる待合室へと駆け込むが誰もいないことに気付いて廊下に飛び出すものの、手術が終わったウーヴェがどの病室に運ばれたのかが分からずに苛立たしげに舌打ちをしてどこだと呟いた時、遠くで名を呼ばれていることに気付く。
「リオン!!」
「アニキ! オーヴェの病室はどこだ!?」
駆け寄ってくるカスパルの前に逆に駆け寄ったリオンはオーヴェの部屋はと問いかけるが、それどころじゃ無いと叫ばれた瞬間、興奮が一気に冷めて何があったと静かに問いかける。
「麻酔から目を覚ましたんだが、看護師が病室を出た隙に出て行ってしまって行方不明だ」
「は? どういうことだ?」
「オペが終わって目を覚ました直後に部屋を飛び出すなんて普通は考えられない」
医師の立場から考えられないことだと呟きとにかくウーヴェの部屋はこちらだと案内してくれるが、ヒンケルが駆けつけた為に一緒にカスパルの後についていく。
ウーヴェの病室は病院内の最上階にある少し広めの個室で、病室前に駆けつけたリオンを出迎えたのは呆然とするレオポルドやギュンター・ノルベルトらで、イングリッドとアリーセ・エリザベスは窓から見える室内の簡易ソファに力なく座っているだけだった。
「親父!」
「お、おお、リオン!」
リオンが駆け寄っても気付かなかったが強めの声で呼びかけるとようやく分かったのか、レオポルドの顔に安堵の色が浮かび、ウーヴェが、あの子がいなくなったと呟くとギュンター・ノルベルトがその声に衝撃を受けた様に廊下の壁に背中をぶつけてしまう。
「いなくなったとはどういうことだ?」
リオンでは無くヒンケルの疑問にいつもの精悍さを失った顔をのろのろとギュンター・ノルベルトが向け、誘拐犯達は皆死んだのではないのかと自問するが、その時、リオンが何かに気付いたのかしゃがみ込んで床に顔を近付ける。
「ボス、これって血痕ですかね?」
「ん? ああ、そう見えるな」
「血痕!?」
リオンが気付いたのは病室の前からぽつぽつと廊下に残る小さな赤い染みで、血の跡が残っているのならばと立ち上がったリオンが見失わないようにそれを追いかける。
そのリオンを追うようにヒンケルやギュンター・ノルベルトらがついていくが、血痕が導いてくれたのは屋上へと続くエレベーターの扉だった。
「アニキ、屋上って誰でも出られるのか?」
「あ、ああ、急患を運んでくるヘリを受け入れる為にヘリポートがある」
一緒についてきたカスパルにリオンが問いかけるが答えを聞くよりも先にエレベーター横にあるドアを開けて階段を見ると、何かを感じた顔で階段を見上げ、その先の屋上に出ることが出来る扉を見たリオンの脳裏には最悪のことが浮かび、周囲の訝る声も聞こえていない顔で階段を二段飛ばしに駆け上がっていく。
手術から目が覚めた直後に全身が痛みを訴えているはずなのにベッドを抜け出して屋上に向かう理由は何だと、ドアを蹴り飛ばす勢いで開け放ちながらすっかり暗くなった空に響く声で叫ぶ。
「オーヴェ!」
冬の夕方は日が沈むのが早く既に辺りは暗くなっていて、ヘリポートの在処を示す専用の照明が点る先に立ち尽くす人影を発見する。
「オーヴェ!」
振り向いてくれと願いつつ喉が涸れる勢いで名を呼んだリオンは、人影が振り返りそれが手術着のまま腕から点滴のチューブを垂らしているウーヴェだと気付くと、転落しないように願いつつ深呼吸をし、どうした、今まで閉じ込められていたから散歩をしたくなったのかといつもと変わらない口調で呼びかける。
「……リーオ……っ……!」
「うん。散歩するならさ、俺がいる時かもっと他の場所にしようぜ」
何もよりによって一人きりで屋上に散歩になど行かなくても良いだろうと笑うとウーヴェの顔が苦痛に歪み、右足一本で全身をを支えていることが辛いのかぐらりと身体が揺れたため、大股に一歩を踏み出したリオンが腕を掴んで身体を引き寄せ顔を覗き込む。
「オーヴェ?」
「……はな、せ……」
「理由を言えよ」
俺が納得出来る理由なら離してやると低く告げてさぁと促すと背後からアリーセ・エリザベスらの声が聞こえてくるが、その声にウーヴェの身体がびくりと揺れる。
背後に手をつきだしてこちらに来るなと暗に伝えたリオンは、なぁ、教えてくれダーリンとウーヴェの耳に囁きかけると、感情に震える声があんなことをされた、リザードも壊された、生きていくのが辛いとリオンの腕の中で密着することを拒否するようにウーヴェが弱々しく腕を突っ張って身体を強張らせ、あれだけの期間毎日毎日レイプされていたことから病気に感染したかも知れないと暗く嗤われ、芽生えた痛みを全力で抑え込んだリオンが表面上はいつもと変わらない様子でふぅんと呟く。
「そっか」
「……いや、だ……あんな目に……もう、いやだ……っ」
支えているウーヴェの身体は満身創痍という言葉が相応しく、点滴のチューブが垂れ下がっている腕からは一滴ずつ血が流れ落ち、砕かれて手術を終えたばかりの左足に巻いた包帯には淡い赤色の染みが徐々に広がり始めていて、まだ麻酔が効いているかも知れないがそれでも骨を砕かれた激痛はあるはずで、その痛みを感じないほどの絶望が今ウーヴェを取り込んでいるのだと気付く。
リオン自身麻酔の経験は無いが、麻酔が切れた直後の術後間もない身体でエレベーターを使ったとはいえどもここまでやってくる、それだけのことをさせる絶望とはどれほど深いものかと瞬間的に考えるが、蒼白な顔で焦点もロクに合っていない目で己へと顔を向けるウーヴェを見ればその一端だけでも理解出来てしまう。
過去の事件もだが、その時から今までどれだけ辛くても何があってもウーヴェは自ら死を選ぶことはなかった。
何故生きているのか、そもそも何故生まれてきたのかという根源への疑問を抱きつつもそれでも生きてきたウーヴェが初めて意思表示をした死への思い。
死ぬことで楽になれる、そう思ってしまうほどの事をされ、これから先も苦しめられるのならいっそのことここで死んでしまいたいと思っても責めることは出来なかった。
そんなウーヴェの思いに気付いたリオンが一度空を見上げて溜息をつくが、顔を戻した時には分かったと頷いた為、ウーヴェが己から距離を取っているがそれでも間近にあるリオンを見ようと顔を上げて驚きに目を瞠ってしまう。
目の前でウーヴェの拒絶などものともしない顔で腰にしっかりと腕を回したリオンが、鼻歌すら歌いそうな表情で携帯でメールを作成していたのだ。
何をしているんだとウーヴェが小さく問うと、あと少しだけ待ってダーリンとの言葉とキスが頬に届けられ、意味が分からないとウーヴェが蒼白な顔ながらも眉を寄せ、二人と距離を取った場所で見守っているレオポルドらの顔にも何をしているんだという疑問と苛立ちが浮かんでいたが、ヒンケルの足下にリオンが背後を振り返ることなく投げた携帯が転がってくる。
「お待たせ」
「……リオン?」
「んー? どーした、オーヴェ?」
その声は事件の前まで当たり前に聞いていた悪戯っ気が籠もった声で、何をしたんだとウーヴェが恐る恐る問いかけると、ウーヴェの頬を両手で挟んだリオンが破顔一笑。
「うん。俺も一緒に死ぬからさ、皆にバイバイのメールを送った」
「な……・!?」
そのリオンの一言はまるで今からウーヴェとデートだと浮かれているようにも感じられるもので皆が一瞬何を言われたのかに気付かなかったが、ヒンケルが己の携帯にリオンからメールが届いたことに気付いてチェックをすると、今まで楽しかった、オーヴェと一緒に逝くことにした、チャオとだけ書かれていたため蒼白な顔で怒鳴る。
「な、何を言ってるんだ、リオン!」
だがそのメールを受け取ったヒンケルよりも驚いたのはウーヴェで、何でそんなに驚くんだよーと不満そうに頬を膨らませたリオンは、だってオーヴェ死ぬんだろうと問いかけて額に額を重ね合わせる。
「だったらさ、俺も一緒に死ぬ。……お前がいない世界で生きていても意味がねぇ」
「……っ!!」
ああ安心しろ、今のお前は弱っているからここから飛び降りたら確実に死ねる、俺は俺を殺す方法を知っているから心配するなと笑いウーヴェを両腕で抱きしめたリオンは、最後まで一緒にいるから手を繋いで欲しいなとも笑うと、ウーヴェの顔が別の意味で蒼白になり、お前まで死ぬ必要は無いと震える声で制止してくる。
それが不満だったのかリオンがじゃあお前も死ぬなよと返すが、あんな事をされて足を砕かれ、この先車いす生活になる俺などお前の足手纏いにしかならない、だからとウーヴェが身体全体を震わせながら伝えるとリオンが不満そうな息をひとつ吐き抱きしめる腕に力を込める。
「なぁんでお前が決めるんだよ、オーヴェ」
「……リオン……?」
「お前の足が不自由になったからって足手纏いになるって、何でお前が決めるんだ?」
お前が足手纏いか重荷かなどを決めるのは俺であってお前じゃないと滅多に聞かないリオンの冷たい声にウーヴェが唇を噛み締めるが、でもと言い募った時、リオンの腕が微かに震えている事に気付く。
「な、オーヴェ、あいつらにされた事は確かに辛いし苦しい事だ。でもお前が諦めなきゃいつか必ず乗り越えられる」
「で、も……」
「お前があの事件みたいに今回の事も乗り越えてくれるって俺は思ってる。でもさ、それが辛い苦しいってのも分かる」
だから選んでくれと告げて少し距離を取ったリオンは、久しぶりに間近で見たターコイズ色の双眸が驚きに見開かれている事に目を細めてそっと額に口付ける。
「俺と一緒にここで死ぬか、これから先もずっと一緒に生きていくか」
「……!」
「お前に命の選択をまたさせることになるけどさ、選んでくれ、オーヴェ」
このまま俺と一緒に死んで辛く苦しい生を終えるか、それとも手を繋いで今までのように一緒に生きていくかどちらかを選べとリオンに迫られて絶句してしまったウーヴェだったが、お前を死なせたくないと呟くのが精一杯で、うん、俺もお前を死なせたくないと返されて唇を噛み締める。
ケージの中でペットのように扱われ、人身売買の客の好みに合うように体を壊された事はどうあっても決して忘れることが出来ないだろうし、その行為から必ず思い出して苦しくなる事が分かっている為にいっそのこと死んでしまいたいと思っていたのだが、まさかリオンが一緒に死ぬと言い出すなどとは思わなかった。
だからお前は死ななくて良いと繰り返すが、それなら俺と一緒に生きようと返されてしまう。
「オーヴェ、俺を一人にしないって言ってくれただろ?」
死ぬのならこのままここから飛び降りるだけだから簡単だと笑うリオンの背中をぎゅっと握りしめたウーヴェは、それが己の無意識の行動だと気付かずにもうお前と一緒に生きていく資格がないと自嘲すると、そんな資格誰からもらうんだよ、失格を言い渡す奴がいれば俺がフルボッコにしてやるとリオンが憤慨の声を上げたため、ウーヴェの双眸にほんの少しだけ色が戻り心の中で小さな小さな変化の種が芽吹く。
「……リーオ……・っ……」
「うん」
「俺、は……生きて、いても……良いの、か……?」
心に芽生えた小さな変化。
それを潰してしまわないように気をつけつつ己の心の変化に気付いていないウーヴェの言葉に目を細めたリオンは、ウーヴェの髪に愛おしそうに口付けながらうんと答える。
「生きていいし生きて欲しい。もしお前が死にたいってマジで思うなら俺が殺してやる。けどそれは今じゃねぇ」
「……」
「だからその時が来るまでは俺と一緒に生きようぜ。お前がいない世界なんて意味がねぇ」
例えお前の足が二度と動かなくなって車いすの生活になったとしても、それでも今までのように傍にいて笑って欲しい、時にはケンカをしてもすぐに仲直りして一緒に夜を越え朝を迎えようと笑うとウーヴェの手が痙攣したように震えた後、リオンのブルゾンの背中をきつく握りしめる。
「リ、オン……っ!!」
「うん。俺のオーヴェ。これからも俺と一緒に生きていこう」
二人でいれば経験できる事を沢山経験し、一人一人で経験したことは分かち合って生きていこうと囁き同じ強さでウーヴェの背中を抱きしめたリオンは、ウーヴェの心の中から死への誘惑が一時的にとはいえ消え去ったことに気付くとゆっくりゆっくりと後退る。
バランスを崩しても落下しない場所にまで下がったリオンはしがみついてくるウーヴェの髪にキスをし、救出した時のように足を気遣いつつ抱き上げるが、ウーヴェの腕から血が流れ続けている事に気付きカスパルに何とかしてくれと合図を送る。
それが切っ掛けになったのか固唾を飲んで見守っていた人たちの顔に安堵と涙が浮かび、二人の元に駆け寄ろうとするのをリオンが片手で制止し、汗とタバコの匂いが染みこんだブルゾンをウーヴェの頭から被せて膝の裏に腕を通して今度はウーヴェを横抱きにする。
「オーヴェ、病室に戻って手当てをしてもらおうな」
手術直後に歩いてこんな所に来る暴挙をした為にカスパルが恐ろしい目で睨んでいると苦笑するが、リオンの胸に顔を押し当てたウーヴェがブルゾンで顔を隠し友人の非難を遮ってしまう。
腕に刺さったままの点滴のチューブをそっと抜き、針もちゃんと抜けたことを確かめたカスパルが安堵の表情でリオンのブルゾンの下に隠れている友人を見つめた後、リオンの肩に手を置いて顔を伏せる。
「……ありがとう、リオン」
「アニキ、オーヴェの病室忘れたからもう一回案内して」
そしてレントゲンで左足の確認をしてくれと告げると腕の中でウーヴェがびくりと身体を竦ませる。
「手術したばっかの身体でここまでくるからでしょー」
諦めてレントゲンを撮ってもらい不都合があったらもう一度手術を受けてこいとウーヴェの頭に囁きかけたリオンは、己が後ろに放り投げた携帯を片手に呆然としているヒンケルに微苦笑し、このままオーヴェの病室に行きます、ボスも来て下さいと告げて再び返事を聞く前にさっきは駆け上がった階段をウーヴェを抱き上げたままゆっくりゆっくり下っていくのだった。