この日の朝は、メイド達に引きずられるようにベッドから出るとこの後に控える式典に向けてされるがままに身支度が始まった。
色とりどりの花びらが浮いたお風呂に入れられ、3人がかりでヘアーメイクが始まり、コルセットはこれでもかというほどきつく締め上げられた。
こんなことをしても、1日で“絶世の美女”と言われるほどの変化があるはずはなく、でも口に出しても空しくなるだけなのでただひたすらに終わるのを待っていた私は、式典が始まる直前にはもう疲れ切っていた。
「エレノア様、いよいよ始まりますね!」
「もう帰りたい」
「何を仰っているのですか!とてもお綺麗ですよ。伯爵様もお喜びになられると思います」
アッシュの話題を出され、ようやく私は目の前の鏡に視線を向けた。
「うわぁ……」
これが本当に自分なのかと疑いたくなるほど、美しく仕上げられた自分に思わず声が漏れる。
キラキラときめ細やかに仕上げられた肌に柔らかいピンク色のチークとリップ。自然なその色味が私の紫色の瞳の輝きを引き立てているような気がして、パチパチと何度も瞬きをしてみた。
緩くふわりと後ろにまとめられた髪も耳飾りも派手過ぎずシンプルで、私好みに仕上がっている。
「流石ね」
「いえ、エレノア様の美貌あってこその仕上がりですよ。さぁ、参りましょう。伯爵様がお待ちです」
その言葉に浮き足立っていた私の心はズンと沈んだ。
そう。今日この日を迎えるのは2度目。1度目の思い出は最悪なものだった。
部屋から出るとバージンロードの扉の前にアッシュがいた。
しかし私の姿を一瞬見ただけですぐに目を逸らされてしまい、その後も一切言葉を交わさないまま挙式に臨んだせいで何一つ集中出来ず、ドレスの裾を踏んで転びそうになったり、牧師に渡された指輪を落としそうになったりと散々だった。
その中でも一番後悔している出来事と言えば、“誓いますか?”という牧師の言葉に答えるだけの場面で、私は言い淀んでしまった。
理由なら沢山ある。
ここまで一言も会話をしていない私たちが本当に夫婦としてやっていけるのか?とか、果たして私はこの結婚で幸せになれるのだろうか?とか、
結婚とは?愛とは?なんてこの場で考えるには壮大すぎるものまで浮かんできて、そうなってしまっては迂闊に“誓います”とは言えず、長い沈黙に耐えかねた参列者のざわめきの中、最後は小さく振り絞るように誓いの言葉を口にしたのだ。
この一件で、女性にとって人生で一番と言っていいほど大切で特別な日になるはずの結婚式は、私にとっての最悪な日になった。
アッシュの名前を聞いて、今回もそうなってしまうのでは?という考えがよぎって、身体が震えた。
本当はこの部屋にずっと閉じこもっていたいと言うのが本音だ。でもそうはいかない。この扉の向こうにアッシュが待っている。
ガチャ
扉が開かれると、そこにはアッシュがいた。
向けられた視線がゆっくりと交わる。
その数秒間、まばたきをせずにじっとこちらを見つめる視線に、今回はきっと違う結末が待っているのでは?と期待感が膨らんだその時、さっとアッシュは顔を背けてしまった。
(そうだよね……。人生を繰り返したからと言ってそう簡単に変わるわけない。……でも――)
そんな言葉を自分自身に言い聞かせるように、心の中で唱えながら、一度視線を逸らしてから一向にこちらを見ようとしないアッシュを盗み見る。
いつもはナチュラルに下ろしている前髪を今日は後ろに流していて、沢山の紋章のようなものがついた厳かな正装に身を包むアッシュは息を飲むほどに美しく、どこか近づきがたいオーラを纏っている。
きっと今まで言い寄られることも多かっただろう。勇気を出して声を掛けたのに今の私と同じように冷たくあしらわれたであろう女性たちの無念な思いが聞こえてくるような錯覚に、慌てて頭を振る。
今はそんなことを考えている場合じゃない。目の前の扉が開いたら、私はアッシュ・ロンベルトの妻になる。
1度目にここに立った時には湧かなかった実感が、2度目にしてようやく感じることが出来て、少し早くなった心臓に手を当て、深呼吸をする。
理由は分からないけど、私はどうやらもう一度同じ人生を繰り返しているようだ。
そして、きっと未来はそう簡単には変わらない。
同じ場面を繰り返すたびにそう考えてしまうけど、私はもう後悔はしたくない。
目の前の扉が開かれる。
一歩、また一歩とアッシュとバージンロードを歩いて、牧師の前で立ち止まる。自分でも驚くほどスムーズに挙式は進んでいきあっと言う間に“誓いの言葉”に突入した。
両手を合わせ、向かい合う。
初めはアッシュから。
「誓いますか?」
そんな牧師の言葉にアッシュはすぐに“誓います”と答える。
ただそれだけのことが嬉しくて、ぎゅっと手に力が入ってしまった。
次は私の番。
「誓いますか?」
今度こそ失敗しないと決意し、返事をしようとしたその時、重ねていた手に力が入った。
私じゃない。今度はアッシュが私の手を握ったのだ。
アッシュが本当はどう思っていたかは分からない。
でも顔を上げて見つめたアッシュの目にほんの少し不安な色が見えた気がして、勝手に“一緒だ”と思ってしまった。私がそうだったようにアッシュもこの時、不安を感じているのなら、私は堂々とこの言葉を言いたい。
「はい、誓います」
その瞬間、拍手が響き渡った。
***
その後、転ぶことも指輪を落とすこともなく挙式は無事に終わり、ほっとして肩の力が抜けた控室の扉の前。アッシュが突然、胸の内ポケットから何かを取り出した。
「伯爵様、それは?」
「君に」
私の手の平に乗ったのはレトルアの紋章であるオリーブの花とそれに加えて月のデザインがポイントで入っている髪飾り。
「いただいてもいいのですか?」
「ああ」
その言葉を聞いたウィリアムとメイド達はすぐに動き出し、あっという間に髪飾りは私の耳の横に添えられ、ウィリアムは手鏡を手にニッコリと微笑んだ。
鏡を覗き込むと、手のひらくらいの控えめな大きさの髪飾りが、顔を傾けるたびにキラキラと輝きを放っていて、あまりの嬉しさに飛び跳ねたい気持ちを押さえながら、私はアッシュの方を振り向いた。
「どうですか?」
声のトーンはやや高め。
だって、それは私にとって“初めて”のことだったから。
今まで散々、私にとっては2度目だと言っていたけれど、“アッシュから髪飾りを貰う”なんてことは前世では経験していないのだから。
私が大人しくアッシュの返答を待っていると、本当にちゃんと見てくれたのか分からない程一瞬だけ私の方に視線を向けて
「似合っている」
と呟いた。
アッシュからの贈り物というだけでも嬉しいのに、その反応までくらってしまって、自分の顔が首から徐々に体温が上がっていくのが分かって下を向く。
「ありがとうございます」
「気に入ったか?」
「もちろんです!これからずっと身に着けておきたいくらい!」
この嬉しさを余すところなく伝えたくて前のめりになった私を見て、アッシュはふっと微笑んだ。
(あ、笑った)
前世ではウィリアムと話しているときに見せる微笑みを、遠くから見つめるだけだったのに、今は自分に向けられていることにドクンと心臓が跳ねた。
1度目の人生では起こらなかったはずの物語が、新しい道を作り、色づいていく。
私が行動を起こせば、今度こそアッシュを守れるかもしれない。
そう全ては自分の行動次第。