広い家の中に、執事の美嘉の声が響きわたった。
「おはようございます、お嬢様」
美嘉は笑顔で璃奈の部屋のドアをノックする。
「入って」
璃奈の許可を得て、美嘉は元気よく返事をして中に入った。
「失礼しまーす!」
「何の用?」
「今日はお休みの日ですよね?」
「だから?」
「お買い物でも行きませんか!」
「暇ない」
璃奈はあっさりと断り、机から宿題を取り出してやり始めた。
宿題を始めた璃奈を見て、美嘉はあきらめて静かに部屋を出ていった。ドアが閉まる。
「次からは誘わないで、執事」
出ていった美嘉に向かって、璃奈はつぶやいた。
ふと机の上に置かれた資料に目を向ける。──静樹 朱里の母親、静樹 理々花についての資料だ。
璃奈は宿題を片隅に置き、資料を開く。
くだらない情報ばかりが並んでいる中、ひとつの言葉に目が止まった。
朱里は、本当の娘ではない──。
璃奈の心の中で、不思議な気持ちが叫んでいた。
何を叫んでいるのか、自分でも分からない。ただ、もやもやした、嫌な、でも消えてほしくない感情がそこにあった。
晴れた今日のこと。
あるビルの最上階では、白輝 璃奈の母親、白輝 愛美が、
その愛人と静かに話していた。
「ただの頭痛よ。心配しないで」
愛美は笑顔でそう言った。
「心配するよ。愛美は俺の恋人だろ?」
男──海は優しく言葉を返した。
「海……」
愛美の心に、ふっと温かいものが灯る。
ただの気まぐれで愛人に選んだはずだったのに、海の気遣いに、少しずつ心を惹かれ始めている自分がいた。
穏やかな空気が流れる中、コンコンとドアを叩く音が響く。
「社長、大事な資料をお持ちしました」
愛美は眉をひそめた。
聞き覚えのない声──。
静けさに違和感を覚えた海が、軽く顔を上げる。
「あ、あの……入ってもよろしいでしょうか?」
愛美は眉間のしわをほぐし、そばにいる海にソファへ座るよう促してから、優しく返した。
「もちろんですよ」
扉が開き、小柄な女の子が入ってきた。
その子は理々那にじっと見つめられ、顔を真っ赤に染めた。
「え、えっと……成瀬成瀬 七海《なるせ ななみ》です。新しく入社しました!」
「そう。成瀬さんがなぜこんな大切な資料を?」
「だ、だめでしたか……?」
キラキラしていた成瀬の瞳に、今にも涙が溜まりそうになる。
「……だめというわけではないわ」
愛美は柔らかく答え、成瀬の手から資料を受け取った。
それを聞いた成瀬は、ぱっと花が咲いたように嬉しそうな表情を浮かべた。
「ただ──」
成瀬の顔に一瞬、不安の色が走る。
「この資料はとても重要だから、次からは直属の上司を通して持ってきてね」
笑顔を向けながら、愛美はそっと成瀬を部屋から促した。
成瀬が出て行った後、海が苦笑いを浮かべて言った。
「そんなルール、あったっけ?」
「ないわ」
愛美はくすっと笑った。璃奈には向けたことのない、柔らかな笑顔だった。
──ビビった、そんなルールあるとは思わなかった。
「思ってること、顔に出てるわよ」
言われて、海は無意識に自分の顔を触った。
「あの子の目を見れば分かるわ」
「何が?」
「──あの子、私に恋してるのよ」
海は思わず目を見開いた。
「最近、同性の恋愛も珍しくないし、当たり前のことか」
「そうね、当たり前のこと」
「……同性恋愛について、どう思う?」
海の問いかけに、愛美はほんの少しだけ顔をしかめた。
「正直、気持ち悪いと思うわ」
その言葉を聞いた海の顔に、わずかな陰りが落ちた。
だが、愛美は気づかなかった。
海は立ち上がり、「電話してくる」と言い残して部屋を出て行った。
数秒後、愛美は机の引き出しから紙巻きたばこを取り出し、一本、火をつけた。
──海、ねぇ……
あの時、璃奈に向けなかった笑顔を海に向けた理由は単純だった。
海は、かつて愛した二人に似ていた。
一人は──亡き夫隆宏。
もう一人は──初恋の相手静樹 理々花。
隆宏は、私が人生すべてを捧げた人。
──そして、この手で殺した人。
私は知っていた。
彼が、私を「理々花」と重ねて見ていたことを。
それでも優しくされるうちに、逃げられなくなっていた。
愛してはいけないと分かりながら、私は彼と結婚した。
私の結婚式は、姉である理々花の結婚式が終わった少し後だった。
すぐに妊娠がわかり、女の子を授かった。
姉も同じ頃、子供を産んでいた。
姉の家庭を守るために、私は男の子を引き取り、白輝 輝琉と名付けた。
私が娘を産み終え、目覚めた翌日──
抱かされた赤ん坊を見た瞬間、私は気づいた。
この子は、私の子じゃない。
母親の勘だった。
確信を持った私は、誰にも言わずにDNA検査をした。
結果が返ってきたとき、頭では分かっていたのに、胸が苦しかった。
私は、姉の家に駆け込んだ。
姉を傷つけたくなかった。
でも、どうしようもなかった。
涙を流す姉を見て──私は夫を殺した。
姉を騙し、悲しませた罪を、絶対に許せなかった。
私と、私が引き取った息子、そして姉と、姉の本当の子ども──
すべてを守るために。
コメント
7件
1話の最初: すごくいい雰囲気 現在: 璃奈mamaの初恋が、姉 璃奈のpapaの初恋相手も、姉👩 姉を泣かせたから、夫を〇した。。。 すごい作品👏
Misaさん……どんな作品作ってるんですか!?
私が見た中で、初恋を泣かせたから、愛する夫を〇す展開…この作品が初めてかも