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「今日、家来る?」
涼ちゃんにそう言われたのは、放課後の帰り道だった。
夕日がゆっくりと傾きかけた時間。
オレンジに染まった校舎の影を背に、涼ちゃんが僕の顔を覗き込むようにして言った。
「……いいの?」
思わず確認するように返した僕に、涼ちゃんはふわりと笑ってうなずいた。
「あ、若井も来るからね。三人でごはん食べようって言ってたの」
その言葉に、少し胸の奥がじわりと痛んだ。
でも、笑って「うん」と返した。
それがきっと、僕にできる最善の選択だったから。
涼ちゃんの家に来るのは、久しぶりだった。
リビングにはほのかな木の香りが漂っていて、どこか安心する空間。
テーブルの上には、涼ちゃんが作った料理が並べられていた。
からあげ、卵焼き、味噌汁。どれも温かくて、どこか懐かしい味がした。
「元貴、もっと食べなよ」
「うん……ありがとう」
「ほら、若井。こっち座って」
涼ちゃんの声が、柔らかく空間を包む。
その優しさに触れるたび、僕の中の何かが揺らいでしまう。
それでも、ふたりの間に割って入るようなことはしたくなくて、僕はただ笑って頷くだけだった。
食事のあとは、三人でリビングに座って、何気ない話をした。
学校のこと、音楽のこと、くだらない笑い話。
こんなふうに過ごす時間が、ずっと続けばいいと思った。
でもそれは、叶わない願いだってこともわかってる。
「ねぇ、元貴」
ふいに涼ちゃんが僕の肩に頭を乗せてきた。
心臓が跳ねる音が、一瞬で耳の奥まで響いた。
「……どうしたの?」
なるべく平静を装って聞くと、涼ちゃんは小さく笑った。
「なんかね、元貴のそばって落ち着くの」
「そっか……」
僕はそれ以上何も言えなかった。
だって、それがどうしようもなく嬉しくて、でもどうしようもなく切なくて。
若井が目の前にいるのに、僕は涼ちゃんの体温を拒めなかった。
そんな僕を、若井はじっと見ていた。
だけど、何も言わなかった。
いつものように、静かに笑って、何も責めることなくその場にいた。
帰り道、僕は一人で歩いた。
さっきまでの温もりが、まだ身体に残っていた。
心が追いつかない。
感情が渦巻いて、まともに呼吸ができない気がした。
僕は、どこに向かって歩いているんだろう。
涼ちゃんの隣じゃない。若井の隣でもない。
ただ、誰のものにもなれずに、ただの「友達」として漂っている。
今の僕は、誰の特別にもなれない。
それでも、涼ちゃんの優しさにすがってしまう自分が、情けなくてたまらなかった。
でも、もし。
もし、あのとき涼ちゃんが僕の手を取ってくれていたら、僕は全部を壊してでも、その温もりを抱きしめたかもしれない。
そんなことを考えてしまう自分が怖かった。
夜、ベッドに横になっても、まぶたは重くならなかった。
天井を見上げながら、ただ静かに時を過ごした。
明日は、また三人で笑い合えるんだろうか。
それとも、今日の沈黙が、少しずつ距離を作ってしまうのだろうか。
僕は、どうしたらいいんだろう。
この気持ちを閉じ込めたまま、あとどれだけ笑えるだろう。
「涼ちゃん……」
また名前を呼んでしまった。
それだけで涙が滲むくらい、僕はもう限界なのかもしれない。
でも、言えない。
絶対に言えない。
言ってしまったら、三人の関係が終わってしまう。
それだけは、絶対に嫌だった。
静かな部屋に、僕の心音だけが響いていた。