プロローグ
この世界には男女の性別の他に三種類の性別が存在する。全体の一割しかいない優秀な遺伝子α、全人類の大多数を占める有象無象のβ、そしてαよりさらに少なく希少性が高いがとある理由により劣等遺伝子とされるΩ。この世に産まれ落ちた人類はすべてこの三種類のうちのどれかに分類される。そこに例外はない。
バース性は産まれたばかりの段階では確定されない。一応検査自体はされるものの、月日が経過するごとに変化していくのが当たり前だった。バース性が確定する時期はある程度個人差があるものの、小学校を卒業するまでには確定するものであり、中学生以上になっても確定しない事例などはごく稀にしか存在しない。
一ノ瀬四季は、そんな希少な例のひとりだった。
「……」
自身の健康診断の結果を見ながら四季はため息を吐いた。バース性の項目には×印が付いている。それはバース性が確定していない証左だった。彼のバース性はどういうわけか十七歳になっても未だにはっきりしなかった。中学生になってから毎年検査しているが結果はいつも同じだ。
父親は四季のバース性がなんでも受け入れると言ってくれているが、四季はやはりΩだけは嫌だと思ってしまう。三種類の中でも一番希少性の高い性なだけあって、四季もたった十七年の短さとはいえ今まで生きてきた中で一度も本物のΩに出会ったことはない。しかし確定していない以上、四季もΩの可能性は十分にあるのだ。
友達にも本当のことは言えず、ずっとβだと言って誤魔化し続けてきた。αなんて高望みはしないβでもいいから早く確定して安心させてほしい。そう願いながら診断書を握り潰した。
その時は突然やってきた。白スーツを着た男に襲われ、自分が鬼の子孫であると知り、父親を失った。更に哀しみにうちひしがれる余裕も無く何者かに連れ去られ、気がつけば見ず知らずの場所で半裸の状態で拘束されていた。目の前には傘を使って筋トレをしている謎の男。
「無理やり起こすことはしなかった。意識朦朧で説明しても頭に入らないからな……」
顔を上げた男と目が合った瞬間、身体中に電流が走ったような感覚がした。男のほうもなにか感じたのか、口を半開き状態にしたままこちらを凝視している。しかし今の四季にはそれを疑問に思う余裕は無かった。身体の奥からじくじくとした熱が膨れ上がって、今にも溢れ出しそうだったからだ。
(コイツは……この男は……俺のαだ!)
それは本能だった。四季と男はつい今しがた顔を合わせた間柄で、名前も知らないしバース性なんか知る由も無い。なのに一目でαだとわかったのは身体がそう「訴えている」からだ。この男が欲しい。この男の精を身体の奥に取り込んで孕みたい。そんな欲求が胎の底から湧き上がってくる。
「うっ……ぐっ、はっはあっ……、か、からだが……あちぃ……」
「……これは……想定外だな……」
男は顎に手を当て、縛られた状態で身体を捩らせる四季をじっと見ていたかと思えば「少し待ってろ」と言い残して部屋から出て行った。男が何故か履いているローラーブレードの音が遠ざかるのを何とはなしに聞きながら、四季は椅子に座ったまま上半身を屈ませて熱さに耐えていた。しかし股の間で陰茎は完全に勃ち上がっていて、もう吐き出さなければ治まらないほどだ。四季はあまりの情けなさに唇を噛んだ。
ずっとバース性が確定しなかったのに、あの男と目が合った瞬間からまるで遺伝子情報ごと書き換えられてしまったかのようにあっさりと変わってしまった。どの性になってしまったかなんてすぐにわかった。よりにもよってΩだなんて。しかもおそらくあの男は――。
ガチャッ。
「待たせたな」
「……!」
扉を開け放った音で思考の海から強制的に引き上げられた四季は、反射的に声がするほうへ顔を向けた。男はその手にPTPシートと水が入ったコップを持っていた。状況から考えて発情を抑えるための薬だろう。シートから薬を二錠取り出した男は、そのまま四季の口の中に突っ込んだ。吐き出させないようにするためかご丁寧に大きな手のひらで口を覆われる。
「吐き出すなよ。水を与えるから全部飲み込め」
「……っ」
四季がなんとか頷くと男は口元にコップを近づけて傾けた。自分のペースで飲めないのは苦しかったが今は贅沢は言っていられない。コップ一杯分の水をすべて飲み終わると苦しさに咳き込む。薬を飲んだからといってすぐに効果は表れないので未だ身体は熱いし陰茎は勃起したままだ。すると男はなにを思ったか四季のベルトを脱がしにかかった。
「なっ……、なにやってんだ!?」
「黙れ。ここには効果の弱い薬しか常備してないんだ。効果が表れるまで時間もかかるし、少しでも吐き出していたほうが早く楽になれる」
「んなっ……うあっ、あっ、ああっ、やだ……っ」
男は慣れた手つきで四季のパンツの前を寛げると熱く自己主張している陰茎を掴み、扱き出した。初めての他人からの刺激に四季はいっぱいいっぱいで戸惑っているばかりなのに、男は少々眉間に皺は寄っているものの、あくまで事務的に手を動かしている。その様子を見ていると視界がじわりと滲んでくる。俺は一体なにをやっているんだ。これが現実だと認めたくなくてぎゅっと目を瞑った。
同じ男だからこそわかるのか弱い部分を重点的に刺激されて、とうとう我慢出来ずに精を噴き出した。最後まで出し切らせるように絞られて思わず腰が浮く。身体の熱はまだ残っているが、もう色々と限界だった四季の意識はここでブラックアウトした。
暗闇の中、遠くでなにか物音が聴こえる。人の話し声だとわかった途端、意識が覚醒した。真っ先に視界に飛び込んできたのはアンバーカラーの綺麗な天井だった。
「あ、目が覚めた?」
その声に引き寄せられるように目を向けると、白いフードを着た謎の人物が四季が寝かせられている布団の横に座っていた。その斜め後ろには先ほどの男も控えている。目が合って、また身体が熱くなった気がした。
「とりあえず、身体のほうはどうかな? 薬はもう効いてると思うけど」
「あ……大丈夫っす……あの、それよりここは……」
「ここは学園の職員用休憩室のひとつだよ。保健室は不特定多数が出入りするからちょっと都合が悪いしね」
「……学園?」
学園というからには学校なのだろうが、四季は高校を退学になったばかりでどこの学校にも通っていない。どこの学校の話をしているのだろう。
頭にクエスチョンマークが浮かんでいるような四季の表情に、状況が理解出来ていないことを悟ったらしいフードの人物が後ろの男に話しかけた。
「あれ? 無人くん? まだ説明してなかったの?」
「する前に発情したんです」
「ああ、そうだったんだね」
納得したらしいフードの人物は四季に向き直ると、こほん、と軽く咳払いをした。
「じゃあ僕から軽く説明させてもらうよ。ここは羅刹学園。鬼機関が運営する、鬼の子供たちのための学校なんだ。僕はここの校長で、後ろにいるのが教師のひとりの無陀野無人くん。で、君は今日からここの生徒になってもらう。申し訳ないけど強制だ」
「えっ、なんで?」
「理由はひとつ。君がΩだからだ」
「……!」
「無人くんから聞いたところによると、君は鬼に覚醒したばかりのようだからピンときてないかもしれないけど、鬼は桃太郎に『狩られる』側なんだ。常に桃太郎に命を狙われているし実験材料にもされてる」
命を狙われている。実験材料。今までの平和な暮らしではまず聞かなかった物騒なワードが飛び出してきて頭が混乱する。父親が死んだのだってまだ信じられないのに。
「Ωが世界的に見て希少なのは知っているだろう? 一般人も鬼も桃も関係なく、ね。Ωの鬼の存在なんて桃太郎に知られた日には……どんな扱いを受けるかなんて想像に難くないよね」
「そんな……」
「だからね、君のことは鬼機関が保護する。もちろん、自分の身は自分で守れるくらいの力をつけるための特訓もするけど、君が桃に狙われた時ちゃんと守るよ」
「校長……」
「それに、無人くんもいるしね!」
「は?」
「なにを抜けた返事をしているんだい? 君はこの子の運命の番なんだろう? 君が率先して守ってあげなきゃ」
そう言われて心臓が飛び跳ねた。そうだ、俺はこの男にーー。
「運命なんて馬鹿馬鹿しい。そんなのありませんよ」
「いやいや、でも一目見てビビッときたんでしょ? 運命の番は出逢えばすぐわかるって言うし」
「単純にコイツのΩのフェロモンに反応しただけですよ」
「なっ……」
「仮にそうだったとして、彼はここに来るまでバース性が安定していなかったんだ。でも今ははっきりΩだと検査結果が出ている。つまり、君がΩに目覚めさせてしまったも同然だと思わないかい?」
「……」
「君はこの子を守る義務があるんじゃないかな?」
「……生徒としては守り導きます。ですが番になる気はありません」
「まあそこは君たちの問題だから。ふたりでよく話し合ってよ」
「……ちょっと待てよ」
大人ふたりだけで話が進んでいることを面白くなく思いながら四季は布団の上で上半身を起こした。ふたりをきっと睨み付け、まるで宣戦布告でもするかのように人差し指を突きつけた。
「話し合いなんか必要ねーよ! 俺もソイツと番になる気はさらさらないね! 運命? んなもんクソくらえだっつーの!」
四季のそんな啖呵にも無陀野は眉ひとつ動かさない。そんな表情を見て心がざわついた気がしたが無視した。
「おー! その気概は素晴らしいね! 桃太郎との戦いにも必要なものだ」
校長がパチパチと暢気に乾いた拍手を贈る。何故そんなに嬉しそうなのだろうか。
「ーー楽しみだよ。君たちがこれからどんな運命を辿るのか」
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