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それから「回復したのなら」と羅刹学園の制服と共に、幅広で真っ黒な革製のなにかも手渡された。一瞬わからなかったが、すぐに正体に思い至って眉を顰めた。

「これ……」

「噛みつき防止のための首輪だ。俺が守れる時は守るが、必要最低限の自己防衛はしてくれないと迷惑だ」

「わーってるよ。なんだってこう嫌味ったらしいんだお前」

「お前じゃない。先生だ。俺はお前の担任なんだからな」

「へいへい、すみませんでしたー」

適当に返事をしながらまっさらな首に首輪を装着した。冷たくて硬い。普段からアクセサリーの類を着けないため、首周りの違和感が凄いが仕方がない。鬼のΩはどんな扱いをされるかわからないなんて言われてしまったら下手なことは出来ない。なにせ四季はまだ血も満足に扱えないのだ。

まったくなんでこんなことになったんだ? 実は鬼の子孫で? しかもΩで? その上ムカつく男が運命の番? そこに父親の死も加わって、たった一日で知らされていい情報量を超えていると思う。もっと感傷に浸る時間とか、情報を飲み込む時間をくれてもいいのではないか。

しかしそんな四季の内心の葛藤などどうでもいいとばかりにどんどん話は進み、教室で入学説明をするのかと思えば突然鬼ごっこをやるとか言い出したり、もう少しでクリア出来ると思ったら珍妙な乱入者によって京都に向かうことになったり。なんでこんなに次から次へと目まぐるしく状況が変わるんだ? これが鬼の日常? 鬼ってこんなに忙しいの?

さっき着替えたばかりなのに外に出るからまた着替えろと普通の学生服と共に、湿布のような形をした透明の薄いシートも手渡された。しかし湿布と違ってなんの匂いもしない。

「なんだ? これ」

「首輪と同じく噛みつき防止のためのものだ。首輪より効力は弱いが、あんな目立つものを付けていては自分はΩですと堂々と宣言しているようなものだからな。外に出る時は必ずこれをつけろ」

無陀野曰く、このシートにはαが無意識に嫌うフェロモンが付着しているらしく、これを貼っているだけで大抵のαは寄ってこないらしい。ただし、無陀野のように精神力が強かったり耐性がついていたりする場合は効果が薄い上、このシート自体貼ってから数時間しか効果が持たないため、過信は禁物とのことだ。四季が嗅いでもなんの匂いもしないのは四季がΩだからか。

「これは予備だ。……お前たちは援護部隊のほうに行ってもらうから桃と遭遇することはないだろうが……とにかく、自分がΩであることを自覚した行動を取れ」

「……わかった」

正直なところ、Ωとしての自覚ある行動と言われてもいまいちピンと来ていない。ただ要はαは警戒しろという話だろう。この堅物ですらあんな手の出し方をするくらいだ。万が一理性の壊れたαなんかに遭遇してしまった日には一体どんな目に合わされるか。

四季が前にいた学校にはΩはいなかった――少なくとも四季は認知してない――がαは何人かいた。一学年にひとりないしはふたりといった数の少なさだったが、彼らは一様にカリスマ性と言ったらいいのか、とにかく色んな意味で目を惹いた。四季は彼らと親しかったわけではない。むしろ話をしたことすら無かった。彼らの周りにはいつも誰かしら取り巻きがいて、他の人間をけん制していたのだ。その取り巻きたちは皆βだったはずだ。βはΩほどにはαのフェロモンは効かない。だというのにここまで魅了されるのだ。Ωがαのフェロモンに抗うのはとても難しいことなのだろう。

ちらりと無陀野を見上げる。愛想もなにもあったもんじゃないが顔の造形はとても良い。常にローラーブレード着用なんて意味不明なことをしているが背も高いし声もいい。あとなにより強い。これは女にモテるんだろうなと思う。αでもβでもΩでも、選り取り見取りだろう。なのに運命の番なんて、一般的には憧れとして都市伝説的に語られている相手が四季みたいな男だなんて可哀想だ。もちろん皮肉である。

「――四季」

「な、なんだよ」

「……あまり気負うな。Ωとしての自覚は持つべきだが、俺相手にそこまで警戒しなくてもいい。理性をコントロールするのは慣れているし、なにより子供であり生徒であるお前をどうこうする意思は俺には無い」

「……」

意識していることがバレていたのか。途端に恥ずかしくなって顔を俯かせた。運命なんて信じていない。仮にあったとしても絶対に抗ってみせる。自分のことを自分以外の誰かに決められるのは、例え神が相手でも納得いかない。けれどそれはそれとして、運命と言われて意識するなというのもなかなか酷ではないだろうか。

(けどまあ、なんとかなるか)

きっといきなり言われてまだ飲み込みきれないだけだ。時間が経てばきっと大丈夫。

まったくもって根拠は無いが、元々深く考えるのは苦手だ。なるようになるだろうし、今はαやΩがどうこう言ってる場合でもない。たくさんの鬼の命が脅かされているのだから。



「嘘! 可愛い子いるじゃん! 俺前髪大丈夫!? うわー! ちゃんとVO.5でセットしてぇ! とりあえずメッセ教えて!」

「チャラい奴マジ無理」

「うわーへこ…まなぁい! タイミングって大事だもんね!」

「なんだよこのチャラ男……」

京都にある清水寺の地下。そんなところにあるとは思えないほど立派な和風建築は、一見厳かで静かな雰囲気だった。けれど一歩中に入ればそこら中から忙しそうな怒号が飛び交っていた。そんな場に似つかわしくない、やけにテンションの軽いひとりの男。無陀野の時と同じく、四季には一目でわかった。この男もαだ。

「こいつは花魁坂京夜。鬼機関京都支部、援護部隊総隊長だ」

「ダノッチとは、羅刹学園の同期なのよ!」

仲良しアピールのつもりか、京夜が無陀野の肩を組んでピースサインを向けている。無陀野は当然それに乗ることもなくスルーしていたが京夜は気にした素振りもない。きっと慣れているのだろう。これから前線に出ると言っていたのに、無陀野は京夜になにやら耳打ちしている。黙って聞いていた京夜が一瞬だけ四季のほうを見た。ギクリと身体が固まるのを感じる。別に京夜の視線に嫌なものを感じたわけではない。ただ京夜をαだと認識したことで本能の部分が警鐘を鳴らしているのか、どうにも緊張してしまっていたのだ。

「先生! 早く来てください!」

「へいへーい」

しかし京都は今桃太郎との抗争の真っただ中。怪我人だらけのこの場所は独特の空気感を放っており、隊員たちのピリピリした雰囲気にも充てられたことで別の緊張に上書きさせられたことで気にしている余裕はなくなった。

さらにその後、孤児の少女芽衣との交流や、京都の桃太郎・唾切が操った鬼の死体との乱闘で嫌な緊張もすっかり忘れていたのに、唾切と対面したことでまた思い出させられる羽目に陥った。

「ははは……っ、君Ωだったんだ?」

「……っうっ、」

「僕ってツイてるなあ。鬼神の子ってだけで最高なのに、まさかそれがΩでもあったなんてね! モルモットとしてこれ以上の逸材はいないよ? もっと誇っていい。君は、特別だ」

「……っ、だまれ……っ、ゲス野郎……っ」

最悪だ。よりにもよってコイツにバレるなんて。

京都支部で突如として始まったゴタゴタのせいで、四季は自分のフェロモンを気にかけるのをすっかり忘れていたのだ。行きの船からずっと貼っていたシートはとっくに効力を失っていて、役目を終えた今はただ四季のうなじに貼り付いているだけの物体に成り果てていた。

身体が熱い。唾切のフェロモンにやられているのだろう。コイツがαだったのも状況を最悪にしている。

「僕はツイてるけど、君は可哀想だね。鬼のΩなんて底辺中の底辺じゃないか」

「ぐっ……」

「Ωは確かに希少性は高いけど、男でも妊娠出来るってだけだし、それ以上にあちこちでフェロモンを撒き散らして誘惑するはた迷惑さのほうが上回ってるんだよね」

「ぎゃっ、ああぁっ……!」

「大丈夫、サンプルが取れたら君のことはしっかり殺してあげる。万が一孕んだりして、これ以上ウジ虫を増やされたら堪ったもんじゃないしね」

(なんで……、なんで鬼だからって、Ωだからって、そこまで言われなきゃなんねーんだよ……っ!?)

あまりにも理不尽すぎる。鬼であることも、Ωであることも、自分から望んだわけじゃない。ただ生まれた時から「そう」だっただけだ。それが悪いと言うのなら、生まれてきたことそのものが罪になってしまうじゃないか。

「そうだよ?」

「……!」

「今頃気づいたの? 鬼もΩも、この世界にいらない存在なんだよ」

「やめろぉ……!」

怒りで目の前が真っ赤に染まる。こんな屈辱的な扱いを受けても我慢しろなんて、仕方がないなんて思えない。身体中が痛いが、それ以上に心が痛かった。全力で抗ってやる。鬼でもΩでも堂々と胸を張って暮らせるようにーー。

そう決意しながら、目の前のゲスに怒りの炎を向けた。



目が覚めたら浴衣に着替えさせられて和室に寝かされていた。どこかと思ったら鬼が経営している旅館らしい。隣に腰を下ろしていた京夜が教えてくれた。自分が生きているとわかると、安堵と共に身体の奥からマグマのような熱が噴き出してくるのを感じた。内臓が燃えているみたいに熱い。

「うあ……っ、ああ! な、なんだ……これっ……!」

「……! おそらく、唾切のフェロモンに充てられた時に発散出来なかった熱が、今になって出てきちゃった感じだろうね……。抑制剤あるから、飲んで……あ、しまった、水が無い。貰ってくるから、ちょっと待ってて……」

「む……り……」

「え?」

四季は震える手で京夜の浴衣の袖を掴んだ。この震えは熱さから来るものだけではない。四季は怖かったのだ。初めてαのフェロモンに充てられたのが。無陀野も京夜も悪戯にフェロモンを撒き散らす人間ではなかったから知らなかった。あんなに恐ろしいなんて。

怒りの感情でいっぱいだった時は気がつかなかったが不安で仕方がなくて、今はひとりになりたくなかった。

「でも……薬飲まないと楽になれないよ?」

「……はき出せば、いいだろ……」

「え、」

「からだ……あつくて……がまん、できな……」

四季は京夜の大人な手を取って、昂っているそこに導こうとした。しかし寸前で止められ、やんわりと手をほどかれる。拒絶されたように感じて目の奥がツンと痛くなった。

「し、四季くん? それは流石にヤバいよ……」

「なんで……? おねが……ここに、いて……」

「四季く……」

「さわって、くれなくても、いーから……ここ、いて……」

身体の熱さは自分ひとりでもなんとか出来る。けれど心細さはひとりでは埋められない。誰かの気配が、誰かの温もりが欲しかった。ただそれだけで目の前の男にすがった。

顔が見たいのに視界が滲んでよく見えない。頭の中が茹だったような熱さで、意識も朦朧としてきた。浅い呼吸をしすぎて喉が渇く。

相手の気持ちを慮るだけの余裕は、今の四季にはなかった。

「……マズイな……これは……」

低い声が聞こえてきたかと思えば、力強く抱き締められた。男の広い腕の中で安心感を覚えた瞬間、大きな手のひらで口元を覆われ、下半身を握られた。耳元で熱い吐息と共に低い声が囁きかけてくる。

「んっ、んんぅー……っ」

「しーっ、これ以上Ωフェロモンを撒き散らされるのはマズイ。他の部屋で寝ている生徒たちにも悪影響だからね」

「ふぅん……っ、んっんっ……」

京夜が慣れた手つきで器用に陰茎を擦り上げる。指に填められている指輪の硬い異物感が余計に刺激となって四季を襲った。発情して快楽に弱くなった身体はあっという間に昇りつめられて精を吐き出す。興奮しすぎて頭が痛い。もうなにも考えられなくなって、四季の意識は暗闇に沈んでいった。



「四季くん?」

京夜は目を閉じたまま動かなくなった四季の浴衣を整えて再度布団の上に寝かせた。部屋中に充満しているΩフェロモンに熱いため息を吐きながら、京夜は閉じられたふすまを恨みがましく睨みつけた。

「ちょっとダノッチ、なんで早く入ってこないの?」

「タイミングが無かった」

「よく言うよ!」

四季とのやり取りの途中から無陀野がふすまの前にいることはわかっていたが、四季の様子のほうが気がかりで京夜からは声をかけずに黙っていたのだが、まさか最後まで静観しているとは思っていなかった。

フェロモンが漏れることを警戒してか、無陀野は必要最低限の隙間を開けて部屋に入ってきた。あまり意味は無い行為だがそれでも普通に入るよりは漏れない気がするのだろう。無陀野は妙に天然なところがあった。

京夜は汚れた手を無陀野が持ってきた手ぬぐいで拭きながら、自分には権利があるとばかりに無陀野に文句を言った。

「まったく、四季くんの面倒を見るのはダノッチの役目でしょ? 運命の番なんだから」

「……校長はそんなことを言いふらしてるのか?」

「言いふらしてるのかまでは知らないけど、校長先生から聞いたよ」

「……」

無陀野がいつも以上に神妙な表情で押し黙った。彼の葛藤は手に取るようにわかるが、そう悠長に構えていられるほど軽い問題でもない。京夜は新しい手ぬぐいで涙で濡れた四季の顔や精液で汚れた股を綺麗にしながら呟いた。

「……とにかくさ、もっと真剣に考えないと駄目だよ。彼の身の振り方についてはさ」

「……わかっている」

無陀野の手の中に握られたミネラルウォーターのボトルから雫が一滴、畳にぽとりと落ちた。



京都から帰ってきて一週間が経過した。今日は朝から晴れていて気持ちの良い一日だった。しかし授業が終わった直後、無陀野から呼び出しを食らうという最悪のイベントが発生してしまった。学生にとって教師からの呼び出しイベントほど嫌なものはないだろう。確実に良い用件なわけがないからだ。半ば強引に連れ込まれたのは空き教室だった。窓からの夕陽を背にして四季と向き直る無陀野の姿は少しだけ怖かった。

「む、ムダ先? なんだよ、こんなとこ連れ込んで……」

「まどろっこしいのは時間の無駄だから単刀直入に言うぞ。四季、俺とセックスするか」

「……」

一瞬なにを言われたのかまったく理解出来なかった。人より頭の回転が多少遅い自覚はあるが、これは脳が言葉の意味を理解するのを拒んでいるのだろう、と妙に冷静な部分で考えているあたり、きっと最初から言われた言葉を理解していた。

「あ……あのさムダ先? ゴメン俺耳遠くなったかも……もっかい言ってくれるか?」

「同じ問答は時間の無駄だ」

「わかってるけどさ、もう一回だけ」

「……はあ。これ一回で聞けよ。俺とセックスするか?」

「なんでそうなった!?」

聞き間違いでもなかった。なんだ? なにが目的だ? この堅物は生徒であり未成年の子供である四季には手を出さないと思っていたのに。というかそれ以前に四季とどうこうなる気は無いと言っていたのではなかったか。

「これは応急処置の一環だ」

「応急処置?」

「Ωはαの精液を体内に取り込むことでαフェロモンへの耐性がつくようになるんだ。ただし二週間に一度のペースでセックスをする必要がある」

「二週間……」

「もちろん強制じゃない。お前が嫌ならこの話はこれで終わりだ」

「……」

今四季は首輪とシートでαそのものへの対処はしているが、フェロモン対策は一切していない。京都でαフェロモンに充てられた時の恐怖や不安感は未だに憶えている。京夜にも悪いことをしてしまった。

その対処が出来るというなら是非やりたい。だがその方法がセックスというのは――。

「どうする?」





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