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暁人さんに抱かれた時、彼は私に自信を持たせたいと言っていた。
でも冷静に考えれば、あれは借金の〝返済〟に入っている行為なのでは……と思った。
けれどあのあと、彼は抱いた事について特に何も言わなかった。
(契約恋人なら、一回エッチしたら幾ら分とか言われると思っていたのにな……)
彼と住むようになってから契約書を渡されたけれど、そういう事については細かく書いていなかった。
暁人さんらしいなと思ったのは、もしもこの生活に終わりがくる事があっても、彼は私にいっさいの金銭を要求せず、買い与えた物なども返却しなくていいと書いてあった事だ。
恋人契約については『乙が甲を性的に求めた場合、甲は抵抗がなければ応じる。心理的、もしくは体調的に抵抗感がある場合は、偽らずに拒否すること』とも書いてあった。
何から何まで、私に都合が良すぎる。
二億のお金は、蕎麦屋との話し合いで、経営していく中で一定額を返していくという決まりはあるものの、もともとは私が暁人さんと出会わなければ、彼がお金を貸してくれる事もなかった。
だから暁人さんと同棲している今も、何かしらビジネスライクな関係を結んでいたほうが精神的には楽なのに、料理はするものの、あとはまるで恋人のように接しているので落ち着かない。
関係に線引きをするために、セックスをする時は一回幾らと、契約書に明確に書いてあれば、もっと気持ちが楽だったかもしれない。
でも、こうやって大切に扱われている事に安心している自分もいる。
一回抱かれたら幾らと言われていたら、自分をすり減らしていくような感覚を味わいそうな気がしていた。
同棲生活が始まる前は、どんなに〝家政婦〟としてきつい仕事が待っていたとしても、家族のためならやりきると決意していたはずだった。
(なのにこうやって優しくされると、勘違いしそうになるな……)
私は夜景を見ながら暁人さんに抱かれた時の事を思い出し、ジワリと頬を染める。
(……気持ちよかったな)
ウィルと付き合っていた時は、彼こそが最高の恋人と思っていた。
初めてはホテルのソファだった事も、当時の自分にとっては〝大人として扱われた証拠〟と前向きに捉えていた。
思い返せば節々で『大切にされていない』と思う事はあったのに、浮かれていた私はそれに気づかなかったふりをし続けたのだ。
――ウィルはCOOだから。
――忙しいからドタキャンされても仕方ない。
――それを大らかに受け入れてこそ、恋人。
そう思っていたけれど、私とのデートをドタキャンした裏で、彼はレティシアと会っていたのだろう。
「……全部、まやかしだったんだな」
呟いた時、聞き返された。
「何がまやかし?」
「きゃああっ!」
突然耳元で暁人さんの声がし、仰天した私は悲鳴を上げてしまった。
「しーっ、しーっ!」
その途端、大きな手で口元を塞がれ、抱き締められる。
NY暮らしが長かったため、いきなりこんな事をされたら恐慌状態になっただろうが、フワッと暁人さんの匂いに包まれたので、混乱する事もなかった。
「ごめん、ちょっと驚かせたくなったけど、タイミングが悪かったな」
そう言って笑った暁人さんは私を解放すると一歩下がり、訳知り顔で軽く微笑む。
「何か落ち込んでた? ……また思いだしてた?」
そう尋ねられ、私は言葉に迷う。
「……俺のせい?」
彼はそう続け、私の頬をそっと撫でてくる。
いたわるような手つきはとても優しく、思わず泣いてしまいそうだ。
「……ううん。私のせいです」
――そう。
――ウィルに婚約破棄されたのも、父に心配をかけてしまったのも、全部自分のせい。
心の中で呟いた私は「泣いちゃ駄目」と自分に言い聞かせ、笑ってみせた。
暁人さんは私の顔を見ると、ふ……と真顔になって尋ねてくる。
「どうして平気なふりをするんだ?」
「……え?」
彼の顔を見ると――、怒っているように見えた。
「君は、俺に弱さを見せてくれない」
そう言われた瞬間、ドキンッと胸が高鳴った。
「今まで芳乃に何があったかは、すべて聞いたから分かっている。俺は少しでも君に元気になってほしくて色々してきたつもりだけど、芳乃はいまだに俺に対して恩と申し訳なさを感じている。二億もの金を出しておいて気にするなというのは無理だけど、こうやって一緒に暮らしている〝恋人〟なんだから、もう少し弱さを見せてくれてもいいんだけどな。……もっと打ち解けてほしいんだ」
彼の言う事にも一理あると思いながらも、私にも守るべき一線はある。