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#ヒューマンドラマ
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私だけの1人の彼氏 第9話:何人かの自分、壊れた箱庭の境界線
3月15日、金曜日。朝の光の中で詩音が感じたのは、絶望だった。 実の姉である桃に心を折られ、体も心もボロボロになった日常。頭の中に響く謎の声が、詩音を追い詰める。 『殺せ……姉を殺せば、この苦しみから解放されるぞ!』 「うるさいっ!」 詩音は鏡を殴りつけた。砕け散るガラス。左手に走る激痛。それは、自分自身を壊すことでしか得られない「叫び」だった。
病院の帰り道、桃は詩音の涙を舐めとり、優しく囁いた。 「お姉ちゃんが怖くて泣いちゃうなんて、可愛いね……。帰ったら、昨日の続きをしようね。拒んだら、あの女(彼女)を殺すから」 詩音に選択肢はなかった。逃げ場のない洗脳が、彼の精神を蝕んでいく。
学校に向かった詩音は、かつての恋人・正玲凛奈(せいれい りんな)に別れを告げた。 「僕を忘れて……。僕は姉さんに犯された、最低な男なんだ」 涙を流す詩音を、正玲は強く抱きしめ、キスをした。 「悪いのはあなたじゃない。あなたは姉に洗脳されているだけよ。……それに詩音君、さっきから様子がおかしいわ。まるで、中に別の誰かがいるみたい」
そう、詩音の精神は過度なストレスにより、複数の人格に分裂し始めていた。桃に従順な「弟の自分」、桃を憎む「殺意の自分」、そして記憶を失っている「空白の自分」。 その時、詩音のスマホに桃から通知が届く。 『なんであの女と一緒にいるの?』 桃は盗聴器で、詩音のすべてを把握していた。
数日後、桃の不在を狙って正玲が詩音の部屋に潜入した。 彼女は、詩音がかつて「竹内健」だった頃の友人、光と美羽の写真を見せる。 「思い出して。あなたは竹内健だった頃、彼らと笑っていたはずよ」 写真を見た瞬間、封印されていた記憶と激しい吐き気が詩音を襲う。正玲の献身的な看護により、詩音は一時的に自分を取り戻した。 「僕……お姉ちゃんと話すよ。自分の思いを、全部伝える」
しかし、桃が帰宅する。間一髪、正玲をクローゼットに隠し、詩音は必死に平穏を装った。 桃は疑いの目を向けながらも、詩音に告げた。 「お父さんのこと、忘れたわけじゃないでしょ? あんな風になってほしくないの」
詩音は思い出した。4ヶ月前、父が不倫で家を捨てたあの日。 精神を病んだ母は、詩音の首を絞めながら叫んだ。 「あんたがこの家に来てから不幸が続く! 産まなきゃよかった!」 その狂気から詩音を救い出したのは、桃だった。 「詩音、大丈夫よ。お姉ちゃんが守ってあげるから」
桃にとって「詩音を守ること」は、母の狂気からも、父の裏切りからも、この世のすべての悪意からも隔離すること。それがいつしか、過剰な支配へと変わっていったのだ。
「今日、学校休むよ。お姉ちゃんのそばにいてあげる」 詩音の言葉に、桃は歓喜の涙を流す。 「ありがとう! 大好きよ、詩音!」
詩音は桃を抱きしめる。だが、その瞳に宿る光は、優しさなのか、それとも壊れた精神が見せる別の影なのか。 (ごめん、正玲さん。今日だけは、この『偽りの救世主』のそばにいさせて……)
少年を巡る愛と狂気の迷宮は、人格の崩壊と共に、さらに深く沈んでいく。
(つづく)
今回の物語のポイント
* 解離する精神: 鏡が割れる描写を使い、詩音の心がバラバラに壊れていることを視覚的に強調しました。
* 過去のトラウマとの連結: 母からの虐待と父の不倫という過去が、桃の歪んだ愛情に「大義名分」を与えてしまっている悲劇を描きました。
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