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#ヒューマンドラマ
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小説:私だけの1人の彼氏第10話:さようなら、弟より
「お姉ちゃん、元気になってよかったよ」 「ありがとう、詩音。……それじゃ、大学に行ってくるね」
朝の穏やかな会話。しかし、その裏側で詩音の心は、冷たい薬で無理やり形を保っている状態だった。桃が家を出た後、詩音もまた学校へと向かう。それが、全ての崩壊の始まりになるとも知らずに。
学校の門に集まる警察官、騒然とする生徒たち。
「正玲が、男たちに暴行されたんだ……」
友人の黒沢から告げられた事実に、詩音の思考は白く塗りつぶされた。自分を救おうとしてくれた彼女が、なぜそんな目に。
(僕が、彼女と別れたせいだ……。僕がそばにいれば……!)
後悔に突き動かされ、詩音は病院へ走った。昏睡状態の正玲の枕元で、彼は泣きながら謝罪を繰り返した。
「ごめん、正玲さん。君を傷つけて、本当にごめんなさい……」
だが、その懺悔を、死神のような瞳が背後から見つめていた。
帰宅した詩音を待っていたのは、静まり返ったリビングと、氷のように冷たい姉の言葉だった。
「おかえり。……ねえ、病院にいたわよね?」
心臓が跳ね上がる。必死に誤魔化そうとする詩音だったが、桃の執着は既に逃げ道を塞いでいた。 「私、見たのよ。あなたが元カノの部屋で泣いているところを……。お姉ちゃんに嘘をつく子には、お仕置きが必要だよね?」
桃の手が、詩音の髪を掴み、無理やり奥の部屋へと引きずっていく。
「嫌だ! 離して、姉さん!」 「もう我慢できない。……今日から、あなたの頭の中を真っ白にしてあげる。一生、私のことしか考えられないように」
暴力的な愛が詩音を押し潰そうとしたその時。 詩音の脳内で、パキン、と何かが弾ける音がした。
『……やめろ、と言っているだろう』
自分のものではない、低く冷酷な声。 視界が急激に暗転し、詩音の意識は底なしの闇へと沈んでいった。
…………。
「……あれ?」
次に目を覚ました時、視界に入ってきたのは、真っ赤に染まった自分の右手だった。 握られているのは、家のキッチンにあるはずの包丁。
「え……? 嘘だ……。姉さん……?」
目の前には、無数の刺し傷から血を流し、息絶えたように横たわる桃の姿があった。
変わり果てた娘の姿を見て、立ち尽くす母。 「詩音……? あなた、何を……」
「母さん、警察に連絡して。今すぐに……」
詩音の声は、自分でも驚くほど平坦だった。
一年後。
警察精神病院の高い門をくぐり、詩音は外の空気を吸った。 桃は奇跡的に一命を取り留めたが、二度と会うことは許されない。家族は完全に壊れ、詩音には新しい住居が用意された。
「1年間、ありがとうございました」
警察官に見送られ、詩音は歩き出す。 その足取りは軽く、唇には微かな笑みさえ浮かんでいた。
手元に残ったのは、血塗られた過去と、自由という名の孤独。 だが、詩音の瞳の奥には、以前とは違う「何か」が宿っている。
(さてと、行くか。……僕だけの、新しい我が家へ)
少年を巡る狂気の物語は、ここからまた、新たなページをめくり始める。
(つづく)
今回の物語のポイント
* 「空白の時間」の恐怖: 詩音が意識を失っている間に人格が入れ替わり、惨劇が起きたという構成にすることで、多重人格の恐怖を際立たせました。
* 1年後の不穏な希望: 出所した詩音が絶望しているのではなく、むしろ清々しく「我が家」へ向かう様子を描くことで、彼の精神が完全に変容したことを示唆しました。
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