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「親父、ポカンとしてた。それから大笑いしたよ。お前も、くだらない噂を本気にしてるのかって。
それから、真顔になって言った。『安藤さんは、病気で亡くなった俺の親友の奥さんで、下りた保険金を元手に、夫の故郷でカフェを開いたんだ』って。
信憑性のない噂話を真に受けて、人を貶めるようなまねをするなって、あの親父に諭されたよ」
そんな話は、伸も知らなかった。母は話さなかったし、伸も聞いたことがなかったから。
「とにかく、俺の勝手な思い込みで、お前に、たくさんひどいことをした。たとえ親父が何をしたとしても、それで嫌がらせをしていいってことにはならないし。
お前が、だんだん痩せてきて、もしかしたら俺のせいかもって思っていたけど、ついに入院しちまったときは、内心びびったよ。そうしたら、今度は、お前が洋館で倒れてたって聞いて、やっぱり、俺が無理矢理、肝試しなんかさせたせいだって……」
松園が、苦しげな表情で目を伏せる。
伸は、あわてて言う。
「別に、そういうわけじゃないよ。俺、そんなに怖がりなほうじゃないし」
松園が、伸の顔を見た。
「お前って、お人好しだな」
「え?」
「ここは怒っていいとこだぞ」
「そう?」
松園が、ふっと笑った。
「そうだよ」
それから松園は、椅子から立ち上がった。
「とにかく、いろいろすまなかった。ごめん。もう二度と、嫌がらせをしたり殴らせたりしないから、元気になって、また学校に来てくれ」
そして、深々と頭を下げる。
「あっ、そんな。いや、わかったよ。」
松園は、お辞儀をした姿勢のまま動かない。
「もう頭を上げてよ。松園の気持ちは、よくわかったから」
ようやく上体を起こした松園に言う。
「いろいろ話してくれて、うれしかったよ。父親の話は、俺も知らなかったし」
「そうなのか?」
伸はうなずく。
「松園のことを責められない。俺も、もしかしたら母親は、お前のお父さんの援助を受けていたのかもって思っていた。
だから、怖くて、自分の父親のことや昔の話を聞くことが出来なかったんだ。俺こそ、信憑性のない噂話を真に受けて、母親や、お前のお父さんを貶めていた」
松園が言った。
「俺、もしかしたら、お前と異母兄弟なんじゃないかって思って……」
「それ、俺も、ちょっと思った。それだけは勘弁してほしいって」
目が合った後、ほとんど二人同時に噴き出した。
次の日、やって来た母に、サイドテーブルの和菓子の袋を指して言った。
「昨日、同じクラスの松園が持って来てくれた」
「あらそう。あの松園さんの息子さん?」
「そう」
「あなたたち、仲がいいの?」
「そういうわけでもないけど」
「ふぅん……」
不思議そうな顔をしてから、母が言った。
「開けてないの? せっかくだから、いただけばいいのに。あなた、あんこ好きでしょう」
「うん。お母さんと一緒に食べようと思って」
「あら。かわいいこと言うじゃない。じゃあ、お茶を淹れようか」
そう言いながら、さっそく袋を開けている。
「お母さん」
「なぁに?」
袋を開けることに集中している母は、生返事をする。
「今度、お父さんの話を聞かせてよ」
母が手を止めて、、意外そうに伸の顔を見た。
「めずらしいことを言うわね。興味がないのかと思っていたけど」
確かに、急に取ってつけたみたいで不自然だっただろうか。なんだか気まずくなって、伸は、鼻の頭を掻きながら言った。
「まぁ、心境の変化っていうか」
「死にかけて、考え方が変わったとか?」
「えっ。母親が、そういうこと言う?」
それから数日後には退院し、さらに数日、自宅でゆっくりした後、伸はまた、学校に通い始めた。
行彦のことを思わない日は一日もなかった。多分、もう会うことは出来ないのだろうが、今も行彦のことを愛しているし、いつでも目を閉じれば、鮮明に、その姿を思い浮かべることが出来る。
毎夜、自分の部屋のベッドで、行彦の美しい顔や体、息遣いや香り、行彦との行為の一つ一つを思い返しながら、熱くたぎる自分の体を慰めた。
一度、以前のように、夜中に、こっそり家を抜け出して、洋館があった場所まで行ってみた。三階建ての大きな建物は跡形もなくなり、がれきも、すでに撤去された後で、闇の中に更地が広がっているだけだった。
それでも、行彦が現れるのではないか、姿は見えなくても、気配を感じ取ることくらいは出来るのではないかと思い、長い時間、その場に立ち続けていたのだが、空が白み始めても、ついに何も起こらなかった。
それでも、まだ諦め切れなかった伸は、学校の休み時間に、窓際で、滋田たちと話している松園のそばまで行って話しかけた。
「あの、ちょっといいかな」
滋田と古川が、怪訝そうに伸を見る。
「あぁ」
松園は、二人をその場に残し、先に立って廊下に出る。
「なんだ?」
「ちょっと頼みたいことがあるんだけど」
「俺に出来ることなら」
伸は、立花芳子にコンタクトを取りたかったのだ。それで、松園に、彼女の連絡先がわからないかと尋ねると、その日のうちに、父親が持っていたという、立花の名刺の画像をスマートフォンに送信してくれた。