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呼吸を整えてから、少し緊張して震える指でインターホンを押した。
『…はい。』
「か、河目です…。」
『…どうぞ。』
出迎えてくれたのは、先ほど電話で約束をした坂城くんの父親だった。
俺は玄関に入るなり、鞄から白いノートを差し出す。
アルバムの間に紛れていた、あのノートだ。
「お電話でもお話ししましたが、他人が見ていいものかわからなかったので…。」
ゆっくりとノートを受け取り、父親はこちらには見えないようにめくっていく。
1枚、1枚…。
少し眉根を寄せながら、ページを進める。
俺はかすかな呼吸の音と、ページのめくる音だけを聞いていた。
「…君から見て、息子はかわいそうに見えるか?」
「……え?」
思わぬ質問に、俺はびくりと大袈裟に体を揺らした。
“かわいそうに見えるか?”
母親を失ったから?
…意図が読めない。
同意してほしい、という風には見えないし、そもそも俺自身、あまり思っていない。
気の毒とは思うが、こういった境遇は珍しくもない。
現に、知った境遇に和織がいる。
「…いえ、思いません。ただ、…。」
「…ただ?」
「息子さんに心残りがあるように、奥様も、心残りがあったと思います。」
その溝を、少しでも埋めたい。
そんな気持ちを込めて、真っすぐ見つめれば、坂城くんの父親は少し眉を下げて笑った。
呆れたような笑いは、俺じゃない誰かに向けられていて。
なんとなく、自分自身に嘲笑したようにも見えた。
「そうだろうね…。なにせ、本当に急だったから。」
そう言って、ノートをこちらに向けた。
受け取らず、視線だけで文字を追えば、一言日記のような文章が綴られていた。
『龍の反抗期。覚悟はしていたけれど、やっぱりイラついてしまう。』
『子宮がんが見つかった。とはいえ、今すぐどうということはないみたい。
龍の高校受験もあるし、今は黙っておこう。』
『旦那は龍に何も言わない。叱る時は叱るけど、もう少し世間話くらいしたらどうなの?』
『買い物に来ていて、今日が母の日だったと気づく。
旦那と龍で花を買ってきてくれたのは、何年前だったろう?』
『最近、龍と口喧嘩が増えた。』
『大人なんだから、我慢しなきゃいけないのに、つい売り言葉に買い言葉。
言ったあと、龍も少し戸惑った顔してたのに。
明日こそ、言い返すのをやめよう。』
多分、俺の知る限りでは、ごくごく一般的な、普通の母親の日常だ。
母親は、やっぱり龍くんの気持ちを分かっていた。
反抗期で、思わず心にもないことを言ってしまうこと。
大人なら大体わかるだろう。
ほとんどの人が通ってきた道だ。
きっと、坂城くんのご両親も。
だからこそ、龍くんの気持ちがわからないはずがない。
正直、坂城くんが言うように、これがあればヘヴンズ・レターなんていらないのかもしれない。
それでも自分に書いた文章と、人に書いた文章の温度は違う。
「…坂城くん…、龍くんに、見せますか?」
俺の問いに、父親はノートの向きを戻して、視線を落とす。
視線を少し、さ迷わせてから俺と目が合った。
「……情けない話、迷ってるよ。
見られたくない妻の気持ちもあるし、親の威厳もある。」
わからなくもない。
俺の母親も、こういうのを書いていたら見せたくないだろうと思うし、
俺自身、つけてはいないが、もし日記を書いていたら見ずに燃やしてほしいと切に思う。
けど、この日記でしかわからない、気持ちがあるのも確かだ。
少し考えてから、俺はやっぱりそこにある想いを、なかったことにしたくなかった。
「…不躾ですが、俺は、見せた方が良いと思います。」
「…理由は?」
「これだけ、自分の事を思ってくれてると知れたら、…自分なら嬉しいからです。」
鋭くなった父親の視線に目を逸らしかけるが、俺は拳を握ってもう一度強く見つめ返す。
…伝われ。
「…貴方も子供だったなら、…わかるはずだ。」
沈黙の間、視線が逸らされることはなかった。
1分、いや5分は経っただろうか。
まるで一時停止された動画の様に、どちらも動かない。
永久のように長く感じたこの場を、父親が視線を落とすことで崩した。
「…子供だった…、ね。」
俺の言葉を、反芻するように呟く。
ノートを閉じて、頭を隠すようにすると、今度は方が震えた。
「…はは、なんで年を取ると忘れてしまうんだろう。
そうだ。…私も、子供だったんだよ。…龍と同じように…。」
声色から、どこか後悔が滲む。
…伝わったのだろうか?
俺は震えそうな足に力を入れて、一呼吸置く。
人と立ち向かうことは怖い。
文章は良い。
ゆっくり時間をかけて、伝えることができる。
けど対面の言葉には返答に時間をかけられない。
返事を無視されたと思われたり、言葉を迷ってる間に次の話題へいってしまう。
だからと言って考えずに返事をすれば、相手に間違って伝わることがある。
悪意はなくても、受け取り手によっては中傷と取られたりもする。
嫌な過去を思い出しかけて手汗をズボンで拭った。
「…龍に見せて、妻の言うように、もう少し向き合ってみるよ。
…親の頭ごなしの言葉が、私は一番嫌いだった。
いつからか、…”視線を合わせる”そんな簡単なことすら、忘れてしまっていたんだな。」
「…そのノート、龍くんが見た後、よろしければ少しお借りできますか?」
「ああ。龍に伝えておくよ。」
「ありがとうございます。…それでは、失礼します。」
内心、ほっと胸をなでおろし、軽く会釈して玄関の扉を開ける。
右足を一歩外へ出したところで、後ろから声が聞こえた。
「……すまなかったね。」
振り返れば、どこか居心地の悪そうな顔をした父親が、こちらを見ていた。
俺は少しだけ口角を上げて、「また、連絡します。」と、もう一度頭を下げてドアを閉めた。
それから数日後。
いつも通りの作業で俺が文章を考え、改めて借りたノートを参考に和織が便箋に綴る。
龍くんの母親からの手紙は、完璧な筆跡で完成した。
今回は否定から入ってる上に、本人の意思で依頼はされていない。
受け入れてもらえない可能性の高い手紙。
ハードルは高いものの、逆に考えれば誰にでも届くものではない。
あくまで、少し掛け違えているボタンを治すとか、ほんの些細なことのきっかけになればいい。
手紙は主役じゃない。
想いを伝える手段なだけだ。
それだけなのに。
見慣れた狭い部屋で持ち上げたシンプルな白い手紙。
数枚の紙が入っただけの封筒が重く感じた。
手紙ひとつで、人生が変わるわけじゃない。
頭の奥で、少年の声がする。
ー『なんで、そんなこと言うんだよっ!』
ー『俺の気持ちなんて、わからないくせに!!』
言葉を伝えるための口なのに、うまく紡げない。
『違う、そんなことを言いたかったんじゃない。』
そう伝えても、相手には伝わらない。
もどかしい。
自分の想った言葉が、相手にうまく伝わらない。
それどころか、違う受け取り方をされる。
昔からだ。
そんなことを言いたいんじゃない。
なのに、わかってもらえない。
せめて返事に時間をかけれたらいいのに、会話のテンポについていけない。
相手の受け取り方を考えて返事をしていたら、時間が足りない。
会話って、どうやってするんだ?
学生服を着た自分が、頭を抱えてうずくまる。
そんな自分を、遠巻きに見つめているのに、助けることができない。
いや、助ける術がわからない。
何故なら、自分もまだ、答えを見つけれていないのだ。
ふと、持っていたはずの手紙が宙に浮いた。
「僕は好きだよ。」
どこかぼんやりとした空気の中、凛とした声が聞こえた。
手紙を持ち上げたのは、和織だった。
手にした手紙を持ち直して、また、俺にゆっくりと手渡す。
「おじさんの文章。」
「……俺じゃない。龍くんの、…母親の文章だ。」
「でも、本物じゃない。」
どこか突き放すように冷たく感じて、言葉が体に刺さった錯覚がした。
けど、事実だ。
この手紙は偽物。
本物の手紙なんて、存在しない。
受け取った手紙ごと、腕をだらりと下ろす。
そんな俺の両肩を、和織が力強く掴んだ。
「…偽物だから、…伝わることもあるんだよっ!
だから、桜太郎さんが書いたんでしょ!自信持ってよ…っ!!」
ぼやけていた景色が、はっきりとしてくる。
…そうだ、。
俺は伝えるために書いたんだ。
何も持っていなかった自分じゃない。
今の俺には、ペンがある。
「…俺、そんなにヤバい顔してたか…?」
「しにそーな顔してたよ。」
心配をしてくれていたのか、ふくれっ面で言う和織に薄く笑う。
謝罪と感謝の意味を込めて、頭に手を置いて軽く弾ませた。
「悪い悪い。……ありがとな。」
「……その辺の高校生の方がさ、話しやすいこともあるかもよ。」
不貞腐れた顔のまま呟かれた言葉は、どこか聞き覚えがある。
ファーストフード店の情景が浮かび、気づいて鼻で笑った。
俺が最初に、声をかけた時の台詞だ。
「…かもな。」
そう笑って、いつものバッグを持ち、玄関でスニーカーを履く。
「…っし!…渡しに行くか。」
振り返れば、にんまりとした笑みで元気に頷く和織。
人を救えるとは思っていない。
そんな大層なこと、するつもりもない。
ただ、ほんの少しでも、伝えきれなかった想いが伝わればいい。
それだけだ。
「河目です。坂城くん、今日時間あるかな?」
『大丈夫っす!…あ、そしたら…。』
続いた坂城くんの提案に、和織は隣でピースサインをした。
「こんばんは!」
「おつかれー。」
「こんばんは、急でごめんね。」
指定されたファミレスには既に坂城くんがいて、俺たちは向かいに座った。
今日は金曜日。
お父さんに、「外せない飲み会があるから、夕食を1人で食べてくれ」と頼まれていたらしい。
そこに都合よく俺たちから電話があり、こうして一緒に夕食を食べようと誘ってくれたのだ。
「手紙、…ですか?」
察しのいい坂城くんが、少しソワソワしながら聞いてきた。
本物じゃないならいらないと言っていたけど、やっぱり気にはなるよな。
俺が返事をする前に、隣でメニュー表を見ていた和織が空気を壊すように明るく言った。
「うん。でもまずはご飯食べよ。僕このチーズハンバーグとチキンセットー!」
小学生のような無邪気さに呆れながらも、いつもの事か、と自分のメニュー表を眺める。
ちらりと前の様子を窺えば、坂城くんも苦笑いを浮かべていた。
どうやら幼少期からこいつはこんな感じらしい。
「そうだな。じゃあ…俺はミックスグリル大盛で。」
流石体育会系。
ただでさえ肉々しいボリュームのメニューを大盛でいくらしい。
若いなぁと感心していれば、隣から視線を感じた。
「おじさんも同じのにする?」
「胃がもたれるわっ!若い奴と一緒にするな!」
けらけらと悪意なく笑う和織を軽く小突いて、注文ボタンを押す。
少しだけ、若い2人が羨ましく感じながら、自分はおろしハンバーグセットを注文した。
コメント
1件
うわぁ…温かい気持ちになった🥺 河目くんが父親と向き合って、ちゃんと「伝えた」のがすごく良かった。「私も子供だったんだ」って気づくシーン、じーんと来たよ。大人になると忘れちゃうよね。 和織の「偽物だから伝わることもある」って言葉、この作品のテーマそのものだなって思った。重くなりすぎず、少し笑わせてくれる和織の存在、めっちゃいいバランス🌙 次、ファミレスで手紙渡すんだね…ドキドキする。応援してるよ!