テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
5件
未熟な日本君は美味しい
グッ、てえてえ……
愛煙家nicoさまという神絵師さまの設定をお借りしました。
バリバリ旧国、なんなら主人公。今後は戦争描写も入る予定です。
苦手な方は記憶ごとブラウザをご消去願います。
ぱちん。
乾いた音が薄闇に弾けた。
同時に、右の頬にじんわりとした熱が走る。
ぬるい痛み。
微かに呻くと、遠くでくふくふと誰かが笑っているような声がした。
薄く瞼を上げる。
視界は霞んでいて、夢の続きのようだった。
天井に星座のように散らばるシミ。木の梁には、障子の影が写っている。
「……なんだ、夢か………。」
呟いた瞬間、ぱちん、と頬を打つ音がした。
急速に意識が浮上する。
明らかな攻撃。標的は見えない。
刺客か、あるいは新手の攻撃か。
反射的に防御の構えをとった視界の端に、ありえないものが映り込んだ。
右手が、勝手に動いている。
「………は?」
思わず声が漏れる。
当然だ。
右手は自分の意思に従って、床下の曲者を探るため、床を叩いているはずだったのだから。
それがなぜか、自身の右手は楽しげにぶらりぶらりと宙をかき回している。
〈やっとおきた〜!〉
どこか弾むような、子どもじみた声。
あたりを見回しても、人っこひとりもいない。
〈ぺちぺちしてあげてたのに、ぜんぜんおきないんだもん!〉
気のせいではない。
この弾むような、子どもじみた声は、どうやら自分の頭に直接届いているらしい。
恐る恐る右手を見やる。
「……お前……いるのか……?器の中に。」
〈ここせまい!ねぇ、おそとがいい!〉
あどけない声が弾む。
右手の中……いや、もっと深いどこかに、別の何かがいる。
しかもそれはコロコロと転がって、落ち着きがなくて。
暴れたくて仕方のない子供のように、意思と感情とを持って、確かに存在している。
常識の枠を飛び越えた状況に、脳内で警鐘が鳴る。
あの伝承のことを思い出した。
__ひとつ。器は世代を超えて受け継がれる。
__ふたつ。役目を終えると、古い魂は追い出される。
__それが、国なるものが故に。
「……継承、か。」
呟いた声は、墨の足りない筆のように掠れていた。
けれども妙だ。
自分の記憶にある世代交代は、もっと穏やかで静かなものだったはず。
少なくとも、このようにピンピンと活動している状態ではない。
先代の役目が潰えたある日、気がつくと意識を掬い上げられて、少しばかりの記憶と共に器に収まる。
それが自然の摂理ではなかったか。
「……お前、なぜいるんだ。」
〈しらない!〉
尋ねてみても、幼い魂は外に出たいと繰り返すばかり。
シワの寄った眉間を揉んで息を吐いた。
「わかったわかった。庭を見せてやる。」
〈おそと!?〉
「あぁ、一応な。」
障子を開くと、枯山水の小さな庭が顔を出した。
きゃっきゃとはしゃぐ幼子に、紫陽花の葉を好きにいじらせてやる。
「私は日帝だ。お前は?」
〈にってー?じゃあ、ぼくもにってー!〉
「……ないならないと言え。」
朝露の冷たさに目が冴えて、徐々に思考が状況を整理し始める。
まず、この子は恐らく次の化身だ。
そして、かなり未熟な精神しか持ち合わせていない。
通常眠っている間に成人程度には成熟するはずなのだが。
瓦礫の山が頭をよぎる。
こんな状況だ。
器の劣化が早まっても仕方あるまい。
この子は想定より随分早く目覚めてしまったのだろう。
〈ねぇ、あれなぁに?〉
ふと、手が一点を指す。
庭の隅をふわふわと漂う何か。
「蝶という虫だ。白いだろう?紋白蝶という。」
〈ねーぇ、つかまえて!!〉
「嫌だ。鱗粉がつく。」
まぁ、少しずつ教育していけばそれでいい。
煤くささの漂う朝の空気を吸い込んで、暴れる右手を律しながら伸びをした。
***
「こら。きちんと字を書け。」
くふくふと、イタズラの成功を喜ぶ声が頭に響く。
「ちょっと大人しくしてくれ……仕事が進まん……。」
〈やだ!あそぶ!〉
不運なことに俺は右利きだ。
押印すれば、版を逆さにされる。
書類を読めば、ページをの端を引っ張られる。
ペンを持たせれば、文字の途中でぐるぐると落書きを始める。
「あのなぁ……いずれ代替わりすればお前のやることになる仕ご……」
〈かけた!〉
無邪気な声でそう言われれば、大人しく机の上にいるだけで偉いか、などと思ってしまう。
〈これにってー!〉
資料の隅の歪んだ線も、中々自分に似ているような気がしてくるのだから不思議だ。
「……お前、中々上手いな。」
〈ほんと!?やった〜!にってーほめた〜!!〉
かくして、奇妙な共同生活が始まった。
〈あちっ!?〉
「頑張れ。日本男児だろう?」
台所でおむすびを握る時も。
〈ほこりっぽい!〉
「掃除中だからな。」
畳の上をはたく間も。
何かしらの声がする。
家族ができたようで悪くない。
そんな風に思うようになった自分がいることが、ひどく不思議だった。
(続く)