<2>
★高円寺──某所 笠木自宅アパート
_________________
カーテン越しに差し込む春の日差しが、淡いオレンジ色の影をアパートの薄いカーペットに落としていた。窓を少し開ければ、外からは子どもたちのはしゃぐ声と、どこかの家の洗濯機の音が微かに混ざって聞こえる。向かいのアパートのベランダでは、色とりどりの洗濯物が風に揺れ、誰かの「はっくしょん!」という大きなくしゃみが、のんびりとした昼下がりに響いた。
六畳一間の狭い部屋。テーブルの上には、飲みかけのコーヒー缶と、ところどころ書きなぐられたネタ帳。シャーペンが数本転がり、その隙間に消しゴムのカスが散らばっている。部屋の隅にはギターケースが無造作に立てかけられ、埃をかぶった黒い布カバーの上には、いつ買ったかわからない缶ビールの空き缶が一つ転がっていた。 テレビは音を消したまま情報番組を映し、画面の端でテロップだけが忙しなく流れている。時折、リポーターの動きだけが大げさに映り、何を言っているのかはわからないが、妙に騒がしい。
「~だから、そのシンプルスターの秋野君、おもしれーと俺思うんだよね。」
「へぇ〜、そうなんだ」
相方の田原は、タバコをくわえたまま気だるげに台本をパラパラとめくる。彼の指先はヤニでわずかに黄ばんでいて、無造作に捲られる紙が時折、灰を巻き込んでふわりと舞った。 細く立ち昇る煙が、薄暗い部屋の中でゆらゆらと揺れる。
部屋の空気には、タバコとコーヒー、それにわずかにインクの匂いが混じっていた。
「いや、だってさ、その秋野ってシンプルスターの秋野でしょ? 秋野ってさ、なんかこう…大人しいじゃん。話しかけづらいし…なんか、その、人と距離取ってるっつーかさ」
「お前も言うなよ! みんなそう言うけどさ、あいつ別に暗いわけじゃねーんだよ。ただ、人見知りしてるだけで、慣れたら普通に喋るし、むしろノリいいくらいだぞ」
「ふーん……マジ?」
田原はようやく顔を上げ、ほんの少しだけ興味を引かれたような顔をする。それがなんとなく嬉しくて、俺は続けた。
「俺、酒の席でいつか一緒に俺たちとあっちでコントライブやろうぜって言っちゃった」
「へえ…」
またしても気の抜けた相槌。俺は少しムッとしながらも、それを表に出さずに、テーブルのネタ帳を指で弾いた。
「なんだよ、その『へえ…』って反応」
田原は肩をすくめ、タバコの先を灰皿に押し付ける。ジュッ、と音を立てて細い煙が立ち上る。その動作に、ほんの少しだけ笑みを浮かべているのが見えた。
「別に? まあ、笠木がそう言うなら、意外といい奴なんだろうなーって」
「お前も食わず嫌いせずに、一回ちゃんと話してみろって。田原、そういうとこあるからな」
「はは、そりゃどーも」
どこか飄々とした笑みを浮かべながら、田原は腕を伸ばし、後頭部を掻く。
ネタ帳を適当にめくりながらも、完全に興味がないわけではなさそうだった。
「で? そのライブの話、もう決まってんの?」
「まだ日にちは決まってねーけど、俺らと秋野たちでやるのはほぼ確定」
「ふーん……まあ、面白そうじゃん」
「だろ?」
適当な相槌を打たれたのに、なんだかんだ興味は持ってそうな田原の態度に少し安心する。
俺が盛り上がってることを鼻で笑うような奴じゃないのはわかってる。
「じゃ、そっちのネタ作りも頑張って。」
田原が軽く俺の肩を叩く。指先がタバコの匂いを残して、かすかに衣服に染み込んだ気がした。
ちょっとだけむかつくけど、まあいい。 ──日にちが決まれば、また秋野くんに会える。
それを考えると、なんとなく今から楽しみになってきた。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!