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桔流が見覚えがあると言ったその客が、警視庁主催の講演会で“主催側に居た”のであれば、つまり、そのオオカミ族の客は、警察関係者か、あるいは、講演会のスタッフと判ずるのが妥当であろう。
(――と、なると……、あの――“私立探偵さん”とは、一切関係なさそうね……)
法雨は、落胆と安堵の共存に戸惑う心を宥めながら、男の事を思い出せた爽快感で未だ喜々としている桔流の言葉に、耳を傾けた。
― Drop.011『 The EMPEROR:U〈Ⅱ〉』―
「――少し前、事務所に講演会のお知らせが来てて、その時、一応、と思って参加した時の事なんですけど」
桔流の云う“事務所”というのは、彼が所属する芸能事務所の事だ。
桔流は、法雨のバーのスタッフであると同時に、雑誌モデルも生業としているのだった。
「――その講演で、犯罪対策と犯罪心理について、オオカミ族の警視正も講壇に立ってたんですよ。――で」
「えっ、け、警視正ですって……!?」
「え? ――はい」
法雨は、予想だにしなかった言葉に思わず声をあげる。
「――ヤダ。ちょっと、アナタね。――そんなお偉いサマがこんな庶民的なバーに来るわけないでしょ。――スッキリしてるトコ悪いけど。きっと、その方は、その警視正のそっくりサンよ」
かつてより現代も変わらず、警察関係者や医療関係者、学者、政治家などと云えば、社会的階級の上位に坐する者たちだ。
そして、その警察階級の中でも上位である警視正などという階級に坐するとくれば、特殊な理由でもない限り、庶民が大勢行き交う繁華街のバーなどに単身で訪れるわけがない。
「――う~ん。そうですかねぇ~……。――最近は、そういう階級差的な意識も緩和しようって流れもありますし、お忍びとかも意外とあるって聞きますし~……」
とは云え、確かに、桔流の云うように、お忍びであれば――庶民的なバーに訪れる事も、あり得なくもない話ではある。
「――って云っても、流石にお付きの人は居るわよ……。――でも、その方はお一人なんでしょ?」
「――ですね。――その方以外は全員常連さんですから、カモフラージュして付いてきてるみたいな、そういうお付きの人も居ないと思います」
その桔流の回答に、法雨は改めて気を緩めると、デスクチェアに身を預ける。
「――じゃあ、“ない”わ。その方は、正真正銘、ただのそっくりサン。――王子様の城下町へのお忍びなら、お付きの方は必須よ。――まったく。驚かさないでよね」
「え~? そうですかねぇ~……。――でも~、めっちゃ似てますよ~?」
「――アナタも強情ねぇ。――講演でちょっと見ただけの曖昧な記憶だから、補正がかかってる似てるように見えてるだけよ。――それと、もしそうだったとしたら、それはそれで、騒ぎ立てるのはご迷惑でしょ。――だから、いずれにしても、変に気にしないでおきなさい」
「あぁ、まぁ……、それはそうですね……。――分かりました。これ以上は気にしないでおきま……――あ、でも……、――もし本物だったとしたら、法雨さん。――王子様に名前知られてますよ?」
さ、この話はおしまい――と云わんばかりにデスクに向き直っていた法雨であったが、桔流のその言葉に、反射的に眉間に皺を寄せる。
「――もう、やめてちょうだいよ。――アタシ。やましい事なんて何もしてないんだから……」
そんな法雨に、楽しげに笑うと、桔流は首を傾げて言った。
「アハハ。なんでそうなっちゃうんですか。――王子様と城下町の“乙女”なんですから、ここは運命的なストーリーでいきましょうよ」
「――やぁよ」
その桔流の提案にツンと口を尖らせると、法雨は続けた。
「――だって、その王子様、“憲兵”が本職なのよ? ――そんな王子様とのストーリーなんて、息苦しくて、自由な暮らしを愛する“乙女”からしたら、願い下げなストーリーよ」
桔流は、その言葉で法雨の意図を理解すると、また楽しげに笑った。
「――あぁ~、ハハハ。――なるほど。なるほど。――それは確かに」
そんな桔流とのやりとりの後――、なんだかんだ言ってその男の正体が気になり始めてしまった法雨は、結局、業務に戻る桔流を見送りつつ、ちらとフロアを覗いた。
そして――、思わず己の目を疑った。
実は先ほど、法雨は念の為にと、例の講演のパンフレットを桔流に見せてもらったのだが――、なんと、そこに掲載されていた警視正の顔は、あの私立探偵――、若いオオカミたちのヒーローでもある――あの“雷”にそっくりだったのだ。
さらには、下の名こそ違えど、そこに掲載された警視正の姓までもが、雷の姓と同じ――“円月”であった。
そして、今、法雨のバーで酒を嗜んでいるそのオオカミ族の客も、あの“雷”に違いなかった。
(一体、どうなってるの……)
一体何が真実なのか、困惑しきりの中ではあったが――、いずれにしても、法雨には、ようやっと店に訪れたあの男に、伝えなければならない事があった。
法雨は、改めて気を取り直すと、雷が注文していた次のオーダーを、自らが運ぶことにした。
💎
「――失礼いたします」
「――あぁ。――どう、も……」
丁寧に断りを入れ、法雨が雷の前に丁寧にグラスワインを据えると、礼を告げながら顔を上げた彼は、しばし驚いた様子で法雨を見た。
その様子に、法雨は静かに苦笑し、改めて挨拶をした。
「お久しぶりです。――で、合っておりますでしょうか」
すると、雷は穏やかな笑みを浮かべて言った。
「ははは。――えぇ。合ってます。――お久しぶりです。――法雨さん」
法雨は、それに同じく微笑んで応じる。
やはり、この店を訪れていたこの男は、法雨が知っている“あの雷”で違いないようであった。
(――やっぱり、間違いなかったわね。――まぁ、アタシの名前を知っていた事には驚いたけれど……、それは多分、探偵だから――と云うよりは、きっと、京たちと話している時にでも知ったんでしょうね)
「――あれから、お加減はどうですか?」
そして、思考を巡らせながらも、法雨が礼を告げようとすると、先に雷が問うた。
法雨は、その不意の問いに、少し驚きながらも笑顔で応じた。
「――あ、えぇ。――お蔭様で、――変わりなく元気です」
雷は、それに安堵したようにして笑む。
「そうですか。――それは良かった。――安心しました」
法雨は、その雷の笑顔と言葉、そしてその声に、胸が満たされるのを感じながらまたひとつ笑みを返すと、次いで、姿勢を正し、静かに頭を下げた。
「――あの、雷さん。――改めてになりますけれど、――その節は、大変ご心配をおかけしました。――それと、その……」
雷は、そうして頭を下げる法雨に、とんでもない――とでも云うようにしてその身を向けたが、何かを言いたげに言葉を切った法雨の様子から、言葉の続きを待つ事にしたのか、伺うような表情でしばし黙した。
そんな雷に見守られながら、法雨は紡ぐ。
「――この間は、酷く失礼な態度をとってしまい、――大変申し訳ありませんでした……」
「え……?」
法雨と京たちが、共に救われるきっかけとなったあの日以来――、法雨は、あの日の雷に働いた様々な無礼と、その厚意を無下にした事を、ただただ謝りたくていた。
だからこそ――、どんなに酷い事を言われようとも構わないと覚悟した上で、雷に謝罪をした――のだが、――当の雷はと云えば、その謝罪を受けると、酷く不思議そうにして首を傾げた。
法雨は、そんな雷の様子にしばし驚きながらも、ふと、菖蒲の言葉を思い出す。
(――確かに、“そんな事なかった”わね……。――お叱りや嫌味を言うどころか、不思議そうにするなんて、覚えてもないのかしら……。――ほんと、どこまで“善いオオカミ”なのかしらね。――この人は……)
そして、どうやら菖蒲の直感通りの人柄あったらしい雷にひとつ苦笑すると、法雨は続けた。
「――あの日。――見ず知らずの身ですのに、助けて頂いた上、沢山のお気遣いまで頂いたのに、アタシったらあんな物言いをしてしまったので……。――ずっと、その事をお詫びしたかったんです……。――それと、助けて頂いたお礼も……。――本当に、今更ですけれど……、――あの時は、助けに来てくださって、本当に有難うございました」
そんな法雨が、再び頭を下げると、雷はやっと法雨の意を理解したのか、穏やかに苦笑した。
「――ははは。そういう事でしたか。――その事でしたら、詫びも礼も要りませんよ。――あれは、俺が勝手にやった事ですから。――あぁ、それよりも」
「――?」
その中、しばし真剣な面持ちとなった雷に、法雨が不思議そうにすると、雷は声を小さくして続けた。
「――あれから、トラウマになっていたりとか、あるいは、――俺を前にしても、特に不安を感じるような事も、ないでしょうか……」
「――え? ――えぇ。そうですね。――トラウマになったりはもちろんですけど、――雷さんを前に、不安になる様な事もありませんわ」
法雨は、それに応じつつも、首を傾げた。
そんな法雨の返答に、雷は再び安堵した様子で言った。
「そうでしたか。――それなら良かった。――やはり、あれだけの事を経験された後ですから、例え加害者ではなくとも、俺もまた、あの時の嫌な記憶をフラッシュバックさせるような要因になっているのではと考えていたもので……」
「――ま、まぁ。そうだったんですね。――それはまた、余計なお気遣いをさせてしまって。――でも、アタシ、そんな事は全然な……」
雷の底知れぬ心遣いに感銘を受けつつ、雷を安心させるべく言葉を紡ごうとした法雨だったが、咄嗟にとある記憶が過り、思わず口を噤む。
なぜ、今日と云う日まで、この店に――、法雨の前に――雷が姿を現さなかったのか、と云えば、――それは、“そういう事”だったのだろう。
「――あ、あの、――もしかして、――だから、これだけ長い時間を空けてから、ここにいらしたんですか?」
驚きながら法雨が問うと、雷は苦笑し、頷くようにして言った。
「ははは。鋭いですね。――えぇ。――実を云えば、――そうです」
「――………………」
“そのような事”までを考えたからこそ、敢えて、すぐには様子を見に来ないという判断をした雷に、法雨は心底感心した。
(これも、探偵業の経験から来るものなのかしら……。――依頼の内容によっては、そういう事もありそうだものね……)
また、恐らく、雷がそのような選択をした理由は、法雨が孤独の身ではなかったから――という事も、ひとつあるだろう。
まず、法雨には大切にしている従業員たちがおり、彼らとの関係は良好そのもの――ともなれば、店以外での人付き合いも良好である可能性が高い事から、頼れる友人の存在もすぐに想像はできる。
そして、その事を踏まえれば、その中で最も親しみの浅い雷が、法雨の様子をいち早く確認しにゆく必要性は非常に低く、さらには、雷が推測したように、もしも京たちとの事が酷いトラウマにでもなっていたとすれば、その場合、雷がフラッシュバックのトリガーとなる可能性も大いに考えられる。
(――そう考えたら、確かに、アタシに会うとしても、十二分に時間を空けてからの方が、いいに決まってる……)
法雨が何か月も深く後悔し続けるほどに酷い態度をとったにも関わらず、雷はその間もそうして、ただ、法雨の身を案じてくれていた。
(――本当に……、――アタシには勿体ないくらいの、優しい人ね。――絶対に、もう二度と、アタシみたいなのがお世話になんてなってはいけない人だわ)
法雨は、そんな深すぎる優しさだけを丁寧に受け取るようにして、心の内で抱きしめると、雷に微笑み、言った。
「――そんなお気遣いまでして頂いて、本当に有難うございます。――でも、安心してください。――アタシ、本当に何ともありませんから。――あの時にも言いましたけど、アタシ、――雷さんが思われるほど、か弱くないんですよ?」
すると、雷は、降参――と云った様子で笑いながら言った。
「――確かに。――とても強いお心をお持ちようですね。――恐れ入りました」
そんな雷に、法雨は悪戯っぽく上品な笑みを返す。
「ふふ。――こちらこそ、恐れ入りますわ」
そして、それからしばし、雷と静かに笑い合った後――、法雨はまたひとつ紡いだ。
「――あぁ。そうでした。――あの、雷さん。――実は、アタシの方からも、――雷さんに、ひとつお伺いしたい事があるのですけれど……」
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