テラーノベル
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第9話『花火大会』
真夏とはいえ、流石に夕方頃には蝉たちも歌い疲れたようで、代わりにマツムシか何かが鳴き始めていた。
私たちのような中学生にとって、17時過ぎに家を飛び出して友達と祭りに行くというのはやはり特別なことで、何故だが普段より格段に楽しく感じていた。
「今日は浴衣なんだね」
甚平姿のアルトラは、私の浴衣姿を見ても、可愛いだとか大人びている、といった感想は口にしなかった。
——少しは異性として見てくれてもいいのに、そういうところはまだ子供っぽいのだ。
「お母さんがこれ着て行ってらっしゃいって、着せてくれたの」
祭りに行くことに断固反対する父を説得し、自転車で行くと言っているのに、時間をかけてまでこんなに漕ぎにくい格好をさせてくれる母は、たまに家の中で誰よりも頑固になる。
それでも「今日は楽しんでらっしゃい」と言って、へそくりを私の財布に入れてくれたので、やはり母は私が誰と祭りに行くのかもお見通しのようだった。
「えっと……いい感じ、だよ?」
アルトラは頑なに可愛いとは言わないが、腕を広げて感想を求めた私を、当たり障りのない言葉で褒めてくれた。
——そういう私も、彼に格好いいとは言えないので、お互いさまなのかも知れない。
「……ちょっと漕ぎにくいから、いつもよりゆっくり走ってくれると嬉しいかも」
自転車に乗る以上、流石にスニーカーを履いてきたが、浴衣での走行には慣れず、思ったよりスピードは出せなかった。
私たちは山を超え、トンネルを抜け、そして花火大会の会場である河原に到着したのだった。
「すごい人混みだねー……」
私は自転車を降りながら、すごい勢いで私の方から視線を外したアルトラに「スパッツ履いてるよ」と笑いつつ、自転車に鍵をかけた。
「——えっと、取りあえず屋台の方行こうと思うんだけど……平気?」
「うん、はぐれないように着いていくから大丈夫」
私はスマートフォンや財布をすられないように、カバンごと右脇で抱えて、動き始めたアルトラの右隣を歩く。
すると、アルトラは右手を差し出したかと思うと——何故か手刀を作って、宙ぶらりんの私の左手には触れないように歩いた。
「ふふ、なにそれ」
「だ、だって近いから……手が当たりそうで……」
確かにそうだ、意識していなかったが、人混みのせいで私たちは今までにないくらい、触れそうな程に近くで歩いている。
「……気にし過ぎ」
触れる触れないで言えば、私はアルトラが高校生に倒された時に覆い被さったし、今更そんなことで気にする必要はないのに——アルトラはキョロキョロと周囲を警戒しながら、手刀を崩さなかった。
ドーン、と黄色や赤や緑の花火が上がり始め、みんなが音のする方を見ては「おぉー」と感嘆の声を上げたり——左隣では音がするたびに肩をすくめる人がいたりする。
それでも彼は花火に顔を照らされつつ、無邪気な笑顔で「綺麗だね」と、花火に釘付けになったまま、語りかけるようにつぶやきながら、一段とゆっくりになった人混みの中を歩いていた。
「うん、素敵。来て良かった」
様々な色で照らされる暗闇の方に目をやると、彼の目と同じようにキラキラ、パチパチと花火が輝いていた。
町内放送の音質の悪いスピーカーが協賛者を読み上げ始めると、そこかしこから上がる大きな拍手に送られながら最初の花火が終わり、人混みはまた少しずつ動き始める。
「そうだ、せっかくだから、一緒に何か食べようか」
人波に合わせて歩くアルトラは、無邪気な笑顔のまま私の方を向いて、よりいっそう密度を増した人混みの中で——より鋭い手刀を構えて、屋台の方へと切り込んだ。
屋台で焼きそばや唐揚げ、アルトラはタレたっぷりのゲソまで買うと、河川敷と堤防の間あたりの、草が生い茂り人が少ない所に座れそうな石を持って来て、そこで次の花火を待ちながら食事をとった。
「……ゲソって、美味しい?」
見た目がグロテスクな割に、美味しそうな焼かれたタレの匂いを放つ、未知の食べ物に——興味があり、私はアルトラに一口ねだってみる。
アルトラは少し躊躇したが、口を開けて待つ私に、まだ齧っていない横の部分を差し出したので、「口が汚れちゃう」と言いつつ、先端の食べやすい所を勝手に齧ってやった。
「……気にしないならいいけどさ」
アルトラはどこか恥ずかしそうにしながら、私から目を逸らした。
——はじめて食べたゲソの味は、塩っ辛い。
でも、良い味をしている。
「味が強いのに、ご飯とも合わなさそうだけど、美味しい」
「ビールと一緒に飲むと美味しいんだけどね」
「えっ、アルトラお酒飲むの!?」
「シーッ! 昔だよ昔、最近はみんなうるさくって飲ませてもらえないから」
確かにほんの数年前までは、盆正月の集まりで子供でもビールを当たり前のように『飲まされて』いたが、ここ最近は飲酒運転にも未成年飲酒にも厳しくなった。
……そういえば昨日、父も「実家に行っても酒も飲めんのか」などとボヤいていた気がする。
運転するのは母だが、他の親戚が飲めない中で一部が飲むのも不平等だ、という話らしい。
「なんか、飲酒運転とかが当たり前の時代があったなんて、信じられないよね」
アルトラがゲソに口を付けるのを|躊躇《ためら》っているのを横目に、私はここ最近の時代の変化について語る。
体感だけかも知れないが、今年——2011年になり、みんながスマートフォンを持ち始めて、インターネットが当たり前になってから、急に何もかも変わり始めたような気がした。
「……そりゃあ、大きな出来事があれば考え方は変わる。それこそいじめや暴力だって、これからは更に大事として扱われていくようになると思う」
アルトラは決心したように間接キスを受け入れ、ゲソをかじりながら言う。
確かに、彼の担任だって、今の時代は決して許さず——きっと、みんなアルトラに味方したに違いない。
「それって、いいことだね」
「……どこが?」
「えっ、だって……いじめがなくなれば、アルトラは暴力を振るわなくて済むし……」
「——そういう順番なら良いけれど、実際は抵抗する手段だけを先に奪われて、問題は解決出来ないから放置されてるじゃん」
アルトラはゲソを食べ終わると、そのまま私の手元にある唐揚げを一つゲソの串でさして、口に運びながらそう言った。
——確かにアルトラの言うことは正しいのかも知れない。
今よりももっと暴力が『禁忌』になった世界では、きっと高校生をあそこまでボコボコにしたアルトラは、罰されていたのだろう。
つまり、誰かが助けを必要としていても、誰も動けなくなる日が来るのかもしれない。
「でも、それも仕方がない。だってルールを作るのはみんなだから」
まるで何でもないように、彼はまた自分の『正しさ』に従って、自分の『正義』が『悪』になることを受け入れようとする。
——彼の言う『みんな』とは、背景や実情を知らないまま、他人を悪く言ったり無視したり、関わらないようにする人たち——これまで彼を見捨てて来た人たちのことなのだろう。
「……それでも仕方ないって思うんだ」
それぞれがそれぞれの『正しさ』に従って、誰かが——自分が見捨てられる側になろうとも。
「うん、仕方がない。でも、そうやって見捨てられた側がルールを破るのも仕方がない時代が来るだけだよ」
焼きそばを食べるために、口に銜えた割り箸を引き裂きながら、アルトラは言う。
——もしそんな時代が来たとして、私たちはきっとそんな新しい『ルールを破る奴ら』を許すことはない。
むしろ『そうなって当然の愚者』として、堂々と批判するのだろう。
その時、きっとアルトラだけは冷めた目で「罰するのも仕方がないよな」なんて言いながら——きっと自分も罰される側に回ってしまうのだろう。
——そしてその時、きっと私はそんなアルトラを守ろうとして「間違っているのは皆の方だ」と言うのだろう。
「ほら、見て、次の花火が始まったよ!」
アルトラは焼きそばを食べながら、また笑顔になり私の方を見ると、明るく染まった空を眺め始めた。
補導時間までに家に帰るには、名残惜しいが8時30分には会場を後にする必要があった。
とはいえ、クライマックスは10時の予定なので、どちらにせよ中学生の私たちは見ることが出来ないのだが。
帰り道の人混みの中でも、アルトラはまた手刀を構えつつ、私の手には触れないように歩いた。
——だから、私は彼の手刀の腕を掴んで、驚いてこちらを見るアルトラに言った。
「ほら……はぐれちゃいそうだから『仕方ない』でしょ」
アルトラは、花火の光のせいか——耳を真っ赤にさせながら「そうだね」と言って、手を握り返してくれた。
温かくて、大きくて、ゴツゴツした手が、人混みから離れた場所へと導いてくれる。
——二人で手を繋いで歩いた、たった3分は、きっと大人たちが見る花火のクライマックスなんかより、ずっと思い出に残るだろう。
コメント
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これコメントどうやって読むんです?