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Side 健治
男として、仕事に自信を満ち、誠実そうな雰囲気、医師としての高い収入がある。
自分よりもどう考えてもスペックが上の相手、三崎医師に宣戦布告をされ、焦りが生まれる。
美緒を手放さないためにどうしたらいいのか……。
やり直そうと決めたばかりなのに歯車が狂い始めている。
野々宮と浮気をしたのは失敗だったのだ。
全てが思い通りに行かなくなっている。
野々宮の気性が荒い事は知っていたが、粘着質な面があるとは思わなかった。学生の頃からかれこれ10年の付き合い、別れた期間を考えれば正味5年と言ったところだろう。
今はお互い既婚者。
どちらかが終わりと言ったなら、終わりになるはずだった。
野々宮にタンカを切った通り、今の会社を辞め、転職をしたなら、現在の居住地でMRとしての転職は無理だろう。
再就職をした会社で、再び|栢浜《かやはま》市の担当になる可能性があるからだ。
野々宮と離れるために、せっかく収入を落としてまで、会社を変えても|栢浜《かやはま》市の担当になったら転職の意味をなさないのだ。
だが、転職によって今の状況よりは、マシになるのではと、淡い期待を抱いていたが、甘い事を言って居られない事態になった。
三崎医師のような強力なライバルを前に、情けない姿を見せたなら、すぐにでも美緒を攫われるのではないだろうか?
美緒は、どうしたら俺のそばにいてくれる?
不安な気持ちで家のドアを開けた。
****
Side 美緒
「ただいま」
手抜きのおうどんを食べている途中で、玄関の閉じるバタンという音と健治の声が聞こえる。
チラリと壁の時計を見ると午後9時。
最近の中では、まだ、早い帰宅時間だ。
残りのおうどんを慌てて口に入れ、モグモグとしていたらリビングに健治が入って来た。
頬張っている姿を見られて、恥ずかしく手で口元を隠しながら嚙み砕いたおうどんを飲み込み「おかえりなさい」と声を掛ける。
健治は、ホッとしたような表情を見せ「ただいま」と、もう一度言った。
背広を脱ぎ、ネクタイを緩めソファーに深く身を沈める。
酷く疲れている様子で、連日仕事に追われて深夜の帰宅が堪えているのだなと思った。
「ごはんは? 私、おうどん食べちゃったけど、健治もまだなら食べる?」
「お願いしていいかな?」
「ん、わかった。ちょっとまってね」
自分で食べた分のどんぶりを持ってキッチンに移動し、健治の分のおうどんを煮始め、カウンター越しから健治の様子を伺う。
健治はぐったりとソファーに身を預け、目を瞑っていた。
昨晩、健治のカバンの底にGPSカードを仕込んだ事には、気付いていないみたいだ。
健治には悪いけれど、もう一度信じられるようになるまで、GPSカードで監視を続けたい。じゃないと、私の心が持たないと思う。
煮上がったおうどんをどんぶりによそい、テーブルの上にコトリと置くと、
健治はソファーの上で目を瞑ったままだった。
疲れて寝ちゃったのだろうか。でも何も食べないのも良くない。
私は、健治にそっと近付き肩に手を添えた。
「おまたせ、出来たよ」
「ん、ありがとう」
健治は、私の手にそっと自分の手を重ね、弱々しく微笑んだ。
昨日、甘い香りを付けて帰ってきた事を聞こうと思っていた。けれど、こんなに疲れている様子を見てしまうと、今はそのタイミングではないように感じて、言い出せなくなってしまう。
「私、お風呂入って来るから寝ないでちゃんと食べてね」
「ん、わかった。美緒、ありがとう。ごめんな」
健治の頼りなげな様子に心配になってしまう。
リビングに健治を残して、お風呂に入ると、あのテーブルで1人で食事をした寂しさを健治にさせてしまったと思い当たる。
仕事で疲れて弱っている時ぐらい、別にしゃべらなくても目の前の座っているだけでも慰められるはずだ。
コミュニケーションが足りないと自分でも思っていたのに、一緒に居ないなんてダメだなと思った。
落ち着かない気持ちになり、体や頭を洗って早々にお風呂から上がる。
ルームウエアに身を包み、まだ、濡れた髪にタオルを巻いてリビングに戻ると、既に食事を終えた健治がソファーに座っていた。
「お風呂お先に」
「ごちそうさま。なんだ、髪が濡れたままで風邪引くよ」
健治は、スッと立ち上がり洗面所からドライヤーを持って来た。
「おいで、髪、乾かしてあげる」
「えっ? いいよ、健治も疲れているのに」
「俺がやりたいの。おいで」
健治がソファーに座り、私はその手前の床に腰を下ろした。
頭に巻いたタオルを外し、ドライヤーの温かい風が送られてくると、髪の間を梳くように健治の優しい手が私を撫でる。
****
Side 健治
温かい風を送りながら、美緒の髪を優しく撫で、指で髪を梳く。
こうしているだけで、疲れた心が癒されるようだ。
落ち込んだ気持ちが、浮上する。
美緒を失いたくない。
その気持ちを強くするばかりで、美緒を大切にしたいのに、思うようにいかない自分の状況にもどかしさを感じる。
乾き終わると美緒の頭にチュッとキスを落とし、少しばかりの勇気を奮い立たせる。
「美緒、相談したいことがあるんだ。週末時間とれるかな?」
すると、美緒が渋い顔を見せた。
「んー。土曜日半日の仕事が終わった後、後輩の家に泊まりに行こうかと思っているんだ。日曜日の午後でもいい?」
「後輩って、小松さん?」
「そう、今日、会ったでしょ」
俺に向けられた、小松さんの軽蔑の色含む瞳を思い出す。
俺が|咎人《とがびと》で有る事を責める強い視線。
「ああ、行っておいで。でも、美緒と一緒に居られる時間が減ってしまうのは寂しいな」
本当は出掛けて欲しくない。自分の側に居て欲しい。この腕の中に抱きしめていたい。誰にも渡したくない。
我が儘を言ってるのはわかっている。それでも言葉がこぼれる。
「健治がいつも遅くて一緒の時間が取れないんだよ」
「ん、ごめんな。俺も早く帰って来て美緒との時間を作りたいよ」
そうだ。大切にしたいものを大切に出来なくて、なんのために仕事をしているんだ。
日曜日なったら美緒と話をして、これからの生活を立て直そう。
自分の足元に座る美緒をギュッと後ろから抱きしめた。
「美緒、ごめんな」
抱きしめた腕に、美緒の白い手が重なる。
「どうしたの? 今日、勉強会で疲れちゃったの?」
「いや、美緒の事、好きだなって……。今までごめんな。本当に反省している」
「うん、《《もう一度だけ》》信じるから」
「ありがとう。俺は、美緒とずっと一緒に居たいんだ」
「うん、ありがとう」
もっと抱きしめたくて、美緒を自分の膝の上に引き上げる。
突然の出来事に「キャッ」と短い悲鳴をあげ、目を丸くした美緒が愛おしい。気持ちが抑えきれず、美緒の顎を抑え、唇で唇を塞いだ。
空いている方の手で後頭部を抑えながら、貪るようなキスを落とす。美緒は、俺から逃げる事も出来ない。
美緒のすべてを欲しがるような激しさで、美緒の口の中へ舌を差し込こみ、絡め取る。
「ん……んぅ」
美緒から鼻に掛かった声が漏れる。
拒絶されない事に気を良くした俺は、更に舌を深くまで差し入れる。
美緒の口腔内で俺の舌が蠢き、美緒の歯列をなぞる。
自分でも余裕が無いのは、わかっている。でも、今は美緒が欲しかった。
そして、美緒にも俺を欲しがってもらいたい。
激しい口づけにリップ音が、クチュクチュと部屋に響く。
俺の背中に手を回し、縋るようにギュッとワイシャツの生地を掴まれた。
少しだけ、唇を解放すると、美緒が蕩けた瞳で俺を見つめる。
その表情が愛おしくて、今にも涙がこぼれ落ちそうなる。
「けん……じ?」
美緒が俺の名前を不思議そうにつぶやく。
情けない俺は、泣き顔を見られたくなくて、美緒の唇に唇を重ねた。
「美緒……。抱いていい?」
普段はこんな事、口にはしない。
その場の流れとか、雰囲気とかで先に進んでいる。
でも今は、美緒の事を宝物のように大事にしたいという思いがあって、美緒の嫌がることはしたくなかった。
「うん、でも、ここじゃなくて、ベッドに行きたい」
少し恥ずかしそうにしながらそれでも受け入れてくれた事が嬉しくて、美緒の額にキスを一つ落としす。
「美緒、好きだよ」
美緒の背中を支えもう片方の手を膝下に入れて抱き上げると、美緒が俺の首に腕を回した。
視線が絡むとそれだけで嬉しくて、美緒を支える腕に自然と力が入る。
ベッドの上に下ろし、美緒の頬を両手で包み、気持ちが伝わる事を祈りながら、唇を重ねるだけの長く優しいキスをした。
プレゼントのリボンをそっと解くように、美緒のルームウェアを脱がした。
そして、ベッドの上に横たえ、唇から耳元へそして首筋へと、唇でなぞるとクスクスと美緒が笑いながら「自分ばかり裸にされてズルい」と、可愛いことを言う。俺も着ている物を脱いでベッドに戻ると美緒が両手を差し伸べた。
もう、それだけで幸せ過ぎて涙が出そうだ。
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