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「いらっしゃいませー」
コンビニの自動ドアが開くたびに、条件反射のように声を出す。バイトを始めて半年、レジ打ちも品出しも慣れたものだ。夜のシフトは人が少なく、淡々と仕事をこなせるから好きだった。
「すみません」
低めの声が聞こえた瞬間、目の前がぶつかった衝撃で真っ白になった。しまった、商品棚の整理に気を取られていたせいだ。
「あっ……」
慌てて顔を上げると、相手のフードがずれて、その下から白髪が覗いた。鋭い目つきの赤い瞳が一瞬、驚いたように揺れる。
「──っ!」
頭の中で警報が鳴り響いた。
葛葉だ。
「ご、ごめんなさい!」
動揺を隠しながら謝る。まさか、まさか、よりにもよって自分が推している配信者とこんな形で遭遇するなんて。葛葉はフードを深く被り直し、少しだけ目を伏せた。
「いや、俺こそ……」
「あの、怪我とか……大丈夫ですか?」
「……ああ」
葛葉はそっけなく答え、手に持っていたカゴをレジへ置く。ああ、やばい、完全にバレたと思われたかもしれない。配信者にとって、リアルで正体がバレるのは避けたいことのはずだ。
(平静を装え……! 私はただのバイト店員……!)
震える手でバーコードをスキャンする。冷たいペットボトルと、カップ麺。それから、缶ビール。
(ああ、なんか葛葉っぽいラインナップだな……)
そんなことを考えながら、「○○円になります」と告げる。葛葉は無言で財布を取り出し、会計を済ませた。袋に商品を詰めて手渡すと、彼は少し戸惑ったようにこちらを見た。
「……ありがとう」
「い、いえ! またお越しくださいませ!」
咄嗟に言葉を絞り出した。
葛葉は一瞬こちらを見たが、何も言わずに店を出て行った。
その日を境に、葛葉はたびたび夜のシフト中に来店するようになった。
「……これ」
そう言ってレジに出すのは、いつも決まってカップ麺。
最初は会話らしい会話もなかったが、ある日、思い切って話しかけてみた。
「毎回、カップ麺ですね」
葛葉は少し驚いた顔をしたが、「……あんま自炊しねえからな」と呟いた。
「そうなんですか? 配信が忙しいから?」
言った瞬間、「しまった」と思った。迂闊に配信の話題を出してはいけない。けれど、葛葉は「お前、やっぱ知ってたのか」と笑った。
「え、あ……す、すみません、バレないようにしたほうがいいですよね……?」
「いや、いいよ。騒ぐやつじゃないだろ?」
「……もちろん! むしろ私は、”推しには迷惑をかけない”をモットーにしてますので!」
そう言うと、葛葉は少しだけ眉を上げた。
「推し?」
「えっと、その……あ、でもガチ恋とかじゃなくて、純粋に配信が好きっていうか……」
しどろもどろになりながら言い訳する。すると、葛葉はクスッと笑った。
「そっか」
それだけ言って、カップ麺の蓋を指で弾くような仕草をする。
(あれ、葛葉って……こんなに話しやすい人だったっけ?)
それからも、葛葉はちょくちょく店に来た。少しずつ会話を交わすようになり、彼の素の一面が垣間見えるようになった。人見知りだけど、気を許すと意外とよく喋る。配信では気楽そうに見えて、実は繊細で警戒心が強い。
そんな彼の姿を知るたび、胸の奥がざわついた。
(いやいや、これは推しに対する感情……のはず……)
でも、ある日、葛葉がふとこぼした言葉に、心臓が跳ねた。
「お前と話してると、なんか気が楽だわ」
「えっ」
「バレるかもって気にしなくていいし、変に騒がれねーし……助かる」
葛葉はカップ麺を手に取りながら、ぼそっと呟いた。
(そんな風に思ってくれてたんだ……)
それが嬉しいはずなのに、同時に苦しくなった。
(私、もしかして……葛葉のこと、好きになってる?)
認めた瞬間、怖くなった。
推しは推し。ファンが踏み込んではいけない領域がある。迷惑をかけるのは絶対に嫌だ。でも、好きな気持ちを抑えるのも辛い。
この感情にどう折り合いをつければいいのか、答えが出ないまま、今日も彼をレジで迎える。
「いらっしゃいませー」
「おう」
変わらないやりとり。だけど、自分の気持ちは変わってしまった。
これ以上、好きになってはいけない。
けれど、心は言うことを聞いてくれなかった。
(葛葉、次はどんな話をしてくれるかな……)
矛盾する想いを抱えながら、私はレジ袋を手渡す。
「ありがとう」
「……また、お待ちしてます」
それが、せめてもの願いだった。