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……パタン。扉が閉まり、アルビスの気配が消えても佳蓮は膝を抱えたまま動かない。
じっと息を潜め、ゆっくり10を数える。でもまだ不安は拭いきれなくて、もう一度10を数えてから肩の力を抜く。
「……うざっ」
膝を抱えていた腕を下ろした拍子に、佳蓮の口からそんな言葉がこぼれ落ちた。
もともとお喋りな性格のせいで独り言は多いほうだった。けれどここ最近、輪にかけて増えてしまった。
ただ、これまで口にしていた言葉は「お腹空いた」とか「暇だ」とか「眠い」とか、退屈さを紛らわすために口にしていたもの。なのに今は「マジか」と「最悪」と「ウザい」との3つに絞られている。
心と身体は繋がっているとは、良く言ったものだと佳蓮は苦笑する。
まさに今自分が置かれているのは、”マジかと”思うような展開で、常に監視されている”最悪”な環境で、規格外のイケメンと顔を合わせる”ウザい”毎日が続いている。何も悪いことはしていないはずなのに。
佳蓮は現在、監禁生活を強いられている。とはいえ、ここは牢獄ではない。お城の中にある、離宮と呼ばれる特別な建物にいる。
貴賓が過ごす場所らしいから毎日、メイドが丁寧に掃除をする。たとえ佳蓮が不機嫌であろうとも、お礼すら言わなくても、せっせこせっせこ呆れるほど勤勉に掃除をする。
そのおかげで、どこもかしこも清潔で、とてもひんやりとして寒々しい。
出窓にずっと座っていると、寝間着を通してじわじわと体が凍えてくる。佳蓮は寝間着の裾を引っ張ってつま先まで覆うと、また膝を抱えて目を閉じた。
(真っ暗になっちゃえば、どこでも一緒だもん)
そんな強がりを心の中で呟きながら、ここへ来てしまった経緯を思い返してみた。
*
今を去ること一ヶ月前、頼んでもいないのに佳蓮はこの世界に一方的に召喚された。
それは本当に、突然の出来事だった。
高校3年生だった佳蓮はいつも通り授業を終えて、いつも通りの通学ルートで下校していた。
けれど一つだけ、いつも通りではなかった。その日は母親に向けての、ちょっとしたサプライズを計画していたからとても急いでいた。
『佳蓮は自分が思っている以上にどんくさいんだから、絶対に遅れんなよ』
サプライズの協力者であり、もっとも親しい異性の冬馬とうまからそんなことを言われたものだから、とても急いでいたのだ。
万が一遅刻をして年下の冬馬から文句を言われるなんて、年上のプライドが許さない。
それより何より記念すべき日になる予定だったから、佳蓮自身が絶対に遅刻なんてしたくなかった。
だからいつもはどうせ走っても間に合わないと見送る電車に間に合うように、全速力で走った。そして車両のドアがギリギリ閉まる直前、飛び乗ることができた。
世界がひっくり返ったのは、ドアが閉まった瞬間だった。
見えない何かに身体を捕まえられたような気がしたと思ったら、強い力で引っ張られるような衝撃を覚えた。
時間にして数秒。びっくりして佳蓮が目を瞑り、再び目を開ければロールプレイングゲームを映像化したような神殿の中に立っていた。
見慣れない光景に佳蓮が息を呑んで俯けば、地面には何やら意味不明な魔法陣が足元に描かれていた。
(……嫌だ、何?……ここ)
突然身に降りかかった出来事が信じられなくて、佳蓮は何度も瞬きをした。
幾つもある神殿の窓のステンドグラスの一部に、葡萄が描かれていることに気付く。なぜか、とてつもなく安堵を覚えた。
「……成功した」
若い男の呟きが、佳蓮の耳朶に響いた。
ここで佳蓮は、この神殿に人がいることを知った。
声を辿って振り向けば、そこには中世ヨーロッパの騎士のような、マントと剣を身に付けた男が二人いた。
呟いたのはどちらだろうと佳蓮が思った瞬間、一人の騎士が満面の笑みを浮かべてガッツポーズをした。
「よっしゃー!陛下っ、やりましたね!!」
陛下──単語は知っているけれど、日本では生身の人間にはめったに使わない言葉だ。
そんなことをぼんやりと思ったけれど、ふと背後に人の気配がした。その人はゆっくりと動き、佳蓮の目の前に立つ。
最初に佳蓮の視界に入ったのは、長いローブ。まるで絵に描いたような王様みたいだ。
視線を恐る恐る上げたその先には、藍銀の髪と深みのある深紅の瞳を持つ規格外のイケメンが、佳蓮を凝視していた。
それがアルビス。メルギオス帝国の皇帝陛下で、のちに佳蓮の夫となる男。
アルビスは佳蓮と目が合った途端、形の良い唇をゆったりと動かした。
「名は?何というんだ?」
「かれん。……結月佳蓮です」
聞かれたから、答える。
機械のように唇を動かした佳蓮は、何も考えずに続けてこう言った。
「ねぇ、あなたの名前は?」
途端に、少し離れた場所にいる騎士達が、ぎょっとした表情を浮かべた。
「……すげぇな、陛下にタメ口きけるなんて度胸あるなぁ」
騎士の呟きに佳蓮が意識を向ける前に、アルビスは自分の名を告げるとこう言った。
「異世界の少女、お前は、私の妻となる為に召喚されたのだ。光栄に思え」
まるでB級乙女ゲームのような台詞に、佳蓮は耳を疑った。
願わくば、自分に向けての言葉ではないことを祈った。けれど陛下と呼ばれた男は、相も変わらずじっと佳蓮を見つめている。
間違いであって欲しいけれど、間違いではない。
何一つ光栄だと思えないこの言葉は自分に向けてのものらしいが、とてもじゃないけれど嬉しくない。
強い不快感を覚えたけれど佳蓮が絞り出せた言葉は、これだけだった。
「……は?」