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暗闇の先から気配がする。1人分…否、2人分の気配だ。

気配の1つは見知った存在のものだったが、もう1つの気配は知らないものだ。

はて、彼は用事があると1人で外に出ていたはずだと男は記憶を巡らせる。

男が所属する組織「毘灼」の拠点には限られた人間のみが出入り可能だ。

それは自分達が妖刀を奪い、国を敵に回しているのもある。

だがそれ以上に組織の統領たる「彼」の意向が大きいように感じる。

普段、彼はあまり多くを語りたがらない。

そのくせ、いざ話すときにはこちらが聞いていないこともつらつらと話す。

必要なことを必要な時に必要な者にだけ話す。興が乗っている時は饒舌になる。

自分は許可もとらずに相手の境界に土足で踏み入るが、他人が自分の境界に踏み入ることは許さない。なんとも理不尽で身勝手極まりない。

それが「彼」の印象だ。

話が逸れたが、つまるところ必要な場合以外で、ものでも何でも外に出すことも、外から持ち込むことも好まない彼が、知らない気配を引き連れてご帰還するのは極めて珍しいことだった。

「戻ったのか」

「あぁ」

男は気配のする暗闇に向かって声をかける。

それに対して、返事こそいつも通りの簡潔なものだったが、声に感情が乗っていることに男は「おや、」と心で発する。

どうやら上機嫌のようだ。

「随分と機嫌が良いみたいだな」

「あぁ、大層美しい金魚を手に入れてな」

「……金魚?」

彼が発した金魚という言葉に、とある少年の姿が脳裏を掠めた男は、思わず気配の方に視線を向け…手で顔を覆い、項垂れた。

「……『刈るにはまだ青い』のではなかったのか?」

「『刈るにはまだ青い』だけで、『遊ぶには十分に瑞々しい』だろう」

「………………」

絶句した男のことなど、何処吹く風か。

暗闇から姿を現した彼、正確にいえば「彼ら」だが。

彼の興味は今や、彼の腕の中で眠る「金魚」…六平千鉱にだけそそがれていた。

***

彼の話をまとめるとこうだ。

六平千鉱は現在身を置いている神奈備の任務でやくざ者と交戦していたらしい。

やくざ者といえども、妖術師ですらないただの人間の集団だ。

1人ひとりは彼の足元にも及ばない雑魚ばかりだったが、如何せん数だけは多く、全てを切り伏せたときには千鉱は疲労困憊だった。

周囲に仲間らしき存在もおらず、どうやら連絡手段である携帯も交戦中に壊れたらしい。

邪魔者がいないとわかるやいなや嬉々として千鉱の前に現れ、少しばかり戯れることにしたが、ただでさえ疲労困憊のところ、彼の相手をしているうちにとうとう千鉱は玄力切れで気絶してしまった。

気絶した千鉱が地面に倒れる前に自らの腕の中に閉じ込め、せっかくだからと連れて帰ってきた…というのが彼の言い分だった。

「…まさかとは思うが、『用事』というのはこの事ではないだろうな」

「はは。想像に任せよう」

暗に肯定した彼に言葉を返す気力すら失われた男は、視線を千鉱に移す。

よほど深く眠っているらしい。瞼が動く気配すらない。

こうして近くで千鉱の顔をしっかりみると、やはり整った顔立ちをしている。

今は閉じられている瞼が開けば、大人ですらたじろぐ迫力を携えた「あか」がそこにあることを男は知っていた。

男は3年前に六平国重を襲撃した時にみた千鉱の姿を思い出していた。

その時の千鉱はまだ15歳で今以上に少年の顔をしていたと記憶している。

暖かな日常に包まれ、大切に大切に鉢に仕舞われた、血も痛みも知らない無垢な少年。

双城の拠点で「双城の成果」を持ち帰る際に、3年ぶりに遠目で千鉱を見たが、血にまみれ傷だらけではあったものの、それでもなお、否、それすらも自らの美しさにして身に纏う18歳の少年に、たった3年でここまで大人びるものかと思ったものだ。

「…もういいか?」

自分で思っていたより長く千鉱を見ていたらしい。

唐突に降りかかった声に男はハッとし、視線を千鉱から彼へと移した。

「…それで?連れて帰ってきてどうするつもりだ?」

「言っただろう?『遊ぶには十分に瑞々しい』と」

彼の意図が分からず眉をひそめて見るが、当の本人は「なに、たまにはこういう遊びも良いだろう」と言って千鉱を抱いたまま暗闇の奥へと去っていった。

去っていく後ろ姿を目で追っていたからか、彼が愛おしそうに千鉱の傷跡を指の腹で撫でていたのを男は見逃さなかった。

***

彼の言う「こういう遊び」がどういう意味だったのか。

その答え合わせは意外にもすぐにできた。

「……何をしている?」

「毘灼」の拠点はいくつか存在しているが、中でも紋章付きの幹部だけが立ち入れる場所に男は来ていた。

その場所は、現実的な空間ではない。

それは天井から生えている松の木や、斜めになっている襖、床に建てられた瓦屋根を見れば一目瞭然だった。

そしてそんな異様な空間に、ことさら不釣り合いな存在がひとつ。

「見れば分かるだろう?『色直し』というものだ」

「……六平千鉱が既婚者だったとは知らなかったよ」

「それとも『着せ替え人形』か、西洋では『ビスクドール』というらしいな」

いや、それは磁器人形のことだったかな、と彼はわざとらしく顎に手を当てて考える仕草をする。どうやらこれが昨日の「こうした遊び」の答えのようだ。

「……君に人形遊びの趣味があるとは思わなかった」

「なかなか良いものだろう」

満足げに語る彼に倣い、男もこの空間にことさら「不釣り合いな存在」に視線をやる。

男と彼の前にある一人掛け用のソファには、いつもならば彼や幹部が座っている。

和の雰囲気が支配するこの空間に、西洋家具であるこのソファの存在は異質ではあるものの、そもそも異様であるこの空間にそんな指摘は今更だった。

今、そのソファにはこの空間にことさら「不釣り合いな存在」…もとい六平千鉱が静かに座っていた。もっと正確に言うならば座らされていたのだが。

千鉱は連れてこられた時の黒を基調とした洋服はすべて脱がされていた。

代わりに今身に纏っているのは、品のある和服だった。

そういった知識に関してはやや疎い男でも、相当な高級品であることは分かる。

着物は黒の生地で、裾には金の糸で刺繍された3匹の金魚が優雅に泳いでいる。

袂にもまた金の糸で刺繍された波紋が上品に広がっている。

羽織は落ち着いた緋色のものを着せられており、また帯も羽織と同様の色でシンプルにまとめられている。全体的に落ち着いた色の中で足袋の白がよく映えた。

着物も羽織も帯も足袋も、どれもが千鉱の身体に恐ろしいほど馴染んでいる。

どれもどこかから調達してきたものではなく、間違いなく千鉱のためだけに誂えたものであることは一目瞭然だった。

昨日は顔にもべったり付いていた血も綺麗に落とされている。

服の上からでも分かる傷も、全てなくなっていた。どうやら治療をしたようだ。

とても一日で用意したとは思えない周到さに、まさか前々から用意していたのではと男は再び手で顔を覆う。

「まだ青いが、なかなかどうしてそそられる色香があるな」

彼はそう言うと、千鉱の顔に手を伸ばした。

しかしその手が触れたのは千鉱の顔ではなく、千鉱と自分達を遮る不躾なものだった。

「この札がなければもっと良いのにな」

彼の言葉に、男は心中で不本意ながら同意した。

千鉱の顔の前には1枚の札が貼ってある。

和紙に墨で何らかの呪術が書きつけてあり、彼が言うには、貼ることで対象者の精神を強く縛る力が込められた札らしい。

なぜこのようなものをと聞けば、最初は妖術だけで千鉱の精神を抑え込もうとしたが、抑え込もうとすればするほど、千鉱はより強い精神力で抗うため、今用意できる妖術師だけでは短時間しか精神を抑えられなかった。そのため、妖術と同時に強力な札を使うことで、ようやくここまで大人しくさせられたとのことだ。

「頼もしい理性で結構だが、こういったときには困ったものだ」

全く困っているようには見えない彼は、札を手の甲で軽く上にあげた。

その先に見えた千鉱の目は固く閉じられていた。人形のように。

しかし、その閉じられた目を開けば鮮烈な「あか」があることを男も彼も知っている。

***

それから毎日、千鉱は様々な服に着せ替えられた。

意外なことに千鉱と「遊び」たがっていたのは彼だけではなかったようで、彼以外の幹部にも千鉱は遊ばれていた。

2日目は、白地の浴衣に薄手の黒い羽織だった。浴衣には今度は様々な色の金魚が泳いでいた。1日目と違い、千鉱の爪はやけに艶が出ていた。

「彼女に混ぜてくれとせがまれてな。服はもう俺が決めていたから、まだ手入れをしていない爪を任せたんだ。それでも大分不服だったみたいで、明日は私がコーディネートすると言われてしまった」

ずっと千鉱を着飾ってみたかったそうだ、仲間外れにするなんて酷いと罵られたな。と彼はくつくつと喉の奥で笑っていた。

3日目は宣言通り彼女が渾身のコーディネートを千鉱に施していた。

彼女が千鉱に着せたのは白を基調とした着物なの、だが。

「これは…白無垢…か?」

「そこまで畏まった感じではないけど。テーマとしてはまあ、そんな感じかな。」

男が一瞬言葉に詰まるのは致し方ないことだった。

普段は黒のみを身に纏う千鉱が今回は男が白無垢を想起するほどに、ほとんど白で統一された着物を身に纏っていたのだ。

だが今までの着物の品格にはなかった、清廉さを放つ白は意外にも千鉱に似合っていた。

「潔く白無垢にしようか迷ったんだけどね~、荷が重いかなぁと思ってね」

だから角隠しとかは今回諦めた。そう言って彼女は千鉱の左耳の上あたりに付けられた赤い椿の髪飾りに触れた。椿には更に小さな花が連なった飾りが3列ほどあり、彼女が触れる度にしゃらしゃらと揺れる。可愛らしく揺れる髪飾りを見て、彼女はふふっと笑う。

「まだおぼこちゃんだもんね」

そういって千鉱の顔を見る彼女の目は、随分と優しげに感じた。

4日目にはなんと昼彦が千鉱を着せ替えていた。

「ひっどいよなあ!みんなだけで楽しんでさあ」

「お前が参加するとは思わなかったよ」

「そう?こう見えても俺、千鉱のこと気に入ってるんだよ?」

最初は幽のお気に入りぐらいにしか思ってなかったけどね。と昼彦は続ける。

「というかさあ、みんなちょっと和服に縛られすぎじゃない?せっかくの機会なんだし、もっと冒険させてやろうよ」

「それでこの格好か」

「そ!こういうの千鉱は絶対着ないだろ?着せ替え人形にするならさ、いつもなら見られない服を着せるべきだと思うんだよね」

「…まあ、そうかもしれないが」

昼彦が着せ替えさせた千鉱は、今までとは大分方向性が違った服だった。

まず一番に目をひくのが、鮮やかな橙色をした中華風の服だ。

正面の部分だけ膝まで届くほどの長さをしており、袖は手先に向かって幅が広がる長袖で千鉱の手をすっかりと覆い隠していた。下は七分丈の白いクロップドパンツを穿いており、靴は飾りっ気のない黒のパンプスだ。

確かに千鉱が着そうにないタイプの服装と色だった。

「それにコレ。確かに邪魔だけど、この服装なら合うだろ?」

コレと言って昼彦が指で挟んだのは、千鉱の精神を縛る札だった。

確かに今での服だとその札だけが浮いてしまっていたが、今回昼彦が合わせた服だと浮くどころか雰囲気によく馴染んでいた。

「キョンシーだっけ?死体を札で操るやつ。今の千鉱それっぽいなあ」

もし死体になっても千鉱の死体は俺が欲しいなあ、と玩具をねだる子供のように昼彦が言う。期待しているようでどこか諦めたような声色から、本当は昼彦も分かっているのだろうと男は察する。

例え六平千鉱が死んでも、その死体は「彼」のものだということに。

「今日は随分と洒落た服をしているな」

頭の片隅で存在を思い浮かべていたからだろうか。

突然現れた第三者の声に、男も昼彦も驚きはしなかった。

「どお?俺のコーディネート。イケてるだろ」

「ああ。俺にはない選択だな。…耳の飾りはイヤリングか」

「そう。本当はピアス開けたかったんだけどさあ。流石に痛みがあったら妖術が解けちゃうかなと思って、さ」

「なるほどな」

突然現れた第三者…「彼」は、千鉱のイヤリングを興味深そうに指でいじる。

昼彦が千鉱に付けたイヤリングは、大きめの鈴に吹き流しがついたものだった。

ちりんちりんと鳴る鈴の音は、人形のように眠る千鉱の表情と相まってどこか寂し気に響いた。

しばらくの間イヤリングをいじっていた彼は、ふと男に視線をやった。

「お前は混ざらないのか?」

「は?」

「せっかくの機会なのに、混ざらないのかと聞いたんだ」

「…………生憎と人形遊びには興味がなくてね」

「そうか。それは残念だ」

「残念?」

彼が男にかけた言葉が意外で思わず聞き返してしまった。

それに彼は薄く笑い、感情の読めない瞳で男を見つめる。

大体の人間は彼の蛇のような瞳に慄くが、生憎と男には関係がなかった。

視線だけで彼の答えを待っていると、彼はやはり感情のよめない瞳のまま答えた。

「いや、あれほど熱烈に千鉱を見つめる男の趣味を知りたかっただけだ」

彼の発した内容は男にとっては思いもしなかったことで、思わず彼を凝視する。

死角から言葉で殴られたせいか、思考がくらくらしてすぐに言葉を返せない。

それでもなんとか絞り出した言葉は、あまりに言い訳じみたものだった。

「…………そこまで熱烈に見ていた覚えはない、が」

「うっそ、無自覚なわけ?」

男の言い訳じみた言葉に反応したのは昼彦だった。

信じられないと言いたげな声色に男の眉間に皺が寄る。

「ムリムリ。今更そんな言い訳通らないよ!だって、毎日俺たちがコーディネートした千鉱を見に、わざわざこの拠点に来てるんだろ?」

「……俺は報告に来ているだけだ。六平千鉱が理由ではない」

「報告って、あのどうでも良い内容のこと?やれ『資金源の組織の1つがどっかと抗争してる』だとか、やれ『神奈備には特に動きは見られないようだ』とか」

「無駄を好まないお前の報告にしてはなかなか愉快だったな」

昼彦だけでなく彼まで男を詰める側に回ってしまっては勝ち目などない。

そもそも彼が自らを「遊び」に誘った時点で男の負けは決まっている。

観念したように溜息を吐く男に、彼も昼彦も口角を吊り上げる。

彼はその表情のまま、先ほどと同じように男を「遊び」に誘う。

「それで、お前は混ざらないのか?」

「さっきも言っただろう。人形遊びには興味がない、と」

至極どうでもよい内容の報告を理由に、彼を始めとした幹部達に着せ替えられる千鉱を見に拠点まで足を運んでいたのは認めるつもりはなかったが事実だ。

だが、人形遊びに興味がないこともまごうことなき事実だった。

そう答えると「そうか。それは残念だ」とこれまた先ほど同じ言葉が返ってきた。

男が若干の気まずさを感じている雰囲気の中、そのような雰囲気など知ったことじゃないとばかりに「ねぇ」という女性の声が響いた。

「ちょっと報告。今いいでしょ?」

「つまらない報告はしてくれるなよ」

「つまらないと感じるかはあなた次第じゃない?」

遠慮なしに声をかける彼女に揶揄うように彼が言う。

勿論、彼が揶揄っているのは彼女ではなく男であることは明白だ。

そんな彼のある種の悪戯に頭を抱えつつ、男が言葉を引き継いだ。

「何があった」

「柴登吾がね。ものすごい勢いでこの子を探してる」

「だろうな。柴登吾は千鉱に執着しているからな」

柴登吾も君にだけは言われたくないだろうという言葉は心中だけで呟いた。

「目が血走ってて…あ。ああいうのを血眼になって探してるって言うのかな」

「それで?」

「うん、だからね。そろそろこの拠点もバレそう」

「まだ遊び足りないんだがな」

心底残念そうにこぼす彼は、口元に手を添えながらため息をついた。

どうやら彼女の報告は彼にとって面白くないものだったようだ。

彼は口元から手を離すと、この場にいる幹部達に指示をだす。

彼女には柴登吾の監視、動きがあれば報告。昼彦には漆羽と漣家の次男坊…伯理といったか…の監視、ご丁寧に決して余計な悪戯をしないようにとの注意付きだ。男には神奈備がどう動いているかを報告するようにとのことだ。

指示を受けた幹部達がそれぞれ動き出す中、彼は男にだけこう付け加えた。

「愉快な報告はしてくれるなよ」

***

彼女からの報告を受けて丸1日が経った頃、男は拠点に足を運んだ。

神奈備がいよいよ本格的にこの場所を見つけそうだ。もう1日も保たないだろう。

だが、こんな報告はもう既に彼の耳に入っているに違いない。

神奈備がようやっと動きはじめたということは、それよりもずっと前に柴登吾が動いているに決まっている。つまり柴登吾を監視していた彼女の報告が入っているはずだ。

この拠点は捨てるとして、気がかりだったのは千鉱のことだった。

六平千鉱はどうするつもりなのか。男が足を運んだのはそれを聞くためだった。

相変わらず上も下も常識もない異様な空間を徒歩で進んでいく。

そうして進んでいった先には、ここ最近は千鉱が座っている場所に行きつく。

この先には六平千鉱がいる。それは分かっていた。

分かっていてなお、男は目に飛び込んできた「あか」に息を呑まざるをえなかった。

「…………これは」

千鉱はまたもや着せ替えさせられていた。

皺ひとつない白のワイシャツに漆黒のスーツ…敢えてなのかボタンが外されている。

ネクタイはスーツと同じ黒だが、シンプルなネクタイピンは鈍い銀色だ。

その銀には小さい赤の金魚の飾りがワンポイントとして控えめに光っている。

耳には見覚えのある細長い飾りのついたイヤリングがきらきらと揺れている。

手にはめられた黒い革の手袋…とくに左の手袋に施された白い「炎の紋章」は、あまりにもあからさまな彼の独占欲の現れだろう。

また今まで誰も遊ばなかった髪には触れられた後があった。

千鉱の左側の前髪はあげられ、しっかりとピンで留められている。

まるで傷跡を主張するかのように。

変化があったのは髪だけでなく、家具もだった。

千鉱はいつものソファではなく、アンティーク調の椅子に座らされていた。

きらびやかでは無いが、木の雰囲気が醸し出す重厚感は、落ち着いた色を纏わせる今の姿によく似合っていた。

熟練の職人の手から造られた人形のような、洗練された美しさがある。

だが、それよりもなによりも。

恐ろしいほどに鮮やかな「あか」が男の意識を惹いてやまなかった。

ずっと自分達と千鉱を隔てていた邪魔な札は彼の前から消えていた。

頑なに閉ざされていた彼の瞳はいま、開かれている。

開かれた先にある瞳の色は、この国の人間にしては珍しい色だ。

あか。

宝石のような輝きではない、花のような可憐さでもない。

生きた命だけが流すことを許される血の「あか」だ。

血の「あか」は死を想起させる。人にとって最も恐ろしい色。

血の「あか」は生を感じさせる。人にとって切り離せない色。

だからこそ人は「あか」を恐れ、そしてどうしようもなく惹きつけられる。

その「あか」こそが、全てを狂わせるほどの美しさを千鉱に纏わせる。

その「あか」こそが、千鉱が人形ではなく、生きた人間であることを証明している。

人形のような精密な美しさ、触れてはならない神聖さを纏う、ただの人間。

男は無意識に千鉱に手を伸ばしていた。あと少しで右手が千鉱の左頬に触れるというところで、静かな声が響いた。

「人形遊びに興味はないのではなかったか?」

突然響いた声に、男は無意識に伸ばしていた手をすぐさま引いた。

「……いたのか」

声の響いた方向に視線をやると、暗闇から音もなく彼が姿を現した。

「いたのなら、私が来た時に声をかけてくれ。突然だと肝が冷える」

「そうか?驚かせたのならすまなかった」

白々しく首をわずかに傾けつつ言う彼に、男は静かに息をはいた。

「…札」

「うん?」

「外しても大丈夫なのか?」

「問題はない。いま千鉱は夢を見ている」

「夢?」

「なんてことない、ただの夢だ」

彼は目を細めながら言う。

「家族と変わらない日常を過ごす、ありふれた時間を繰り返し見ている」

「……それはそれは」

六平千鉱にとってはあまりにも悪夢でしかないだろう。

彼いわく、あの日以降も札を取り外した状態で術が維持できるよう試行錯誤していたようだ。しかし、なかなか思うようにいかず、どうしたものかと思案し、閃いたそうだ。

押さえつけようとするから千鉱は拒絶し、術が維持できない。

ならば千鉱が拒絶する必要のないもので彼の精神を縛ればいいのではないか、と。

その答えが、「夢」なのだろう。

大好きな父親と過ごす、ありふれた、特別でもなんでもない日々を。

尊敬する父親の背中を見て志していた、刀匠見習いとしての研鑽を。

周りの大人共に用意された、それは美しい金魚鉢の形をした檻の中での生活を。

千鉱はずっと見続けている。

彼の予想は正しかったようで、千鉱はその夢にずっと縋り付いている。

幸せを拒むことは、地獄の中を歩くよりもずっと心を切り刻むのだろう。

大人のエゴで用意された檻の中を「幸せ」だと感じる千鉱に男は哀れみを感じた。

君が幸せに思うあの日々は、周りの大人共によって用意された檻でしかない。

君のためではなく、自分達のために、君をどこへも行けなくしていた。

自然では生きられない金魚のように、君から意思を、世界を、自由を奪っていた。

そう男が告げたら、千鉱はどう反応するのだろう。

顔を青白くさせ絶望するか。父たちを侮辱するなと激高するか。それとも、

ただ凪のように静かに涙を流すのか。

しばらくの間なんの意味もない思考にふけっていたが、ふと降ってきた疑問を男は彼に投げかけた。

「…ところで君は何をしに?」

「ああ。仕上げをしにきた」

「仕上げ?」

「足りないものがあるからな」

「足りないもの…妖刀か」

「1つは、な」

彼はそういっていつの間にか持っていた妖刀…淵天を千鉱の右肩にそっと立てかけた。

淵天は千鉱と共にここに連れてこられていたが、千鉱と引き離された後は彼が厳重に管理していた。保管場所は男をはじめとした幹部にも知らされていなかったほどだ。

千鉱の元に戻ってきた淵天はやはりよく千鉱に馴染んでいる。

ずっと離れ離れにされていた主の元へ帰れたためか、淵天がやけに輝いているように感じる。

千鉱の元に淵天が戻った。これ以上の仕上げはないように男は思ったが、どうやら彼はそうではないようだ。

「1つはということは、まだ何か足りないものが?」

「そうだ。まだ足りない」

そういうと、彼はおもむろにスーツのポケットから小さな入れ物を取り出した。

蓋を開け、その中身を右の人差し指で僅かに掬い、そうして千鉱の唇にそれを静かに乗せていく。

「なるほど、紅か」

唇に鮮やかな色がのるだけで、また雰囲気が変わる。

鮮やかではあるものの、決して派手ではないその「あか」は千鉱に艶やかな色香を纏わせた。

「ああ。そしてこれで仕上げだ」

その言葉と同時に動いた彼の行動に男はとくに驚きもしなかった。

彼は千鉱の瞳と同じ「あか」で彩られた唇に自らの唇を重ねる。

ただ唇を合わせるだけの、ひかえめだが恐ろしいまでの執着の証。

重ねていた時間はほんの数秒だが、彼が唇を名残惜し気に離すと彼の唇にも、鮮やかな「あか」がほんの少し移っていた。

「いいのか?せっかく塗ったのに」

「…もうすぐここに柴登吾が来るだろう」

そこで「神奈備が来る」と言わないあたりで柴登吾の執着も相当だと察する。

「あの男に見せつけておこうと思ってな」

彼が唇の端についた「あか」を指で触れる。愛おしげに、ここにはいない男に見せつけるように。千鉱と同じ「あか」を。

「『俺の』金魚はこんなにも美しいとな」

彼にしては珍しく心からの笑みを見た男は、やれやれと言わんばかりに肩をすくめ、もはや呆れた態度を隠そうともしなかった。

そんな男の呆れた態度など一切目もくれず、彼は再び千鉱の唇の端をなで、大きな掌で千鉱の傷跡を優しく包んだ。

「千鉱とはここでお別れだ。今回は、な」

「……そうか」

「不満か?」

「いや、…少し残念だと思っただけさ」

男がそうこぼすと、彼は少しばかり目を細めた。

「珍しく素直じゃないか」

「まあ…ここまでのものを見せられて、何も思わない者はそういないだろう」

「そうか」

それは良かった、と満足げに彼が口の端を上げる。

「こいつが素直に褒めるのは中々に珍しい。良かったな千鉱」

「六平千鉱にとっては嬉しくもない称賛だろうな」

「ははは」

軽く笑う彼とは対照的に、荒々しい足音が遠くから聞こえてきた。

足音は複数聞こえるが、そのどれもが焦りと怒りを含んでいる。

音は足音だけでなく、人も声も混じっている。誰もがたった1人の名を呼んでいる。

「チヒロ君!!どこや!!!」

「チヒロぉ!返事してくれ!」

「おい六平ぁ!返事しろボケ!!」

そのたった1人の名前を呼ぶ声を聞くと、男の中に優越感がほんの少し芽生えた。

声の主たちが探し求めている存在を、短い間とはいえ独占できたほの暗い喜び。

そんな感情を自覚した瞬間、自分も彼のことをとやかく言えないなと思う。

この場から去るのは名残惜しいが、いま神奈備と事を構えるのは流石に避けたい。

右手で印を結ぶとたちまち炎が揺らめいて現れ、男と彼を包んでいく。

彼は千鉱から目を離さない。最後まで千鉱の姿を瞳に焼き付けていたいのだろう。

足音がどんどん近づいてくる。

男は足音がする襖の向こう側へ目をやった。炎はまだ男の胴体までしか包んでいない。

足音はもうすぐそこまで来ている。

「……次は私も『人形遊び』に混ぜてもらうとするか。」

襖を隔てたすぐそばに人の気配を感じる。

炎は男の目元まで包んだ。

炎が男のすべてを包む瞬間、襖が開く音と同時に、見開かれた黒い瞳と目が合った。

気がする。



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