深雪に告白すると決めて撃沈した翌日、その事を伝えるために剛と伍代と大丸の三人でいつものラーメン屋に来ていた。伍代のアドバイスを参考にして下駄箱に手紙を入れるところまでは順調だったが問題はその先にあった。危険な目に合わせないよう敢えて悪態をついたことが逆に作用し、あろうことか深雪は特服に恋をしていたのだ。キラキラと目を輝かせながら手紙の送り主を特服だと熱弁する深雪を前に名乗り出るわけにもいかず、結果的に手紙作戦は失敗に終わった。運ばれてきたラーメンに手をつけることなく『恋敵=自分』というややこしい状況に剛は頭を抱える。ヤンキーらしからぬその姿を見て伍代と大丸は笑いをこらえきれない。
「…お前ら笑いすぎだ」
「わりぃわりぃ。面白くてよ」
傷口に塩をたっぷりと塗り込むような大丸の発言に剛はメンチを切る。しかし当の本人は悪びれることもなく麺を啜っている。
「ライバルが自分って分かって良かったじゃねぇか」
「…他人事だと思ってやがんな」
「ま、頑張れ。相談くらいならのってやるから」
落ち込む剛を励ますために伍代が軽い気持ちで口にしたこの言葉が後に、ふたりの関係を変えることになるとは誰も知る由もなかった。
「じゃあ腹一杯になったし俺、帰るわ」
そう言って店の扉を開けると大丸は剛と伍代を残し、あっという間に去っていった。
「俺も…」
「ちょ、ちょっと待て」
特に用事もないので帰ろうとする伍代を剛が引き留める。
「…なんだよいきなり」
「いや…お前ってさ、恋人はいねーけど、たまにメシ食ったり映画に行ったりする相手はいるって言ってたよな?」
「あぁ…まぁな」
剛の恋の相談にのった流れで自分はどうなんだと訊かれたとき伍代は確かにそう答えていた。正確に言うとそれは半分真実で、半分は嘘だった。恋人はいないが気になっている人はいる。だがその人には想い人がいて実る可能性はほぼ無い。絵を描いている時の嬉しそうな笑顔も何でもひとりで背負い込んでしまうところも、たまに見せる弱さも全部が愛しいからこそ今のままでいることを選んだ。
「頼む!伍代。お前のそのテクニックと経験で藤田さんを振り向かせるデートを教えてくれ!」
「はぁ?付き合ってもないのにデートって意味わかんねぇ」
「そこをなんとか!特服の俺に勝つにはこれしか思いつかねぇんだよ」
ダメ押しとばかりに剛は地面に土下座をして頼み込む。よくテレビで見るような軽いものではなく、頭が地面にのめり込むくらいに強めなやつ。剛の本当の姿を知らない人からしてみればイケメンヤンキーが学ランを土下座させてるとしか見えない。当然、周囲の視線もふたりに集中していた。
「あーもう!わかった!教えてやるから顔をあげろ」
「マジで?」
なし崩し的にとはいえ、伍代という心強い味方を得た喜びで剛のテンションは一気にあがる。勢いよく立ち上がるとそのまま伍代の手をギュッと握りしめた。
「お…おい、離せ」
「わりぃわりぃ。嬉しくて」
浮かれる剛に伍代が口を開く。
「デートコースは俺が決めるけどいいよな?」
「えー」
「教えてもらう側なんだから黙って従え」
言い終わるのと同時に伍代は口を尖らせて不満そうな剛の額にデコピンをした。
「いてっ!暴力反対」
「お前が言うな」
わざとらしく額を擦る剛にツッコミをいれる伍代。夫婦漫才にも似たやりとりに場の空気が緩む。
「…とりあえず待ち合わせ時間と場所は後で送るから」
「おう。大事なデートなんだから遅刻すんなよ」
「お前こそな」
剛に罪はないがこれ以上、一緒にいたら色んなものが溢れてしまいそうになる。
(友達として練習に付き合うだけ。それだけだ)
自分にそう言い聞かせると伍代は愛車にまたがり、自宅を目指した。
数日前に伍代から送られてきたLINEに書かれていた待ち合わせ場所に行くと既に本人がいた。
「おう。わりぃ、待たせたか?」
「いや、俺が早く来すぎただけだから気にすんな。それよりほら」
慌てて駆け寄ってきた剛に伍代は予め用意しておいたシルバーの半ヘルメットを渡す。言われるまま被り、留め具に手を伸ばしたところでふと伍代がじっと自分を見つめていることに気づく。
「どうした伍代…何か変か?」
「いや、まさかその服を着てくるとは思わなかった…」
「着てきちゃわりぃのかよ」
「ちげぇよ。てっきりヤンキー服で来ると思ってたから…」
じとっとした目で睨みつける剛に慌てて弁解をする。
「あーまぁな。何だかんだ言ってこれ気に入ってんだよ」
「あっそ…」
剛としては思ったことを口に出しただけで深い意味はない。頭のなかでは分かっているのに心拍数がどんどんあがっていく。
「あー。もしかして伍代照れてる?」
「…照れてねぇよ。いいから早く乗れ。置いてくぞ」
「ちょ、わかったから待てって」
確実に赤くなっている顔を見せないように伍代は素早く愛車にまたがる。これ以上余計なことを言って機嫌を損ねてしまってはもとも子もない。慌てて留め具を留めると剛は後ろに乗り、伍代の胴体に腕を回した。
「…水族館?」
伍代が連れてきてくれたのは映画館ではなく、室内水族館だった。基本的に喧嘩に明け暮れる生活を送っていた剛にとっては未知の世界。中に入る前から子供みたいに目を輝かせて喜ぶ姿を見ているだけでこっちまで嬉しくなる。
「…ほら行くぞ」
「お、おう。あ、チケットは?」
ん。と言うと伍代はポケットからスマホを取り出し、2人分の電子チケット画面を出した。
「さすがイケメン先生。やることがスマート」
「バカにしてんのか…」
眉間に少し皺を寄せ、不穏な空気を醸し出す伍代にこれはヤバいと感じた剛はバッグから慌てて財布を取りだし、チケット代を支払うために札入れを開く。そんな剛の手を伍代は遮る。
「今日はいい。本当のデートをするときまで取っておけ」
「お、おう…じゃあ今日は伍代に甘えるわ」
「ちゃんと勉強しろよ」
口の端だけをあげてニヤリと笑うと伍代は入り口に向かって歩き始める。距離が開かないよう剛は財布をバッグを戻しながら後を追った。
水族館は基本的に主役でもある海の生き物が暮らしやすいように最低限の灯りしかない。暗さに目が慣れてしまえば何てことはないが、眩しいくらいの太陽の下から館内の薄暗さは落差が激しく、気をつけていてもつまづいてしまう。剛もその一人だった。
「わっ、ヤベッ…」
普段目にすることのない魚の大群に目がいっていたせいか、段差に足をとられてしまった。前のめりになる体。これはもう床へダイビング確定と覚悟をして目をギュッと瞑ったが一向にぶつかる気配はなく、代わりにいい感じに引き締まった何かが剛の体を支えていた。恐る恐る目を開けると今までにないくらい近い距離に伍代の顔がある。
「わ、わりぃ…」
慌てて体から離れた反動で今度は重心が後ろにかかってしまう。
(げっ、マジかよ)
周りの風景が嘘みたいにコマ送りになる。さすがにこれは。と思った剛の手首を伍代が掴み、そのまま引っ張った。視界が黒い何かで埋まり、柑橘系の匂いが鼻腔を擽る。
「大丈夫か?暗いから足元気をつけろよ」
剛の体を抱き止めたまま伍代は言う。伍代としては嗜めただけなのだけれど角度的に伍代の息が剛の耳にかかる。ドクンッと強く胸が鳴り、同時に体内を巡る血液がマグマのように沸騰し出す。館内は涼しいはずなのに体が熱い。
「難破?」
「あ、うん。サメだよな、サメ」
「ちげーよ。気をつけろって言ったんだ」
伍代の体が離れていく。無性に寂しくなって俯けば、剛が落ち込んだと勘違いした伍代が頭を撫でてくれる。
(違う違う!これは違う!)
運動した後みたいに強く打ち付ける鼓動に気づかぬふりをし、剛は次の場所に移動した。
広い空間の壁沿いに作られた水槽の中で色んな魚が気持ち良さそうに泳いでいた。小学生くらいの男の子が母親にこの魚が何であるかを説明している。休日らしい微笑ましい光景だったがそこは剛と伍代、視点が違っていた。
「あの魚、味噌煮にしたらうまそうだな」
「刺身の方がよくね?」
「いや、味噌煮で飯かっこみたい」
「…ふっ、」
「な、何だよ伍代。笑うなよ」
「いや、だって水族館で魚見て『味噌煮にしたい』って感想はねぇだろ」
「いいだろ別に。そう思っちまったんだから」
自分の中でも確かにという部分もあったのか剛は頭をかきながら次の水槽へと移動する。可愛くないところが可愛くてたまらない。緩んでしまう口元を手で覆いながら伍代は後をついていった。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、水族館から出た頃には既に日は落ちていた。肩を寄せあいながら、今日の感想を伝えあうカップルに自分と深雪を重ねて妄想していると不意に名前を呼ばれる。
「なんだよ」
不満げに返事をする剛の腰に意外とがっしりとした腕が回される。そのままぐいっと抱き寄せられた。
「何ボケッとしてんだよ。車来てんだろ」
えっ。と驚いた剛の前を明らかに法定速度を無視した黒いスポーツカーが走り去っていく。伍代が止めてくれなかったら確実に事故っていただろう。浮かれ気分が一転、迷惑をかけてしまった情けなさと申し訳なさで顔をあげることができない。
「…悪かったな。大きい声だして」
「いや、どう考えても俺が悪い。ごめん」
地面に視線を向けたまま謝る。そんな剛の手を取ると伍代はポケットから紙袋を取り出し、掌にのせた。
「…何だよこれ」
「詫びと言っちゃなんだがやるよ」
「開けるぞ」
伍代に断りをいれ、袋を開けるとペンギンのイラストが描かれたアクリル製のキーホルダーが入っていた。
「え、可愛いじゃん。お前これ、いつの間に買ったんだよ」
「いいだろ別に」
「ありがとな。大事にする!」
「…お、おう」
満面の笑みを浮かべながら色んな角度からキーホルダーを眺める剛に釣られるように伍代の顔にも笑顔が生まれる。練習のはずのデートで芽生えた何かに剛が気づくまであと少し。
練習デートという名目で伍代と水族館に行ってから剛のなかで変化が起きていた。深雪のことを思い浮かべていたはずが気がつけば伍代のことばかり考えている。我が儘でしかない剛のお願いを最終的にはきいてくれる優しさ。倒れそうになった自分を助けてくれた時の手の力と見た目よりもがっしりとした胸。柑橘系の匂い。喧嘩をしても感じることの無かった甘酸っぱい痛みがトゲとなり、剛の胸に刺さり続ける。この感情につける名前を知っているがそれを認めるわけにはいかない。お互いのためにもこの気持ちは無かったことにするのが一番だ。何も知らない伍代に申し訳ないと思いつつ、剛は部活や生徒会を理由に会うのを避けていた。
そんな生活が当たり前になりつつあったある日、特服姿で帰宅すると先に帰宅していた吟子の口から衝撃的な発言が飛び出した。
「おかえりー。伍代来てるよ」
「え、は?何で?」
「知らない。兄ちゃんの部屋にいるから本人に訊いてみたら?」
吟子の言葉を最後まで聞かず剛は自分の部屋に向かい、勢いよくドアを開けた。
「な、なんでいんだよ…」
短い廊下を全速力で走ったことで息があがってしまう。伍代としてもまさか部屋に通されるとは思わなかったらしく、どこか居心地が悪そうだった。
「話したいことがあって家来たら、たまたまお前の母ちゃんに会って飯食ってけって言われたんだよ」
「マジかよ、母ちゃん…」
今までの努力が水の泡になったことに落胆し、手のひらで額を覆う剛に伍代は話を切り出した。
「…この間、お前に『このまま何もしなきゃ誰かに取られる』って言ったの覚えてるか?」
「お、おう…言ったな」
少し動揺しながら答えながらドアを閉めると剛は伍代の斜め前あたりに腰をおろした。
「よく考えたらあれって俺にも当てはまるんだよな」
映画を観に行ったり飯を食いに行く相手がいることは知っている。でもそれがラーメン屋での話とどう繋がるのか分からない。とりあえず剛は黙ったまま伍代の次の言葉を待った。
「難破」
「な、なんだよ。いきなり改まって」
「俺、お前のことが好きだ」
「……つ、」
真剣な眼差しと少し震えた声が剛の心臓を激しく動かす。予期せぬ伍代からの告白に嬉しいと思ってしまった。が、すぐに女に困らない伍代が自分を選ぶはずはないと思い直し、口を開く。
「確かにデートの練習は頼んだけどよ、告白までは…。ていうかお前もそんな冗談言うんだな」
「嘘でも冗談でもねーよ。ほら、」
普段はあまり表情がかわらないタイプの伍代だったが、告白を冗談と捉えられたことに腹が立ったらしく珍しく眉間に皺が刻みこまれている。股のうえに置かれていた剛の手首を掴むと、自分の左胸に持っていった。強く激しく打ち付ける鼓動がダイレクトに手に伝わってくる。嘘ではここまでできない。ゆっくりと顔をあげると真っ直ぐに剛だけを見つめる瞳と目があう。陽炎のように揺れる瞳の前では気持ちを誤魔化せない。覚悟が決まった剛は小さく深呼吸をし、想いを告げるために口を開く。
「…俺も、伍代のことが好きだと思う。いや、好きだ」
口にしたことで閉じ込めていた想いが弾け、人生初の告白に熱という熱が顔に集まるのがわかる。お願いだから何か言ってくれ。皺が出来るほどの強い力で剛は特攻服をぎゅっと握りしめた。
「…それは反則だろ」
少なくともため息を吐かれるようなことは言っていない…はず。初めてばかりで戸惑う剛だったが、不意に背中に回された手に驚いて顔をあげると目の前が暗くなった。
やわらかい。あたたかい。ずっとこのままでいたい。
「とりあえず今日はここまでだな」
そう言って距離をとろうとする伍代の胴に今度は剛が抱きついて。
「伍代のこと好きすぎてヤバいかも、俺」
「っ、」
あまりにも可愛すぎるカウンターパンチが放たれる。見事なまでに伍代のハートに決まった。
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