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家庭科室に戻ると、中から言い争うような声がした。何事かと思い、小走りで二人に駆け寄る。
室内には料理部の顧問がいて、手には数枚の書類を持っていた。印字された「退」の文字が見えて、あたしはぎゅっとこぶしを握りこむ。
「――あ! やっときた、美桜! ねえ、どうなってるのこれ!?」
「なんか、センセーが、料理部が終わりだとかなんとか言ってんだけど」
「――ああ、うん、わかってる」
あたしは先生の正面まで歩いて行き、姿勢を伸ばした。
「櫻庭、どこ行ってたんだ? この二人は何も知らないらしくてな。料理部は――」
「すみません、先生。今日だけ、見逃してください」
一気にそこまで言って、大きく頭を下げる。先生だけでなく、ミヤちたちまでぽかんとしているのが雰囲気で伝わってくる。
「はあ? どういうことだ? おまえ以外の退部届は、みんな預かってるんだぞ? 今日だけって……。どうするんだ、一人で」
「コンテストに応募するんです。作品はほとんどできてるんです。完成させるまで、もう少しだけ時間をください。お願いします!」
「……それは……」
先生は困惑しているようだったが、ここまできて引き下がるつもりはない。しばらく粘ると、「仕方ないな」とあきれた様子で言ってくれた。
「! ありがとう、先生!」
「いや、急に作ったり急に壊したり、ほんとによくわからない部だなあ、料理部は。……しかし、片づけは急がなくていいと言ってあるしな。他の先生に聞かれたら、片付けの一環だとかなんとか、うまいこと言ってごまかしてくれよ? あと、戸締りと鍵の管理はしっかりするように。わかったな?」
「はい!」
先生が家庭科室を出ていくと、あたしはくるりと振り向いて二人を見た。話についてこれなかったミヤちたちが、戸惑った様子で集まってくる。
あたしは、かいつまんで事情を二人に説明する。
「と、いうわけで、ミヤち、トモヤ、手伝ってほしいんだけど!」
「えー……、いや、まあ別にいいけどさ。……それでいいの? 美桜」
聞かなくても、陸太朗のことだとわかった。あたしはただ微笑んで、小さく頷く。
「うーん、そっかあ……。まあ、美桜がそれでいいなら……。んじゃ、とにかくお菓子の方だよね。もちろん、トモヤもいいよね!」
「当たり前だろ。美桜が困ってるなら、放っとけねえって。で、何すればいいんだ?」
「……二人とも、ありがとう」
陸太朗のせいで散々傷ついた心に優しさが染み渡る。不覚にも泣きそうになった。
みんなでダラダラしている時間も、たまに虚しくはなるけど楽しい時間だった。そんな時間を過ごせたのは、一緒にいたのがこの二人だったからだ。
「ほら、美桜―。時間ないんでしょ、指示して指示」
「そうそう。俺もあんまり塾遅れたくねえからさ、やるんなら急いでやるぞ」
「わ、わかった。えーと、ちょっと待って!」
しんみりしている暇はなかった。あたしは慌てて、仕上げに取り掛かる。
黄色い生地、白い生地のロールカステラを両方、無事に巻き終えた。次は、これを切って一切れの状態にしなければならない。糸を取り出すと、ミヤちが不思議そうに体を乗り出してきた。
「? どうするの、それ」
「まあ、見てて」
今まではナイフを使っていたが、毎回カステラをつぶしたり切り口がギザギザになったりしてうまくいかなかった。スマホで調べた、糸で切るという方法を試してみるつもりだ。
「ふー……」
心を落ち着けるため深呼吸をする。黄色いカステラの下に慎重に糸を通して上部に持ってくると、交差させて一気に引いた。すると、かまいたちか何かでスパッと切ったみたいに、滑らかな切断面が現れた。
「わっ、すごいじゃん、美桜!」
「ふふふ……」
初めて試してみたのだが、うまくいってよかった。冷や汗を拭って、白い方のカステラも同様に切っていく。
イチジクと柿の断面が鮮やかで、白いロールにも黄色いロールにもきれいに色が映える。もみじの型で作った寒天を飾り、いくつか作って一番見栄えが良いものを選んだ。応募書類への添付用に一枚ずつ写真に収める。
二人には、最後の味見をお願いした。考えてみれば、このレシピはあたししか味見をしていない。陸太朗は味がわからないし、万人受けするものが作れたのか、今更だが確かめておきたくなったのだ。
「――あ、おいしい」
「あ……、たしかに、うまい!」
「ほんとっ?」
二人の感想を聞いて、あたしは飛び上がった。
「うん。白あんもカステラも甘すぎないし、柿の甘さを邪魔してなくてちょうどいいよ」
「ああ、うん。見た目よりあっさりしてて、これなら俺でも食べられるわ」
(やった……!)
陸太朗と二人で作ったお菓子を、ちゃんと食べてもらえて、おいしいと言ってもらえた。気を遣ってくれているのかもと思ったが、その表情から、嘘ではないことがわかる。
陸太朗がここにいたら、この嬉しさを二人で分かち合うことができたのに。
「……そこ、あたしが一番こだわったところなんだ。甘さ控えめで、だけど、ちゃんとお菓子としてのおいしさ、とか、ワクワク感みたいなものが感じられる味にしたいなって」
胸を詰まらせながら言うあたしに、ミヤちは微笑んだ。
「うん、わかる。これ、美桜の好みの味だよね」
二人で顔を見合わせて微笑んでいると、しばらく無言だったトモヤが、一切れ平らげて口をはさんだ。
「――で、結局どっちで応募するんだ? どっちか一つ選ばなきゃいけないんだろ?」
「あー、うん、そうだった……」
一番の問題が残っていた。白と黄、どちらを応募作にするか。
陸太朗の言葉を思い出して、コンテストの応募要項を何度も読んで、こうやって並べて見ても、まだふんぎりがつかない。
「……うーん……」
だがやがて、一つの皿を手に取った。それを見て、ミヤちが笑う。
「やっぱりね。あんたずっと、そっちの皿ばっかり見てたよ」
「え……、そうだった?」
自覚はないが、そうだとしたら、心の中では決めていたのかもしれない。写真のプリントをトモヤに頼み、彼が職員室へ向かうのを見送った。
作品が決まれば、あとは簡単だ。ボールペンを手に取って、応募書類に学校名や住所等、必要事項を書き込んでいく。名前の欄には陸太朗と自分の名を書いた。お菓子のコンセプトやレシピは、陸太朗がメモしたものを適当に組み立てて文章にしていく。
「ねえ、美桜。これ、なんて書いてあるの?」
書類を並んで見ていたミヤちが、「菓銘」の欄を指さして問う。
「ああ、それは、かめいって読むの。お菓子の銘、つまり、和菓子の名前のこと。和菓子って、味だけじゃなくて、見た目や音の響きも味わうものなんだって。その響きに当たるのが菓銘らしいよ」
「へえ。秋なのに、どっちも白っぽい名前なんだね」
ミヤちの感想に思わず笑う。
「陸太朗、ずっと、秋の白、秋の白ってつぶやきながら、名前探してたからね」
最初に思い付いたのが白いロールだったから、陸太朗はそこにこだわったのだろう。結果的に黄色い方にもその名前が付いたが、あんが白いのでイメージと違うとも言い切れない。
菓銘を書き込み、トモヤが持ってきてくれた写真を張り付ける。最後にもう一度確認をし、コピーを取ってから封をした。
あとは、下校途中にポストへ投函して終了だ。ついでに陸太朗の家の郵便受けにコピーを突っ込んでやろうと思いながら、鞄にそっとしまう。
「おーい、美桜。これ、ホントうまいな。塾前の腹ごしらえにちょうどいいや。丸ごと一本喰っちまっていいか?」
ロールカステラは随分とトモヤのお気に召したようで、あたしはつい苦笑をもらした。
和菓子の良さを知ってほしい、そして、和菓子を好きになってもらいたい。
そう言っていたのは、陸太朗だった。いつの間にか、あたしも布教する側にまわっていたのだろうか。
(……そっか、布教……)
その言葉がひっかかり、残りのロールカステラをわしづかみにしようとしていたトモヤをとめる。
「? 美桜――」
「ごめん。もうちょっとだけ、手伝って」