テラーノベル
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翌朝、村の水が一時間止まった。
原因は北側循環系統の弁だった。
大きな故障ではない。
それでも、共同炊事場では鍋を洗えず、診療所では貯水槽を使い、畑の散水は午後へ延期された。
「たった一時間なのに」
ハルが言う。
トウマは工具を肩に担いだ。
「一時間だから笑ってられる」
修理について行くことを許された。
境界を調べた罰として、しばらく放課後は父の手伝いをすることになったのだ。
北側設備室では、三人の大人が古い配管を囲んでいた。
「交換品は?」
「新品はない。倉庫の予備も最後だ」
「なら削って合わせる」
トウマは弁を外した。
金属は赤く錆び、縁が欠けている。
「こんなの使うの?」
「使えるようにする」
「新しいの作れない?」
「簡単に言うな」
部品一つにも材料と機械が要る。
村には何でもあるわけではない。
ハルは初めて、その当たり前を具体的に見た。
昼には水が戻った。
村の誰も大騒ぎしなかった。
止まることも、直して使うことも、ここでは日常なのだ。
午後、ハルは母の診療所へ荷物を届けた。
棚には薬の瓶が並んでいる。
ユイが古い箱を確認していた。
「それ何?」
「抗菌薬。残りを数えてる」
「作れないの?」
「ここではね」
「なくなったら?」
ユイは少し笑った。
「なくならないように使う」
答えになっていない。
「本当になくなったら?」
「できる範囲で治す」
「できなかったら?」
ユイの手が止まった。
「そういうこともある」
ミオの父のことを思い出した。
村の中だけで何でもできるわけではない。
境界は人を守った。
でも境界の中だけで、永遠に暮らせるとも限らない。
夕方、シンはハルとミオを共同倉庫へ連れていった。
「見せておいた方がいいと思ってな」
棚には穀物、乾燥豆、種、工具、布、薬品、機械部品。
「これが村を支えてる」
「全部ここで作るんですか?」
「作れるものはな」
作れないものもある。
昔は外から供給された。
今は壊れた機械から部品を外し、直し、使い回す。
「境界が閉じてれば安全って、それだけじゃないんですね」
ミオが言った。
シンは頷く。
「だから大人は毎日計算する。水がどれだけある。食料がどれだけ取れる。何人働ける。何が壊れそうか」
「二百五十八人」
ハルが言った。
「そうだ」
シンはハルを見る。
「お前一人の自由で、二百五十八人の安全を賭けられると思うか」
答えられなかった。
もし外へ出たいのが自分だけなら。
父や母やナナの水まで危険にしていいのか。
「でも」
ミオが口を開いた。
「一人が外へ出るだけで、本当に二百五十八人が危険になるんですか?」
シンは少し目を細めた。
「必ずとは言わん」
「じゃあ、どのくらい危険?」
「分からん」
「何が起きるか分からないから?」
「そうだ」
「それって、外が安全かどうか分からないのと同じですよね」
シンは黙った。
ミオは責める口調ではなかった。
「分からないから出ない。それは分かります。でも、分からないままなら、ずっと同じですよね」
「それで村が続いてきた」
「続いてる。でも部品も薬も減ってる」
ハルはミオを見る。
シンもすぐには答えなかった。
「お前たちは、十四歳にしては面倒なことを考える」
やがてそう言った。
「悪いですか?」
「いや」
シンは棚の古い部品を見た。
「考えること自体は悪くない」
その夜、ハルは父と境界沿いを歩いた。
点検灯が一定の間隔で並ぶ。
「父さん、これ全部直せる?」
「全部は無理だ」
「壊れたら?」
「必要なところを優先する」
「ずっと?」
トウマは歩きながら答えた。
「ずっと、そうしてきた」
「これからも?」
返事が少し遅れた。
「できる限りは」
「できなくなったら?」
トウマが足を止めた。
「今日のお前、母さんみたいだな」
「答えてよ」
「その時考える」
「その時って、壊れてから?」
トウマは境界の上を見た。
昔は電気が流れていたという線。
今はもう使われていない。
「俺たちは、壊れる前に直す」
「でも直せないものもある」
「ある」
「薬も」
「ある」
「じゃあ、外に頼らないでずっと暮らすのは無理なんじゃない?」
父は怒らなかった。
「かもしれない」
ハルは驚いた。
「認めるんだ」
「俺だって馬鹿じゃない」
トウマは苦笑した。
「ただ、明日困るかもしれないからって、今日門を開けていいとは思わない」
「じゃあいつ?」
「分からない」
まただ。
けれど、今度の「分からない」は大人たち自身の不安だった。
翌日、学校でセイジは共同体の役割分担について話した。
農業。
設備。
医療。
教育。
管理。
「一人で生きられる人間はいない」
先生が言う。
ハルは以前なら、境界の話と結びつけて反発したかもしれない。
今日は違った。
本当にそうだと思った。
自分は水を直せない。
薬も作れない。
食料を全部育てられない。
自由に外へ行くことだけを考えていた。
でも、自分が生きているのは、二百五十七人の誰かの仕事のおかげでもある。
放課後、ミオと境界の近くに座った。
「分からなくなってきた」
ハルが言う。
「何が?」
「俺が正しいのか」
「正しいかどうか決める話じゃないんじゃない?」
「じゃあ何?」
「どうするか決めるために、何を知る必要があるか」
ハルは門を見る。
「外が今どうなってるか」
「うん」
「それを知るには外へ行かないといけない」
「たぶん」
「でも外へ行くことが危険」
「そう」
「ぐるぐるしてる」
ミオが笑った。
「だから考えるんでしょ」
ハルは膝を抱えた。
境界は昨日より少し違って見えた。
壁の向こうを隠すものではなく、村の水や畑や家族を守ってきたもの。
それでも。
守るための壁が、いつまで必要なのか。
その答えだけは、壁の内側にはない気がした。
共同倉庫を出る前、シンは棚の一番奥から小さな箱を持ってきた。
中には同じ形の金属部品が三つ並んでいた。
一つは新品に近い銀色。一つは削られ、継ぎ足されている。最後の一つは黒く変色していた。
「何の部品?」
「循環ポンプの軸受けだ」
「三つもあるじゃん」
「使えるのは真ん中だけだ」
シンは銀色のものを持ち上げた。
「これは規格が違う。昔、別の設備用に届いたものだ。加工すれば使えるかもしれんが、失敗すれば終わりだ」
黒いものを指す。
「こっちは限界まで使った」
「じゃあ真ん中が壊れたら?」
「考える」
「みんなそれ言う」
ハルが呟くと、シンは笑わなかった。
「考えるしかないからだ」
村の大人は何でも知っているわけではない。むしろ、分からないことを毎日どうにかしながら暮らしている。
「外に同じ部品があるかもしれないですよね」
ミオが言った。
「あるかもしれん」
「探しに行かないんですか」
シンは箱を閉じた。
「部品一個を探しに人間を失うかもしれない。持ち帰った物が使える保証もない。今動いている設備を止めてまで試す価値があるか。そういう計算になる」
「でも、壊れてからだと遅い」
「だから困ってる」
シンは初めて、はっきりそう言った。
帰り道、ミオはしばらく黙っていた。
「シンさん、外が怖いだけじゃないね」
「うん」
「失敗するのが怖いんだ」
「失敗したらみんなに来るから」
ハルは畑を見た。一列ずつ作物が並んでいる。子供のころから変わらない景色だ。
けれど、変わらないように見えるその景色を、毎日の計算と修理が支えていた。
翌朝、学校でセイジが役割分担の続きを話した。
「共同体では、自由と責任は別々には扱えない」
黒板に二つの言葉を書く。
自由。責任。
「好きな仕事を選べないってこと?」
同級生が聞く。
「選べる範囲はある。ただ、必要な仕事が誰もいなくなれば困る」
ハルは父を思った。
放課後に聞くと、父は笑った。
「最初は畑がよかった」
「え?」
「機械より土の方が好きだった」
「じゃあなんで設備?」
「父さんがやってたから覚えてた。人が足りなかった。それだけだ」
「嫌じゃなかった?」
「嫌な日もある」
ハルには意外だった。
「じゃあ、父さんも選べなかった?」
トウマは工具を拭く手を止める。
「完全にはな。でも、選んだ部分もある」
「どっちだよ」
「大人になると、そういうのが増える」
それは境界と少し似ている、とハルは思った。
守るために必要だったこと。続けるうちに当たり前になったこと。自分で選んだ部分と、選ぶ余地がなかった部分。
全部が混ざっている。
だから単純に「自由がない」と言うだけでは足りない。
その夜、ハルは紙に二つ書いた。
『今すぐ門を開ける』
『永遠に門を閉める』
どちらにも丸をつけられなかった。
間に一本線を引き、そこへ書く。
『今の外を知る』
翌朝、ミオに見せると、彼女は少しだけ笑った。
「やっと順番が合ったね」
「前は?」
「開ける、見る、考える、だった」
「今は?」
「考える、調べる、必要なら開ける」
「面倒」
「安全って面倒なんだよ」
ハルは紙を折り畳んだ。
壁を守ることも、壁を疑うことも、村を守るために必要なのかもしれない。
コメント
1件
うわああ、めっちゃグッときた…!!😭💕 第12話、めちゃくちゃ深かったよ…閉鎖された村の維持って、ただ「出るな」って禁止するだけじゃなくて、部品が減って薬が減って大人たちが「考えるしかない」って日々ギリギリでやってるんだなって。シンさんの「失敗するのが怖いんだ」のセリフ、村全体の重みが詰まってた…。 ハルが「守るための壁がいつまで必要なのか、その答えは壁の内側にはない」って気づくところ、だからこそ「今の外を知る」って順番に辿り着いたのがエモすぎる…! ミオの「安全って面倒なんだよ」も好きすぎる〜っ✨ 次の展開、めっちゃ気になるよ!asahinさん、ありがとうございますっ🌸