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新人ライバー・りつは、にじさんじの中でも少し不思議な立ち位置にいた。
声は落ち着いていて、感情の起伏も大きくない。雑談配信では淡々と話すが、リスナーのコメントはきちんと拾う。その距離感が「安心する」と言われる理由だった。
この日の配信は、葛葉と叶とのコラボだった。
にじさんじでも屈指の知名度を誇る二人に挟まれながら、りつは控えめに笑う。
「新人にしては落ち着きすぎじゃね?」
葛葉が笑い混じりに言うと、
「緊張してないわけじゃないよ。ただ、りつは無理に前に出ない感じだよね」
と叶が自然にフォローを入れる。
話題はいつの間にか、生活リズムや体調管理の話になる。
葛葉が夜更かし自慢を始め、叶が呆れた声で注意する、いつもの流れだ。
「でもさ、寝不足続くと動悸することあるんだよな」
その一言に、りつは一瞬だけ間を置いた。
「それ、脱水や自律神経の乱れが原因のこともあります。水分と休息を優先してください」
あまりに即答だった。
叶がわずかに首を傾げる。
「……詳しいね」
「知識として、です」
りつはそう言って、話題を切り替えた。
葛葉は深く考えず笑って流すが、叶の視線だけが一瞬、りつに向いたままだった。
配信の終盤、盛り上がるコメント欄とは裏腹に、りつは言葉の合間で小さく息を整えていた。
マイクにはほとんど乗らない程度の、かすかな呼吸音。
配信が終わり、りつは椅子にもたれて静かに目を閉じる。
胸の奥で、不規則な鼓動が小さく主張していた。
「……まだ、平気」
誰に向けるでもなく呟き、りつは配信画面を閉じた。
ライバーとしての顔をしまい込み、次の時間へ向かう準備をする。
その先に、白衣を着る自分がいることを、誰も知らないまま。
病院の朝は早い。
りつは人通りの少ない廊下を歩きながら、白衣の袖を整えた。ライバーとしての配信とは違い、ここでは一つひとつの判断が、そのまま人の生活に直結する。
同じフロアでカルテを確認していた健屋花那が、ちらりと視線を向けた。
「今日、外来多いよ」
「把握しています」
短いやり取り。それだけで十分だった。
健屋はにじさんじでは“医療に強い先輩ライバー”として知られているが、ここでは同僚の医師だ。りつの仕事ぶりを、誰よりも近くで見ている。
午前中、少し判断の難しい患者が来た。
症状は曖昧で、検査結果も決め手に欠ける。周囲が迷う中、りつは静かに口を開いた。
「可能性を一つずつ消しましょう。今優先すべきは――」
検査の順番、患者への説明、リスクの整理。
どれも無駄がなく、落ち着いている。
健屋は内心で息をのんだ。
新人の判断ではない。経験に裏打ちされた“勘”と理論だった。
「助かったよ」
診察後、健屋がそう言うと、りつは小さくうなずくだけだった。
昼休憩、二人並んで簡単に食事を取る。
健屋はりつの顔色を盗み見る。
「……最近、無理してない?」
「問題ありません」
即答だった。
健屋はそれ以上踏み込まない。ただ、医師としての直感が、何かを訴えていた。
午後の診察が終わるころ、りつは一瞬だけ胸に手を当てた。
深く息を吸い、何事もなかったように立ち直る。
健屋は見逃さなかったが、声はかけなかった。
“言わない”選択をしている相手に、無理やり踏み込むことはしない。
それでも、確かな事実がある。
りつは間違いなく――腕のいい医者だった。
その日は、比較的落ち着いた午後になるはずだった。
りつがカルテを確認していると、受付が少しだけ慌ただしくなる。
「軽い外傷とめまい、だそうです」
看護師の言葉に、りつはうなずいた。
診察室の扉が開く。
入ってきた患者を見て、ほんの一瞬だけ、りつの視線が止まった。
「……あ」
ローレン・イロアスだった。
にじさんじのライバーとして見慣れた顔。だが今は、いつもの軽装ではなく、少し疲れた様子で椅子に座っている。
「え、ここ病院だよな?」
ローレンは周囲を見回し、次にりつを見る。
「……あれ? りつ?」
だが、返ってきたのは淡々とした声だった。
「お名前と、症状を教えてください」
一瞬の戸惑い。
ローレンは苦笑しながら頭をかく。
「配信の準備中に立ちくらみして、転んだ。ちょっと頭打ったかも」
りつはすぐに表情を切り替え、医師として質問を重ねる。
意識障害の有無、吐き気、視界の違和感。
専門用語は使わず、必要なことだけを丁寧に。
「今のところ、重症の可能性は低そうです。ただ、念のため検査をします」
ローレンは、少し驚いた顔でりつを見る。
「……なんか、めっちゃ安心するな」
その言葉に、りつは小さくうなずくだけだった。
検査の結果、大きな問題はなし。
水分不足と疲労が原因だろう、という結論になる。
「今日は無理をしないでください。配信も、できれば休んだほうがいい」
「耳が痛ぇ……」
ローレンはそう言いながらも、どこか素直だった。
診察室を出る前、少しだけ声を落とす。
「りつって医者だったんだな」
「気のせいです」
それ以上は、何も言わなかった。
ローレンが去ったあと、りつは椅子に深く腰を下ろした。
胸の奥が、少しだけ重い。
ライバーとしての世界と、医師としての現実。
その境界線は、思っていたよりも近かった。
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